第3話「東京は冷たい? いいえ、それは上司です」
東京生活も、なんやかんやで5日目。
朝の通勤電車で、舞子はつり革につかまりながら、ふと窓の外に目をやった。
見える景色は、グレーと銀色ばっかりや。
大阪の街みたいにぎょーさん看板もないし、駅員さんも無駄に陽気ちゃうし、
エスカレーターは右立ちやし(これ、ほんまに未だに慣れへん)。
でも。
「……なんやろ。
ちょっと、楽しくなってきた気ぃするわ」
東京の冷たさにも少しずつ順応してきて、仕事にもなんとかくらいつけてる。
何より――
あの氷の上司に、ちょっとだけ距離が近づいたような気がして。
舞子は、くるんと口角を上げて笑った。
その日の業務は、前回のプレゼン資料の修正作業から始まった。
「この数値、直近データとズレがあります。
更新してから再提出を」
午前中、定例ミーティングでそう指摘してきたのはもちろん、本庄課長。
「はい、すぐに直します!」
反射的に返事をするも、舞子の頭の中ではひとつの疑問が渦巻いていた。
(ていうか……なんであの人、そんな細かいとこまで全部把握してんの!?)
ざっと100ページはある資料の中で、たった一カ所の誤差、たった数値2つのズレ。
それを秒で指摘されるという恐怖。
(いやもう、ほんまに人間ちゃうやろ。AIか?)
その完璧な業務処理能力に驚くと同時に
――ちょっとだけ、尊敬の念すら湧いてくる。
午後、舞子はコピー機の前で作業していた。
すると、後ろから人の気配。
「あ、すみません、いま終わるんで……」
振り返ると、そこに立っていたのは――
「……いえ、慌てないでください」
本庄課長。
「あっ、か、課長!?
えっと、これ、もうちょっとで終わるんで!」
なぜかテンパって、舞子はコピー用紙を取り落とした。
「わっ、あっちゃー!」
床に散らばる資料。慌ててかがみこんだ舞子の横で、本庄も無言で資料を拾い始めた。
(え、課長が……しゃがんでる……!?)
動作ひとつひとつが静かで無駄がなく、なぜかやたらと優雅。
拾い方まで“冷静沈着”なの、なんやねん。
「助かりました、ありがとうございます……!」
「急がなくても、業務の進行に支障は出ません。
丁寧さを優先してください」
「……それ、優しさです?」
「業務上のアドバイスです」
「ですよねー」
ふっと、本庄の口元が少しだけ緩んだ……
気がした。
いや、してないかもしれん。
いや、したわ。
見逃さんで、うちは。
その日の夕方、同僚の菜々がこっそり話しかけてきた。
「ねえ舞子さん、課長と……
なんかあった?」
「えっ、な、なんで?」
「今日、課長がちょっとだけ機嫌良さそうだったから……
まあ“ちょっとだけ”だけど」
「うそん!?
え、あの人に“機嫌”とかあるん?」
「わかりにくいけど、あるよー。
資料を渡したときに“ありがとう”って言ってくれるときとか、言わないときとかあるし」
「めっちゃ観察してるやん」
「東京人は、空気読み力が命だから」
(そうか……うちももっと“空気”読まなあかんのか)
でも、東京で一番読めへん空気、それは本庄課長の心の中やわ……。
仕事が終わり、駅に向かって歩いていると、舞子は横断歩道の前で足を止めた。
そのとき
――向かいから歩いてくる人影に目を留める。
「……えっ?」
そこにいたのは、なんと私服の本庄課長やった。
スーツじゃない!
コート羽織ってる!
めっちゃナチュラルおしゃれや!
髪、ちょっと崩してる!
え、普通にイケメンやん!
(あかん、ギャップで心臓持ってかれる)
しかもその直後――
横断歩道の前で困っていたおばあちゃんに、さっと手を貸して一緒に渡り始めた。
(……え、ちょ、なにそれ)
その姿、まるでドラマのワンシーンやった。
静かに、当たり前のように、手助けして、そしてふっとその場を去っていく。
優しさが自然すぎて、見てるこっちが赤面する。
(うわ……ギャップ、ギャップ、ギャップ……)
東京の空気は冷たいけど、この人の中にある“人間味”は、確かにあったかい。
そして舞子は思った。
(なんで会社ではあんな冷たいんやろ……)
もっと、知りたくなった。
あの人の“素”を。
帰宅後、舞子はソファに倒れ込みながら、ひとりごとをつぶやいた。
「……なあ、舞子。
お前、もう好きになってへん?」
スマホの画面を見つめる。
そこには、会社の連絡アプリのアイコン。
「LINE交換してへんで、業務連絡しかできへん。
恋とか、してええ相手ちゃうやろ」
でも
――でもやで。
その人の冷たさの奥にある“あたたかさ”を、見てしもうたんや。
そしてそれが、舞子の胸の奥で、静かに恋心を膨らませ始めていた。
氷の上司に、恋してもうたかもしれへん――
バレたら終わりやのに。




