第8話「バレた?バレてへん?」
金曜の夕方。
営業企画部は珍しく静かで、社員の半分以上が外回りか、フレックスで早退していた。
(なんや、今日は社内がスカスカやなぁ……)
舞子は少し寂しげにオフィスの空席を眺めながら、プリンターから出てきた資料をまとめていた。
金曜と言えば、例の週報提出日。
しかも今回は、急遽来週の会議資料まで追加になって、いつもより作業量が多い。
「……はぁ~、これ絶対今日中に仕上げなあかんやつや……
残業コース決定やな」
まわりを見れば、デスクに残っているのは――
本庄課長のみ。
(……うっわ、うちと課長、ふたりきり……!?)
それだけでドキドキするのはもう病気の域やと思うけど、
そうなってしまうもんはしゃーない。
机の上の時計は、すでに19:10を回っていた。
そのとき、本庄がこちらをちらりと見て口を開いた。
「宮本さん、まだかかりそうですか?」
「あっ、はい!
もうちょっとです!
あと3ページほどで……!」
「……では、こちらの修正分も加えておいてください。
体裁はこちらの仕様で」
そう言って渡されたUSBには、PDFの修正版が入っていた。
「了解しました!
……って、あれ?
開かへん……?」
ファイルを開こうとした瞬間、PCがまさかのフリーズ。
「ええっ!?
ちょ、うそやろ!?
いま!?
今止まる!?」
焦る舞子を見て、本庄が近づいてくる。
「見せてください。
……キー操作では反応しないですね。
再起動が必要かもしれません」
「うっ……
今保存してへんとこやったのに……
最悪や……」
落ち込む舞子の横で、本庄は静かに操作を始めた。
が、そのとき――
「すみません、ここEnter押してもらっていいですか?
こちらで他の確認をします」
「えっ、はい!」
言われるがままに手を伸ばす――
――その瞬間。
ふたりの手が、ふと重なった。
「……!」
一拍の沈黙。
触れた手の温度が、瞬間的に舞子の全神経に伝わる。
(あ、あかん、手ぇ触れてもうた!)
しかも、近い。
本庄の顔が、いつもより、めちゃくちゃ近い。
眉の形、まつげの長さ、視線の動き……
全部、見える。
そしてなにより、彼の香り
――さりげない石鹸の匂いが舞子の鼻をかすめた。
「……すみません、つい……」
「あ、あっ、いえっ、だ、だいじょぶですっ!」
舞子は高速で手を引っ込めた。
顔から火が出るかと思うほど、真っ赤になっているのが自分でもわかった。
(うっわ! 絶対バレたやんこれ!!)
あれだけ「バレたら終わり」って自分に言い聞かせてたのに、
まさか“手が触れたぐらいでフリーズ”って!
どうしよう、どうしよう、課長に変な風に思われたら……
いや、もう遅いかもしれへん……
一方、本庄は特に表情を変えることなく、再起動されたPCを確認してから言った。
「大丈夫です。
保存データは残っていました。
続きの作業に入れます」
「は、はいっ!」
(え、なに……? あの接近事件、なかったことになってる!?)
いやいや、待って。
それとも“プロの仮面”でそう装ってるだけで、実は内心ビビってるとか!?
……いや、課長に限ってそれはないか。
舞子の頭の中で、思考がクルクルと空回りする。
心拍数はすでにスプリント状態。
走ってへんのに汗かくレベル。
しかしその時、本庄がふと口を開いた。
「……人に触れるの、苦手なんですか?」
「えっ!?
ええっ!?
な、なんでですか?」
「さっき、かなり驚いたように見えたので」
「い、いえ!
あれは、その……
ただ、こう……
急に近くなって、びっくりして……」
「ああ……」
一拍。
「……僕も、少し驚きました」
「……えっ!?」
思わず声が裏返る舞子。
その横で、本庄は窓の外に視線を向けながら、言った。
「距離感を間違えると、相手を困らせることがある。
だから普段から注意しているつもりなんですが……
今日は、少し油断していたかもしれません」
(え、ちょ……それって……もしかして、課長も“ドキッ”としてたってこと!?)
いやいや、そんなわけ……
でも、その言い方。
その視線の逸らし方。
絶対に、なにかあった。
舞子の直感が、そう確信していた。
その後、ふたりで黙々と作業を進めて、資料は無事に完成。
時計の針は21時をまわっていた。
ビルを出ると、冷たい夜風がふたりを包む。
「今日は助かりました。
ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ……
課長も、お疲れさまでした」
ほんの一瞬だけ、沈黙。
そして、舞子が勇気を出して言った。
「……あの、課長。
今日のこと、なんていうか……
ちょっとドキドキしました」
「……そうですか」
「はい。
……あ、あの、いやな意味じゃなくてですね!?
その、びっくりして、でも……
いやな感じとかじゃなくて……!」
テンパりすぎて、語彙が崩壊している。
本庄は少しだけ困ったように笑った。
「……安心しました。僕も、不快ではなかったので」
その言葉に、舞子の胸は爆発寸前。
(あかん……好きがバレる……いや、もうバレてるんちゃうん……!?)
でも、何も言われへん。
言ったら終わりになるかもしれへんから。
だから、舞子は静かに笑って、ただひとこと。
「……来週も、がんばりますね」
「はい。
期待しています」
今夜の空は、少しだけ優しく光っていた。




