転生希望は勇者が多い
「生まれ変わったら勇者になりたい。なんでもいいからチートな力を手に入れて、何も努力をしなくても、だらだら冒険しているだけでも、可愛い女の子にちやほらされるようなイケメンの勇者に」
三日ぶりに風呂に入って溺死した坂木拓未(24)は、力強く語った。
何言っているんだ、こいつ。
素直にそう思った。
「…………」
僕は隣に座っている白い少女、グリムに視線を送る。今の発言を記録しなくてはならないのか、という確認の意味を込めて。
僕の意図を理解したらしく、グリムは小さく頷いた。目が、もちろん、と言っている。
僕は仕方なく、ペンを走らせた。
どうして、いい年をした大人の痛々しい妄想を紙に書き留めなくてはいけないのか。聞いているだけでも身体中がむず痒くなってくるというのに。
こんな妄言を記録するぐらいなら、国語辞典を書き写している方がよっぽど有意義な時間を過ごせそうだ。どっちにしても紙とインクの無駄遣いだが。
部屋の中央で机を挟み、僕とグリムは坂木さんと向かい合っている。
普段着なのか、坂木さんは無駄にサイズの大きいジャージを着ていた。子どもが 初めてした苗植えのように、頬と顎の髭がまばらに生え、目はどんよりと曇っている。こちらの方が、僕の隣に座っている少女よりも死神らしい。
グリムは無垢な笑みを浮かべて言った。
「できる限りご希望に添えるようにします」
少女の言葉に、坂木さんは細かった目を大きく見開いた。
「……え、マジで? 本当に俺、勇者に転生できるの?」
「ええ、できますよ。ただし、あなたが今までいた地球とは少しだけ異なる世界に勇者として転生することになりますが」
「ちなみに聞いておくが、その世界にドラゴンとか妖精っている?」
「ええ、そう呼ばれている存在なら」
「………………マジかよ」
幼い容姿から想像できない、大人な対応をするグリム。さすがに坂木さんの方は動揺を隠せないようだ。
坂木さんの気持ちはよく分かる。
僕も、ドラゴンや妖精が人と同じ世界で生活している、小説や漫画の中にしか存在しえないような異世界に転生できると知ったときは、この部屋にきたときの知識になかったこともあり、さすがに数秒くらい間抜けな顔をさらしてしまった。
今、自分が置かれている状況が、異世界ファンタジーものの本を大量に読み漁ったせいで見ている夢なのではないか。
半ば本気で、そう疑った。
目を覚ましたら、全く見覚えのない部屋にいて。
この場所がどういうところか無理やり理解させられて。
幼い少女にどんな意味があるか分からない質問をされて。
最後には転生に興味がないか聞かれて。
そして、異世界に転生できることを伝えられる。
こんな状況に即順応できる方がおかしい。いくらこの場所が死後の世界で、目の前にいる少女が死神、もとい『グリム・リーパー』、と、何らかの力で無理やり理解させられていたとしても。
でも、この部屋にいる少女は、どうしようもなく本物だ。
だから、受け入れるしかないのだ、目の前の現実を。
きっと坂木さんは、勇者に転生したいという願望はあっても、心の底から勇者に転生できるとは思っていなかった。心の底から本気ではなかったから、魂の管理者である少女に、勇者への転生ができる、と言われて戸惑っているのだろう。
長い時間押し黙っていた坂木さんは、何かを決意したように拳を握りしめた。
「もし、もし本当に俺が勇者に転生できるとして、」
できますって、何度も言っているじゃないですか。少しは信用してくださいよ、とグリムが小さくぼやいた。たぶん、僕にしか聞こえていない。
「俺はそこで何をすればいいんだ? 女の子に囲まれてだらだらと冒険すればいいのか? それとも魔王を討伐して世界を救えばいいのか? それとも他にやることが合ったりするのか?」
「それはあなたの自由です」
「俺の自由?」
「ええあなたがしたいと思うことを、勇者として生まれ変わった世界で行えばいいのです。何か使命を与えられたいというのなら、こちらから適当に与えることもできますが、せっかく転生したのに、誰かに縛られるのはつまらないでしょう?」
「そう、だな」
坂木さんは口の端を持ち上げて笑う。見たことないものを目にして興奮を抑えられない少年のような若々しい笑み。もう勇者として転生することに迷いはないように見えた。
「気持ちは決まったようですね」
