第7話:邂逅とその後(前編):文人
朝陽くんとの再会の後、僕は残りの業務を淡々と片づけて午後から勤務の上野さんとリーダーの赤坂さんに業務の報告と引継ぎをした。急な出勤にうんざりする気持ちがゼロだったとは言えないが、図らずもかつての知り合いに出会ってしまったことはどうしようもなくうれしいと思う。職員控室に戻り、職員カードを首から外しながらタイムカードを切る。
胸元の名札を外してロッカーのドアについている小さなカゴに収める。最後にエプロンを脱ぎながらスマホを確認すると、チャットアプリにメッセージの通知があった。今日出勤予定で欠勤した職員から個人でお詫びメッセージが来ていた。「急に熱が出て休んでしまいすみません!本日代わっていただいてありがとうございます汗」に対して、「いえいえ!タイミングが良かっただけなので!お大事に(^^)」と返しておく。直後に「すみません」という文字が付いた頭を下げる猫のスタンプが送られてきた。
こういうのはつつがなく日々を送るためのささやかな儀式のようなやり取りで、どこまでが本心かなんてわからないし、そもそもチャットアプリのメッセージのようなテンションで本気で来られるのも疲れてしまうから、これで一回チャラにしましょう、というお約束のようなものだと思っている。
ついでに朝陽くんとのチャット履歴を確認して少し頬が緩んでしまった。これでは完全に変質者だ。でも朝陽くんの方から何かメッセージが来るといいなと思ってしまう。僕に友達が少ないからだろうか。さらにスマホの画面で時間を確認すると12時を少し回ったころだった。そろそろあの人が来る時間だ。
僕はロッカーからチェックのシャツを出して袖を通した。ロッカーを締めてカギをかけ、忘れ物がないようにトートバッグに荷物をしまい、職員控室を後にする。これからとある人に会うために近くのカフェに行く予定だ。本を借りるのは今度にしよう。家にも積んでいる本はたくさんある。別に読むものに困っているわけではないので問題はないのだから。
僕は図書館を出るとカフェに向かった。少し歩いていける距離の、というかほぼ同じ敷地内じゃないのかと思えるほどの距離の近さにそのカフェはある。「コンツェルト」という名前のカフェだ。別に待ち合わせをしているとかではないのだけれど、ここにいるとだいたいいつも来る女性がいるのだ。
今日は少し遅くなってしまったから、もしかしたらもうすでにいるかもしれない。待ち合わせをしているわけではないといったのは、約束を交わしたわけではないという意味だ。そもそも僕は彼女の連絡先を知らない。事前にコンタクトを取るすべがないので約束ができない。いや、別に約束がしたいわけではないのだけれど、ただ何となく、ここにいると彼女が来る、その事象が興味深いと思うだけ。
彼女とは二か月ほど前、仕事中に出会った。出会ったというか、僕は図書館職員で彼女は利用者。その関係で僕は彼女の探し物を手伝った。探し物というのはもちろん本で、正確に言うと情報だった。何の情報かというと、皆瀬村の龍神伝説。あれ、なんか最近この話題にばかり遭遇するな。朝陽くんは地元だからそういうこともあるのかもしれないけれど、彼女はいったいどういう経緯で興味を持ったんだろう。
僕はカフェに入るとカフェラテとサンドウィッチを注文して席に座った。お昼時の賑わいはあれど、いつもの席には空きがあった。奥の方の窓際の席。僕はいつもその席に座る。座っていると彼女が来る。だいたいいつもその流れだった。軽く店内を見渡してみても彼女の姿はない。僕はそのいつもの席に座って窓の外を見た。晴れやかな青空が広がっている。とても穏やかな陽気だった。
少し落ち着いたところでゆっくりと昼食を取り始めると、しばらくして入口の方に見慣れた人影が現れるのが見えた。例の彼女だ。彼女は少し店内を見渡した後、僕に気づいて手を振った。彼女はいつものように紅茶とベーグルを頼んだらしい。スマートな服装の彼女は、結い上げた長い黒髪を揺らしながらにこやかな顔でゆっくりと歩いてきた。店内はほぼ満席。それでも席を探す様子がないところを見ると、彼女の方でも僕と相席なのは確定らしい。
