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砂漠のネズミ飼育入門

 次の予定があるから下へ行くと言った園長と別れ、サトシとサナエは職員専用フロアの四階へ行くエレベータに乗った。


「丑前くんは、今日何時までのシフト?」

「今日の僕のシフトは……お昼までですね」

 念のため、予定管理アプリで確認したサトシは、答えた。


「あと、一時間くらいかな?そうしたら、今からいろいろ説明しても大丈夫かな?」

「ええ。問題ないですよ」

「そうしたら、上の階の会議室で話そう。確か、この時間はどの会議室も空いているはず」


 やがてエレベータが四階へ着き、二人は降りると、廊下の先にある一番小さい会議室に入った。


 会議室とはいっても、四人用の小さな部屋である。机二つ分ほどの大きさのテーブルにシンプルなグレーのオフィスチェアがおかれただけの部屋は、生物園が作っている動物のカレンダーが壁に貼ってあるだけの簡素なつくりである。


「それじゃあ、資料を取ってくるから、丑前くんはちょっと待ってて」

 その部屋に入り、サトシを奥の座席に座らせたサナエは、そう言って部屋から出て行き、後にはサトシが一人残された。


 サトシは、スマートフォンの黒い画面を見る。そこには、ネズミのひげが生えている自分の顔が、確かに映っていた。


「っはぁ……」

 何度見ても変わらない、自分の顔を見てサトシは絶望で嘆息する。

 しゃべる動物も超常現象的な呪いも、つい数時間前の彼にとってはおとぎ話かオカルトの部類であった。だが、彼がこの一時間で経験したことは、そうした常識を粉々に砕くものであった。


「ってことは、グンディになっちゃうって話も嘘じゃないんじゃないか……」

 ふと、自身がグンディになった姿を想像する。ある日自分のベッドから起きると、密集した茶色の毛で全身が覆われ、耳が頭に埋まった巨大ネズミになっている。そんなグンディと人間のハイブリッドになったサトシがどうなるか……?


「カフカの小説だよな……よくて見世物。多分、研究のための実験動物(モルモット)だよな……」

 どんな未来が待っているかは知らないが、ロクでもないものであることには間違いあるまい。

 それを避けるためには、王様グンディに機嫌を直してもらい、このひげをなくしてもらわないといけない。いつまでかかるか分からないが、期限は当分先であるはずなので、気長にいくしかない。


