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その日まで -can meet only one day-

作者: 粟生深泥

 急激な覚醒感を伴って現実が飛び込んでくる。

 ハッと目を開ける。深く眠りに就いていたのか、頭が重い。辺りを見渡すが、周囲の風景を風景として認識できない。自分がベッドのようなところに寝ていることはわかるが、どうしてそこで寝ているかはわからない。体は起動しているのに、頭はまだスタンバイ中といった感じ。

「目は覚めたかしら?」

 反射的に聞こえてきた声――というより、音の方を向く。首を動かしてから、音の意味を理解した。声の主は白衣を着た女性だ。どうやら、俺の寝る傍に座っているようである。まだ目の焦点が合わず、ぼやっとした輪郭しかわからない。

「……まだ意識がはっきりしないみたいね」

 女性が手を伸ばし、布団からはみ出している俺の手を握る。ひやりとした感覚。

 それが呼び水とでもなったかのように、急に体中の神経が活性化したような感覚が体を走る。スリープ状態パソコンが起動し始めた感じ。

「俺は……どうしたんだ?」

 女性の方を向く。ようやく焦点が合い、はっきりと顔立ちが見て取れる。この施設に来てからほぼ毎日顔を見合わせる相手だった。俺たち専属の医師である。

「最終検査が終わってからずっと寝てたのよ。麻酔が効きすぎたのかもしれないわね」

「そうか……確かに、まだちょっとぼーっとしてる」

「そうね、目を覚ますためにも少し私の部屋に来る?」

 顔をあげて医師の方を向くと、既に立ち上がっていて手を差し出してくる。少し迷ってから、その手を取り、立ち上がる。麻酔のせいなのか、まるで長い年月寝ていたかのように足に力の入れ方がわからない。歩こうと足を出したところでバランスを崩し、握っていた手を強く引っ張ってしまう。

 まるでわかっていたかのように医師の手はしっかりと俺を支えた。細身の女性であるにも関わらず、俺の体重で引っ張られてもまるで動じなかった。



 医務室を出て、施設の中でも割と良好な位置にあるにある医師の部屋に入ると、見慣れた殺風景な部屋だった。女性の部屋っぽさはなく――そもそも、知ってる女性の部屋なんてそう多くなのだが――必要最低限の家具と、多くの本と書類が綺麗に整頓されている。

「そろそろ目は覚めたかしら?」

 彼女の部屋の面積の大半を占めるテーブルの定位置に座っていると、カタリと目の前にコーヒーカップが差し出された。香ばしい香りが鼻をくすぐる。

「ああ、知っての通り血圧は高い方だからな。寝起きは本来悪くない」

 ここまで歩いてくる途中で、いよいよ体はしっかり目を覚ました。頭もはっきりとして、自分の現状を認識しなおす。


 増加傾向の人口を間もなく地球は養えなくなる――

 そんな現状を打破すべく、とある民間団体が打ち出した開発計画。5年ごとに有志の人間を火星に送り込み、はじめの数十年はベース(基地)を建造し、その後、人が住める環境へテラフォーミングを行うという計画。成功率の果てしなく乏しそうな計画であるが、意外と多くの賛同者が集まりプロジェクトは進んだ。

 ここは、そのプロジェクトの中枢を司る施設だ。司るも何も、施設はここしかなくて、宇宙関連分野の研究から派遣隊員の訓練、ロケットの打ち上げまでやっている。それに付随して医療機関であったり、娯楽施設などが完備されているのだから、小さな街程度の規模はある。

 さて、俺は第二次火星派遣隊の一員である。宇宙というよりは、基地建造のエンジニアとして。あと、あわよくば基地周りのインフラの整備も行う。もっとも、俺がこのプロジェクトに参加した理由は、宇宙へのロマンというよりは、俺の勤める会社が宣伝効果を期待し多額の手当てをつけたことと、恋人がプロジェクトの一員として活動していたからという点が多いのだが。

 出発はいよいよ明日。4ヶ月をかけて火星へ行き、第一次先遣隊の人間から仕事の引継ぎをして入れ替わる。その後は5年間、現場の状況を判断しながら作業を進める。

 とりあえず、午前中に健康状態の最終チェックを終え、残り一日は自由なのだが――


「貴方は残りの今日一日どうするの?」

 医師の言葉に思考を巡らす。地球で過ごす最後の1日――と言っても、死ぬわけではないし、順当にいけば5年経てば帰ってくるのだ。

 それに、1日でできることというのは多そうで少ない。ロケットの発着場を兼ねるこの施設は太平洋の離島に位置してるから、観光に行くような場所はないし、特段趣味なんてもっていない。