グリムがパチン、と指を鳴らした途端、坂木さんの真後ろに扉が現れる。もう見慣れたので、僕は驚かないけど、坂木さんはまた目を見開いていた。
今回は指パッチンが一回で成功したのが嬉しいのか、グリムは机の下でひっそりと拳を握っている。相変わらずのお子様な精神年齢である。
「それでは準備ができるまで別室で待機していてください」
グリムは右手で扉のほうへ、坂木さんを促す。
「ああ、分かったよ」
坂木さんは扉の奥へ消える前に、グリムの方を見て、
「ありがとう、お嬢ちゃん。俺みたいなやつにチャンスをくれて」
と、恥ずかしそうに言った。
「お嬢ちゃんではありません。グリム・リーパーです。それにお礼なんて言わないでください。私も、私がしたいことをしただけですから」
「それでも、ありがとうよ」
扉がひとりでに閉まるまで、坂木さんはグリムの方をずっと見ていた。
グリムが手を払うと、扉が霧のように消えてなくなる。
僕はペンを机に置いて、椅子の背もたれに寄りかかった。僕の仕事は、この部屋に訪れた人の話を書き留めるだけの簡単なものだけど、まだ慣れていないせいなのか、やたらと疲れる。
不意に右肩が重くなった。横目で確認すると、グリムが顎を僕の右肩に乗っけている。
「何してんの?」
「気にしないでください。休んでいるだけですから」
「どこで休んでいるんだよ……」
別に肩を貸すぐらいいいけど、わざわざここで休む意味が分からない。見た目通り甘えたがり屋なのだろうか。
図らずとも女の子と密着している状態でも、僕の心臓は平常運転だ。グリムは僕にとっては女性というよりも妹に近い存在であるため、胸を背中に押しつけられても平然としていられる自信がある。
というのはただの強がりで、実際そんなことされたら体が硬直して動けなくなるだろうけど。
「坂木拓未、24歳。職業フリーター。趣味はネットゲーム。家族は母親のみ。死因は風呂場での溺死。転生の希望はイケメンでモテモテのチートな勇者、ですか」
僕が記録した内容を淡々と読み上げていくうちに、少しずつグリムの眉が下がっていく。
「あのう、仁見さん。前にも言いましたが、もう少し詳しく記録してくれませんか? これではただの坂木さんの自己紹介文です。坂木さん、もっと喋っていましたよね。覚えていないわけではないでしょうし」
「分かりやすくてよくない?」
「分かりやす過ぎです」
「最小限で最大を、が僕のモットーなんで」
「この色々と足りない記録が、どう最大なのですか?」
「最大は最大でも、僕にとっての最大という訳でして」
「油でも塗ってあるのかっていうくらいよく回りますね、仁見さんの口は。仁見さんとだけは口げんかをしたくないな、とつくづく思います。絶対に面倒なことになりそうなので。とりあえず次から記録するときは気をつけてください。最大限で」
「うい」
僕が頬杖をついたまま軽く手を挙げると、グリムは小さく息を漏らした。非難するように、ぐりぐりと顎が僕の肩にねじ込まれる。
「それにしても、これで勇者に転生を希望した方は合計で百人を超えましたか。勇者に限らず、異世界に転生したいと希望した方は、ここ数年で本当に多くなりましたね。まさか千人を超えるとは思いませんでした」
「それも仕方ないと言えば仕方ないと思うけどね。今、現世では異世界ファンタジーを題材にした小説が再ブームになっているから。特に転生ものって呼ばれているのが」
僕はマジシャンがトランプを広げるように、異世界ものの小説を机の上に並べた。自分の記憶にある限り。
「こんなにいっぱいあるんですか」
「これでもまだ一部だけどね」
「ふむ。人間って本当に想像力が豊かなんですね。あ、参考程度にちょっと読んでみてもいいですか?」
「好きにしていいよ」
僕の許可を得て、グリムは一冊の本を手に取り読み始めた。ページをめくるたびに、彼女の表情は面白いくらいに変化して、足は振り子のように揺れる。時折、僕の足につま先が当たっていることにも気づいていないようだった。
地味に痛い。少し椅子を後ろに下げて距離を取る。
小腹が空いたので、僕は海鮮丼と箸を創り出した。
この場所では、自分の知識にあるものを自由自在に創り出すことができる。やり方は簡単。創り出したいものを頭に思い浮かべ、何らかの動作、指パッチンをしたり手を払ったりするだけでいい。それだけで無から有を生み出し、神様にでもなった気分を味わうことができる。
