表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裏山の神さま  作者: Nova
12/17

第11話:それはかつての空の下(後編):学

 目を開けた。私は一瞬、遠い昔の記憶の中へと飛んでいたらしい。手元のティーカップから立ち上る湯気を見ながら、あの日の雨音と父の笑い声を思い出したせいで、妙に感傷的な気持ちになってしまった。ツツジの花は相変わらずきれいにテーブルの上に並んでいる。それをちらっと横目で見つつ、私は文人君と朝陽君を前にして話を続けた。


「昔々の話ですが、雨が降らず、水源にも恵まれぬ、乾いた土地がありました。」

 私が語り始めた物語に対し、二人は真剣な眼差しで聞く姿勢をとっている。文人君に至ってはなんだか少し緊張しているように見える。


 そうして私はいつものように龍神伝説を語り始めた。水無き村に外つ国から舞い降りた黒い龍。それは雲に干渉して雨を降らせ、長く降り続いた雨は水源をもたらし、わずかながらも生きていた村人たちの窮地を救ったという昔話だ。救われた村人たちは田畑を起こして種を植え、豊かな実りに感謝した。

 村人たちは龍を手厚くもてなし、龍はそのまま村に居ついた。龍は決まった時期に雨を降らせ、それを見た村人たちが龍を神として祀り上げた。父から何度も聞かされ、私自身もまた何度も人に語った話だ。理央さまの真実を伝承という形で隠しつつ、けれども確かに事実のみを語り継いできたのがこの村の龍神伝説なのだ。


「そうして長きに渡り、長雨の時期になるとその龍神さまが雨を降らせ、今でも村を見守っているのだと信じられているんですよ。まぁ、よくある昔話ですけれど。ちなみにこの裏山は、龍神さまが最初に降り立った場所であると語り継がれ、またツツジは龍神さまがたいそう好まれた花だと言われています。期待に添える話だといいのですが。」そうしてにこりと微笑んだ。

「あぁだから!ここにはたくさんツツジが咲いているんですね!」文人君が興奮気味に食いついてくる。

「社も、そういう理由で……。」呟きと変わらないような小さな声で、朝陽君が相槌を打つ。


「本当に面白いですね!外から来た龍ってのが格別に不思議だなぁ。やっぱり何か特別な出来事でもあったんでしょうか。」文人君は少々前のめりになっている。

 朝陽君は少し落ち着かない様子で饅頭を口に運びながら、「うん、そうですよね。」と小さくうなずいた。彼はもうすでに理央さまと出会い、この伝承がただの昔話ではないことを知っている。少し申し訳ない気持ちになりつつも、共に秘密を守ろうとしてくれている朝陽君に、私はとても感謝した。


「特別な出来事、ですか。どうなんでしょうね。龍神伝説が起こった時期に、前例のない長雨が降ったという記録があるので、おそらくはその事象が神格化されたのかもしれませんが。それでもこの村では、雨が降りツツジの花の咲くたびに、龍神さまのおかげだって手を合わせる人もいるくらいですからね。」私はそう言ってテーブルの上のツツジの花へと目をやった。文人君が「へぇ」と感心した様子でうなずく横で、朝陽君は黙々とお茶を飲んでいた。


 その後もしばらく、文人君の好奇心に押されるままに質問攻めにあっていた。多くは龍神伝説の起源にまつわる質問だったが、いつしか話題は取り留めのない日常の話題へとすり替わっていった。図書館の仕事のことや、村の暮らしのこと、朝陽君の学生時代の関わりについて。

 文人君は気さくで明るく、和やかなムードが朝陽君の緊張を少しずつ解いていった。私はお茶をすすりながら、おとなしく二人の会話を聞いていたものの、なんだか微笑ましい気持ちでいっぱいになった。こんな風に人が集まって話すなんて、普段の山暮らしじゃ珍しいといっても過言ではない。


「そういえば、学さんってずっとこの山に住んでるんですか?」文人君がふと私に質問を投げかける。

「ふむ、基本的にはそうですが、私は一度、何年か都会に出て学問を修めました。その後で、家業を継ぐために戻ってきたんです。生まれ育った場所ですし、瀬尾の息子は私一人しかいませんからね。」私は軽く笑ってみせた。振り返るならまだしも、人を相手に過去話をするのはなんだか少し気恥ずかしい。


「へぇ、そうなんですね。僕は都会の方からきて、何度目かの引っ越しののち今住んでいる街に居つきましたけど、都会とはやっぱり違いますよね。僕は落ち着いていて好きですけれど。」文人君がそう言った。

「都会から来たなら不便をしたんじゃないかい。」私がそう彼に聞くと、「そんなことなかったですよ。」と微笑んでいた。都会に憧れた私とは反対なのだなと思っていると、いい具合に日が傾いていることに気がついた。

