エピローグ:再び:朝陽
あのひと騒動からしばらくたった。僕たちは互いに連絡先を交換しながらも、思い思いの日常の中へと戻っていった。学さんと綾坂さん、そして古谷さんの間のわだかまりが、完全になくなったわけではないだろうけど、一応僕たちは和解ということで決着をつけた。
「もう少しで着くけど、もういる?」チャットアプリに千絵美さんからのメッセージが入る。
「うん。階段前に、もういるよ。」僕は千絵美さんに返信した後あたりを見回す。
駅までは一本道だから、少し見渡せば見えるかもしれない。あ、ほら、向こうで手を振っている人影が見える。僕は手を振り返して、彼女が到着するのをおとなしく待っていた。彼女は待ちきれなくなったのか、途中から少し小走りになって、僕のところまで駆けてきた。
「ごめーん!ちょっと待った?」千絵美さんが息を切らせながら僕に声をかけた。
「ううん、全然。僕も今さっき来たとこだから。」これはほんとだ。でも仮に待ったとしても、文句を言うには及ばない。そもそも僕の方が、家が近いのだし。
「良かった!私どきどきしちゃって思わず急いじゃった。」千絵美さんは笑いながら返答する。
「それじゃ、行きますか~。」
「うん、行こう。」
僕と千絵美さんは二人並んで階段を上り始めた。実家に帰ってきて最初に山に登ったあの日から、ほんとは大した日数なんてたってはいないはずなのだけど、もうずいぶんと長くたっているような気がしてしまう。僕たちはたわいもない話をしながらゆっくりと山を登って行った。梅雨が明け、本格的に夏に差し掛かろうとしている今日は驚くほどの晴天で、僕たちの肌は少しだけ熱くほてって汗ばんでいる。
千絵美さんによれば、文人さんはいつも通り図書館で仕事をしながら、休日には綾坂さんと会っているらしい。綾坂さんについては詳しくは知らないけれど、龍神伝説以外にも他の伝承の話やなんかに花を咲かせているんだそうだ。あの二人は、僕らが思っている以上に似たもの同士だったのかもしれない。
僕と千絵美さんも、あの一件以来、なんとなくメッセージのやり取りをしたり、山以外の場所で会う回数も少しだけ増えたりしていた。千絵美さんは本当におしゃれで、鮮やかな服を好むから、僕もつられてしまったのかいつしか明るい色の服を多く着るようになった気がする。父や母には、彼女でもできたのかとからかわれたけど、そんなんじゃないと否定しておいた。今はまだ、僕らはそこまでの関係性ではないだろう。
これは最近ふとしたきっかけで知ったことなんだけど、千絵美さんのバイト先は花屋で、僕の母さんとも少なからぬ交流があったらしい。母さんが普段花を買っているのが、千絵美さんのバイト先の花屋なんだそうだ。それを聞いたときは、偶然ってすごいなと思うとともに、意外と世界はこじんまりしているのだと思わず笑ってしまったくらいだ。
古谷教授からは時々思い出したようにメッセージが来る。大抵一言二言、メモのような内容のメッセージだ。教授曰く、理央さまにかなり好かれているらしい僕のことが、ほんと単純に気になっているらしかった。まぁ、近所のおじさんと会話しているような感覚で相手をしているし、僕の方もたまに気になったことを聞いてみたりもしている。
学さんとはあまりやり取りをしない。だいたいは直接会いに行くからだ。今日も、都会に戻る前に、学さんと理央さまに挨拶をするつもりでやってきた。
なんやかんや話しながら登っていると、階段の上の方に人影が座っているのが見えた。近づきながら目を凝らしてみると、それは理央さまの姿だった。
「あ、理央さま!こんにちは!」千絵美さんが元気よく挨拶をする。
「こんにちは、学さんは?」僕も理央さまに挨拶をして、近くに学さんがいないかあたりを見回す。
すると理央さまは、僕の手を掴んで引っ張ろうとした。いつものようににこにこと笑いながら。
「千絵美さん、行こ。」僕は、ついていく前に千絵美さんに手を伸ばしながら声をかけた。
「うん!」千絵美さんは笑顔でうなずきながら、僕の手を掴んでついてきた。
ツツジの季節はとうに終わって、今は青々とした木々の葉がうるさいくらいの鮮やかさで密集している。少しずつ虫の鳴き声も増えてきて、騒がしくなるのももう直なのではと思わせる。
目の前では学さんが、屈みながら玄関前の敷地の雑草をむしっていた。いつもよりもう少しラフな格好で、近くにはバケツと、軍手をはめた手には鎌を持っている。山という土地の関係上、安易に除草剤を撒いたりとかができないんだろうなと何とはなしに考えた。
「こんにちは!」僕と千絵美さんはほぼ同時に学さんに声をかけた。