この力の名前は『想創』と言うらしい。想像して、創造する。分かりやすい名前だと思う。こんな便利な力が存在するなんて、死後の世界は僕が想像していた以上に快適なところだ。
海鮮丼を食べ終えた頃、グリムは勢いよく本を閉じた。
「もう一冊読んだんだ。速いね」
「これでも魂の管理者のグリム・リーパーである私の身体は、並の人間とは比べ物にならないスペックですから」
「速読くらいは余裕ってわけか」
「そういうわけです。中々面白いですね、現世の本は。それに勉強になります」
お世辞ではないようで、声に興奮が混じっている。
僕は、何枚か作っておいた紙ナプキンで口元を拭きながら、丼の器を消して食後のデザートにチーズケーキを生み出した。
グリムはそれを見て、ほほう、と感心したような声を上げた。
「生み出すのは誰でも簡単にできても、生み出したものを消すのは結構難しいのに……。なかなかやりますね、仁見さん」
「褒めてもミートスパゲッティぐらいしか出ないよ」
人差し指で机を突いて、グリムの目の前にひき肉たっぷり入ったミートスパゲッティを机の上に生み出した。ついでに口を拭いた紙ナプキンは消しておく。
「なんか出てきた!」
「温かいうちにどうぞ」
「え? これ、私が食べていいんですか?」
「うん。僕だけ食事しているのも気が引けるし」
「私もご飯なら持ってますよ?」
そう言って、グリムが服の中から取り出したのは、十秒もあれば空にできそうなゼリー飲料の容器だった。食欲を全くそそらない銀色一色の容器には、J‐5‐12346と書かれたラベルが貼ってある。意味は分からない。品番だろうか。
少女は一日二食、このゼリー飲料だけを食べて生活をしていた。僕がそんな食生活を強いられたら三日で発狂し、白いご飯を求めて、この世界をさまよい続けることになるだろう。冗談抜きで。
「常々思っていたけど、そんな得体のしれなくてまずそうなもの、よく食べられるね」
「ひどい言い様ですね。確かに見た目は良くないですが、これはこれでおいしいのに……。特にのどごしが最高で。それに、仁見さんにとっては貧相に見えるこれも私たちにとって必要不可欠なものなんです。人間にとっての塩分や水分と同じです」
のどごしが最高って、あんまり褒めているようには聞こえない。
「そのゼリー飲料もどきがグリムにとって大事な栄養だってことは分かったけど、他のものを食べても問題はないんだろう?」
「そうですが……」
まだ渋った様子を見せるグリムに追い打ちをかける。前から彼女に自分の作った料理を食べさせる機会をうかがっていた。僕が創った料理をそれとなく勧めてみても、やんわりと断られた。その教訓を生かし、今回は多少強引な方法を取っている。
「なら、たまには温かい料理でも食べてみなって。味は保証するから」
「いや、でも」
「な?」
「…………そうですね。生み出していただいたものを粗末にするのは失礼ですし、ありがたくいただくことにします」
椅子に座ったグリムは律儀に手を合わせてから、フォークにスパゲッティを絡めて口に運ぶ。恐る恐るといった感じで咀嚼した途端、彼女の白銀の瞳がスノーダストのように輝いた。フォークを持っていない方の腕が、上下に激しく動く。
今度はフォークに何重にも巻いて、口いっぱいに頬張る。大人一人分のミートスパゲッティがあっという間に片付いてしまった。料理を出した側からすれば見ていて気持ちの良くなる食べっぷりだ。
「仁見さん、これおいしいですよ?」
どうして疑問形なんだ。生前の僕が作った、最高傑作のミートスパゲッティなんだからおいしくないはずがない。
夢中になって食事をしていたグリムは気づいていないようだけど、茶色いソースで口周りが汚れてしまっている。気を利かせて紙ナプキンで拭いてあげたら、不満げな視線をぶつけられた。
「子ども扱いはやめてください」
「子どもみたいなことをしてるのが悪い」
「うう、そんなつもりはないんですが……」
子どもっぽいという自覚は多少あったらしく言い淀んでいる。そういうところも子供っぽいのだけど。
僕はグリムの足元にしゃがみ込んで、彼女の顔を覗き込んだ。口元には優しげな笑みを浮かべておく。
「誤解しているようだから言っておくが、別に責めてるつもりなんてないんだ。しっかりしているとはいえ、グリムはまだ子どもなんだから、子どもぽいことしていても何一つ不思議じゃない。変に背伸びなんかしないで、子どもは子どもらしくしているのが一番だと思うよ」
