第9話:あるいは予兆の花が咲く:朝陽
神さまの様子が落ち着いたころを見計らって、僕は学さんの家にお邪魔した。木造の平屋で、それなりに大きい家だ。学さんが、せっかくだからと招き入れてくれたのだ。僕と神さまが居間に向かうのを見届けてから、学さんは台所にお茶を作りに行った。
居間には畳が敷いてあって、横長の木のテーブルの周りには座布団が敷いてある。そのうちの一つに僕は座った。僕の正面には雨戸があって、その向こうにはツツジの庭が見える。神さまは僕の隣に礼儀正しく座っていて、いつの間に摘んできたのか、白いツツジの花を一つずつテーブルの上に並べている。その姿はまるで遊んでいるように見える。
そういえば、僕は神さまが話しているところを一度も見たことがない。でも神さまが話すとなると、龍が人語を解すということになる。それはそれでどうなんだ。でも神さまと呼ばれているくらいだし、さっきだって龍の姿と人の姿を行ったり来たりしていたし、不思議な力で人語を習得していてもおかしくはないのでは。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか。」
玄関の方から声がしたのではっとした。大して頭が回っているわけではないのに、ぐるぐるぐるぐる考え続けてしまったみたいだ。でも、今の声は誰だろう。聞き覚えのあるような気がしたけど、学さんの代わりに玄関に出た方がいいのだろうか。
「すみません!」
声の主がもう一度声を張る。急いで向かおうと立ち上がる。その前に、台所から学さんがパタパタと出てきた。
「遅くなって申し訳ない。何用でしょうか。」
「いえ、図書館司書をしている倉内文人というものですが、こちらの管理人の方に用がありまして。どちらにいらっしゃいますでしょうか。」
「私です。私が管理人の瀬尾学と申します。倉内さん?どうぞおあがりください。ちょうどお茶の用意をしていましたので、居間の方でお待ちいただければと。」
文人さん?立ち膝をしたままの体勢で、二人のやり取りを聞いていた僕は、こちらに向かってくる足音の主に対してさっそくはてなが浮かんでしまった。あれ、僕たちはここにいていいのだろうか。ふと横を見てみると、白いツツジの花がテーブルに並んでいるだけで、神さまの姿はどこにもなかった。いつの間にか姿を消したらしい。考え事をしていたせいで気づかなかった。そうこうするうちに二人が居間に入ってきた。
「あれ、朝陽くん?」
驚いたような声の主は文人さんだった。はっと顔を向けると、メガネの奥でまん丸く目を見開いた文人さんの顔が見える。学さんも少し驚いているようだ。
「あ、どうも。」僕は思わず頭を下げる。
「久しぶりだね、というかこんなに早く会うとは思わなかったよ。」と文人さんが言った。
「おや、お二人はお知り合いでしたか。では倉内さんも座って待っていてくださいね。すぐにお茶とお菓子をお出ししますから。」
「あぁ、お気遣いありがとうございます。」
にこやかに微笑んだ学さんに対して、文人さんが返事を返す。学さんは一瞬だけ部屋を見渡してから居間を出ていった。おそらく神さまがどうしているかを確認したかったのだと思う。でも神さまは姿を隠してしまっているからか、ほんの少し安堵したように僕には見えた。
学さんの様子は、おそらく文人さんには見えなかったと思う。文人さんは龍の存在を知らないはずだから警戒しているのかもしれない。僕も少しだけドキドキしていた。隠し事をした状態で人に会うのは、あまりにも久しぶりで心臓が痛い。前にやったのはほら、小学生の時に、母さんに内緒で部屋でバッタを飼っていたとき。それぐらい昔のことだった。
「やぁ、朝陽くん。」
「あ、文人さん。今日はお休みですか。」
文人さんはいつの間にか僕の近くに座っていた。前に会ったときは図書館スタッフの格好をしていたからなんだか少し新鮮だ。白いTシャツの上にチェックのシャツを羽織っていて、自分の近くにトートバッグを置いていた。文人さんは僕の隣の座布団に正座をして、緊張したようにはにかんでいる。
