第25話:雨は未だ止むことを知らず(後編):文人
あのあと僕たちは各々のやるべきことを確認して解散した。かれこれ4~5時間はいたらしく、夕時のチャイムが流れたことに僕たちは驚いた。朝陽くんは傘を持っていなかったから、ひとまず僕の傘に入れて朝陽くんを駅まで送り届けた。途中バスに乗ったとはいえ、折り畳み傘では大して豪雨が防げなかったのもあって、駅の中に入る頃にはすっかりびしょぬれになってしまった。
「それじゃあ朝陽くん、気を付けて帰るんだよ。」
「はい、ありがとうございます。その、送ってもらって。」
「いいんだよ!でも折り畳み傘じゃさすがにこの雨は無理があったね……。こんなに濡れちゃって、風邪をひかないように気を付けてね。」お互いに濡れた服を絞りながら会話する。
「なんというか本当に、そろそろ梅雨時だとは言っても、まだ大雨が降るには早いだろうに。」僕は思わずつぶやいていた。
「あの、それなんですけど、もしかしたらって思うことがあって。」
「ん?」
「この前、千絵美さんと学さんのところにいたときに、理央さま……あ、龍神の理央さまが僕たちの前に現れたんです。その時に、理央さまが雨を降らせたのをみんなで見ていました。理央さまは千絵美さんの手を引っ張って、社の裏手のさらに奥、紫陽花がたくさん植えられた泉のところまで連れて行ったんです。学さんは、そろそろ梅雨だから、と言っていました。それはつまり……。」
「つまり、この大雨は理央さまが降らせているのかもしれない?」
「はい。ちょっと突拍子もない想像かもしれないですが。」朝陽くんは少しうつむきながら話した。
「そうかもね。これまでの僕なら、好奇心で食いつくことはあってもあくまでも想像の範疇として扱っていたかもしれない。でも今は違う。直接見たわけではないとはいえ、龍の存在を見せつけられてしまったからね。正直僕は、これまでの自分を少し恥じているくらいなんだ。」それは僕にとって嘘偽りない真実だった。
「それに、君が龍と触れ合ったって言ってるんだ。信じないわけがないだろ?」
「そう、ですか。」朝陽くんは少しばかり視線をずらして首の後ろを触った。これは少し、照れているな?
「ふふっ。だからね、僕は少し君たちに感謝しているんだよ?うん。予想外の展開は多かったけれど、僕が今までに触れたことのないものに触れられた。知見を深めることができた。それは図らずも、明かされるべきではない秘密の扉ではあったけど。それでもいいんだ。君とも親しくなれたしね。」僕は彼に向かって笑いかける。
「そうですか。僕も、こんなことになって、正直少し胃が痛いけれど、良かったなって思います。学さんや、文人さんや、千絵美さんに会えたから。それに、響歌さんだって……。やり方は過激ですけど、一途で情熱的な人ですよね。」僕はその言葉に少し驚いてしまった。
綾坂響歌のやり口は決して褒められたものではない。相手はこちらをはめに来ている。法に触れようが何だろうが、ばれなければいいと思っているたぐいの人間だ。それに対して、こんな風にポジティブな解釈をする余地があるとは思ってもみなかった。
「ふふっ。あぁ、そうだね。彼女とも、いつかは和解できるといいんだけれど。」それはただの平和的解決の願望と言うだけではない。僕はもう少しだけ、彼女のことが知りたいと思った。
「それじゃあ、僕も帰ろうかな。そろそろ電車が来る時間だよね?これを逃すとまたしばらく帰れなくなるだろう?」
「あ、そうですね。すっかり忘れていました……。それじゃあ、さようなら。また、明日、ですね。」朝陽くんが照れくさそうに言う。
「そうだね、また明日。さて、僕も他にやれそうなこと、ぎりぎりまで探しておこうかな。」そう言って僕たちは別れた。
「あやにぃ、お帰り!」家に帰ると、千絵美が僕を待っていた。
「少し遅かったね?」心配そうに千絵美が言う。
「そうだね、少し込み入った事情があって。あ、そういえば、千絵美はいつ帰ってきたんだい?」
「えっと、ちょうどお昼過ぎよ。そこのバス停で降りたとたんに雨が降り出して、びしょぬれになっちゃった。そういうあやにぃは……、聞くまでもなくびしょぬれね。とりあえず先にシャワー浴びちゃいなよ。なんかあったかい飲み物、作っといてあげる。」
