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裏山の神さま  作者: Nova
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第22話:やがて雨脚は強さを増して(後編):文人

「それは、どういうことか、聞いてもいいことでしょうか。」

 カフェラテを静かに飲み込み、かろうじて振り絞るように声を出す。今日の綾坂さんはどこか不審だ。確実に、こちらの知らないことを知っている。いや、独自に調査をしているのだからそれはそうだろうが、手の内を明かさないまま情報を得ようとしている素振りがある。正直、あまり愉快な状況ではない。

 そもそも、綾坂さんが話し始めてから、黙り込んだ朝陽くんの様子が気にかかる。硬く口を噤んでしまったというよりは、口を開くべきかどうか、出方を迷っているように見える沈黙だ。やはり、この二人の間には何かある。何か、僕の知らない暗黙の事情があるに違いない。


「ええ、そうですね。構いませんよ。」

「え?」

「水戸上山の管理人、瀬尾学についてでしょう?あなたが聞いたのではありませんか。それはいったいどういう発言なのか、と。」

「え、ええ。それは、僕が聞いてもいいことでしょうか?」

「はい、ええ、まぁ。タイミングを見計らってはいましたが、今日この場で話すつもりではいましたから。もう少し言外に探ってくるかと思いましたが、意外と直球なんですね。」そう言って綾坂さんはニヤリと笑った。


「ただし、聞いたからには協力してくれ、と言いたいところですが、どうもそちらの彼の様子から察するに、あまり協力的な返事はいただけないかもしれませんね。」綾坂さんは楽しそうに笑いながら朝陽くんの方を一瞥する。

「まぁいいでしょう。物証はほぼ出揃っています。あとは当の本人に確認を取るだけ。私の研究が実を結ぶのも、残りほんのあとわずか、といったところですので。」綾坂さんは澱みなく話し続ける。僕は少しだけ眉根を寄せる。背筋に嫌な汗が流れた。


「結論から話しますと、龍の存在が確かであると証明しました。」

「え?」僕は一瞬聞き間違えたのかと思った。

「それは、いったい……。」

「物証を得ました。まぁ、まだ反論の余地がないわけではありませんが、これがあれば関係者からはもっと証言を得やすくなるはずです。」

「物証。」

 綾坂さんの言葉をオウムのように繰り返しながら、隣にいる朝陽くんをちらりと見る。その顔は分かりやすく不安げな表情に変わっていた。


「彼が黙り込んでしまうのも無理はありません。瀬尾学側の人間であるならば、秘密にしろと言い含められているはずですから。」

「えっと……、派閥争いでもしてるんですか?」僕の発言を華麗にスルーした上で綾坂さんは続ける。

「そこの彼は、管理人である瀬尾学から、龍神の秘密を聞いているはずです。でなければ何度もあの場所に出入りしない。ましてや、龍神と一緒にカメラに映ったりもしないのですから。」

「なんだって?カメラ?」あまりにも急な展開でついていけない。

「あなたはいったい何を言ってるんです?」思わずきつい口調になってしまった。


「まぁまぁ、落ち着いてください、倉内さん。」

「落ち着いて?煽っているのはそっちでしょう?」僕は思わず反論する。

「はぁ、すみません。ですが、そこまで言うならその物証とやらを、見せてもらわないわけにはいきませんね。」僕は落ち着こうと努力した。

「ええ、ですから、お見せしましょうと、最初からそう言っているではありませんか。」綾坂さんはなぜか楽しそうにしている。


「ですがまず、どうしてこの研究をするに至ったのかを説明しないといけませんね。倉内さんには話しましたが、朝陽くんには話していないわけですし。ことの発端は一冊の本です。とある女流作家のエッセイ集。そこに、皆瀬村の龍神伝説のことが書かれていました。こちらがその本です。」

 綾坂さんが取り出した本は、非常に見覚えのあるものだった。というか、何ならさっきまで見ていた本だ。いつの間にか思考の隅へと追いやっていたもの。僕は今回の集まりがこういう展開でなかったなら、真っ先にその話を持ち出していたであろうと実感していた。


「民俗学者の父を持つ女流作家のエッセイ集。表題は『裏山の神さま』。面白いものですね。ええ、非常に興味深いと思いました。この本との出会いにより、私は『龍の実在』という命題について、強く心惹かれるに至ったのです。」

「その本なら、僕も持っています。十年近く前の書籍ですよね?実は、同じものを今持ってるんです。」僕はトートバックの中から例の書籍を取り出して、テーブルの上に並べて見せた。


「この本ですよね?表紙も同じだし。確かに、この本がエッセイである以上、作者が何某か不思議な出来事に遭遇したことは否めません。それが作者本人の感受性に由来するものだとしても。そして何か説明のつかない物事について、解き明かしてみたいという気持ちも理解はできる。」