「まさか君がいるなんて思わなかったよ。こんなに早く会うことになるなんてね。」
「そうですね、僕も驚きました。なんでだろうって。」
「あぁ、君にここの管理人の話を聞いたあとに、少し気になることができてね。休みだったから来てみたんだ。小さいとはいえ、山に登るのは大変だね。」そういえばそんな話をしたなと思うとともに、管理人さんの話をしたのは少し迂闊だったんじゃないかと心配になった。
「それで、気になることっていうのは。」
「失礼します。お待たせしてしまいましたね。」僕が文人さんに質問しようとしたとき、お茶とお菓子を携えた学さんが居間に入ってきた。お盆から3人分の温かい緑茶の入ったカップを、それぞれの前に置いていく。お茶菓子は数種類のお饅頭だ。
「ありがとうございます。」文人さんと僕はほぼ同時にお礼を言った。白い湯気が立ち上るカップを少しだけ自分の方に引き寄せる。口をつけようと両手でカップを持ち上げる。近くでよく見てみると、白地に淡いピンクの花模様が描き込まれた、かわいらしいカップだった。それでいて口元に入っているブルーの細いラインが涼しげで、なんだかとてもおしゃれだと思った。
「あぁ、その茶器は、私の妻が選んで贈ってくれたんですよ。かわいいでしょう。」僕がカップをじっと見つめているのに気付いたのか、正面に座った学さんが補足説明を入れてくれた。
「お茶やお菓子を選ぶのは好きなんですが、なぜか茶器には疎くてね。でも彼女がそういうのに興味がある方で、いろいろと勧めてくれるんですよ。まぁ頻繁にふるまうほど客人が来るわけではないんですが、村の人がたまにここまで上がって来るので、その時にふるまっているんです。私の家ではありますが、休憩所としても開いていましてね。」
「あれ、学さんって奥さんいたんですね。」僕は少し驚いた。
「はい、そうなんです。祖父の代から付き合いのある家のお嬢さんでね。年が近いということでお見合いをしたんです。自然な出会いではありませんでしたが、ありがたいことに意気投合しまして。こうしてお付き合いを続けております。」
「へぇ、お見合い。」と僕がつぶやくと、「なんだか古風だけど、素敵な関係性ですね。」と文人さんが続けた。
「そうですね。この村は古風な人間の方がまだ多いですから。」と言って学さんははにかんだ。
「まぁ私のことはさておき、倉内さんは私にどんな御用でいらっしゃったのですか。」
「あの、文人で大丈夫です。えっと、瀬尾さん。」
「私のことも学でいいですよ。この村で瀬尾というと父と被ってしまいますから。」
「そうですか。では学さん、龍神伝説について、知っていることを教えていただけませんか。」
僕は、学さんと文人さんを交互に見つめた。あまりにも単刀直入なように思える。そもそも、文人さんは前回会ったときにも興味のあるそぶりをしていたとはいえ、ここまでだとは思ってもみなかった。再び学さんの方を見ると目が合った。
「朝陽君、君はもう帰るかい?」
「いや、一緒に聞いててもいいですか?」
「かまいませんよ、ほらお饅頭も食べてくださいね。」学さんは小鉢を差し出しながらにこりと笑った。
「ありがとうございます。」僕は、さっと見て手近にあった栗饅頭を手に取り口に運んだ。個包装ではないタイプのお饅頭で、白くて薄い紙に軽く包まれていた。僕は小さいころからこのお饅頭が好きだった。
「それでは、何から話しましょうか。なんてことはない、ただの昔話なのですが。」そういって学さんは話し始めた。
僕は今になって急にテーブルの上のツツジの花が気になり始めた。学さんはいったいどこまで話すのだろう。たぶん、真実を話すのではないだろうけど、たまたま秘密を共有することになった身としては、そわそわするのも仕方がない。不自然にならないように取り繕うことも難しくて、僕はとにかくお饅頭を口に運んだ。うっかり余計なことを口走ってしまわないように。




