番外編:休憩室での雑談 ~聖書の外典とは?~
(収録の合間、スタジオに併設された休憩室。アンティーク調の家具が並び、壁には様々な美術品のレプリカが飾られている。中央のテーブルには、コーヒーと紅茶、軽食が用意されている。4人の対談者たちが、リラックスした様子で休憩を取っている)
(ヴォルテールがソファに深く腰掛け、壁に掛けられた一枚の絵画を眺めている。ダーウィンは紅茶を片手に窓際の椅子に座り、ルターはテーブルで聖書を開いている。ヨセフスは部屋を見回しながら、興味深そうに調度品を観察している)
ヴォルテール:「(絵画を指さして)おや、この絵は……カラヴァッジョの『ホロフェルネスの首を斬るユディト』ではないか。もちろんレプリカだろうが、なかなか見事な出来だ」
ダーウィン:「(振り返って)カラヴァッジョですか。私も彼の作品は好きです。光と影の使い方が、実に劇的ですね」
ルター:「(聖書から顔を上げて)ユディト……。ああ、あの話か」
ヨセフス:「ユディト記ですね。美しいユダヤ人女性が、敵将ホロフェルネスを誘惑し、その首を斬って祖国を救う物語」
ヴォルテール:「なかなか血なまぐさい話ですな。しかし、絵画の題材としては人気がある。アルテミジア・ジェンティレスキの作品も有名ですね」
ルター:「(少し不機嫌そうに)ユディト記は外典だ。正典には含まれていない」
ヨセフス:「外典?」
ダーウィン:「外典というのは、聖書の正典に含まれなかった文書のことですね?」
ルター:「そうだ。ユディト記、トビト記、マカバイ記……これらはカトリック教会では『第二正典』として認められているが、我々プロテスタントは正典としては認めていない」
ヴォルテール:「(興味深そうに)ほう、これは面白い話題だ。収録では触れなかったが、聖書の『外典』について、皆さんはどうお考えですか?」
(4人が自然とテーブルの周りに集まり始める)
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ヨセフス:「私の時代には、『外典』という概念自体が、まだ明確ではありませんでした。どの書物が神聖で、どの書物がそうでないか——それは、まだ議論の最中だったのです」
ダーウィン:「つまり、聖書の範囲は、最初から決まっていたわけではないのですか?」
ヨセフス:「ええ。私が生きていた1世紀、ユダヤ教にはいくつかの派閥がありました。サドカイ派はモーセ五書だけを最も重視し、ファリサイ派は預言書や諸書も重んじた。エッセネ派は独自の文書を持っていた。どの書物が『聖なる書物』かは、派閥によって異なっていたのです」
ルター:「しかし、ヤムニア会議で正典が確定したのではないか? 90年頃のことだと聞いている」
ヨセフス:「(首を傾げて)ヤムニア……。私が亡くなった頃ですね。その会議の詳細は知りませんが、確かに、神殿崩壊後、ユダヤ教の指導者たちは聖典の範囲を明確にしようとしていました」
ヴォルテール:「つまり、何が『聖書』で何が『外典』かは、人間が決めたということですね」
ルター:「(眉をひそめて)神の導きのもとに決められたのだ」
ヴォルテール:「では、なぜカトリックとプロテスタントで、正典の範囲が異なるのですか? 神の導きが二つあったのでしょうか?」
ルター:「それは——」
ダーウィン:「(穏やかに)具体的には、どのような違いがあるのですか?」
ルター:「(少し落ち着いて)カトリック教会の聖書には、トビト記、ユディト記、マカバイ記一・二、知恵の書、シラ書、バルク書が含まれている。これらはギリシャ語訳の旧約聖書——七十人訳——には含まれていたが、ヘブライ語の原典には含まれていなかった」
ヨセフス:「七十人訳は、私たちの時代には広く使われていました。特に、ヘブライ語を読めないディアスポラのユダヤ人たちの間で」
ルター:「私はヘブライ語の原典に立ち返るべきだと考えた。だから、これらの書物を『外典』——有益ではあるが、正典ではない書物——として扱うことにしたのだ」
ヴォルテール:「有益ではあるが、正典ではない。なかなか微妙な立場ですね」
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ダーウィン:「(絵画を見ながら)そのユディト記は、どのような内容なのですか?」
