第30話:雨降らす龍は虹を呼ぶ(中編):古谷
あぁ、やはり素晴らしいな、この龍は。なんというか、神々しいというか。いや、神なのだから当たり前だというならそうなのだろう。だがそうじゃない。この龍は神じゃない。雨を降らす、という超常的な力を操ってはいるが、だからと言って本質的には神ではない。
僕はこれまで何度もこの山に足を運んできた。最初は姿を見せてもらえなかったものの、他意はない、害はないと伝え続けてなんとか姿を現してもらえた時は心底嬉しかったものだ。まれに、そういうことをしなくても龍の方から姿を見せてもらえることがあるというが、その差はいったい何なのだろうか。
目の前にいる龍は大きな体躯をきれいに折りたたんで、綾坂くんと対峙している。いや、対峙していた。今は近くに立っていた青年にすり寄っている。ここだけ見るとなんだか変な感じがするなぁ。犬とかがよくやるあれに似ている気がするじゃないか。当の綾坂くんはというと、戦意を失い呆然としてたたずんでいる。うん。やはり野心の強い綾坂くんでもああなるのか。いい知見を得たかもしれない。
「それで、お前さんはいったいどういう了見であんなに野心の強い子なんかを差し向けてきたりなんかしたんだ。弟子なのか?」隣にいる正勝くんが問いかける。
「あぁ、弟子と言えば弟子だね。少し跳ねっかえりなのがたまに傷だが。そこがいいともいえるな。それでどうしてか、と言うと、まぁこういうことになるからだね。」
「どういう意味だ。もう少しわかるようにしゃべってくれ。お前は昔からよくわからんことばかり言う。だから誤解なんぞされるんだろうが。」正勝がまた少し痛いことを言う。久々に会ったというのに、本当に彼らしいことだな。
「手痛いね。昔からならもう少し優しくしてくれてもいいだろうに。」僕は笑いながらそう言った。
「最初から知っていただろう。お前は。なのに自分の弟子には、そのことを言っていないで茶化したんじゃないのか、そうだろう。」
「茶化してなんかいませんよ。綾坂くんの考えに乗ってあげていただけです。」それは事実だった。僕は綾坂くんに対して龍を知らないふりをした。
「性格悪いな、お前。」正勝くんはふんと鼻を鳴らして見せた。
「すみません。お話し中いいですか?」へらへらとした声が聞こえてくる方を見れば、綾坂くんが手配したという捜索隊のリーダーだ。
「捜索隊の……誰だったかね?」
「春日井です~。で、あれ、なんなんです?」僕の意地悪を意にも解さぬという風に、春日井とかいう男はへらへらと返事をする。
「君が探していた龍だよ。」
「そうでしょうね。みりゃ分かりますよ、そんなの。」
「……それ以外に何があるというんだね。」
「え、何で皆さんそんなあっさり受け入れてるんです?超常現象ですよ?俺は驚いちゃって~、腰抜かすかと思いましたよ~。実際メンバーの何人かはおっかなびっくりであんぐりしてましたし~。」
「君、そんなしゃべり方だったかね?綾坂くん相手にはもう少し気取ったようなしゃべり方をしていたはずだが。」
「おや、やっぱ覚えてるじゃねぇか、爺さん。」
「爺さんではありませんよ、まだ。」
「忘れてたんならじじいだろう?そのわけぇのの言う通りだな。」隣から正勝が茶々を入れてくる。
「で、あれなんなんだよ。ほんとにいるとは思ってなかったぞ。山奥とはいえ、あんなでかいのが何の痕跡も残さずに、隠れていられるわけないだろうが。」春日井はあっさりと態度を変えて突っかかってくる。
「てか爺さん、知ってたんじゃねぇか。だったら。」
「他者の介入を必要とするタイミングがあるのですよ。僕はこの山と綾坂くんしか知りませんが、実際いいほうに転んだでしょう?」僕は笑いながら春日井を制する。
