#グンディ始めました
テスト期間が終わり、長い春休みが始まった。
しばらくアルバイトを入れていなかったサトシは、久しぶりに手伏区生物園にやってきた。
生物園がある公園では、午前中にもかかわらず、家族連れがピクニックをしている。
晴れていて気温が高いこともあり、セーターを着た子供が、黄色くなっている芝の上を走り回っていた。
「あんな薄着で、寒くないのかな……」
サトシは、体を軽くさすりながらそうつぶやく。今年は例年より暖かいとはいえ、今の気温は10度に満たない。
寒がりのサトシにとっては、まだまだ厳しい寒さであり、子供の元気さには、つくづく感心してしまうのであった。
従業員用の出入り口から入ったサトシは、職員用の休憩室に入り、タイムカードを押す。
開園時間前であるためか、就業時間前の職員が部屋で世間話や雑談にふけっていた。
サトシも、着替えるためにロッカーへと向かおうとした時に、ばったりとサナエと会った。
「おはよう、丑前くん。久しぶり、って言っても2週間ぶりくらいかな?」
「おはようございます、箱音さん」
「もう、期末テストは終わったの?」
「ええ、昨日で全部の科目終わりました」
「ならよかった!あっ、そうだ。この後、グンディの飼育についての会議があるから、9時半に大会議室に来て!」
そう言うと、サナエは、モルモットのお世話をするため、休憩室を出ていった。
「9時半ってことは、あと30分くらいあるな……」
壁にかかっている時計を見ると、ちょうど9時になろうとしていた。サトシは、少しだけ急いでロッカーへと向かった。
***
サトシが大会議室に入ると、すでに数人の職員が座っていた。
「お待たせしました」
空いていたドア側の席にサトシが座ったのを確認して、モニタ横に座っていたサナエが話し出した。
「これで全員ね。じゃあ始めます」
サナエがPCを操作すると、モニタにグンディの写真が映し出された。
『グンディの今後の展示について』
「まず、結論から言うと、少し遅くなりましたが、来月からグンディを展示室に移します。現在、チンチラの部屋を砂漠風にリフォームしようと思います」
サナエがスライドを変えると、黄色い砂と岩が配置されたイラストが表示された。
「砂漠!?」
思わず声が出たサトシに、園長が笑った。
「いいだろ、ウシ。サナのアイデアだ」
「はい。グンディの生態に合わせた環境を作ります。温かい岩、保温電球、空調も新しくして――」
「ちょっと待って、箱音さん」
丸い顔の中年女性――卯月が手を挙げた。
彼女は生物園の財務担当で、予算のことであれば彼女を通さなければいけない。
「その岩に電熱線、保温電球、空調の新調……初期費用だけでなく、かなりのランニングコストよね?」
「はい、確かに費用はかかります。しかし、ほかの動物園でも温度調整が大事であるとの報告があり、これは研修に行った場所でも指摘されていることでした」
サナエの説得に、まだ納得していない様子で卯月が続けた。
「確かに他はそうかもしれないわね。だけど、全部真似する必要があるのかしら?」
「でも飼育や繁殖のためには必要なんです。海外の研究でも――」
「予算が潤沢ならね。でもいくらくらいかかるのかしら?」
卯月の指摘に、ピリッとした空気が会議室に流れる。
サナエの表情が少し曇った、その時。
「おタエさん、金については心配すんな」
園長がドンと机を叩いた。
「俺に任せろ。グンディで30万人だ。そのための投資だ」
まだ、何か言いたげであった卯月であったが、ため息を一つつくと、言った。
「……わかったわ。でも、見積もりはちゃんと精査してね」
「承知しました。予算のほうは改めて説明します」
サナエはホッとした様子で、最後のスライドを出した。
「それと、SNS担当なんですが――丑前くんにお願いしようと思います」
「えっ!?僕ですか!?」
突然名指しされて、サトシは椅子から浮きそうになった。
「若い感性が必要だからね。専用のスマホも用意したから」
「いや、でも僕そういうの……」
「いいじゃねえか、ウシ!お前がやれば、サナも楽になる」
園長に肩を叩かれ、サトシは観念した。
「……わかりました」
「ありがとう!じゃあこれで終わり。質問は?」
誰も手を挙げない。
「じゃあ解散!丑前くん、後でスマホ渡すから来てね」