ヨセフス:「アッシリア帝国の将軍ホロフェルネスが、ユダヤの町ベトリアを包囲します。町が陥落寸前のとき、美しい寡婦ユディトが立ち上がる。彼女は敵陣に乗り込み、ホロフェルネスを魅了し、酔わせて、その首を斬り落とす。指揮官を失ったアッシリア軍は撤退し、ユダヤは救われる——という物語です」
ヴォルテール:「(皮肉げに)なかなか道徳的に問題のある話ですな。誘惑、欺瞞、暗殺……。これが『聖なる書物』とは」
ルター:「だから私は正典に含めなかったのだ」
ヨセフス:「しかし、この物語はユダヤ民族の抵抗精神を象徴しています。圧倒的な敵に対して、知恵と勇気で立ち向かう。ハヌカの祭りでも、この物語は語られます」
ダーウィン:「歴史的には、この出来事は実際にあったのでしょうか?」
ヨセフス:「(正直に)おそらく、創作でしょう。地理的・歴史的な詳細に矛盾が多い。しかし、創作だからといって、価値がないわけではありません。寓話として、民族の精神を伝えているのです」
ルター:「そこが問題なのだ。聖書は歴史的事実を伝えるべきものだ。創作を正典に含めれば、聖書全体の信頼性が損なわれる」
ヴォルテール:「しかし、ルター博士。ヨナ記はどうですか? 人間が大きな魚に飲み込まれて3日間生き延びる話。あれは歴史的事実ですか?」
ルター:「(少し言葉に詰まって)ヨナ記は……神の全能を示す記録だ」
ヴォルテール:「では、ユディト記も神の全能を示す記録と解釈できませんか? 弱い者が強い者に勝つ、神の助けによって」
ルター:「……」
ダーウィン:「どこで線を引くかは、確かに難しい問題ですね」
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ヨセフス:「外典といえば、私の時代にはエノク書が非常に人気でした」
ダーウィン:「エノク書? それはどのような書物ですか?」
ヨセフス:「創世記に登場するエノク——『神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった』と記されている人物——の名を冠した書物です。天使と人間の娘たちの結婚、堕天使の物語、天界の旅、最後の審判の幻視などが描かれています」
ヴォルテール:「(目を輝かせて)おお、それは興味深い。堕天使の物語ですか。ミルトンの『失楽園』にも影響を与えていますね」
ヨセフス:「エッセネ派の人々は、エノク書を非常に重視していました。死海写本からも、エノク書の断片が多数発見されているそうですね」
ルター:「しかし、エノク書は明らかに後世の創作だ。エノク本人が書いたはずがない」
ヴォルテール:「モーセ五書も、モーセ本人が書いたかどうかは疑問がありますがね」
ルター:「(苛立って)それはまた別の議論だ」
ダーウィン:「エノク書には、具体的にどのようなことが書かれているのですか?」
ヨセフス:「最も有名なのは『見張りの者』の物語です。200人の天使が人間の娘たちの美しさに惹かれ、天から降りてきて彼女たちと結婚する。その子孫が巨人族ネフィリムとなる。堕落した天使たちは人間に禁じられた知識——武器の製造、化粧術、占星術など——を教え、世界に悪が広まる。最終的に、神は大洪水で世界を清める」
ダーウィン:「なるほど、大洪水の物語と結びついているのですね」
ヴォルテール:「天使と人間の混血……。ギリシャ神話のゼウスと人間の女性の物語に似ていますね。半神半人の英雄たち」
ヨセフス:「確かに、類似点はあります。古代の人々は、超自然的な存在と人間の交わりという観念を、広く共有していたのかもしれません」
ルター:「だからこそ、これらの物語を正典に含めることは危険なのだ。異教の神話と聖書の境界が曖昧になる」
ダーウィン:「しかし、新約聖書のユダの手紙には、エノク書からの引用がありますよね? 『エノクも、これらの者について預言して言った』と」
ルター:「(驚いて)よく知っているな、ダーウィン博士」
ダーウィン:「ケンブリッジで神学を学びましたから。ユダの手紙がエノク書を引用しているなら、少なくとも初代教会ではエノク書が一定の権威を持っていたということではないでしょうか」
ルター:「……それは、認めざるを得ない。しかし、引用されているからといって、全体が正典になるわけではない」
ヴォルテール:「選別の基準が恣意的に見えますがね」