「まあ、やるしかないよなぁ……」

 諦観の念を込めたため息がサトシの口から小さく漏れたのと同じタイミングで、サナエが帰ってきた。


「お待たせ!今何か言ってた?」

「いえ。いいや、軽い独り言です。ちょっと不安なもので……」

「そうなんだ。でも独り言って言っていると少し気が楽になるよね」

「確かにそうですよね……」

「まあ、気楽にいこう!初めてのことかもしれないけど、きっと悪いようにはならないよ!」


 サナエは、初めて飼育のほうの業務をやる不安であると勘違いしてくれたのであろう。明るく励ますように言った。

 その様子に、とりあえずごまかせたと思い、サトシは心の中で軽く肩をなでおろした。


「じゃあ、始めようか!」

 そういうと、サナエは紙の束をサトシに渡した。

 表紙には、グンディのデフォルメしたイラストがでかでかと描かれ、そのすぐ上に『グンディについて』と書かれている。


「あははー、ごめんね。資料多いし、細かくて。資料はあげるから、家ででも読んでおいて。ここでは、ざっくりと説明するだけにするからさ!」

 サナエは微笑みながらそう言うと、自分も椅子に座った。


「じゃあ、まずはグンディっていう生き物の特徴について話すね。わからないことがあったらその都度言ってほしいかな」

 サナエは、書類を一枚めくって言った。サトシも同じように二ページ目を開いた。


「グンディはね、原産地は阿州(あしゅう)大陸の赤道以北の砂漠地帯なの。特に岩場によくいる動物なんだって」

 サトシは、軽く砂漠にいるグンディを想像した。一面黄色の大地に這うグンディは実によく似合っていると思った。

「正式に発見されたの十八世紀くらいなんだけど、地元でももっと前から知られていたみたい。地元では食料として狩られていたこともあったそうよ」

「げぇ……そんなことがあったんですね……」

 確かに、モルモットはもともと食用の家畜であったし、カピバラやヌートリアを食べる文化があることは知っている。

 だが、自分に話しかけてきたあの生き物を食べる様子を、サトシはいまいち想像できなかった。

 そんなサトシを気にすることもなく、サナエは続けた。


「でもね、面白いことに、グンディの遺伝子を調べると、実は最も古いネズミ目の一族じゃないかっていう研究結果もあるらしいの。生きている化石と言う人もいるらしいよ」

 動物は、何かしらの種に分類される。種の上位には属があり、属の上位には科、その上には亜目があり、さらにその上に目がある。こうやって、動物を分類していくのである。

 分類は、時代や研究結果によって変わることがあるので断定はできないが、とどのつまりグンディはネズミたちの中でも、かなり早い段階でこの姿になったということである。


「グンディの仲間は五種いるんだけれども、今回うちにやってきたのは、アトラスグンディっていう子だね。この種はグンディのなかでも一番数の多いの」

「あの、そもそもグンディ、っていう名前はどういう意味なんですか?」

「それはね、ええっと、そうそう諸説あるんだけど、『警護人』を指す現地の言葉らしいの。岩場や立木に乗って周囲を警戒する姿からつけられたらしいよ」

 サナエが資料をめくりながら言った。サトシも紙の束に目を落とすと、そこには見たことのない文字で書かれた単語が描かれていたが、これがそれなんだろう。


「確かに、あいつらも周りを警戒するようにしてましたね」

「そうそう!私が研修に行った動物園でも、ジッと岩場にいたりしたね」

「そんなにいろいろ見ているんですね」

「グンディには天敵も多いみたいでね。特に、上からの襲撃には敏感らしいの。だから、お世話する時はなるべく近づかないで、ストレスをためないようにしないとね」

 グンディを捕食する動物は、主にジャッカルや蛇、猛禽類(もうきんるい)であるらしい。それらの天敵にすぐに気づけるように、大きな耳と目はとても発達しているらしい。


「あの特徴的な耳はそういう意味があるんですね」

「そうなの。ほかのネズミと違って平べったいのは、狭い岩場に潜り込んでも引っかからないようにするためね」

「確かに。耳が大きいと潜れないですね」

「それに、手足の指には、岩場を上りやすいように、櫛状の毛が生えているの。この特徴から、外国ではクシネズミ(comb rat)っていう別名があるらしいよ」

 確かにイラストにも、後肢の指に生える櫛のような剛毛が描かれていた。


「だから、グンディの飼育展示室では、本来の生息域に近くするために、岩を模したオブジェや、流木を使った隠れ場所を作る予定だよ」

「もう、そこまで考えているんですね」

「そう!それに、隠れているグンディをみんなが見やすいように、隠れ場所は一部ガラス張りにできればと思っているの」

「そんなことして、グンディにストレスになりませんか?」

 あの尊大な王様グンディである。隠れ家が実は丸見えであったのなら、激怒することは目に見えている。


「まあ、そこらへんは、予算や動物の福祉(アニマルウェルフェア)を考慮する必要があるわね」

 そういうと、サナエは書類にメモするため、ペンを走らせる。そして、書き終わると、再び口を開けた。


「アドバイスありがとう!丑前くん!」

「どういたしまして。ところで、グンディは昼行性(ちゅうこうせい)なんですね」

 昼行性とは、夜行性の反対で昼間に活動するという意味である。サトシは書類に書かれていた記述をふとつぶやいた


「そう!だから、暗くしたりせずに、展示室は明るくて良いかな」

「なるほど。確かにそれは楽ですね」

 夜行性の動物の展示の場合、なんとか動物が活動しているところを見せるために、昼夜を逆転させるように特殊な照明をつけたり、ほかの動物と部屋を分けて展示することもある。

 人と同じ昼行性の生き物であるならば、そうした気遣いはほぼいらない。


「でも、グンディは食事の後に、食べ物の消化を促すために、温かいところで寝そべるらしいの。だから、その点は何かしらの配慮が必要だね」

「へえ、あいつらも食休みするんですか?」

「食休み、というより、消化の促進ね。おなかの中で消化をするための酵素の働きをよくするために、温かいところで寝そべるらしいよ」

「なんだか、面白い生態ですね」

「私が研修に行っていた動物園では、擬岩にヒーターを仕込んでそのうえで温めれるようにしていたの。でも、うちだとそれは予算的にどうかな?それも検討事項だね」

 サナエが言ったことを再び書き込んだ。


「それで、なにか飼育で気を付けないといけないこととかありますか、箱音さん?」

 書き終わったサナエを見て、サトシが言った。

「ああ、そうだ。グンディってね、すごくにおいにこだわるの。特に仲間かどうかを見分けるのににおいが重要らしくってね。だから、可能な限り、グンディには触らないで飼育する必要があるの」