サナエが手を振り、会議は終わった。
***
サトシとサナエは、会議室からそのまま、オフィスまで来た。
すでにほかの人は動物の世話をしに行ったのか、オフィスには誰もいなかった。
「ありがとうね、プレゼン機材を運んでくれて」
サナエが、資料を自分の机に置き、言った。
「この投影機、どこにしまえばよいですか?」
「奥の戸棚の一番下にしまってくれるかな?」
サトシは言われた通りに、機材をしまう。そうして、丁寧に戸を閉めると、サナエに向かって言った。
「僕は、これからどうすればよいですか?」
「じゃあ、まずは用意したもの渡すね。はい、これがスマートフォン!」
サナエから渡されたスマートフォンの箱を受け取るとき、危うく落としてしまいそうになった。
受領したスマートフォンは、去年発売されたばかりの最新機種で、しかもハイエンドモデルのものであった。
「こ、これが、専用のスマホなんですか!?」
「ごめんねー。私よく電子機器はわからないんだけど、そんなに良くないものだった?」
もちろん逆で、どの距離から撮影しようとも補正が自動で入るこの機種なら、誰がどう撮ってもプロのような写真になると話題になったものだ。
そんな最高級品を気軽に手渡されて、少しぼーっとするサトシに、サナエが続けた。
「林王さんに言ったら、これを用意してくれたの!これで、良い写真を撮れって命令付きだけどね!」
手の中のスマートフォンがズシリと重く感じたサトシは、丁寧に机へ置いた。
「……精進します」
ふと、サトシはサナエの机の上の紙束をみた。そこには、細かい数字の列が印刷されていた。
「それね、今回のグンディ展示室にかかる見積もり。卯月さんにあそこまで言われたら一回見直さないとね」
サトシがそのA4の紙を取り上げて読んだ。
科目と金額が載っている内容を見ていると、気になって尋ねた。
「床に敷く砂、8万円もするんですか?」
グンディは砂漠に住んでいる生き物で、砂浴びをすることで清潔さを保っている。大切なのはわかるが、にしても高すぎるような気がする。
「高いよね。量が必要とは言え、私もびっくりした」
「ホームセンターの砂じゃダメなんですか?」
「ダメなの。粒の大きさとか、固さとか、すごく重要で」
サナエは手元のサンプルを見せた。それは、やや黄色味を帯びたやや粒が大きめの砂だった。
「これ以上粒が大きいと砂浴びには使えないし、細かいとグンディが吸い込んじゃうの」
「そういうものなんですね……」
「それに、電気工事の百万円も削れないの。古い配線のままだと、火事のリスクがあるから」
たしかに、今のチンチラの展示室はかなり年季の入った代物だ。一度すべての配線を見直す必要があるだろう。
「確かに新たに電熱線を通したりするのなら、全部見直す必要がありますね」
サトシが言っている大学は理工系でそうした電気配線についても一度講義を受けたことがある。
「箱音さん、この岩って本当に電熱線入れるんですか?」
「うん。グンディは温かい場所が好きだから」
サナエは机に置かれた、岩の配置図を見ながら答えた。
「でも、お金かかりますよね?」
「そうね。でも、繁殖を考えたら必要なの」
「繁殖……」
「海外の動物園で成功した例があってね。温度管理をちゃんとすると、繁殖に成功しやすいらしいの」
サナエは目を輝かせながら言った。
「グンディの赤ちゃん、見たいでしょ?」
「……そりゃあ、見たいですけど」
「でしょ?だから頑張るの」
飼育している生き物の繁殖を成功させて、増やすことは動物園の使命の一つであるが、おそらくサナエを動かしているのはそれだけではあるまい。
(本当に、動物が好きなんだ、この人は)
グンディたちに少しでも快適な環境を提供して、幸せに過ごしてほしい。
そういう思いが、展示室の設計図や予算表、プレゼンの資料にいたるまですべてから感じられるようであった。
「あの、僕、電気系には詳しいので、電気配線についてなら少しわかると思います」
「確かに、丑前くん電機大学通っているけど、そうなの?」
「はい!だから、僕にもグンディが少しでも快適になるような展示室づくりを手伝わせてもらえませんか?」
サトシが思わず言った言葉に、サナエは破顔して言った。
「ありがとう、丑前くん!一緒に最高の展示室を作ろうね!」
誰かからここまで期待されたのはいつぶりだろうか。