「そろそろ暗くなる頃ですからお帰りになった方がいいですよ。山道は慣れていても危ないですからね。」私はそう言って立ち上がり、二人に帰りを促した。


 いくつか簡単なお土産を持たせた後、朝陽君と文人君は「ありがとうございました」とそれぞれに礼を言って、並んで参道を下りて行った。私は二人を参道の階段付近まで送り、遠ざかっていく背中を見ながら手を振った。夕陽が山の稜線に沈みかけている。二人の背中はすぐにオレンジに染まっていった。そうして見えなくなると、私はふぅと息をついて踵を返した。


 その時、物陰からひょっこりと顔を出した人影に、私は思わず驚きつつも、それが例の龍神さまだと気づき、「理央さま」と声をかけた。

「あんまり驚かせないでくださいね。」私は苦笑しながら言った。理央さまは小さく首を傾げた後でにこりと笑い、私の腕に腕を回した。

「文人君が来たから隠れていたんですね。」私が聞くと、理央さまは小さくうなずいて肯定の意を示した。やはり言葉は発しないけど、会話はできる。それだけ長い付き合いだから、慣れてきたということでもあるけれど。


 隣に理央さまの存在を感じたまま、少し遠くを見るように目を細めた。辺りは徐々に暗くなっていく。

 私は大学での時間を都会で過ごした。学を修めはしたものの、またこの山に帰ってこなければならないということは、いつも心のどこかに引っかかっていた。自由な暮らしも、高度な学びも、友と語り合うための夜ふかしも、その何もかもが楽しく充実していたために、一度割り切りはしたものの、どうしても想いは揺らいでしまう。


 あれは私が二年の夏の頃、長期休暇で実家へと一時帰宅した時のことだ。戻ってきてすぐ、父に連れられて見合いの席に座らされた。相手は瀬尾家の遠縁にあたる家のお嬢さんだ。近隣の村にある有力な家で、瀬尾家と皆瀬村の龍の秘密を知っている協力者だ。


 その家から見合いに出された年の近い女性が、後の婚約者である教子さんだった。ロングの黒髪に、お淑やかな立ち居振る舞いの女性で、女性経験が未だなかった私としては、緊張してうまく話せなかった記憶がある。互いの両親が「お茶でもしながら2人で話しなさい」と気を利かせて席を外した後も、しばらくはお互いに無言で向き合ったまま、なんとはなしに時が過ぎていったのをよく覚えている。


「学さんは、今、都会の方で学ばれてるんですよね。私、そういうのに少し憧れがあるんです。」教子さんはそう言って、少し照れたように笑った。彼女もまた大学生だったが、両親との取り決めで都会には行けず、県内の大学(それでもかなり優秀なのだが)へと通っていた。


 そこからお互いの境遇へと話が進み、次第に何が好きだとか、休日にする趣味の話だとかで盛り上がるようになった。特に彼女が語った茶器の魅力が面白く感じて、またそれを語る教子自身もまた魅力的に映るようになっていった。

 それまでは見合いなんて古臭いと思っていたのに、彼女と話してるうちに、あたらしい世界が広がっていって、この人とならこの先も一緒にいられるかもしれないと密かに思った。


 その後、何度か逢瀬を重ねるうちに、私と教子さんはお互いへの想いを高めていった。その順調さを察してか、両家の親族も深く介入してはこず、二人のペースでことを進めていくことができた。

 私がもう少しで都会に帰らなきゃならないという時に、教子が理央さまに会いたいと私に言った。父に相談すると、「連れてくるなら好きにしろ。どのみち瀬尾の嫁になるためには避けて通れないことだからな。」と笑いながら返された。


 そうして教子さんを裏山に連れて行くと、その日はとても晴れた陽射しの強い日だったためか、理央さまはすぐには見つからなかった。しばらく社の周囲を散策して、小川の方へと足を向けた時にようやく私たち二人は川縁にその姿を見つけることができた。

「ねぇ、あの方が理央さまかしら?」教子が静かに呟いた。

「あぁ、その通りだ。声をかけてみるから少し待っていてくれ。」私はそう言って彼女の元から離れ、理央さまへと近づいた。


「理央さま、こんにちは。今日は暑いですね。私の……お慕いしている方を連れてきました。もしよろしければお顔を見せてはくださいませんか。」

 理央さまはパッと振り返ると、私を見て、教子さんを見た。教子は少し緊張した面持ちで佇んでいた。すると理央さまは慣れた足取りで教子の元へと走り寄り、彼女の手を握って何かを掴ませた。

「これ、もしかして龍の鱗?」教子さんが驚いた顔で私と理央さまを交互に見つめる。

 私は心底安堵した。理央さまへのお目通しが叶ったことで、彼女が瀬尾の家に迎えられる資格があると証明されたのだ。これで彼女を諦めずに済む。そこで私は、彼女への恋を自覚した。