「特別何かするってことはないかな」

 それに、と自分の分のコーヒーを淹れて正面に座った医師に目を向ける。

 済ました顔だが、コーヒーを飲む時に眼鏡が曇ってしまっている。別に冷静ぶる必要などないはずなのだが、その妙な意地の張り方がちょっと可愛く見えたりする。

「普段忙しいお方が、わざわざ時間をつくってくれてるみたいで嬉しいしな」

「あら、嬉しいジョークね」

 軽く冗談扱いされてしまったが、曇りが取れた眼鏡の奥に見える目元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 医師が入れてくれたコーヒーを口に運ぶ。いつの間にか覚えられていた俺好みの甘みと苦味。一度も好みを告げていないにもかかわらずいつの間にか覚えられていて、まったくかなわないと思う。

「お土産は何がいい?」

 実際、火星から持って帰れるものなんて高が知れてるのだが、一応聞いてみる。

「無事に帰ってきてくれれば、それで十分かしら」

「それは当然だろ。何でもいいから言ってみろって」

「そうねぇ……」

 医師は考えながら、窓の外に視線を向ける。立場の関係からか、日当たりも見晴らしもいいこの部屋の窓からは、明日打ち上げられるロケットの発射台が見える。窓際には、なぜか花の無い空の花瓶。

「帰ってきた貴方の頭の中身を見せてもらおうかしら」

 この女にちょっとでもロマン的な何かを期待していたのが間違いだったのかもしれない。

「そ、それはあれだよな。電極ペタペタ貼る位のやつだよな?」

「当然じゃない。お望みなら本当に頭の中身を見てあげてもいいけどね」

「お前が言うとシャレにならないんだよな……」

「私をなんだと思ってるの。全くもう」

 そう言いながら、医師が小さく笑い、俺もつられるように笑う。

 とても月並みな言葉だけど、こんな日がずっと続けば、それは悪くないと思う。



 いつもは常に研究だったり、カウンセリングなどの業務であったりをこなしている医師であるが、今日は本当に一日時間を作ってくれたらしい。「ここまできたらやることないもの」とは言っているが、多分相当に無理をしてくれている。

「前もって教えてくれたら、もっとちゃんと今日をどう過ごすか計画立てたんだけどな」

 折角だからと、の施設でも役員級が使うレストランで夕食をとる。別に知った顔ばかりなのだしいつもの服装でも構わないと医師は言ったが、滅多に無い機会だし必死に説き伏せて正装をしてきてもらった。

 ちょっと抜けてるこの医師はきっとスーツかなんかで来るんじゃないかと思ってたら、シンプルだけどそれゆえに彼女に良く似合うドレスを着てきたから度肝を抜かれた。彼女が眼鏡ではなくコンタクトのところを本当に久しぶりに見た。

 そんなドレス持っていたとは知らなかったと言ったら、「馬鹿にするな」と怒られたなんてオチがつくのだけど。

「ちゃんと時間が取れるか確定してなかったから、落胆させたくなくて。それに、別に特別なことなんて必要ないの」

 医師は小さく窓の外に視線を向ける。展望を意識した大窓から見えるのは、明日俺ら第二次派遣隊が乗り込むロケット。

「だって、5年経ったら帰ってきてくれるんでしょ?」

「ああ、もちろんだ」

 生存率の低さが課題に挙げられていたプロジェクトだが、第一次派遣隊はしっかり任期を終え、俺たちと入れ替わりで帰途に着く。先遣隊が無事に帰ってくるということは、こなした任務以上の価値がある。

「5年か……長いのか、短いのか」

 コースの最後、デザートに手をつけながらポツリとつぶやく。短くは無いだろう。だが、今思い返すと大学から院まで含めた6年間ですらあっという間に過ぎたような気がするし、終わってしまえばなんてことはないのかもしれない。

「……長いわよ」

 いつの間にか俺より先にデザートを食べ終えた医師がきっぱりと答えた。

「ただ待ってることしか出来ない私にはね。とても、長い」

 そう言う医師の顔は、今まで見たこと無いくらい思いつめて見えて。それは、ただ待ち続けること以外の何かを抱えているみたいに思える。

 だが、医師ははっとしたように、笑みを作った。

「ダメね、貴方の折角の門出なのに。大丈夫よ、待つ側は待ってるだけで勝手に時は流れてくれるんだから」

 医師はそろそろ帰ろうと立ち上がる。何が急に医師を動揺させたかはわからない。だけど、このまま帰らせてはいけない。俺のためにも彼女のためにも。

 既に歩き出そうとする彼女の手を掴む。

「待ってくれ。これ……受け取ってくれないか?」

 俺は事前にレストランに頼んでテーブルに隠していた花束を医師に差し出す。

 急だったから、あまり色々吟味している暇が無かったけど、俺の手には3本真紅のバラ。幸いなことに、あわてて訪れた花屋にはまだツボミのものがあった。俺が知っている花言葉なんて、そう多くは無い。

