第24話:雨は未だ止むことを知らず(中編):朝陽
オレンジジュースを飲み干した後、僕は学さんに連絡を取ろうと考えた。スマホを取り出して、チャットアプリを開く。このアプリは電話連絡にも使える。学さんが出てくれるかわからないけれど、ひとまずかけてみることにした。
通話を開始して数コール。どうしよう、まだ出ない。気づいていないのだろうか。それとも取り込み中なのだろうか。もうさらに数コール。僕はいてもたってもいられない気になってきた。そろそろ時間切れで通話が切れるなと思っていたら、やっと通話がつながって聞きなじみのある声がした。
「もしもし、朝陽くん?どうしました?」学さんの声だ。
「あ、あの、その……。」
どう切り出すか全く考えてなかった。こんな時に躓いてしまうなんて。僕がまごまごしていると、隣にいた文人さんがそっと僕の肩をたたいた。
「朝陽くん、少し貸してくれるかい?」
「あ、はい。」僕はスマホを文人さんに渡した。
「どうも、学さんですね?僕は文人です。……はい、一緒にいます。」文人さんは僕の方をちらりと見た。
「ええ、ちょっと込み入った事情が発生しまして。……はい。そうです。では朝陽くんも会話に入れたいのでこのままスピーカーにしますね。説明は僕の方からいたしますが。……はい。ありがとうございます。」文人さんはスマホを僕との間に置き、スピーカーをオンにした。店内に気を配りつつ、二人に聞こえるぐらいの音量に調節する。
「学さん、聞こえますか?」文人さんが声をかける。
「はい、聞こえています。」スピーカーから学さんの声が聞こえる。
「では、こちらで起きた込み入った事情について説明したいのですが、その前に、綾坂響歌という女性の方は知っていますか。」
「……はい、知っています。」学さんはため息をつきながら答えた。
「あぁ、なるほど。なんとなくですが察しがつきました。この件は彼女がらみなのですね?であれば、あぁ、もちろん龍神伝説について、ということになるでしょう。それも、かなり厄介な内容の。そもそも、あなた方と綾坂響歌が知り合いだったことに驚いているのですが……。」学さんは混乱しつつも、こちらの事情についてある程度の目星をつけたみたいだった。僕はしばらく二人のやり取りを聞いていることにする。
「はい、その通りです。まぁ時間がもったいないので詳しいことは割愛するのですが、僕と綾坂さんは2か月ほど前から週1回カフェで会う程度の知り合いです。会って話す内容は、皆瀬村の龍神伝説について。お互いに興味を惹かれていた内容で意気投合した。そういう風に認識していました。」
「なるほど。」
「ですが、思っていたような関係性ではありませんでした。綾坂響歌が、フィールドワークの一環として龍神伝説を調べ、研究していたことは知っていたのですが、まさかここまで過激だとは。……本当にすみません。」
「いえ、あなたは純粋に興味を持ってくれていただけだ。それに彼女はその野心を巧妙に隠して文人君と会話していた。違うかい?それで君が責任を感じることはない。」
「ええ、その通りです。ありがとうございます。ですが、ここから先は問題外です。僕たちは事の次第を知ってしまった。それで見て見ぬ振りができなくなったんです。だからあなたに連絡を取っています。」
「……聞かせてくれ。」学さんが重たい声で返答した。
「その、まず先に言わないといけないことなんですが、学さんが隠していた龍の存在を、知ってしまいました。……間接的に、ですが。あ、でもなぜ隠していたなんて問い詰めませんよ?世の中、人に明かせないことの一つや二つくらいあるものですし、それに、あの、あれをどう扱うべきか、僕には到底判断が付きそうにない。だから、ええ、仕方がないことだと思います。むしろよく今まで表ざたにならなかったな、としか、思いません。すごいことです。」
「……知ってしまったのですね。ですが、あぁ、完全に不可抗力だったのであれば、仕方がありません。端的に申しますと、龍神は確かに存在します。神かどうかは定かではありませんが、龍という生き物としては存在している。」
「えぇ、そのようですね。綾坂響歌に、見せられました。……映像を。」
「……なんだって?」
「映像です。カメラで撮った。……盗撮です。綾坂響歌は社の周囲を盗撮していました。」
「……なんてことだ。」
「はい、だから過激だと、言ったんです。明らかに限度というものを越えている。もう興味だとか探求心だとかでは擁護のしようがありません。僕自身、龍神伝説について真実を知りたい気持ちはありましたが、正直、綾坂響歌の言動を見て、危機感の方が勝ってしまった。あのような手合いに明かされる真実が、いい結末を迎えるとは到底思えません。」文人さんの声は自然と重たくなっていった。責任感、なのかもしれない。詳しくはまだわからないけれど、文人さんなりに思うところがあったのだろうか。
「ですから、はぁ、僕ももしかしたら同じ穴のムジナかもしれませんが、それでもこの一件を傍観していることはできませんでした。少なからずですが、協力させてください。」文人さんは静かに言葉を紡ぐ。
「……分かりました。あなたの言葉を信じましょう。しかし、盗撮ですか……。」
