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裏山の神さま  作者: Nova
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第10話:それはかつての空の下(前編):学

 居間でお茶を出し終え、朝陽君と文人君が饅頭を手に取るのを見届けた後、私は話すことを整理するために一度目をつむった。ツツジの花がテーブルに並んだままになっているのを見たとき、理央さまがどこかへ姿を隠したことを確認してほっとした。


 いや朝陽君の時と同じで、もしも文人君の前にも姿を現したのであれば、私はありのままを話して秘密にするよう告げただろう。しかし、そうではなかった。であるならば文人君に対しては、龍の真実を明かすことはできない。彼らの前では、あくまで伝承の話のみ語ろう。龍神が水無村に水をもたらした物語だ。この村の人間ならば寝物語に聞かせられる話だが、その裏にある真実を語るつもりはない。それが父から受け継いだ瀬尾の人間の役割であり、全うしなければならない使命であるからだ。


「今から話すことは、この村に古くから伝わる昔話です。」そう前置きして、いつも通り村に伝わる伝承を話して聞かせることにした。


 しかしふとツツジの花の香りとともに、ある日の記憶が蘇ってきた。それは私がまだ管理人の役目を引き継ぐ前の、うら若き学生だった頃の思い出だ。父、正勝がまだ社の管理人を務めていた頃の裏山。あの時も白いツツジの花が咲いていた。懐かしい。まだ一五を数えたばかりの頃、村を出て都会で暮らす夢ばかり見ていた頃だった。


「学、お前もそろそろ慣れておけ。この山はなぁ、俺たち瀬尾の家がずっと昔から守ってきたんだ。」

 記憶の中の父はいつものぶっきらぼうな口調でそう言って、社周辺の掃除を僕に任せた。仕方なく箒を手に持つものの、心の中では「面倒な作業だ」と毒づいていた。それでも、近くでツツジの低木を手入れしている父の視線を感じたために、渋々手を動かしていた。


 しばらく掃除をしているとそれなりに僕も真剣になってきて、周りのことも気にならないぐらいにせっせせっせと腕を動かしていた。あらかた周囲を掃き終わって、「ふぅ。」と額の汗をぬぐいながら空を見上げる。まだ初夏の頃の、さわやかな風が心地よかった。


 すると目の前の空が、なぜか急に暗くなって、真っ黒な雲が頭上を覆い空を隠した。風が止み、鳥の声が遠のいて、まるで時間が止まったような静けさに息をのむ。

「何。」

 それは雲ではなく、何か大きな物体だった。目を凝らすと光沢が見える。まさか。鱗か。信じられない光景に父を呼ぼうと振り向いた瞬間、とぐろを巻いた鱗が陽光に煌めき、大きな緑の瞳が僕を捉えた。やはりそれは龍だった。子供の頃に父から聞かされた、外つ国から来た龍が、そこにいた。


「うそ、だろ?」 震える声で呟いた僕の肩を、父が後ろから抱き込んだ。

「見たか、学。あれが瀬尾の守ってきた龍神さまだ。」 父の声は落ち着いていたが、その手はわずかに震えていた。

「やぁ、おいでなすったか、理央さま。これが息子の学でさ。」父が龍神さまに声をかける。

 しばらくするとその龍は、ゆっくりとしかし確実に人の姿へ姿を変えた。編み上げた金色の長い髪、神秘的な緑の瞳を持った異国の風貌の人影が地面に降り立ち、僕の目をしっかりと見つめていたのだ。


 しかし位置が低かった。僕はこの頃すでに一七〇を越していた。その人型の神は、僕よりはるかに背が小さい。失礼にもそんなことを考えていると、むっと眉根を寄せたその神さまが、僕の胸倉を掴んで自分の方に引き寄せたのだ。

「あ、こら!」

 僕は思わず叫んでよろけた。父はいつの間にか僕の肩から手を放していて、少し下がった位置にいた。

「お前が察して膝を屈めなかったから、ふてくされてしまわれたんだ。」

「はぁ?そんな子供みたいな、あ、いてててて。」

 その神さまは僕の髪を掴んで引っ張っていた。本当に、僕の中の威厳ある龍神さまの幻想が打ち砕かれた瞬間だった。


 ひとしきり僕の髪を引っ張った後、龍神さまは僕の髪から手を離し、ツツジの低木の方へと駆けていった。いくつか丁寧に花を摘み再び僕の方へと戻ってきて、すっと差し出された手のひらには、咲いたばかりのツツジの花と光沢のある黒緑色の石のようなものが乗っていた。何のことかと首をかしげてみていると、父が低い声で言った。


