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スライムは雑魚じゃない

 転生局の仕事は大体、三つに分かれている。

 グリムと僕が行っているのは、基本の窓口業務。

 現世や異世界にグリム・リーパーが直接足を運んで、転生させるものを回収する業務。

 窓口を通り待機部屋にいる転生希望者を実際に転生させ、その後、転生先で問題がないか管理する業務。

 他にも細かい業務を担当する部署はあるらしいけど、書類には書かれていなかった。


「思っていたよりもたくさんあるんだな」

「まあ、そのせいで転生局はいつも人手不足なんです。ただでさえ、グリム・リーパーの数はあまり多くはないので」

「多くないの、グリム・リーパーって?」

「異世界でいう、ペガサスぐらいには数少ない存在です」

「いや、例えが分かりづらいよ」

 

 なんとなく、貴重なのだということは伝わってくるけど。

 支部長が帰ったあと、僕は転生局について学んでいた。支部長の置いていってくれた書類を読んで、グリムの話を聞いた限りでは、会社の仕組みと大差ない。

 転生局全体を取り仕切る本部があって、その下にいくつかの支部が置かれている。地球であれば、日本支部やアメリカ支部、異世界であれば大陸で区切った支部など。そして、最初に説明したように、支部内での大まかな仕事が窓口業務、回収業務、管理業務というわけだ。

 グリムの雑な仕事を見ているから、転生局自体がずさんな組織だと、失礼な勘違いをしていた。ずさんなのは、グリムただ一人なのに。

 反省しよう。


「いや、しかし、今さら聞くのもあれなんだけど、異世界って本当にあったんだな」

「信じていなかったのですか?」

「ここに来てから非日常的な経験をたくさんさせてもらっているから、異世界があってもおかしくはないよな、と思っていたよ。転生先にもなっているくらいだし。でも、自分の目で見ていないものを全面的に信じるのは無理」

「それはつまり、目で見たものは何でも信じるってことですね。それなら異世界、見に行きますか? 行こうと思えば今すぐにでも行けますが」

 

 異世界ってそんな手軽に行けるものなのか、とちょっと衝撃を受ける。


「もちろん、見ることができるのなら見てみたいよ。今すぐって言うのは難しいだろうけど。僕たちが異世界を見に行っている間に、次の転生希望者が来たら困るし」

「問題ないです。異世界を見てくるのは、仁見さんだけですから」

「え? 僕だけ?」

 

 グリムがおかわりした三杯目の紅茶を飲み干して机の上に置いたとき、僕の足元に小さな黒い影が現れた。その影は徐々に広がっていき、僕が座っている椅子を含んだ円の形になる。

 僕はひきつった笑顔で、足元を指差して言う。


「もしかしてこれ、ゲートみたいなやつ?」

「正解です」

「ということは、」

 

 落ちるのか。

 言葉は最後まで続かなかった。

 唐突に身体を支えていたものが消える感覚。椅子と一緒に僕たちは暗闇の中に落ちていく。男の意地で、悲鳴を上げるのだけは耐えた。

 もう、ドッキリで落とし穴に引っかかった芸人を笑うことは、二度とできそうにない。

 落下は数秒で止まった。

 着地の衝撃は椅子を通して、尻に伝わる。あまりの痛みに、声にならない悲鳴を上げてしまった。


「まったく、なんて手荒な方法だ…………」

 

 涙で微かに滲んだ視界が周囲の景色を捉える。

 見渡す限りの草原だった。

 草は僕の膝まで伸びている。風が正面から吹きつけると、草が波みたいに僕の方に向かってきた。僕がもう死んでいるからか、風の冷たさは感じない。空は雲一つなく住んでいて、空気は僕の住んでいた町よりも甘い匂いがする気がした。


「ここは本当に異世界なのか?」

 

 グリムを信用していないわけではないけど、外国に行けば大草原が広がっているところぐらいある。安直に僕が今いるところが異世界だと決めつけることはできない。

 とりあえずこの場にいてもやることはないし、少し動こうと椅子から立ち上がったとき数メートル先の草むらが不自然な揺れ方をした。その箇所を注視していたら、どんどん揺れが僕のほうに近づいてくる。

 

 もし危険な生き物だったらやばくないか?

 

 そう思った僕は身構える。

 僕の手前の草むらで『何か』は一旦動きを止めた。草むらの中に姿が隠れるぐらいだから小柄な生き物だろ思うけど、油断はできない。武術の心得はもちろん、体力もない貧弱な僕はファンタジー世界の生き物に勝てるはずがない。現世では子犬にすら勝てないのだから。


「ぴぃぎぃ」

 

 不意に奇怪な声が聞こえた。


「何だこの鳴き声……」

「ぴぃぎー」

「うおっ」

 

 鳴き声声に気を取られたところを狙って、草むらから飛び出してきた薄緑色の触手が足元に絡みついてくる。どろどろとした触手に引っ張られて、僕は盛大に転んだ。足場が草原でなく、コンクリートだったら、頭を打って気絶していたに違いない。