「はい、いつ仕掛けたのかはわかりませんが、映像をPCに取り込んでいたためすでに回収されている可能性が高そうです。ただ、社の周囲を映すように配置した、と言っていましたし、まだ残された機材がないか、確認してみてもいいかもしれません。まぁ、ダメもとにはなってしまいますが。」文人さんの歯切れが少し悪くなる。
「えっと、たぶん撮影されたのはあの日ですよ。僕と千絵美さんが初めて会った日。あの日、理央さまは千絵美さんの前に龍の姿で現れましたし。それに、僕はその日、響歌さんとすれ違ったんです。階段で。彼女もその時のことを覚えていました。……それで、目をつけていたみたいです、僕に。」僕は間に割って入った。
「あぁ、確かに、その日は最近ですし、綾坂響歌が姿を見せ始めたのもそのあたりです。ただその日は、玄関先で彼女が帰るのを見ていましたので、設置したのはもう少し前かもしれません。……どうにも最近、山の中が騒がしいと思ったんです。」学さんは再びいため息をついた。
「えっと、待ってください。千絵美って言いました?倉内千絵美のことでしょうか?黒髪セミロングの、大学生の?」文人さんが少し焦ったように割り込んでくる。
「はい、倉内千絵美と名乗っていましたよ。確かに、その情報と一致しますが……どうかしましたか?」
「えっと……たぶんそれ、僕の妹かもしれません。」文人さんが恥ずかしそうにうつむく。
「……ははは!それはなんと!ふふっ、狭い世界ですね。あぁでも確かに、文人君の妹さんだと言われてみれば、納得できる部分がありますね。」学さんの声はここまでの会話の中で一番楽しそうに笑っている。
「……知らなかった。」僕は僕で、突然の新情報に驚いてしまった。
「まぁ、見せてもらった映像には映っていませんでしたが、カット編集でもしていたら、元のデータには映っていたかもしれません。千絵美が龍に会ったのなら、彼女も当事者と考えていいでしょうか。」文人さんが尋ねた。
「はい、そうですね。彼女にも事の次第を説明しないといけないでしょう。それについては、お願いしてもよろしいですか?龍については、秘密にしてもらうように約束しましたが、彼女にとっては寝耳に水の話かもしれません。」
「そうですね、わかりました。では、僕から千絵美に話しておきます。」文人さんもやっと笑顔になった。僕も心なしか少しだけ、気分が軽くなったような気がした。
「それと、もう一つ、いえむしろこちらが本命と言うべきなのですが。」文人さんが再び気まずそうに話を切り出す。
「綾坂響歌は、撮影した映像を学会に提出すると言っていました。」
「なんだって?」学さんが驚いている。
「さらに、より詳しい物証、つまり龍そのものを見つけるための探索を始めるとのことです。」
「許可を一切与えていないというのに?困ったものだな。」学さんのため息が聞こえる。
「さらに気の重い情報なのですが、探索開始は、明日だそうです。」
「なんだって?」文人さんが告げた追加情報に、学さんは文字どおり絶句している様子に見える。
窓の外がピカリと光って、ついでゴロゴロと雷が鳴った。雨はいまや豪雨の勢いだったのだけれど、そこに加えて雷雨になってしまった。これでは帰るに帰れない。店内を見渡してみると、同じように帰る機会を逃したような人たちが、ため息交じりで話す声が聞こえてくる。僕も思わず、ため息をつきそうになってしまった。
「ひとまず、情報共有は済みました。ことが起きるのは明日です。僕は明日も休みなので、もしお邪魔でなければですが、午前の早いうちにそちらまで助太刀に行こうと思います。」
「えぇ、知恵は多いほうがありがたい。よろしくお願いします。」学さんは文人さんの提案を承諾した。
「あの、僕も行きます。何ができるかわからないけど、僕も力になりたいです。」
「ありがとう、朝陽くん。ただし二人とも、くれぐれも無理と無茶はしないでくれ。彼女、綾坂響歌は十分過激だ。まだ何か手の内を隠し持っているかもしれないし、探索の規模もわからない。」
「準備することが山ほどあると言っていました。おそらく、そう簡単なものではないでしょう。」
「ふむ。悪いほうに考えておくに越したことはないな。」
「えぇ。ではまた何かあれば連絡します。あぁ、朝陽くん経由で連絡先をもらってもいいですか?」
「もちろんだよ。朝陽君、よろしく頼むね。」
「はい、わかりました。」文人さんと学さんの連携はとても頼もしいように思える。
「それじゃあ、明日。どうにかなりますように。」文人さんはまじないのようにつぶやいた。
「あぁ。さようなら。明日また会いましょう。」学さんが答える。
「はい、さようなら。」僕も続いてあいさつをした。
学さんとの通話が切れる。僕と文人さんの間には重苦しくとも程よく引き締まった空気感が流れていた。雨脚は弱まるどころか強くなって、まだしばらくは止みそうにない。ほんの少し体を冷やしたようで、少し胃がきしむような感じがしている。理央さまと出会ったときには、まさかこんな展開に発展するだなんて少しも考えていなかった。
「はぁ。」僕は少しだけ深く息を吐いて、深くカフェの椅子に沈み込んだ。ここからの展開に思いをはせて。