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ヴォルテール:「新約聖書の外典についてはどうですか? トマスによる福音書とか」
ルター:「トマスによる福音書は、明らかに異端だ。グノーシス主義の影響を受けている」
ダーウィン:「グノーシス主義とは何ですか?」
ルター:「物質世界は悪であり、霊的な知識によって救われるという思想だ。正統なキリスト教とは相容れない」
ヨセフス:「私の時代には、まだキリスト教は形成途上でした。様々な解釈が競い合っていた。トマスによる福音書が『異端』とされるのは、後の教会の判断ですね」
ヴォルテール:「1945年にエジプトのナグ・ハマディで発見されたそうですね。2000年近く砂漠に埋もれていた」
ダーウィン:「その福音書には、何が書かれているのですか?」
ヴォルテール:「イエスの114の語録集です。物語的な要素はほとんどなく、イエスの言葉だけが並んでいる。中には、正典の福音書と重複するものもあれば、独自のものもある」
ルター:「『女は天国に入れない。私は彼女を男にしよう』などという言葉が含まれている。明らかに異端だ」
ヴォルテール:「確かにその言葉は問題がありますが、他には深い知恵を含むものもあります。『父の王国はあなたがたの内にあり、またあなたがたの外にある』など」
ダーウィン:「それは、正典の福音書にある『神の国はあなたがたの中にある』という言葉に似ていますね」
ヨセフス:「初期のキリスト教には、多様な伝承があったのでしょう。その中から、教会が『正統』と認めたものが正典になり、そうでないものが外典や異端とされた」
ヴォルテール:「勝者が歴史を書く、というわけですね」
ルター:「そのような世俗的な見方は——」
ヴォルテール:「世俗的? しかし、ニケア公会議で聖書の正典が議論されたとき、政治的な要素がなかったとは言えないでしょう? コンスタンティヌス帝の影響は?」
ルター:「(少し考えて)……政治的な要素があったことは否定しない。しかし、聖霊が教会を導いたと、私は信じている」
ダーウィン:「政治と聖霊の導きが、同時に働くことはありえますか?」
ルター:「神は人間の営みを通して働かれる。不完全な人間の決定の中にも、神の意志が実現することはありうる」
ヨセフス:「それは、私の歴史観にも通じます。歴史の中に、人間の意志と、それを超えた何かが、共に働いている」
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ヴォルテール:「最近話題になった外典といえば、ユダの福音書がありますね」
ダーウィン:「ユダというと、イエスを裏切った弟子の?」
ヴォルテール:「そうです。2006年に内容が公開され、世界中で議論を呼びました」
ルター:「あれこそ、異端の最たるものだ。ユダを英雄として描いている」
ヨセフス:「ユダを英雄として?」
ヴォルテール:「ユダの福音書によれば、ユダはイエスの最も信頼された弟子であり、イエスの指示に従ってイエスを引き渡した、というのです。イエスの肉体からの解放を助けるために」
ダーウィン:「なんと……。正典の福音書とは、まったく異なる解釈ですね」
ルター:「だからこそ、これは危険な文書だ。キリスト教の核心——イエスの受難と贖罪——を根本から覆そうとしている」
ヴォルテール:「しかし、この福音書も、2世紀頃のキリスト教徒が書いたものです。彼らもまた、イエスについて真剣に考えていた。ただ、異なる結論に達しただけです」
ヨセフス:「歴史家として言えば、このような異なる伝承が存在すること自体が、初期キリスト教の多様性を示しています。一つの『正統』な解釈が最初から存在したわけではない」
ルター:「しかし、真実は一つだ。イエスが実際に何を言い、何をしたかは、一つしかない」
ダーウィン:「その一つの真実に、誰がアクセスできるのか。それが問題ですね」
ヴォルテール:「まさにその通りです。正典の福音書も、イエスの死後数十年経ってから書かれたものです。完全に正確な記録とは言えない。外典も、別の視点からの記録かもしれない」
ルター:「しかし、教会の伝統と聖霊の導きによって、真実の記録が選び取られた」
ヴォルテール:「それは信仰の立場ですね。歴史学の立場ではない」