「……子どもじゃないです」
子ども子ども、と連呼したのがいけなかったのか、グリムはひまわりの種を口に含んだハムスターのように頬を膨らませた。
どうやらフォローに失敗したようだ。
フォローを成功させる気も、さらさらなかったけど。
「いやいや、どこからどう見ても子どもじゃないか。まあ、年齢に関しては子どもではないと、」
思うよ、と続けようとして、止めた。気がついたときには、僕の首元に大きな鎌の刃が添えられていたから。
首元から鋭い圧力が伝わってくる。グリムの目は冴え冴えと凍り付いていた。
やばい。見事に地雷を踏みぬいてしまったらしい。
グリムをなだめようと口を開こうとしたとき、少女は静かに言った。
「私は子どもではありません。私は、グリム・リーパーです。私はあなたのことを気に入っていますが、それでも最低限のけじめは必要です。人間にいじられるグリム・リーパーなんて、他のグリム・リーパーたちに示しがつきませんから。そのことを忘れないでください。………………それから私は年増ではありません」
そこまで言っていないが、言い返したら何をされるのか分からないので黙って頷いておく。
「分かっていただけたならいいです。
……それでは、さようなら」
僕の言葉を聞いて、グリムが首元から鎌をゆっくりと離した瞬間、目にも止まらない速さで鎌が首を目掛けて振られる。
殺される、と思う暇すら与えられなかった。
「…………あれ?」
首をぺたぺたと触って確かめて、ようやく自分が生きていることを実感する。僕はまじまじとグリムの顔を凝視してしまう。彼女は自分の考えた悪戯が成功した、無邪気な子どものような笑みを浮かべていた。
「……首を斬られた、と思いましたか?」
「本気で殺されたかと思ったよ」
余裕そうに振舞っているけど、心臓の鼓動は騒がしくなっている。
鎌が僕の首に向かって振るわれたのは間違いない。ならどうしてまだ首が体にくっついているのかというと、首に触れる直前に刃を消し、首を通過したら元に戻したのだろう。素早い動作の中で、首を斬られたと錯覚するくらい正確に物を消して創り出すことなんて、僕には絶対にできない。『想創』という力の使い方に関して、年季の違いを見せつけられた。
……伊達に長生きしてないな、グリムさん。
「これに懲りたら、私を子ども扱いするのはやめてくださいね。今度は本気で怒りますから」
「全力で善処します」
本当にタブーなのは、子ども扱いすることではない。年齢の話題だ。
今後の安息のためにも忘れないでおこう。
それはそれとして。
「ところで、グリムさん」
「何ですか、仁見さん?」
まだ怒りの炎の残り火を感じさせる、不自然な笑みを口元に張り付けた少女の後ろを指差して言う。
「さっきから見られてるよ?」
「えっ」
鎌を僕に振るった時くらいの速さで、グリムは自分の背後を振り返る。
そこには、他人からしたら緊迫したように見えるやりとりを見せられて、どうしたらいいのか分からず、おろおろとしている女性がいた。
「……いつからいましたか?」
空気が抜けている風船のような声。
どちらに聞いているのか分からなかったので、とりあえず答えておく。
「鎌を僕の首に当てたときから」
「鎌をそこの少年の首に当てたときから、です」
偶然にも女性と言葉が重なった。少し恥ずかしい。
グリムは小さな肩を震わせて、部屋中に響き渡る声で叫んだ。
「そういうことは早く言ってください。第一印象が最悪ではないですか!」
その発言のせいで、ますます印象が悪くなっていると思うけどね、とは言わなかったのはせめてもの僕の良心である。先ほどの鎌を振られたときのような報復を恐れている、というわけでもある。
命は大事にしていこう。生きていたときの分まで。
グリムは胸に手を当てて何回か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻した声で言う。
「見苦しいところをお見せしました。ここがどこだか分かりますか?」
「……死後の世界、ですよね?」
女性の言う通り、僕たちが今いる場所は死後の世界。
でも、この部屋は天国でも地獄でも、そのどちらに行くことになるかを決める場所でもない。
こちらは、転生局。
死んだ人の最高の転生を提供するところだ。
11/30加筆修正