「それは結構、大変ですね」

 通常、健康管理や移動をするために、飼育員が動物に触れることは珍しくない。また、生き物に関心を持ってもらうため、展示している生き物と触れ合えるようにしている動物園も多い。実際、この生物園でも、ふれあいゾーンとしてヤギやモルモットと触れ合える場所があるくらいだ。


「そうなの。においが変わると、群れから追い出されたり、最悪の場合、侵入者とみなされて攻撃されることもあるんだって」

「うわ……結構厳しいですね」

「だから、飼育は極力こちらからは干渉しないで、最低限の接触だけにしようと思うの」

 何度か頷き、サトシは書類に”なるべく触らない”とメモをする。


「匂いが重要だから、重なり合ったり、キスのようなコミュニケーションをしているみたいなの。そういった様子も見れるようにできればいいと思うんだ」

「へえ、そんな習性があるんですね」

「前いた動物園だと、五匹くらい一斉に重なっていたこともあったみたい。すごく可愛くて良かったんだって」

 サナエは、うっとりしたように顔を緩めてつぶやいた。

 サトシも、王様グンディとほかのグンディたちが重なり合っている姿を想像する。たしかに、あの見た目で重なり合っているのは、中身を差し引いても愛らしいものがある。


「最後に、今回の飼育方針なんだけど、まずしばらくはこの動物園に慣れてもらうように、ケージの中で過ごしてもらう予定。それができたら、二、三週間くらいバックヤードの飼育室に放して様子を見て、仲間外れの子がいないのであれば、いよいよ展示室へ移動するよ」

「結構時間をかけるんですね」

「そうなの。貴重な生き物だから、失敗はできないよね。で、その間に今チンチラが展示されているスペースをグンディ用に作り変える予定だよ」

「チンチラはどうするんですか?」

「ふれあいゾーンの横に新しく展示スペースを作るから、そっちに移動するよ!」

 そういえば、去年からふれあいスペースの横に新たな展示ゾーンを作るための工事をしていたことをサトシは思い出した。


「ちょっと、追い出される感じになって、かわいそうですね」

「その代わり、チンチラの好きそうなスペースにするつもりだから、あの子たちには我慢してもらおうかな。で、実際の世話は私がするよ。」

「そうしたら、僕は何をしたらよいですか?」

「まず、グンディがバックヤードにいる間は、グンディについての勉強をやってもらおうかな?たしか、もうすぐ学校でもテスト期間でしょ?」

「ああ。そうですね」

 この数時間でいろいろとあったので、頭から吹き飛んでいたが、大学のテスト期間は二週間後から始まる。一応、学究の徒であるサトシにとって、学校の試験が最優先だ。

「そうですね、じゃないよ!グンディのせいで留年、なんてなったら、お世話から外すからね」

「善処します」

 冗談ぽく言うサナエであったが、あの傲慢な王様の世話をするくらいなら、正直そっちのほうが若干マシではないかとも、サトシは内心思う。

 そんな心の思いを隠して、サトシは答えた。

「春休みになったら、飼育の手伝いと、グンディについてのSNSへの投稿をしてもらおうと思っているよ」

「SNS……ですか?」

 サトシは、SNSのアカウントこそ持っているが、基本的には閲覧用であり、ロクな投稿はしていない。いきなり言われて困惑するサトシに、サナエは優しく微笑みかけた。


「まあ、知ってもらわないと、誰も来ないからね。頼んだよ!」

 そういって、サナエは立ち上がった。


「じゃあ、今日のレクチャーはこれでおしまい!何か聞きたいことはある?」

「いいえ、特には」

「じゃあ、今日はこれで終わり!あとはやっておくから、もう時間だし上がってよいよ!」

 書類をまとめ、部屋の時計を見たサナエが、優しげに言う。

 その言葉を合図に、サトシとサナエは会議室を出た。


「ところで、このイラスト、だれが描いたんですか?」

 休憩室へ向かう最中、歩きながらサトシが尋ねた。


 表紙のグンディは、丸っこい体に小さな耳、つぶらな瞳――実物の特徴を的確に捉えながら、愛らしくデフォルメされている。

 プロが描いたものかと思い、あとでSNSで確認しようと聞いてみた。


「ああ、それ?私が描いたんだよ」

「えっ!?箱音さんが!?」


 サトシは思わず足を止めた。


「そうそう。もともとこういったことが得意でね」

「いや、でも……」


 もう二年弱一緒に働いているが、そんな話は一度も聞いたことがなかった。

 いや、そもそもサナエが絵を描くような場面を見たこともない。


 サトシは改めて資料の表紙を凝視した。


 重なり合った四匹のグンディ。それぞれの毛並みの質感、小さな手足のフォルム、ふわふわとした印象を醸し出す線の柔らかさ――。

 デフォルメされているのに、実物「らしさ」が失われていない。


 ページをめくると、中にも随所にグンディの簡単なイラストが添えられていた。

 餌を食べるグンディ、岩の上で警戒するグンディ、重なり合って眠るグンディ――。

 どれも温かみがあって、見ているだけで思わず頬が緩む。


「これ、本当に箱音さんが?」

「うん、昨日の夜にちゃちゃっと描いたんだけど」


 ちゃちゃっと、だと?