「帰ってきたら、お前に伝えたいことがある」

 医師はしばらくポカンとした顔で俺とバラを交互に見て、それから泣きそうな顔で笑った。

「バカね、貴方それ、一昔前のスラングでなんて言うか知ってる?」

 俺が首をかしげると、医師は涙を湛えた笑顔のまま、小バカにした口調という器用な真似をした。

「死亡フラグ、っていうのよ」

 医師は俺の手から花束を受け取ると、そのままその手を俺の背中に回す。医師の顔が、すぐ近くにある。シャツが彼女の涙で少しずつ濡れていった。

「帰ってきて。無事に」

「絶対に、帰ってくるから」

 医師の髪をそっと撫でてから、その身体をぎゅっと抱き寄せた。







 私の気分にまるで似合わぬ快晴の空――

 コーヒーを飲みながら、窓に目を向ける。窓の傍にはまだ開かないバラの花。

 「第五次」派遣隊を乗せた宇宙船はさっき飛び立っていった。


 私は知っている。彼らが無事に帰ってこれないことを。


 今から4年前、第二次派遣隊の連絡が急に途絶えた。後日わかったことだが、地表からある深さ以降には人体に有害な微生物がいた。本格的にインフラ整備を始めたところでその微生物は建設中の基地内で繁殖し、静かに派遣隊の身体を蝕んでいった。

 だが、プロジェクトの上層部は計画の中止を認めなかった。スポンサーから集めた資金のこともあっただろうし、崇高な理念とやらがあったのかもしれない。狂気としか思えないプロジェクトの続行に多くの研究者が計画から離れていったが、既にノウハウは出来上がっていたから、それでも残った一部の研究者や技術者によって計画を続けることは出来た。

 一方で、実際に火星に赴く派遣隊は残っていなかった。生きることが前提の計画ならいざ知らず、道の微生物によって死ぬことが確定している計画に名乗り出る人間はいなかった。そこで、上層部が選んだのは「第二次派遣隊のクローン」を派遣隊として送り込むことだった。出発前日の最終検査では、派遣隊の身体の隅々までチェックしている。そこで、いわゆる記憶のデータも採取していた。

 身体を造り、そこにオリジナルから得た脳のデータを埋め込む。彼らが「起動」したとき、彼らは思う。最終検査の麻酔から目が覚めたのだと。あとは、記憶と齟齬が生じないように会話などを通して意識と身体を定着させれば、彼らは翌日何も知らずに火星へ向けて飛び立っていく。

 これから彼らは計画が完全に中断されるか、完遂されるまで火星に行って死ぬことを繰り返すのだ。微生物を持ち帰れない以上、確実な対策は出来ない。あと何度第二次派遣隊のメンバーが誕生と死を繰り返すのか、誰にもわからなかった。既にプロジェクトが狂気の沙汰になっているのはわかっている。それでも私はプロジェクトに残った。記憶分野に携わる医師として。彼をこの世界から消さないために。

 飲みかけのコーヒーを置いて、正面に置かれたコーヒーカップを見る。昨日彼が飲んでから、片付けずにそのまま置いてある。毎回、しばらくは片付けられずにそこに置いたままになる。

 いつプロジェクトが終わるかわからないが、いつかは終わる。クローンであろうが、彼の記憶を持つ人が帰ってくる。私は間接的な殺人者となりながらも、それを待ち続ける。彼が生きて帰ってくる日のために、彼を殺し続ける。

 花瓶に活けたバラ。そこに込められた花言葉の意味を知ったのは、最初の彼が火星に着いたときだった。最初は愚かながら、しばらく枯れないようにという配慮だと思っていた。毎回、場所もシチュエーションも変わるけど、彼は私にバラとそれに込められたメッセージを残していく。

 おかしくなりそうだった。愛する彼の為に、愛する彼を死地に送り続けなければならない。その中で、二年に一度、一日だけ会える彼と、残していく三本の蕾のバラだけが私の支えだった。

 手を伸ばし、昨日彼が使ったコーヒーカップを口に当てる。

 どれだけ計画が狂っていようが構わない。彼が帰ってくるその日まで、私はアキラメナイ――。




後輩と「短編小説の結末はハッピーエンドか否か」から着想を得た作品です.

私はハッピーエンドが書きやすいのですが,後輩は逆のようで,なら一度書いてみようかと.

やはり上手く収めることは難しいです.向き不向きでしょうか.


なお,作中の計画には元ネタがありますが,だいぶ改変しているうえ,元ネタは事故などおこしていないのであしからず.

元ネタが気になる方は「マーズワン計画」で検索されてみてください.


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