ルター:「そうだ。そして、私は信仰の立場に立つ」
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ダーウィン:「議論を聞いていて、一つ質問があります」
ルター:「何かね」
ダーウィン:「外典が正典ではないとしても、それらを読む価値はあるのでしょうか?」
ルター:「(少し考えて)私は、外典を『有益で読むに値するが、聖書と同等ではない』と位置づけた。信仰の基礎としては使えないが、教化のためには役立つこともある」
ヨセフス:「私の時代の多くの文書——エノク書、ヨベル書、十二族長の遺訓など——は、当時のユダヤ人の思想を理解する上で、非常に重要です。正典かどうかに関わらず」
ヴォルテール:「私は、外典こそ読む価値があると思いますがね。正典は教会によって『公認』されたもの。外典は、公認されなかった声を伝えている。歴史を立体的に理解するためには、両方が必要です」
ダーウィン:「科学でも、主流の理論だけでなく、異端とされた説を学ぶことで、視野が広がることがあります」
ルター:「しかし、一般の信徒が外典を読めば、混乱するのではないか? 何が真実で何がそうでないか、区別がつかなくなる」
ヴォルテール:「それは、人々を愚かだと見なしていませんか? 人々には、自分で判断する能力がある。情報を隠すことで『守る』必要はない」
ルター:「隠しているわけではない。優先順位をつけているのだ」
ヨセフス:「私は、すべての文書を残すことに賛成です。後世の人々が、自分で判断すればいい。私が『ユダヤ古代誌』を書いたのも、そのためです。様々な伝承を記録し、後世に伝える」
ダーウィン:「多様な資料があることで、比較検討が可能になりますね。一つの資料だけでは見えないものが、複数の資料を比べることで見えてくる」
ヴォルテール:「まさに批判的精神ですな。私の時代に、聖書批評学が始まったのも、そのような姿勢からです」
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(休憩室のドアが静かにノックされ、あすかが顔を出す)
あすか:「皆様、そろそろ収録再開のお時間ですよ!」
ヴォルテール:「おや、もうそんな時間か。楽しい雑談でした」
ダーウィン:「私も、外典についてはあまり詳しくなかったので、勉強になりました」
ヨセフス:「私の時代の文書が、2000年後も議論されているとは……。感慨深いものがあります」
ルター:「(立ち上がりながら)外典について、私の見解は変わらない。しかし、こうして議論することには意味がある」
ヴォルテール:「おや、ルター博士が対話の価値を認めましたね」
ルター:「(苦笑して)私は最初から対話を拒んでいたわけではない。ただ、真実を譲らないだけだ」
ダーウィン:「真実を求める姿勢は、科学者も神学者も同じですね」
ヨセフス:「そして歴史家も」
ヴォルテール:「哲学者もお忘れなく」
(4人が笑いながら、休憩室を出ていく)
ルター:「(歩きながら)しかし、あのユディトの絵は見事だった。外典の物語であっても、芸術としての価値は認める」
ヴォルテール:「芸術は、正典も外典も区別しませんからね。美しいものは美しい」
ダーウィン:「自然も同じです。分類学上の位置に関わらず、美しい生物は美しい」
ヨセフス:「そして物語も。正典であろうと外典であろうと、心を動かす物語は心を動かす」
ルター:「……それは、認めよう」
(4人がスタジオに向かって歩いていく。廊下には、他の美術品のレプリカが並んでいる。ルターが立ち止まり、一枚の絵を見つめる)
ルター:「これは……レンブラントの『放蕩息子の帰還』か」
ヴォルテール:「ルカによる福音書のたとえ話ですね。これは正典です」
ルター:「(微笑んで)ああ。私の最も愛する物語の一つだ」
ダーウィン:「父親が息子を抱きしめる姿……。信仰がなくても、心を打たれます」
ヨセフス:「赦しと和解の物語。人間の普遍的なテーマですね」
ヴォルテール:「正典であれ外典であれ、人間の心に響く物語には、価値がある。それが今日の議論の結論かもしれませんね」
ルター:「……珍しく、あなたに同意する」
ヴォルテール:「(微笑んで)記念すべき日ですな」
(4人が笑いながら、スタジオへと消えていく)




