第31話:雨降らす龍は虹を呼ぶ(後編):朝陽
僕たちは学さんに促されて室内に入り、思い思いの場所に座っている。文人さんの宣言により一件落着にはなったものの、結局何だったんだという感情がぬぐい切れない。結局僕は綾坂さんを説得できたわけでもないし、理央さまの機転によっていい感じのところに着地した、とも言えなくもない。そして当の理央さまはと言うと、僕の隣で麦茶を飲みながら、特にことの重大さも理解しないという風に落ち着いてしまっている。
「えっと、なんか人増えましたね?誰が誰なのか、確認してもいいですか?あ、僕は倉内文人です。こっちは妹の千絵美です。」
「初めまして、倉内千絵美です。」文人さんの紹介に対して、千絵美さんが簡潔に挨拶をする。
「綾坂響歌です。知っている人は知っていると思いますが。こちらは古谷教授と、春日井さんです。」
「初めまして。皆さんのことは綾坂くんを通して聞いていますよ。今回は迷惑をおかけしました。」綾坂さんの隣に座っていた、メガネをかけたやや高齢ぐらいの男性が挨拶をする。綾坂さんの大学の教授だそうで、綾坂さんはこの古谷教授の下で龍神伝説を追っていたそうだ。
「さっきも言いましたけど、春日井です。俺はただの実行犯……っていうと犯罪したみたいだな。まぁこのお嬢さんに雇われた捜索隊のリーダーだ。よろしく~。あ、犯罪、したのか?」正直この人に関してはよくわからない。笑っているし、しゃべり方も気さくなようだけど、なんだかつかみどころがないように感じる。
「ええ、そうですね。ですが今回は不問にしたいと思います。」学さんがやれやれと言う体で言葉を挟む。
「あれ、和解金とかいります?」
「はぁ、いらないよ。その代わり今回のことは決して口外しないでほしい。」
「分かりました~。」
春日井さんは若い人そうに見えるけど、実際のところがどうなのかはわからない。学さんよりは年下なのか、あるいは同じくらいの年にも見える。失礼かもしれないけれど、法的にグレーなことでもお金のやり取りが発生すれば普通に引き受けそうな雰囲気はある。実際引き受けてるし。
「その、春日井さんはおまけみたいなものです。私も含め、本命は古谷教授でしょうね。えぇ。私はどうやら騙されていた、みたいですし。」綾坂さんが少しとげとげしい口調で話す。
これは、少し不服そうな顔をしているのかもしれない。綾坂さんはもともと表情がわかりにくい人だけれど、良く見るといつもより口がへの字に曲がって、眉根がぐっと寄っている。
「そうですね。うちの父ともお知り合いのようですし。実際、理央さまのことも知っているご様子ですし。」学さんが同意する。
学さんの父親とは、学さんの近くに座っている高齢の男性で先代の管理人である瀬尾正勝さんのことだ。昔はよく、この山で遊ぶたびにお世話になった。本当に久しぶりに会ったから、覚えているかはわからないけれど。
「うん、そうだね。僕は民俗学の人間だけど、昔から伝承と呼ばれるものにすごく興味があってね。いろいろと調べている間に、ここの龍神伝説のことを知ったんだ。というか都会の方で、同じ大学に通っていた正勝くんと知り合いになってね、飲み仲間にもなっていたからその時に聞いたんですよ。つまり、正勝くんと僕の関係はそんな感じだね。」
「旧友、だったんですか?」学さんが尋ねる。
「うーん、どうかな。どう思う?正勝くん。」古谷さんがにこにこしながら正勝さんに話を振る。どうにも掴みどころのない人だな。
「なんでそこで俺に振るんだ……。まぁ旧知の仲ってやつだな。古い知り合いともいうか。ただ、俺はこの通り、大学卒業した後にこっちの方に戻ってきちまったし、なんだかいろいろあったもんですっかり疎遠になっていたがな。しかし、こいつが娘を連れてやってきたときは心底驚いたもんだ。」この年代の人には良くある話なのかもしれない。正勝さんはぶっきらぼうに片づけようとしているけれど、どこか懐かしそうな表情をしているようにも見える。
「民俗学者、娘……。あれ、ひょっとしてこの本に見覚えとかってないですか?」そう切り出したのは文人さんだ。
文人さんは、鞄から例の女流作家のエッセイ集「裏山の神さま」を取り出し、テーブルの上にすっと置いた。
「ふーん?どれどれ?」最初、古谷さんは、物珍しいものでも見るかのようにその本を眺めまわしていたけれど、途端にすっと目を細めて笑いだした。