サトシは、体の芯が燃えているような気分になった。だけど、その感覚は不思議と心地よいものであった。
***
サナエから、SNSのアカウントについて説明を受けたサトシは、さっそくバックヤードにいるグンディ達のところへと向かった。
『なるほど、それで下僕が、余と妃たちの姿を写真に収めようとしておるのか』
サトシの話を聞きながらチモシーをほおばる王様グンディが、事情を理解したように言った。
『そうなんですよ、まあいろいろありますけど、よろしくお願いします』
サトシは、心の声を使って答えた。さっそく、何枚か写真を撮ってみるが、想像どおり最高の写りとなっていた。
『まあ良い。余の威光を知らしめるには、ちょうど良いたわむれよ』
『そう思ってくれるなら、この呪い何とかしてもらえませんか?』
最近、サトシの顔に生えたひげはどんどん伸びており、今では顔の横を飛び出している。
おまけに、こころなしか、顔に毛が生えているようにさえ見えてきているのだ。
『ふんっ。それならば、早く余の宝玉を探してくることだ』
『でも、どこにあるんですか?この建物も意外と広いんですよ』
建物内の展示室のある階だけで3階、従業員専用の階が2階とこの生物園は意外と高い建物である。
おまけに、外で展示している生き物のスペースまで考えると、1人でやみくもに探して見つかる可能性はかなり低いだろう。
『知らぬわ。余自身が外に出るならともかく、このケージの中ではこれ以上のことはわからぬ』
おだてて外に出られて、また怪我でもされたら困る。そのため、サトシもこれ以上追求しないことにした。
『わかりましたよ。これからしっかりと探しますね。ところで、妃さんたちとはうまくやっていますか?』
『下僕の分際で、余の詮索をするのは無礼であるぞ』
『そうなんですけどね、王様がまたのけ者にされたら大変じゃないですか?』
現在、王様グンディと3匹のメスグンディは、同じケージにいる。
喧嘩こそしてはいないが、まだ距離があるように感じられる。
実際、今もほかの3匹は巣箱の中で寄り集まっているにもかかわらず、王様グンディだけはその反対側で寂しそうにしているのだ。
『余計な気遣いである。余のことは余が処するわ。貴様ごとき青ひょうたんが口をはさむことではない』
「あ、青ひょうたん…?」
サトシは首を傾げた。
聞いたことのない言葉だったが、文脈から悪口だとはわかる。
「……なんか、バカにされてますよね?」
『当然であろう。貴様のような、ロクに外に出ることもない若造など、青ひょうたん同然よ』
「はあ……」
前世紀の罵倒語に驚きより呆れのほうが先に出てくる。
おまけに、外に出ることがないのは、王様も同じじゃないか。
頭に浮かんだことを必死に抑えながら、サトシは写真を撮り続けた。
『まあ、いいや。王様、こんな写真でよいですか?』
『ふんっ。それで構わぬ』
正面を向いて、可愛らしく首をかしげる王様グンディ。その写真を見て、王様グンディはチュルリと鳴いた。
『じゃあ、送りますね。ええっと、どういう文章を書こうかな?』
こうしたことが初めてなサトシは少し悩んだうえで、次の文章を入力した。
『砂漠の妖精!?砂漠にすむネズミであるグンディが、手伏区生物園に来園しました。
3月以降、皆様にお会いできると思います!
この愛らしい姿を見に、ぜひご来園を
#グンディはじめました』
『こんな感じでどうですかね?』
サトシが、王様グンディへ見せると、彼は、不満そうにチチチと鳴いた。
『なんだこの平凡な文章は?貴様のそのデカい頭は飾りか?』
『いや、これで十分じゃないですか?』
『フンッ!愚か者め。貴様に分かるように伝えるから、余の言う通り書くのだ!』
王様グンディが言うや否や、サトシの頭の中に文字が浮かび上がってきた。
『我が名はロイヤル・グンディ。
砂漠を統べる高貴なる一族の王である。
この度、余の輝かしき姿と、我が愛する3人の妃――アンドレ、ミルフィ、メウェの麗しき姿を、貴様ら人間どもに披露してやることにした。
3月、謁見を望む者は参るがよい。
跪いて余と妃たちを拝むことを許そう。
下僕も募集中である。
#グンディ始めました #余に仕えよ』
試しに頭の中の言葉をそのまま打ち込んでみたサトシは、確信した。
──これ、このまま投稿したら意味不明で炎上するんじゃね?
