第13話:その暗雲は予兆に過ぎず(後編):朝陽・響歌
*朝陽*
昨日の今日で、僕は再び裏山を訪れた。昼過ぎの穏やかな時間を選んで、学さんを訪ねるつもりでいた。昨日聞いたのは、この村の人たちならよく知っている何気ない伝承。たいていならば何かの寓話であるはずのこの昔話が紛れもない真実であるという事実を、文人さんは気づいたのだろうか。なんとなく不穏な胸騒ぎがして、僕はいてもたってもいられなくなった。
山道を登り切ったところで、女の人とすれ違った。僕が思わず横目で見ると、その人は僕の方を一瞥し、軽く会釈をして歩き去っていった。山道なのに、やけにフォーマルな格好をしたメガネの女性だった。後ろでまとめた黒髪が、そのキッチリ感をより印象強くしているように見えた。
僕はその人の後ろ姿をなんとなく目で追った後、気を取り直して学さんのいる管理人の家に向かった。今日は平日。とはいえ僕はまだ休学中の身でフリーだし、学さんはよほどタイミングが悪くない限りは会えるだろう。
少し歩くと管理人宅の玄関が見えてくる。そこには、なんだか考え込むように目を瞑っている学さんが、腕組みをして立っていた。
「学さん、こんにちは。」
僕が声をかけると、学さんはハッと驚いたように目を開いた。
「いらっしゃい、朝陽君。」学さんは急いで取り繕ったような笑顔で僕に応えた。
「えっと……何か、ありましたか?」
「いや、なんというか……うん、そうだね。ひとまず中に入るかい?」学さんはなんだか言いづらそうに言葉を詰まらせつつも、玄関の戸を引いて僕を中へ通そうとした。
「あ、はい。お邪魔します。」
何かあったのだろうと思いつつ、当初の予定とは大してズレていない提案だったから、僕は迷わずお邪魔することにした。
靴を揃えて玄関に上がり、今日は人の気配がしないんだなとなんとなく思う。
「今日はね、私しかいないんだ。」キョロキョロしてしまっていたのか、学さんが僕の心を読むように言った。
「そうなんですね。理央さまもいないんですか?」
僕は学さんの奥さんには会ったことがない。だからその人がいないのは当たり前に感じるけれど、理央さまが見当たらないことがなんとなく気に掛かった。
「うん、今日はまだ見かけてないんだ。すまないね。」
「あ、いえ。昨日の今日ですみません、こちらこそ。」
「構わないよ、何か気になることがあったんだろう?ひとまず、また居間に座って待っていてくれるかな。」
「あ、はい。」
僕は言われた通り、昨日通された居間に向かい、またテーブルの前に座って学さんを待った。
「お待たせ、朝陽君。」
学さんはまたお盆にお茶とお饅頭の乗った小皿を持って居間に入ってきた。けれど心なしか、昨日よりも砕けたような雰囲気に見える。昨日までは、やっぱり管理人としてかしこまっていたのだろうか。正直、堅苦しいのは得意じゃないのでありがたい。
「それで、何が気になっているのかな。」学さんが自分のカップを持ちながら切り出す。
「えっと、昨日のことなんですけど。文人さんの様子がなんだかおかしくて、上手く説明できないんだけど。もしかして、何かに気が付いたんじゃないかと思って。」僕は昨日の文人さんとのやり取りをかいつまんで学さんに聞かせた。
「ふむ。私は彼をよく知らないが、とても好奇心旺盛な若者だと思ったよ。しかし、そうか。少し警戒した方がいいかもしれないね。」と、自身も別にまだ若いであろう学さんが言う。少し下を向いて眉を寄せ、思案するような顔をしている。
「あの、そういえばさっき階段のところで女の人とすれ違ったんですけど。」と、お茶を二、三口飲んだ後で切り出してみる。
「なんだかピシッとした感じの格好をしていて、このあたりだとなんとなく、珍しいなって。」
「あぁ、その人はね、少し訳ありでね……。」学さんの顔が少し曇った。
しばらく考え込んだように沈黙した後、学さんは彼女が逢坂響歌という人物であること、龍神伝説の調査・検証に協力してほしい旨を伝えてきたことなどを僕に教えてくれた。