「なに、そんなに驚いた?」

「いえ、その……本当にうまいですね」


 サトシは正直な感想を口にした。


「これ、プロのイラストレーター顔負けじゃないですか。SNSとかに投稿したら、絶対バズりますよ」

「あははー。さすがにそれは言いすぎだよ。これだってテキトーに描いたものだし」

「適当にこのレベルが描けるんだったら、むしろすごいですよ!」


 サトシは資料を持つ手に力を込めた。


「昔から描いていたんですか?」

「まあね。昔から見た目によらず手先が器用って言われていたんだよ」


 サナエが照れたように右頬を人差し指で掻きながら言う。


「見た目によらず、って……いや、確かに意外ですけど」

「でしょ?よく驚かれるんだ」


 動物の世話をする飼育員。力仕事もこなす頼れる先輩。

 そんなイメージのサナエが、こんなに繊細で温かみのあるイラストを描く。


 人は見かけによらない、とはよく言ったものだ。

 サトシは、少しだけサナエへの見方が変わった気がした。


「でも、これだけ描けるなら、グンディのグッズとか作れそうですね」

「あー、それは園長も言ってたよ。でも、そこまでの腕はないかなぁ」

「いやいや、十分ですよ。このクオリティなら、絶対売れます」


 彼女の意外な才能に驚きながら歩いていると、まもなく職員用の休憩室の前についた。


「箱音さん、今日はいろいろとありがとうございました。また、明日もよろしくお願いします」

「じゃあ、試験勉強頑張ってね!」

 お昼を食べに行くため、外へ向かうサナエと別れ、サトシは着替えるために休憩室の中にあるロッカーへと向かった。


***


 今日は、特に講義もなく、特に用事もない。

 着替え終わったサトシは一時間ほどかけて、実家のある湾岸区(わんがんく)へとまっすぐに帰ることにした。


 昼過ぎの電車は、それほど混雑しておらず、立っている人はほとんどいない。

 サトシは、隣が開いている手すり際の座席に座ると、電子工学の教科書を開いて、試験範囲の内容を覚えようと読み始めた。

 だが、普段は、何にも感じることはないはずの電車の中であるのに、今のサトシには電車の中の人たち全員が自分を見ているように感じられる。


(ほんとうに、このひげ、誰にも見えていないんだろうな……?)

 サトシが車窓に微かに映る自分の顔を改めてみるが、何度見ても、ネズミのような立派なひげが自分の顔から生えている。

 ひげに触れることはできないのだが、その異常な風貌が、自分以外の誰にも見えていないことがいまだに信じられない。

 何度教科書に集中しようと思っても、誰かに見られているのではないかという思いが集中を阻んでくる。


(なんか、あの子、僕のほうを見ていないか……?)

 サトシは、目線を感じて正面を見ると、そこには母親の膝に座らせられた男の子がいた。

 彼は手に持ったオモチャが落っこちそうになるのも気にせず、そのクリクリとした目をサトシに向け、ジッと眺めていた。


 昔から、小さい子をあやすのは好きであったし、今の空いている車内であれば迷惑にはなるまい。

 サトシはそう思い、あっかんべえの要領で舌をペロンと出す。正面の子は、驚いたようにキョトンとし、やがてケケッと笑い出した。


 子供が笑ったこととその原因に気付いた母親が、やや遠慮がちに頭を下げる。サトシは、再び教科書に目を下した。


(まあ、しょうがない……やれることをやっていくしかないのかな)