「そうするよ。」僕は半分服を脱いだ状態で返答した。
皮膚に張り付いた衣類を引き離すようにして裸になる。汗なのか雨なのかよくわからなくなった水滴で、体中べとべとになってしまった。キッチンの方では千絵美がなにやら鼻歌を歌っているのが聞こえる。僕は大抵クラシックばかり聞くので最近の曲には明るくないけど、千絵美は違う。かなり頻繁に音楽を聴いており、僕よりもずっと最近の流行りに詳しいくらいだ。
少し熱めのお湯を出してシャワーを浴びる。今日は本当にいろいろなことがあった。この後千絵美にも話さないといけない。でもその前に、少し一人で考えたかった。そういう意味で、浴室と言うのはうってつけの空間だ。古くから「馬上、枕上、厠上」とは言うものの、現代日本人にとっては浴室も加えるべきだろう、となんとなく思った。
浴室から出て部屋着を着る。髪を拭きながらキッチンに向かうと、千絵美がコーヒーを入れて待っていた。
「はい、あやにぃ。いつものやつ。」
「あるがとう。」そう言いながら手渡されたカップを受け取る。
湯気の立つカップから伝わってくる熱が心地いい。僕はふーふーと息を吹きかけながらコーヒーを飲む。ほっと一息ついたところで千絵美に例の話を切り出すことにした。
「ちえ、もしかして、なんだけど、最近朝から出かけてるのは、水戸上山に行ってるからだったりする?」
「え?そうだけど、何で知ってるの?」千絵美は心底驚いたような顔をする。
「えっと、詮索するつもりはなかったんだけど、実はさ、朝陽くんと学さんに聞いたんだよね。千絵美が水戸上山に通ってること。」僕はやっぱりばつが悪いなと思った。兄としては妹の出かける用事なんて、詮索したくはないものだ。
「あぁ、そうだったんだ。あれ、というかあやにぃ、朝陽くんたちと知り合いだったの?」
「そうなんだ。朝陽くんとは、彼が高校生の時からの知り合いでね。最近図書館で再開したんだよ。学さんとは水戸上山に行ったときにね。僕も龍神伝説が気になっていたから、それで。しかもそのとき、ちょうど朝陽くんも来てたタイミングでね、いろいろと偶然が重なったんだよ。」
「そうなんだ。私の方もそんな感じかな。気になることがあったから水戸上山の管理人さんにお話を聞きに行って、そこで朝陽くんと知り合ったの。ほんとにすごい偶然ね。」僕たちはしばらくお互いの偶然について語り合った。
「それで、水戸上山の龍について、なんだけど……。」僕が話を切り出すと、千絵美がほんの少し身構えたような気がした。
「あ、うん、どうかした?」
「……知りたかったことについては知れたのかな?」
「……うん、多分ね。」
「そっか。はぁ、妹と駆け引きはしたくないからズバッと言うとね、その龍が存在するって知ったばかりなんだ、僕。」どう切り出していいか分からずに、なんだか変な言い回しになってしまったような気がする。
「え?」千絵美は笑っているような動揺しているような不思議な表情をしている。うん、どっちが知ってる立場なのか、ここだけ見るとよく分からないだろうな、となんとなく思う。
「えっと、だからつまり……、学さんとは協力関係にあるから安心して欲しい。その、僕も知ってるんだ、理央さまのこと。」しどろもどろになりながらもなんとか口に出す。
「あ、あぁ、そっか!そうなんだ!え〜、すごい偶然……。でもなんて言っていいか分からないね。」千絵美はそう言ってくすくす笑った。
「えっとそれで、はぁ、今日の込み入った事情っていうのは、その理央さま絡みのことなんだ。」僕は大きく深呼吸をして、一旦気持ちを整えようとした。
千絵美は少し目を見開いたものの、僕の持つ緊迫した空気を察してか、何事かを覚悟したような顔つきになる。
「えっと、なんか大ごとみたい?だね。ちょっと座って話そう?私も紅茶を淹れてくるから、ちょっと待ってて。」
「うん。」
千絵美の聡さに救われたような気がするけれど、ここからが本題だ。もう少し理央さまについて和やかな話がしたかったけれど、それはことが終わった後にお預けだ。今回はまだ温かいコーヒーを飲み干し、僅かに心が引き締まるのを感じた。




