王様、名乗る(上)
『おい、下僕よ。余は退屈である。しばし付き合え』
最初は幻聴かと思った。
きっと、正月で親族めぐりをした疲れと、期末考査へのプレッシャーで脳みそが壊れてしまったのだ。
頭をほぐすようにこめかみをグリグリといじりながら、サトシはそう結論付けた。
『ほお、貴様、余を無視するとはいい度胸であるな』
だがそんな思いを吹き飛ばすように、目の前のグンディが首を傾げると、サトシの脳裏に再び声が響いた。
心臓が大きく跳ねる。
目の前の毛玉のような生き物と、脳内に響く氷のような冷たくよく通る声。この二つが結びついているという事実を、サトシの理性が必死に拒絶していた。
「……待ってくれ!なんで生き物が話しているんだよ!」
声が上ずる。自分でも驚くほど動揺していた。
『口の利き方に気をつけよ。その無礼な態度、本来であれば万死に値するぞ』
「いや、いやいや、いやいやいや」
サトシは両手を振った。
インコやヨウムではなく、目の前にいるのはげっ歯類の生き物なのだ。話すことなんて常識的に考えたらありえない。
それに、この声は口から発せられているわけではない。直接、頭の中に響いてくる。
これは夢だ。
ケージの金網の冷たさや、室内のエアコンの音、部屋に満ちる動物特有の匂い――すべてがリアルすぎるが、きっと悪い夢なのだろう。
軽く頬をひねるが、予想に反して、引っ張られる痛みがはっきりとした。
「なんで、お前は話しているんだよ!」
もう一度確認するように、サトシは声を上げた。
これで何も返事がなければ、やはり幻聴だったと納得できる。そう願っていた。
『静かにせい!貴様の声は、余の繊細な耳には不愉快なのだ』
しかし、グンディは――いや、この声の主は、はっきりと答えを返してきた。
「でも!」
『でも、もへったくれもない。見よ、余の妃を!』
そういうと、グンディは、顔をケージの奥の巣箱へ向けた。
そこには、三匹の同じ見た目の生き物が巣箱の中から顔をのぞかせていた。
『貴様の大声に、妃たちもおびえておろう。わきまえよ!』
確かに、ケージの中にいる残りのグンディたちは、天敵に出会ったかのように巣箱で震えている。
サトシの大声が、彼らを怯えさせたのは事実のようだった。
「わ、わかったよ。静かにするよ」
サトシは声のトーンを落とした。
小さな動物たちを怖がらせてしまったという罪悪感と、この異常事態をどう処理すればいいのかという困惑が、頭の中でぐるぐると渦巻いている。
『よろしい。許そう。余の寛大さに涙するがよい』
目の前にいるのは、きな粉色のフワフワした毛並みをした生き物である。見ようによってはモルモットのようで、確かに可愛い。
体長は十センチ程度。つぶらな瞳。小さな手足。
そんなグンディが、まるで傲慢な王様であるかのように振舞っていることが、いまだに信じられなかった。
――本当に、話している。
――この生き物が、自分に話しかけている。
サトシの中で、少しずつ現実が再構築されていく。
受け入れがたい状況ではあるが、目の前で起きていることを否定し続けるわけにもいかない。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしているサトシに対して、グンディがチュルチュルと鳴き声を発する。それと同時に、サトシの脳内に声が響いた。
『ぼんやりするでない、下僕!余と妃たちへ御餐を供せよ』
「ごさん……?なにそれ?」
聞き慣れない言葉に、サトシは戸惑った。
『食事のことである!この程度のことで余を煩わせるでない』
グンディは不機嫌そうに、少しだけ後ろ足を振った。
サトシは慌てて周りを見回す。
飼育室の棚には、様々な動物用の飼料が並んでいた。モルモット用、ウサギ用、ハムスター用――。
グンディはげっ歯類だから、きっとこの辺りでいいはずだ。
そして、モルモット用の食事を見つけ、おずおずと差し出した。
「えっ、えっと。これで問題ない……ですか?」
自分でも驚くほど、丁寧な口調になっていた。
ついさっきまで「お前」呼ばわりしていたのに、今は敬語を使っている。
なぜだろう。この小さな生き物の前で、なぜか無礼を働いてはいけない気がした。
『チモシーか。まあよい。いまはこれで許そう』
サトシが干し草を見せると、グンディはチュルル、と甲高く鳴いた。
満足げな声に聞こえた。少なくとも、怒ってはいないようだ。
『もう大丈夫だ、出てまいれ』
少し優し気な、グンディの声が響く。
すると、岩を真似て作られた、プラスチック製の巣箱の中にいたグンディたちが、おずおずと顔を出した。
『アンドレ、ミルフィ、メウェ。もうよいぞ。下僕より貢物を受けたゆえ、お前たちも食べるがよい』
目の前のグンディの声が響くと、巣箱の中の三匹が飛び出してきた。
瞬く間に、サトシの目の前がグンディだらけになる。
チュルチュルという鳴き声の四重奏を聞きながら、サトシはチモシーの束をケージの中に入れた。
その途端、四匹は我先にと食べ始めた。小さな口で干し草を咥え、カリカリと噛む音が聞こえてくる。
――よくこんな狭い巣箱に三匹も、入っていたな。
グンディたちがチモシーを食べている間、サトシは的外れなことをぼんやり考えていた。
現実逃避に近い思考だと、自分でも分かっている。
でも、いま起きていることを真正面から受け止めたら、きっと頭がパンクしてしまう。
だから、こうして些細なことに意識を向けることで、なんとか平静を保とうとしていた。
巣箱から出てきた三匹が干し草をそのまま咥えて食べているのに対し、話しかけてきたグンディは器用に手でつかんで食べている。
まるで人間のように、両手で干し草を持ち、少しずつ口に運んでいた。
食べ方にも個性があるのは意外だった。
――いや、待てよ。
サトシは、ふと思い直した。
この子たちも、ちゃんと一匹一匹違う個体なんだ。
見た目は似ていても、それぞれに性格があって、好みがあって、生きている。
そして、目の前の一匹だけが――この、手でチモシーをつまんで食べている一匹だけが、自分に話しかけてくることができる。
なぜかは分からない。
どうしてこんなことが起きているのかも、まるで見当がつかない。
でも、少なくとも一つだけ確かなことがある。
――これは夢でも幻聴でもない。確かにこの生き物はしゃべっているのだ。
サトシは小さく息をついた。
受け入れるしかない。こんな非常識な状況でも、目の前で起きていることは現実なのだから。




