知らぬ間に囮
「仁見さんの妹、梓さんはとあるグリム・リーパーに魂を狙われています」
風呂から出た僕が部屋に戻るなり、グリムはこう言った。
僕はぬいぐるみを枕の代わりにしつつ、ベッドに寝転がる。
「そっか」
「……反応が薄いですね」
「まあね」
グリムから告げられた事実に多少驚きはしたけど、全くの予想外であったわけではない。妹に何らかの危険が迫っている可能性は僕も考慮していた。
「原因は僕か?」
「ええ、その通りです」
読書と食事が生きがいという点を除けばごく一般的な僕、仁見由には特殊な才能が備わっていることが死んでから判明した。
『想創』と呼ばれる想像しただけで、何もない空間に物質を創り出すことのできる能力。死んだものなら誰もが扱うことのできる能力ではあるけど、「概念」を創り出すことはできないらしい。例えば、生き物とか、台風や津波などの現象である。
しかし、何事にも例外はある。
僕は死後の世界でただ一人、『想創』によって味のある料理を作り出すことのできる存在であった。生き物を創り出すことができることと比べて、とても地味な能力だと思う。しかし、グリム・リーパーにとってこの能力は喉から手が出るほどに欲しくてたまらない能力なのだ。
グリム・リーパーは死神であり、ありとあらゆる人間の常識を超越した存在であっても、死後の世界で生きている以上、何らかのエネルギーを摂取する必要がある。そのエネルギー源となっているのが、死んだ人の魂だ。
グリム・リーパーはあるときから、人と同じように自分たちの食生活を豊かにするための方法を模索し始めた。その方法として選ばれたのが転生局というシステムである。
人が経験したことは魂に色として定着し、その色によってグリム・リーパーたちの舌が感じる味覚が異なってくる。自分の好む味にするために、死者を導いて、グリム・リーパーたちが創り出した様々な世界に転生させて経験を積ませる。そして、機が熟したら収穫する。
おいしいものを食べるには、とても手間と時間がかかる。しかし、僕の能力ならば手間も時間もかからない。好きなときに好きなだけ自分の好む味を堪能できる。
もちろん僕の料理をいくら食べようと人の魂とは違って、グリム・リーパーのエネルギーとなることはない。それでも嗜好品としては十分すぎる品を提供することができる。
グリム・リーパーには恐らく寿命という概念は存在しない。
だから、飢えている。
無限の退屈を紛らわしてくれるような何かに。
僕の能力は転生局というシステム自体を崩壊させてしまう可能性があった。
その特殊な才能はもしかしたら僕だけでなく、妹にも受け継がれているのかもしれない。そう考え、その能力を妹の魂ごとどうにかして手に入れたいとする者がいてもおかしくはない。
支部長みたいに自分の欲望のために何でもする輩は、グリム・リーパーの中には多くいるのだから。
「生きていても『想創』の能力使えません。ならば殺して確かめてみようと考えているものがいるみたいです」
「誰が?」
「ある程度推測はできますが、断定はできていません」
「どうせ支部長の息のかかった連中か、もしくは……」
「…………すまん」
グリムの声ではない、沈んだ声がミサンガから聞こえてきた。まさかグリムの近くにいるとは。
「ザクロ、そこにいたんですか?」
「……敬語」
「ああ、ごめん。どうしてそこにいるの、ザクロは?」
「……いちゃダメか?」
「そんなことは全く」
こんなにしおらしいザクロの声は違和しか感じない。普段はチェンソーを常に持ち歩き、部屋に入るときも扉をぶち壊し、手加減のない無自覚な行動で僕を何度も死の危機に陥らせているというのに。
「……すまん」
「さっきから何に謝っているのかわからないんだけど」
ザクロから謝罪されることに関しては心当たりが多すぎる。
「多分、由も予測しているだろうが、仁見梓の魂を狙っているというグリム・リーパーは恐らくあたしの所属する組織の一員だ。組織の意向ではなく、個人の独断であることはわかっている」
「それで何でザクロが謝ることに?」
「支部長は由の料理を独り占めしたいと考えているから、簡単に口を割るとは思えない。あたしも由の能力については組織に報告していない。だが、何らかの方法で由のことが組織の一員にバレてしまったんだろう。あたしがもっと目を光らせていれば、由の妹が狙われるようなことにはならなかったのに」
変なところで繊細な奴だ。
ザクロはある組織に所属している。その組織の名前はわからないけど、目的だけはザクロから聞かされている。
曰く、グリム・リーパー本来の役割を取り戻すこと、つまり、転生局などに頼らずに、ありのままの魂を食する生活に戻すこと。目的達成のために転生局を潰そうとしている。その組織とやらは転生局側からはレジスタンスとして扱われているらしい。
僕はベッドの上をごろごろと転がりながら言った。
「ザクロ、僕がいない間に頭の中交換でもしたのか?」
「それは、どういう意味だ?」
「いやだって、あまりにも弱気というか、なよなよした態度をしているもんだから。はっきり言って、ちょっと不気味だよ。不気味すぎて鳥肌が立つくらい」
「……黙って聞いてれば好き勝手言いやがるな、こら」
いかにもザクロといった感じの、低い声。
「あはははは。ミサンガ越しに凄まれても怖くないよ」