「……あの、これ本気ですか?」
『当然である。余の意思である』
「いやぁ。確かにかっこいいですけど、伝わらないと思いますよ」
『貴様、余の命が聞けぬのか!』
そんなこと言われても、職場のアカウントを炎上させるのはまっぴらごめんである。
打ち込んだ文字を消そうとした時、サトシの背中に声がかけられた。
「あっ、丑前くん!さっそく投稿するんだ!」
不意にかけられた言葉でサトシは、間違って『ポストする』ボタンを押してしまった。
「ああーっ!?間違えた!」
「うわっ!どうしたの丑前くん!?」
思わず叫んだサトシの声に、グンディたちは驚き巣箱に隠れ、サナエはびっくりしたように近寄った。
「あっ、いや……その……」
「何があったのかわからないけど、ここで大声出しちゃだめだよ。動物が驚いちゃうから」
「す、すいません」
しどろもどろに謝るサトシを不審に思ったのか、サナエは彼の持っているスマートフォンをのぞき込んだ。
「ふふっ。この文章面白いね!」
サトシが間違って投稿した文章を読んだサナエは、吹き出しながら言った。
「ご、ごめんなさい!今からすぐ削除しますので!」
「いいよいいよ。でも、砂漠を統べる一族かぁ。あははっ。丑前くん、発想がすごいね!」
サナエはおかしそうに笑うが、サトシは笑えない。
今のうちに、消してしまおうか、そんなことを考えていたサトシであったが、次の瞬間スマートフォンが震えた。
「リプライ!?もうっ!?」
サトシが慌てて返信を見ると、そこには想定外なメッセージが表示されていた。
『王様と妃たち……ファンタジーかよwwwでも、グンディは可愛い!』
思ったより好意的なメッセージに頭が真っ白になるサトシに、サナエが優しく言った。
「結果オーライだね。丑前くん!そうしたら今後も"ロイヤル・グンディ"たちの投稿よろしくね!」
予想が良いほうへ外れたことで頭が真っ白になっているサトシに軽くウインクすると、サナエは餌のおいてある棚へと向かっていった。
『余の言う通りであろう』
頭に響いてくる王様グンディの得意げな声も、どんどん増えていくハートの数に目を白黒させるサトシには届いていなかった。
***
──その日の夜。
手伏区の住宅街のとある家で、少女はスマートフォンを眺めていた。
SNSのタイムラインには、アイドルの動画や最近はやりのゲームキャラクターのイラストが垂れ流されている。
それを自室のベッドに寝転びながら流し見していた彼女の目に、一枚の写真が飛び込んできた。
──モルモットのようで少し違う、きな粉色の可愛らしい見た目
──軽く首をかしげる可愛らしいポーズ
(か、かわいい)
少女は、画面を動かす手を止めてその投稿を見た。
投稿には、愛くるしい生き物とは裏腹の厳めしい文字が躍っていた。
(おもしろい投稿ね!)
少女──迎江イロハ──と同じことを思う人が多いのだろう、リプライも面白がっている声が多数であった。
『「愛する妃」ってwww』
『グンディって何!?この子のハーレムなの!?』
『3人の妃って!?見たいです陛下!』
『妃の写真も見せて!』
イロハが、起き上がってその投稿主を見ると、それは『手伏区生物園』という施設であった。
気になって、ウェブで調べてみると、イロハの家からそこまでバスで1本の距離である。
(行ってみようかなー?)
ベッドの上で胡坐をかいたイロハに、唐突にスマートフォンが大きく震え、光る。
イロハがスマートフォンを開くと、祖母からのメッセージが届いていた。
『ご飯できたよ おばあちゃんより』
そのメッセージを見たイロハは、学習机の上の補聴器を耳にかけると、スマホを持ち、部屋を出ていった。
そして、夕食を食卓へ並べている祖母へ向かって、言った。
「ねえ、ばあば?来月行きたいところがあるんだけど、行ってもよい?」
連休中は、なるべく毎日小説を投稿する予定です。