「はい。その通りです。やはり私とあなたは考え方が似ていますよね、倉内さん。ええ。この作者の話を全くその通りに鵜呑みにしたわけではありません。しかし、作者がその目と肌で感じている以上、現実か妄想かはさておきとして、きっと何かが起きたことは確かでしょう。それが龍であるかどうか。それが気になり始めたのはもう少し後のことなのですが。」


「というと?」僕は続きを促した。

「龍の鱗が見つかった、と話したことがありますよね?ほんの少し前に。」

「ええ。」

「実はそのような遺留物が発見されたのは、何もこれが初めて、というわけではなかったんです。」

「え?」

「これまでも何度か見つかっていました。ささやかながら論文や分析結果も存在します。けれど、それについて学会が真剣に取り合ったことはありませんでした。あくまでオカルト的なものと一緒にされた。このエッセイを描いた作者の父、直接的には描かれていない民俗学者は、皆瀬村の龍についての論文をいくつも提出しています。」


「なんだって?つまり……、その。」

「この作者が皆瀬村にやってきたのは父の連れでと書かれています。つまり、この時この民俗学者の父は、皆瀬村の龍神伝説を調べている真っ最中だったのでしょう。」

 それはあまりにも新事実すぎると感じた。いや、ちょっと調べれば分かったのかもしれない。僕自身が、あまりにも学術的な部分への興味関心が薄かったというべきか。というよりも、この命題に取り組んでいる学者がいたなんて、想像もつかなかったと言うべきか。

「……あなたは、その学者の研究を引き継いだつもりでいるんですか?」少し皮肉的な言い回しになってしまった。綾坂さんの言い分からすれば、何もこの学者と直接的な関係があるわけではないのだろうと思ったからだ。


「いいえ?この学者の論文はあくまで参考資料程度。私はまた、別の角度からの検証を進めております。ええ。この学者に足りなかったのは物証です。いくら論を重ねたところで、現実味のある証拠一つには敵いません。とはいえ、龍の鱗自体はこのタイミングでも複数見つかっています。それを分析しなかったとは思えません。ですが、それ単体では河童のミイラと大して変わらない。それは、あなたにも想像がつくことでしょう?」綾坂さんはニコリと笑った。


「ええ、よくわかります。いくらでも偽装が可能な以上、それだけを根拠とするには弱すぎる。第一、似たような何かを加工した可能性すら否定できない。」

「その通りです。だから私は、もっと確実な物証を求めて調査を進めておりました。ええ。誰が見ても否定のしようのない、あるいは真実らしいと思えるようなものを、用意しなくてはと思いまして。」

「まさか、映像。」

 さっき綾坂さんが言っていた、「カメラに龍神と映っている」という言葉、それが意味する内容を、僕は咄嗟に理解した。一度朝陽くんに目をやると、眉間に皺を寄せたまま、口元に手を当てている。何かを考え込んでいるような顔に見える。


「朝陽くん。」

「はい?」我に返ったような顔で朝陽くんは返事を返した。

「朝陽くんは、この本について知ってたりする?」

「……いいえ、知りませんでした。高校生ぐらいまでは読書量多かったですけど、それでも僕が読むものとはジャンルが違います。手に取ったこともありません。」

「そうか……。そうだよね。この作者についても?」

「はい。僕が読むのは男性作家が多かったので、女性作家の本は数えるほどしか……。もしかしたらどこかで名前を見たような気もしないではないですが、パッと代表作が思い浮かばないですね。」


「そうでしょう。だからこそ今まで見逃されてきたとしか。もっと有名な作家だったら、このエッセイ集だって、もう少し注目されたはずです。」綾坂さんが肯定する。

「うん、僕もそう思う。つまりこれは、隠れた名作扱い。まさしく知る人ぞ知る、という作品なんだろうね。」僕は綾坂さんに同意した。

「はい。まぁこの作品についてはきっかけ程度ですから、一旦置いておきましょう。ただ、おそらく瀬尾学はこの本について知りません。隠しておきたい情報が、こんな形で流出しているということを、彼は一体どう思うでしょうか。」

「意地の悪い言い方をしますね。」僕は綾坂響歌という人物について、今一度認識を改めた方が良さそうだと実感した。


 思考をクリアにするためにカフェラテを口に含む。ゆっくり飲み干したそれは、すでに冷め切ってしまっているがないよりマシだ。むしろありがたいとすら思う。

 窓の外に目をやると、ガラスを洗い流さんばかりに雨が降っている。この中を出歩くのは骨が折れそうだとなんとなく思った。

 綾坂さんは優雅に紅茶を飲んでいる。いつ食べたのか、すでに皿のベーグルは無くなっていた。朝陽くんも氷の溶け切ったオレンジジュースを飲んでいる。こちらのサンドイッチはパサパサになってしまっているが、全く気にした風でもなく口に運んでいる。そもそも気にしている余裕すらないんだろうな。

 本当に、ここからさらに切り込むであろう綾坂さんを前にして、僕の心はひどく沈んで重たくなってしまった。まったく、この状況をどうしたらいいだろうかと、他人事のように思うしかなかった。


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