「正直、どうしたものかと悩んでいてね。だって、理央さまの存在は明かすわけにはいかないものだし、彼らのような研究機関を受け入れた前例なんてないわけだから。」そういうと学さんはまた沈黙してしまった。その顔は思案に暮れて疲れ切ってしまったように見える。僕はまたゆっくりお茶を飲み下してからこう切り出した。
「僕、文人さんに誘われたんですよ。龍を調べてる知り合いがいるから一緒に会って話をしないかって。その人、もしかして綾坂さんのように研究機関に所属してる人じゃないですかね。」学さんがぱっとこちらを凝視する。
「本当かい?いや、綾坂さんはまだ大学院の学生さんだって話だったけれど。まいったな。なんでこんなことになってるんだ。」学さんが少しイラついたような口調で頭を抱えた。
「ごほん、いや、すまないね。取り乱してしまって。今までこんなことはほんとになかったものでね。」
「大丈夫、わかりますよ。」
「ありがとう。それで、朝陽君は会いに行くのかい?その人に。」
「はい、文人さんの言動が少し気にかかるので……。」
「そうか。大丈夫だとは思うが、くれぐれも気を付けるんだよ。相手の立場や出方だってまだわからないんだからね。」学さんはすぐ大人の顔になって、僕の心配をしてくれた。
「はい。気を付けます。」
「うん。あ、そうだ。連絡先を教えておこうね。」そういって学さんは自分のスマホを取り出した。学さんは古風な雰囲気がある人だから少しだけ驚いた。
「ほら、何かあったらここに連絡すればいいからね。あぁ、何もなくても連絡してくれてかまわないよ。」どこかで聞いたような言葉だった。なんだかほんの少しの心細さと、ほんの少しの心強さが同居したような妙な気分になってしまった。
「おや、雨が降ってきたね。」学さんが振り返って庭の方を見て言った。そっちには縁側がある。今は引き戸が閉まっているから雨は入ってこないけど、どことなく空気がひんやりとした感じがした。
「すぐ止むと思うから、もう少しここにいるといいよ。」学さんが微笑みながら僕に言った。
いまだ姿を現さない理央さまの存在自体が、この唐突に暗く立ち込めた暗雲のように、不穏な予兆の一つであるような気がしてならない。窓の外では、しとしとと雨が降り続いている。すでに手の中でぬるくなったお茶を飲み干して、僕と学さんは静かに時が過ぎるのを待っていた。
*響歌*
「教授、やはり管理人には渋られてしまいました。」
「そうかぁ。そうだよねぇ。嫌がるよねぇ。」
「はい。調査と言われてもただの伝承だから、と。」
「ほう。やはりそういうスタンスか。」
「そうでしょうね。村としては隠しておきたいのでしょうから。」
「ただ研究者としては。」
「秘密や神秘は解き明かしてこそです。」
「よく言った!それならば期待して待つとしよう。」
「はい。任せてください。すでにカメラとセンサは設置済みです。証拠をそろえて突き付ければ、さすがに協力せざるを得ないでしょう。」
「うん。心配はいらないね。」
「はい。」
「では、期待してるからね。よろしく頼むよ。」
「はい。」
私は教授との電話を切った。電話をかける前、先ほどすれ違った青年のことを思い出す。大学生くらいだろうか。どことなく頼りなさげな風貌だった。まぁそんなことはどうでもいい。あの管理人の家にはそれなりに人の出入りがあるようだ。とにもかくにも、まずは証拠、次にあの堅物な管理人の攻略。真実は白日の下にさらされなければ意味がない。そうして私は歩き出す。龍の姿を捉えさえすれば、こっちのものではあるのだから。
歩き出して、しばらくすると雨が降り始めた。常備している折り畳み傘をとりだして開く。あの龍神は、雨を降らすとされていたはずだ。ありえない。いち生物が天候を操るだなんて。いや、そんなことを言ったら龍の存在自体がとんでもないファンタジーだ。
そんなことを取り留めもなく考えていると、思わず笑みがこぼれてしまう。あぁ、なんて気分がいい。私にとってそれは、まさしく、祝福の雨。