鎌を扱っているから、急に近づいて驚かせてもいけないと思って、少し遠めから声をかけた。学さんは鎌をバケツに入れて脇に寄せると、立ち上がりながら僕らの方を振り返った。額には汗がにじんでいるのがここからでもわかる。学さんは、首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、僕らの方へと近づいてきた。
「こんにちは、二人とも。よく来たね。」
「あら、いらっしゃい!二人とも、そこから中へ上がっておいで。今冷たい麦茶を出しますからね。」庭に面した窓が開いていて、中から教子さんが声をかけてきた。
「そうしなさい。私も、いったんこれを片づけてから行くからね。」学さんが、足元にあるバケツを指さした。
「分かりました!」千絵美さんの返事とともに僕もうなづき返し、僕たちは理央さまと一緒に家の中へとお邪魔した。
家に上がると、教子さんが人数分の麦茶と茶菓子を出してくれた。個包装の小ぶりの最中だった。部屋の中では扇風機が回っていて、風鈴がちりんちりんと揺れている。まだ早いのではと思いつつも、着々と近づいてくる夏の気配に、少しだけ胸がキュッとした。
「お待たせ、二人とも。それと理央さま。くつろいでいるかな。」片づけを終えて、学さんが戻ってきた。
「はい、ありがとうございます。」僕と千絵美さんはお礼を言った。
「いいんだよ。私たちも、君たち二人が遊びに来てくれるのが嬉しいんだ。」学さんが優しく微笑んだ。やっぱり少しだけ照れてしまう。
「でも、その、僕。」いざ話を切り出そうとすると、少しだけ言葉が詰まった。この空間があまりに穏やかだから、上手く話せるのか自信がない。
「どうしたんだい?」学さんは問いかけながらも、静かに言葉を待ってくれる。理央さまも、首をかしげながらこっちを見ていた。
「その、僕、復学するために、戻ることに決めました。都会に。」
「そうなんだね。」
「それで、もう少ししたら、また、実家を出ます。」僕はゆっくり言葉を紡いだ。
「うん。よく決心したね。」学さんは、穏やかに目を細めて僕を見ていた。
理央さまは一瞬悲しそうな顔をしたように見えたけれど、すぐにパッと明るく微笑んでいた。
「しばらくは、こっちに戻ってこれないけれど。」
「大丈夫。連絡ならいつでもしなさい。僕たちはここから見守っているからね。」学さんのその言葉に、僕はふっと顔がほころぶのを感じた。
「はい、ありがとうございます。」
「私も連絡待ってるよ!もちろん、お兄ちゃんも。」千絵美さんも微笑んでくれた。
「ま、ちょっと寂しくはなるけどね。」
「うん、僕もだよ。せっかく仲良くなれたのに。」
「大丈夫よ。私にも、一回疎遠になったのに、また巡り合えた友達がいるの。その友達とは縁だったと思うけど、繋がりたいと思って行動すれば、おのずとまた出会えるわ。」千絵美さんの言葉に、僕はなんだか勇気づけられるような気持になった。
「あ、そうだわ。すっかり忘れていたの。はいこれ。」奥の部屋から、教子さんがパタパタと戻ってくる。手には小さな木の箱を持っていた。
「これよ、これ。作っておいたの。」
教子さんが箱を開けると、中にはたくさんの白い花、ではなくその押し花で作った栞が複数枚入っていた。
「いっぱい作ったからあげるわ!お守りにしてね。はい、朝陽くんと、千絵美さんに。」教子さんは僕たちにそれぞれ手渡した。
「あ、これ、ツツジの花!」千絵美さんが嬉しそうに声をあげた。
その栞は、薄緑の台紙に白いツツジの押し花、それをきれいにラミネート加工して、細いリボンが結ばれていた。僕のは青、千絵美さんのは桜色。
「文人くんたちにはまた来てねって言っておいて。まだたくさんあるんだから。」そうして教子さんは、満足そうに箱をしまいに行った。
僕の心はまだ重い。そう簡単には軽くなってはくれないだろう。それでも今は、ほんの少し前までと違って、支えがあって、立っていられるようにもなった。一人で頑張ろうとしていた前の僕とは違う。
今の僕は、つらくなっても、寂しくなっても、繋がりたいと思える誰かがいる。それだけで、僕はもう少しだけ頑張れそうな気がした。そうして僕もいつの日か、繋がりたいと思ってくれた人たちのために、寄り添える自分でありたいと思う。みんながそうしてくれたみたいに。
「でもたまには遊びに帰ってきてよ?私、待ってるから。」僕の手に手を重ねた千絵美さんにうなずきつつ、僕はふと顔を上げた。
いつの間にか外に出ていた理央さまが、何かを放り上げるように一回転する。パッと飛び散った水滴の中に、小さな虹の光が見えて、僕は思わず泣きそうになった。にこにこと笑う理央さまの無邪気な姿は、確かに光に包まれていた。