 その後私は都会へと戻り、卒業までの時間を過ごしたが、教子さんとはやり取りを続けていた。そして私は大学卒業後に地元へと戻り、教子さんの卒業を待って婚約、1年の準備期間を経て籍を入れたのだ。

「理央さま、そろそろ教子さんが帰ってきます。しばらくここで待ちましょうか。」

 私の意識は現在に戻り、隣にいる理央さまに話しかけた。今日はやけに昔の記憶が蘇る。若い子たちと関わったからだろうか。理央さまは「もちろん」とでも言いたげな様子で笑って見せた。私も釣られて笑ってしまう。


 ふと、視界の隅に何やら動くものの影が見えたような気がした。すぐに目をそちらに向けるも、何もいない。理央さまから手を離し、影を見た薮の方を確認しにいく。誰かに見られたら厄介だ。

 しかし、そこには誰もいなかった。私は、きっと動物でもいたのだろうと胸を撫で下ろした。今は人間の姿だとはいえ、理央さまの存在を外部の人間に見られてはならない以上、警戒するに越したことはない。


「なんでしょうね、たぬきでもいたんでしょうか。」振り返り、不思議そうな顔をしている理央さまに私が言うと、理央さまは軽く首を傾げて、続いて何かに気がついたように階段の方を指差した。

 理央さまの指の先に、階段を登ってくる教子さんの姿が見えた。いつものシンプルなカーディガンに、ロングスカート、手には重そうな買い物袋と一緒に小さな紙袋を持っている。私が手を振ると、教子さんも気づいて手を振り返した。私は教子を手伝うために、階段を駆け降りて彼女の隣に立つ。


「おかえり、教子さん。遅かったね。」荷物を受け取りながら私が言うと、彼女は嬉しそうに笑った。

「ただいま、学さん。今日はね、ちょっと忙しかったのよ。でもね、帰りに美味しいお饅頭と大福を買ってきたから、後で一緒に食べましょう。」教子さんが右手に持った紙袋を軽く掲げて見せる。私はそれに微笑みながら「ありがとう、楽しみだね。」と返した。


 ふと階段上を見ると理央さまは山奥の方に帰ったようで、そこにはすでに居なくなっていた。

 家に上がると私たちは真っ先に台所へと向かう。手を洗ったり、買い物袋の中身を分類して仕舞ったりするためだ。教子さんは手を洗うと買い物袋は私に任せて部屋に着替えをしに行った。私はまずお茶を入れるための湯を沸かし、ついで買い物袋の中身を片付ける。ご飯は今から作らねばならないが、今日はどうやらカレーにする予定らしい。早速やれることをやっておこうと腕まくりをする。


 私が材料の準備をしていると、着替えを終えた教子さんが台所に戻ってきた。お湯が沸いたので火を止めると、エプロンをつけた彼女が早速お茶を入れ始める。私は引き続き手を動かしながら、今日の出来事を簡単に話して聞かせた。朝陽君と文人君が来たこと、龍神伝説を語ったこと、珍しく思い出した父との記憶など。教子さんは興味深そうに相槌を打ちながら、二人分のお茶を台所のテーブルに置いた。


「理央さまはどんな様子だった?」と彼女が聞く。

「あぁ、今日もツツジで遊んでたよ。実は、朝陽君にはすでに姿を見せてしまってね、その対応もしていたんだ。幸いと言うべきか、文人君の前には姿を現さなかったみたいだけど。」私が答えると、教子はくすっと笑った。

「なんというか気まぐれだよね、理央さまは。」彼女は湯気の立つカップを手に持って少し揺らした。

 理央さまの並べたツツジの花がまだ残っているかと思い、教子さんを連れて居間へ向かう。

「ほら、あれが今日理央さまが並べたツツジの花だよ。」と指を指す。

「あらほんと、可愛らしいわ。後で押し花にしようかしら。」


 彼女の言葉を微笑ましく思っていると、ふと窓の外から物音がした。微かな音で気のせいかとも思ったけれど、窓の外の薄暗い空間に人影がちらりと動いたような気がした。

 眉を顰めている私の様子を不思議に思ったようで、教子さんは「何かいた?」と心配そうに聞いてくる。私は首を振って、「たぶん、動物だろう。」と答えた。


 そうは言っても、流石に不安だ。人であるならば山にいるのはおかしい時間だ。動物だっているのだし、こちらの様子を伺っているような気がしないでもない。不穏な気配を振り払うように、私は窓から目を逸らした。教子さんは早速理央さまが残したツツジの花を丁寧に押し花にしてしまい込んでいる。

 穏やかな日常と何か得体の知れないものの影とが交互に折り重なって、私の中で何かが始まるような予感がしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