「あっはははは。あぁこれは、確かに、僕の娘が書いた本だね。いや、うん、こんなことになっていたとは。」軽快でありながら、こんなに豪快にも笑える人なのかと、僕は少しだけ驚いた。
「いやぁ、娘は自分の仕事のことを語りたがらないし、僕も把握していない部分が非常に多いとは思っていたけど。まさかこんな書籍を出版していたとはね。しかし、綾坂くんは知っていたのかね?君も何やら本がどうとか言っていたような気がしないでもないのだけど。」古谷さんが綾坂さんの方を見る。
「えぇ、はい。知ってはいましたが。証拠としてはさわり程度のものですし、導入には最適かもしれませんが語るほどのものではないと思って。はい、割愛しておりました。」
「そうかぁ。これはうっかり、見落としていたよ。僕の方もね、綾坂くんが詳しく語らないならさして重要でもないんだろうと思って、流してしまっていたからね。しかし、正勝くんたちは知っていたのかい?」
「はぁ、知るわけねぇだろう、こんなもん。正直驚いてるぞ。今後もあんたら見てぇのが出てこないとも限らねぇわけだからな。」正勝さんは心底うんざりと言った体で返答する。
「本当に、心穏やかに過ごしたいものですねぇ……。」学さんが麦茶を飲みながらため息をつく。
「この突っかかり坊主が。随分と穏やかになったじゃねぇか。」学さんの呟きを聞いて、正勝さんはまたガハガハと笑い始めた。
「その、綾坂さんは、今後どうするんですか?」僕は思い切って尋ねてみることにした。綾坂さんが僕の方に顔を向ける。
「そうですね。研究論文を作り直さないといけませんね。えぇ、まぁ、少し方向性とまとめ方を変えるだけです。」綾坂さんが淡々と答える。
「その、たいへんじゃありませんか?」
「……大変ですが、見たままをそのまま書くわけにも参りませんし、まだ期限はあるので問題はありません。」
「民俗学的な方向性でまとめるんですよね?伝承を伝承として扱うというか、これまで皆瀬村がしてきたことと同じように。」文人さんが興奮気味で話に加わる。
「そうですね、そうなりますね。さすがに、皆瀬村の秘匿する神秘について、公言することはできなくなりました。」綾坂さんは髪を耳にかけながら肯定した。
「心境の変化、ですか?」ずっと静観していた千絵美さんが尋ねる。
「えぇ、そうですね。ずっと、研究者である親を越えたいという野心のみで動いてきましたが、もう少し神秘との純粋な関わりを楽しんでみたくなりました。えぇ、解き明かすこと自体を諦めたわけではありませんので、悪しからず。」
「うんうん、綾坂くんは素質があるからね、きっとこの件以外でもいい研究成果が出せると思うよ。」古谷さんがにこやかに言葉を挟んだ。
「諦めたりとかは、しないんですね。」僕は思わず苦笑いをした。
「そうですね、神秘に出会ってしまったら、惹かれてしまうのが研究者と言うものですから。それよりも、教授がなぜ嘘をついていたのかの方が気になります。知らないふりをしていたなんて、思いませんでしたから。」綾坂さんは淡々と返答した。
さっきまで呆然自失としていたみたいなのに、切り替えの早さは相変わらず、と言う感じがする。そんなに付き合いが長いわけではないどころか、ほんとつい最近会ったばかりなのに、なんとなく綾坂さんのペースに慣れてきた自分がいる。
「おっと、さすが綾坂くん。見逃してはくれませんか。ただほんの少し、面白いことになりそうだ、と思っただけですよ。」古谷教授が笑いながら返答した。
「またお前は……。そんなんだから娘に嫌われるんだぞ。」
「嫌われてませんし、ちょっと連絡をくれないだけですよ。」古谷さんはそう言いながら少し居心地悪そうに麦茶を口にした。
「えぇ、ですから私が言いたいことはね。そういうのが必要になるタイミングだった、というだけのことです。綾坂くんだって肩の力が抜けたようですし、それなりに変化の多い事件だったのではないですか?まぁ、ここまで関係者が多くなるとは、予想外ではありましたけど。僕としては、綾坂くんがかつての娘のように、出会いの中で成長してくれたらいいなと、そう思っていただけの教授ごころだったんですよ。」古谷教授は、麦茶のグラスを持つ手を見つめたまま、静かに告げた。