 伸びた草の隙間から、僕を捕まえている「何か」の姿が見えた。草原と同じ薄緑色の塊。そいつは体の内部にある、たった一つの眼球をきょろきょろと動かしている。

 そいつは、ファンタジー世界の最初に出てくるモンスターとして有名な、スライム。

 たぶん危機的状況なのに、ああ本当に異世界へ来たんだなあ、と僕は呑気なことを考えていた。

 ふと、スライムと眼が合ったので笑いかけてみる。

 交渉には笑顔が欠かせない。


「足に絡みついているやつ、放してくれない?」

「ぴぃぎぴぃ」

 

 ずるずる、とスライムの方に引きずられていく僕。スライムの気持ちはよく分かった。分かりたくないけど、分かった。

 ……うん、まあ、そうだよね。いくら異世界とはいえ、スライムに人間の言葉が通じるはずないよね。

 僕が読んできたSFやファンタジーものの小説でスライムは、巨大化したアメーバ状の生物で、粘着質な体に包まれたら抜け出すことはできず、消化されるのを待つしかないという恐ろしい捕食方法を持った存在として書かれていることが多い。スライムは雑魚モンスターではないのだ。

 つまり、僕が何を言いたいかと言うと。


 誰か助けてくれ。

 至急速やかに。


「食うのはいいけど、喰われるのは嫌だぁー」

 

 いくら喚いて足を激しく動かしても、触手は放れてくれない。むしろ、放すまいと、ますますきつく絡みついてくる。

 草を掴んで抵抗を図るが、両手で草むしりをしただけで時間稼ぎにもならない。どうしてこの場所には草しかないんだよ。もっと木とか生えてろよ。


「ぴぃぴぃぎぃ―――!」

 

 捕食を確信したのか、スライムが雄叫びをあげた。

 もう、だめ。

 あっさりと、本日二度目の死を覚悟し始めたとき。



「ちょっと目を離した間に、どうして命の危機に陥っているんですか」



 背後から聞きなれた少女の声がした。

 当たり前だけど、異世界にいる僕を助けに来てくれるのは一人しかいない。

 指を鳴らす音が聞こえるのと同時に、足を引っ張られる感覚がなくなる。振り返ると、グリムが死神の持っているような大鎌を肩に担いでいた。その鎌でスライムの触手を切断してくれたのだろう。

 異世界でも『想創』を行使することができたのか。それを事前に説明してくれれば、ここまで惨めな姿を晒すことはなかったのに。

 グリムはしゃがんで僕と目線を合わせる。心配したとでも言いたげな顔しているけど、口元のにやけは隠しきれていない。たぶん僕の情けない姿を見て、こみ上げてくる笑いを押さえているのだろう。性格の悪い奴だ。


「短い時間でしたが異世界はどうでしたか?」

「スライム怖い」

「最低限なコメントありがとうございます」

「精神が汚染された。一旦帰ろう。異世界は僕には早すぎた」

「まだ何もしてないですが、いいんですか?」

「いいんだよ。また気が向いたときに来る」

 

 今度訪れたときは、絶対に異世界を満喫してやる。絶対に、だ。ドラゴンとか妖精とかも見てみたいし、異世界の料理も食べてみたいし。


「了解しました」

 

 グリムが鎌の刃を地面に突き立てると、さきほど僕を異世界に転移させた黒い影が現れる。黒い影を手で触れてみたら、妙に柔らかい感触がした。ワープゲートってこんな感触していたのか。グリムの想像で創り出されたものだからかもしれないけど。

 そして、また訪れる浮遊感。

 ああ、そういえば。


「しまった」

 

 立ち上がっておけばよかった、と思ったときには遅かった。

 一面緑色の景色が真っ白な色に塗りつぶされていく。部屋に戻ってきた僕は勢いよく尻を打ちつけて、ごろごろと床を転がった。

 尻をさすりながら悪態を吐く。


「どうしてゲートなんて方法で来なくちゃいけないんだ。他にマシな方法あっただろう。扉とか扉とか扉とか」

「私はうまく着地させる自信あったんですが……」

「根拠のない自信持たないでくれ」

「しょうがないじゃないですか……。友人が同じような方法で異世界に渡っているのを見て、真似したくなってしまったんですから」

 

 その気持ちは分からないでもない。

 僕も本の中に登場する好きなキャラの口癖などを真似していたら、友人に、頭大丈夫か? 病院行くか? と心配されたことがある。あれは今思い返しても、死にたくなるほど恥ずかしい。

 そういう黒歴史の経験もあり、ついグリムに共感してしまい、これ以上グリムを責めづらかった。


「……もういいよ。スライムに襲われて危なかったところを回収してもらったし、何より異世界を見ることができたし。こっちがお礼を言わなくちゃいけないよな。ありがとう。いい体験ができたよ」

「仁見さんが素直だと、何か企みがあるのかと疑ってしまいますね」

「どういう意味だ。さすがに怒るぞ、こら」

「冗談です。……どういたしまして」


 グリムが浮かべた笑顔は、僕が今まで見た誰の笑顔よりも純粋なものだった。

 初めてグリムのことを可愛いではなく、綺麗だと思った。



12/3加筆修正

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