「こんにちは、こちら座ってもいいですか、倉内さん。」
「どうぞ、綾坂さん。」
彼女は綾坂響歌さん。大学院の一年生だそうで、業務中に図書館で手助けをしたのが1回目、その後日、休日にたまたまこのカフェに寄ったときに会ったので2回目、それからは毎週のようにこのカフェで会っている。もう五回以上は会っているだろうか。千絵美に話したのもこの女性のことだった。
「なんだか毎週のように会っていますね、私たち。最近はなんだか楽しみになってしまって、あえてこのカフェに通っているところもあるんです。でも少し厚かましかったかしら。」
「いえいえ、僕も楽しみにしていますよ!綾坂さんの伝承系の話は本当に面白いし、僕が知らなかったこともたくさん聞けて楽しいんです。綾坂さんは大学でもそのような研究をしているんですか?」
「はい、ええ、そうですね。伝承の発生する由来を調べてるんです。」
「伝承の発生する由来、ですか。」
「はい。なぜその伝承が発生したのか、そしてなぜ語り継がれるに至ったのか、というようなことをです。」
「なるほど、伝承というのはあくまで語り継がれた内容そのままではなく、何か別の出来事や事象の暗喩である可能性が高い。」
「はい、ですからその伝承が発生したと思われる時期の時代背景を調べたり、何かその場所の人たちにとって大きな印象を与える出来事が起きてなかったか、さらに言えば、科学の発展していない時代ですから今の時代の私たちとはとらえ方が違う可能性を考慮して、伝承から紐解けることがないかを調べるんです。」
「面白いですね。皆瀬村の龍神伝説も似たような感じですか?」
「はい。あの伝承は少し他と違っていてとても興味深いのです。あれはただの暗喩なのか、でなければ、本当に存在したかもしれません。」
「え、それはいったい。」
綾坂さんはにこりと笑うと紅茶を飲んだ。しかし、まだベーグルにはほとんど口がつけられていない。僕もつられてカフェラテを飲む。もうほとんど冷めていたけど、今は甘味が少しうれしいと思った。龍が存在しただって?そんなことがあり得るのだろうか。仮にありえるとして、朝陽くんはそのことを知っていたのだろうか。そして綾坂さんは、何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。
「これは、文人さんだからお教えするんですが、龍が実在したかもしれない痕跡が見つかっているんです。」綾坂さんは怪しげに笑っている。
「痕跡、ですか。」
「はい、皆瀬村の近くの村で、鱗のようなものが見つかりました。かなり大きな鱗です。鱗一枚で手のひらくらいはあるんです。これがもし本物だったとしたら、鱗の持ち主はいったいどれほどの大きさになると思いますか。」
「それは、確かに。」
「ね、なんだかロマンのある話でしょう?会ってみたくはありませんか、龍に。」恍惚とした表情を浮かべる綾坂さんに、僕はわずかに気圧されてしまう。
「それは、いるなら見てみたいとは思いますけど。それこそ何かの間違いなんじゃ。」思わず声を抑える。あまり周囲に聞かれていい話ではないような気がしたからだ。
「ええ、文人さんの懸念ももっともです。むしろ疑ってかかるくらいがちょうどいいのでしょう。河童のミイラだって作り物でしたし、これも加工品でないとは限りません。現にその鱗には、研磨された跡がありました。」
「研磨?」
「はい、持ち主は鱗を磨いて飾っていたんです。ご神体でも祀るかのように。」
「でも、それは。」
「ええ、伝承で神とあがめられる龍の鱗だから妥当だと。ですが、その見た目は確かに美しい光沢をもった黒色の鱗でしたが、あまりにも大きくて最初は鱗だと認識できないほどでした。きれいな石と間違えても仕方がない。今の持ち主の方も疑ってかかっていました。しかしご先祖の代から受け継がれてきたものなので、丁重に管理しているとのことでした。傍らには先祖の手紙があり、これは龍の鱗である、と記されていました。」