「なぁ学、理央さまが受け取れってよ。」

「え?」

「だから受け取れって。お近づきの印だよ。俺もガキんときにもらったことがあんだ。」

「そう、なのか。ありがとう、ございます?」

 よくわからないながらも受け取ると、龍神さまはにっこりと笑って僕たちの家の方へと走っていった。

「良かったな、学。これでいつでも家業を継げるぞ。瀬尾のお家を継ぐにはな、夫も妻も龍神さまに見初められなきゃいけねんだ。」

「父さんと母さんも、こんな感じで?」


「あぁそうだ。俺はガキんときだったがな。母さんも俺と付き合ってた学生の時にな、神さまに会って鱗を受け取ってんのさ。」

「そうだったんだ。」

「そんで、あの方が瀬尾で代々守ってきた龍神さまだ。あの方が、かつて水に困っていたこの村に、大量の水をもたらした。この村が今豊かでいられるのもな、あの龍神さまが雨を降らせ、水脈を維持してくれるおかげなんだぞ。」

「それは、どういう。」

 信じられない思いで聞き返すと、正勝は黙って空を見ていた。その目は何かを察したように、すっと細められ、そして僕の方を見て言った。


「お前が子供の頃に話した昔話、あれは作り物じゃない。外つ国から来た龍が水無村に降りて、涸れた土地に水と雨を呼んだ。そうしてこの山に居ついてからもずっと、俺たち瀬尾の家がこの裏山で龍神さまをお守りしてきた。しかしそれは、村の外には知られちゃならん秘密だ。」

「秘密って、嘘だろ。」 頭が混乱して言葉につまる。すると、父がにやりと笑いながら言った。

「嘘じゃねぇさ。ま、そう簡単には信じられんわな。俺だってそうだった。自分の目で見た後でさえ、そんな馬鹿なと思ったもんさ。しかしな、これが真実なんだ。普通ならあり得んと笑い飛ばすような話だがな、実際に見ちまったんだから潔く信じるほかない。まぁ、お前が髪を引っ張られたのは想定外だったがな。」父はガハガハ笑って言った。


「笑いごとじゃない!」 恥ずかしくなって思わず声を荒げる。

「おっと、雨が降るぞ。」

 家の中へと小走りで向かう父を、僕は慌てて追いかけた。家の中へ入ると雨が降り出す。間一髪だった。

「お前もいずれ、この家の役目を継がなきゃならない。絶対だ。都会で勉強するのは許す。だが戻ってこい。そして口外するな。特に村の外の者にはな。」 その言葉が、一五の僕には重すぎて、ただ茫然と立ち尽くす他はなかったのだ。


 家の中に入ると、窓の外で雨が勢いを増していた。父はいつの間にか台所で湯を沸かしていて、「茶でも飲むか。」と僕を誘った。「あれだ、確か饅頭があったよな。」

 龍神さまは一緒に居間のテーブルについて、父が茶菓子とお茶を用意するのは静かに待っているように見えた。

「なぁ、あんたはほんとに神さまなのか?」思わず小さな背中に問いかけていた。

 龍神さまは僕の方に体を向けると、考えるように首を傾げ、そして口を3度ぱくぱくと動かした。そのしぐさは何かを伝えようとしているかのように見える。


「い、お、う?」その口の開きをマネしながら発音してみる。いったい何のことなんだろう。

「神だろうが何だろうが、あの方がこの村を救った歴史は事実だからな。子供っぽく見えてもな、何百年と昔からいて、この村に水をもたらしてくれるんだ。それが一体何であれ、少なくともかつての人間にとっちゃ神としか言いようのないお方なんだよ。」父は茶菓子の饅頭の皿を静かに置いて、湯呑にお茶を注ぎはじめた。


 僕は黙って饅頭を口に入れた。頭の中ではさっきの出来事がぐるぐる回って仕方がない。ツツジの花と黒緑色の鱗を潰してしまわないよう、握っている手がまだ震えているみたいだ。

「あとな、その神さま、理央って名前なんだ。」

「え?」

「さっき、口パクで教えてくれたんだろう?学がずっと龍神さまなんて堅苦しい呼び方を呼んどるから。」

 ふと龍神さまを見ると、おいしそうに饅頭を食べている。しかし僕の方に目を向けると、饅頭をしっかり食べきってからにこりと微笑んで見せた。


「なぁ、学。お前もいつか、この家の役目を継ぐ。それが瀬尾の家のしきたりだ。都会で勉強するのはいい。だが、戻ってこい。そして理央さまと龍神の秘密を守れ。母さんもな、俺と一緒に守ると決めたんだ。お前にも、そんな相手が現れる。」

「相手って、なんのことだよ?」困惑して尋ねると、正勝は「そのうち分かるさ」と言って笑った。

 雨音が響く中、僕はまだ湯気の立つお茶を飲みながら考えていた。こんなよくわからないことのために、都会での夢を諦めるなんてできるだろうか。でも僕は、少しだけ自分の心が、この新しい現実を受け入れ始めているのに気が付いた。鱗を握る左手が、少しだけ温かくなるのを感じた気がした。


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