「なぜあれが隠れていられたのかは、まぁ見ていれば分かりますよ。」僕は春日井を一瞥して、再び龍に目を向ける。
青年にすり寄った後も、しばらくは綾坂くんに向かって唸り続けていた龍神だったが、すでに綾坂くんにはなんの害意もないことに気づくと、とたんにするすると人の姿に変わり始めた。
「うわ、なんだよあれ。そんなのありなのかよ。」春日井は少しばかり悔しそうにつぶやいている。
「ありなのだよ……超常現象だからね。」僕は笑いながら返答する。
小柄な人の姿になった龍神は、隣にいる凡庸な青年にしがみついている。そこだけ見ると、まるで人間の子供のように見えるのだが、推定で何千年も生きている龍と同一であることは、皮膚に張り付いている黒い鱗からうかがえる。その姿を目の当たりにした綾坂くんは、文字通り、何の言葉も発せないようだった。
「綾坂くん、神秘に触れた感想はどうですか?」僕は綾坂くんに問いかける。
「教授?あぁ、いえ、そうですね。……なんの言葉も見つかりません。どう解釈したらいいのでしょうか。」
「どうもこうも、君が探していた真実だ。嬉しくはないのかね?」
「嬉しい……あぁ、そうですね。まぁ嬉しいのかもしれません。ですが……。」
「ふむ、どうやら考えが変わったようですね。」僕は綾坂くんの反応を見て問いかけた。
「はい、そうですね。これは、我々の手には負えません。学会への提出は、中止にせざるを得ませんね。」綾坂くんはため息をつきながら答えた。それからくるりと振り返り、後ろに立っている面々に向かって、深々と頭を下げる。
「出過ぎた真似をいたしました。まことに申し訳ありませんでした。」
「まぁ、俺はすでに金もらったんで構やしねぇがな。」ほっと胸をなでおろしている面々を横目に、春日井は空気を読まない発言をする。
「ですが、あなたにもあなたのメンバー方にも、秘密にしていてもらわないといけません。追加請求が必要なら……。」
「それはいらないぜ、お嬢さん。そもそも、何の証拠もない状態では信じてもらえることの方があり得ない、だろ?」綾坂くんの律儀な提案を制しながら、へらへらと春日井は返答する。
「そうですね、だからこそ、ゆるぎない証拠を探していたんでした。」綾坂くんは、素直にそれを受け入れた。
「えっと、一件落着、ですか?」正勝くんの息子の隣に立っている、茶髪の青年が口を挟む。
「はい、一件落着といたしましょう。」それに対して、正勝くんの息子が返答した。
「ただし、こちらからもお伺いしたいことがいくつかありますので、少し座ってお話をしませんか。」正勝くんの息子の提案に、みんながうなずくのを確認して、正勝くんの息子は表に面している窓の方を指し示した。
「大人数ですし、こちらからでもよろしいでしょうか。」そう申し訳なさそうに告げる正勝くんの息子に対して、正勝くんはガハガハと言い放った。
「お前もついに適当と言うやつを覚えたな!」
「いえ、そういうわけでは。それから、初めましての方もいらっしゃいますのでご挨拶を。私はこの山の管理人、瀬尾学と申します。」礼儀正しく礼をしながら彼は名乗った。
「正勝くんの息子だとは思えないほど律儀だね。」僕は正勝くんへの皮肉も込めて、少々大きめの声で発言した。
「だからお前、そういうところだぞ、全く。」正勝くんは面倒臭そうにつぶやいた。
「俺は春日井。うちのメンバーにはお構いなく。その辺に茣蓙敷いて座らせますんで。」春日井はややぶっきらぼうに名乗った。
人化した龍を見やると、凡庸な青年のパーカーの袖を掴んで立っている。どうもあの青年は、やたらと龍に好かれているらしい。しばらく見つめていると、青年がこちらに気づいて会釈してきた。僕はにこやかに微笑んだ。
「では皆さん、こちらへどうぞ。」学くんが僕たちに行動を促した。