 万感の思いが頭を駆け巡り、最後に諦観に似た感情が湧き上がったサトシは、書いてある内容を黙読する。内容は、不思議なくらいスルスルと頭に入っていった。


***


 その夜。

 サトシが帰宅し、生物園に人気がなくなった頃――


──日が落ちたバックヤードで、王様グンディたちはケージの中で密集していた。

 暖房が効いているとはいえ、ひんやりとした空気が微かに漂い、グンディたちを冷ましていく。


『メウェよ、もっと近くによるとよいぞ』

 妃の中で一番小柄なメウェを労わるように、王様グンディが優し気にチュルルと鳴く。その声に答えるように、小柄なグンディが身を寄せた。

 反対に、追い出された形となったアンドレとミルフィが抗議するかのようにキュルキュルと声を出す。王様グンディは愉快気に言った。


『そう、拗ねるでない。お前たちも共に寝ようぞ』

 その言葉で、二匹は安心したかのようにチュルリとやわらかい声を出した。


──しかし、随分と遠くに来たものだ。

 三匹が規則正しく寝息を立てたのを確認した王様グンディは、軽く巣穴の外に目を向ける。

 岩を模した巣穴はグンディ四匹が入るにはやや手狭であると思ったが、こうして密集するには都合がよい。


 前の動物園では、人前に出ることもなく、バックヤードで一族と平和に暮らしていた。

 父親の一番最初の子供であった王様グンディは、父親から己の役割と使命について聞かされ、それ以外は、家族とともに重なり合ったりして過ごしていた。


『息子よ、明日でお別れらしい』

 そんな平凡な日常は、先日終わりを迎えた。

 父親も、杖を持つものとして人の言葉をよく理解する。そんな彼が、息子グンディと何匹かのグンディを別の動物園へ引っ越しさせるという話を聞いたのだ。

『お前に、この杖を託す。余の息子よ、必ず役目と使命を果たすのだぞ』

 父親は、今まで見せたことのないほど真剣な表情ではっきりと告げた。そうして、彼は息子へ、一族に伝わる神様から下賜された杖を譲り渡した。

 母親は悲しそうにチュウチュウと鳴き、彼の兄弟たちは何が起こったのかわからないまま、励ます。


 そんな平和な風景を二度と見ることができないことを惜しみつつ、だが、王様グンディには野望があった。

 自分の王国を築き、そこで自身の血統を世に広げる。

 王としての責務を果たしつつ、一族に新たな栄光をもたらすのだ。


『妃たちは愛おしい。だが、下僕はまだ信用ならん』

 そう言って、彼はついこの前のことを思い出す。

 別のケージで飼われていたアンドレ、ミルフィ、そしてメウェがまず王様グンディの王国(ケージ)に加わった。

 三匹とも、生まれ育った場所から引き離され、不安そうにしていたが、それをなだめるのが王たるものの務めであると悟り、必死になだめた。

 最初こそ、見知らぬグンディであると警戒していた三匹であったが、やがて落ち着くようになってきた。


 まだ、愛を紡ぐには時間がかかるであろう。だが、王たるものは常に余裕を持っていなくてはいけない。

 王様グンディは、焦ることなく待つことにした。


『信用ならんとはいえ下僕も手に入った。順調すぎて、却って不気味よ』

 王様グンディたちをここまで連れてきた巨躯の女。これは手慣れているようなので不安はない。

 しかし、ここに来て初めて会った男のほうは、非常に頼りない。それでいて、礼儀知らずであり、寛大な王であっても、思わず怒りの鉄槌を下してしまった。


『あの男は礼儀知らずであった。王たる者、容易に怒りを収めてはならぬ。しばらく恐怖で縛り付けておくとしよう』

 王たるもの、一度行った決断をおいそれと変えてはいけない。そんなことをすれば余計に愚かな下僕を増長させてしまうだろう。

 ゆえに、不安と恐怖で自然と頭が下がるようになるまで、様子を見なくてはいけない。


『フフッ。明日からが楽しみよ』

 どんなふうに下僕を使ってやろうか。そんなことを夢想していた時、ケージの外に気配を感じた。

 不審に思った王様グンディは、慎重に巣穴から出ると、虚空から杖を取り出した。


『貴様は誰だ?』

 ケージの外にいる『ソレ』は暗がりにいるため、姿かたちはわからない。だが、放っている気配は消して友好的なものではなかった。


『もう一度聞く。貴様は何者ぞ?』

 王様グンディは、巣穴を守るように立ち上がると、杖を『ソレ』に向けて言った。


「ミツケタ」

 『ソレ』は不快な金属音のような声で言った。そして、暗がりから出てきた『ソレ』を見て、王様グンディは目を見開いた。


『貴様……もしや、原初のネコの亡霊……』

 そのつぶやきに答えることなく、煮詰めた墨汁のような影で覆われた『ソレ』はグンディのいるケージにとびかかった。

次回からは、毎週更新予定です。

引き続きどうぞお付き合いください。

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