転生局で働いているザクロがどうして相反する組織に所属しているのか、僕は詳しい事情を知らない。本当はどっちの味方なのかさえも。
それでも、僕にとってザクロがとても義理堅く、信頼に足る存在であることには疑いようがない。深く絶望の底に沈んでいた僕を救ってくれたのは紛れもない彼女だ。救い方は手を差し伸べるといった優しいものではなく、殴って無理やり目を覚まさせるような強引なものだったけど。
だから、そんな厳しくも優しいザクロが自分と関係のないことにまで責任を感じて、らしくない声を聞かせて欲しくはなかった。
「今度会ったときは覚えとけ」
「覚えてる、覚えてる。……いつ会えるのかわからないけどね」
「すぐ会えるさ」
にやり、と獰猛な笑みを浮かべるザクロの顔が頭に浮かんだ。
嫌な予感がする。
「……えっと、それはどういう意味で」
「数日のうちに、あたしはそこに向かうことになる。仕事でな」
ザクロの主な仕事が、現世に足を運び、転生に適した者にマーカーをつけたり、指示に従って死人の魂を回収したりするもの。とは言うものの、このタイミングで彼女が僕の暮らす街にやってくるのだから、妹の件と関係ないはずがない。
「目的は妹の魂を狙っているグリム・リーパーを探すため?」
「半分正解。もう半分は由を守るためだ」
「僕を守るため?」
「仁見さんは囮なんです。件のグリム・リーパーを呼び寄せるための」
グリムは愉快そうに不穏なことを言った。
「囮ってどういう意味か説明してもらえる?」
「妹さんの魂を狙っている相手は、妹さんに特殊な力が備わっていると予想していますが、確証は得ていません。確かめる方法は魂を回収することですが、これには当然転生局に見つかるというリスクがあります。今回の行動が独断なら組織の後ろ盾がない以上、尚更慎重に行動したいはずです。できることなら回収する前に、妹さんに仁見さんと同じ能力が備わっていることを確認したい、と考えていると思います」
まあ、そうだろうな。自分がそいつと同じ立場でも同じことを考える。
「グリム・リーパーはすぐには見つけられず、妹さんがいつ命を狙われるかもわからない」
「その現状を強引に打開するための方法が、僕の魂を梓の肉体に入れて囮にさせることなのか」
「その通りです」
死んでからというもの、僕の意思は路傍の石と同じくらい軽く見られているように感じる。
「仁見さんの魂が妹さんの身体に入ったことで、一日で魂の色に変化が起きたことは犯人にも伝わっているはずです。これで妹さんの魂が特異なものであると思わせることができたと思ったのですが」
「この一週間、何の動きもなかったな」
「ええ。私が思っていた以上に慎重な相手だったみたいです」
せめて事情を説明してから現世に送り込むことはできなかったのか、僕がそう非難すると、
「事情を説明したら、きっと仁見さんは潜伏している犯人を捜そうとしてしまいますよね? そういうのは犯人に不審感を与えてしまいますので避けたかったんです」
「僕が何も知らされずにいきなり妹を演じても、犯人から怪しい行動をしているように見られるのは避けられないと思うんだけど」
「そこは気にしなくても大丈夫です。仁見さんは十分すぎるくらいに妹さんを演じています。身近なものしか違和感を覚えないほどに」
最後の言葉が引っ掛かった。
もしかすると妹の魂を狙っている相手というのは妹のすぐ近くにいるのか。そのことをグリムに尋ねたら、秘密です、と誤魔化されてしまった。
僕は軽く息を吐いて、どうしても知っておきたいことを聞くことにした。
「また何か企んでいるのか?」
グリムは特に詰まることなく軽やかに答える。
「いいえ、ただ妹さんを助けたいだけです」
きっとグリムは真っ白な部屋で、どこまで白々しい笑みを浮かべているのだろう。追及したところで、彼女が応えてくれるとは思わないけど。
「なあ、グリム、妹に害のあることだけはしないって約束してくれるか?」
「何を言っているんですか。そんなこと当然じゃないですか。安心してください。私は約束を必ず守る女ですから」
「……何言ってんだ、お前。そんな胡散臭い笑みを浮かべて」
呆れた物言いのザクロに全面的に同意せざるを得なかった。
僕が何を言っても大した意味はないだろう。しかし、無駄だと分かっていてもしても何も言わないよりはましだろう、とは思う。
「仁見さんも嫌だとは思いますが、しばらくは妹さんとして生活してください。妹さんに死後の世界があることを知られたくはないですよね?」
「そう、だな」
ああ、やはり感づかれていた。
そう、僕は妹に死んだあとにも意思を保てる可能性があることに気づかせたくなかった。
妹の平穏な日々を壊さないために。
いつだってグリムは僕の急所を握っている。だから、どれだけ不満があろうと、どれだけ反抗しようと、最終的には彼女の言うことには従うしかないのだ。
「心配しないでください。何も知らない妹さんよりも仁見さんのほうが身を守ることができますし、私ができる限り監視していますし、護衛としてザクロさんもそちらに行きますから」
最後の言葉に肩が震えた。
ザクロが晴れやかな声で言う。
「よろしく」
「……よろしくお願いします」
このとき初めて妹の身体のままでよかったと思った。
僕の身体であったら、ザクロに会った時にどんな目に遭わされるか分からないから。
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