ラウンド1:聖書の成り立ち
(スタジオの照明が切り替わり、テーブル上のモニターに「ROUND 1」の文字が浮かび上がる。あすかがクロノスを操作すると、背景に古代の写本や巻物のイメージが映し出される)
あすか:「それでは、第1ラウンドを始めましょう。テーマは『聖書の成り立ち』——聖書はいつ、誰が、どのように書いたのか。そして、どのように伝えられてきたのか。この根本的な問いから議論を始めたいと思います」
(4人の対談者がそれぞれの席で姿勢を正す)
あすか:「まず基本的な情報を確認させてください。聖書は旧約聖書39巻と新約聖書27巻、合わせて66巻で構成されています。旧約聖書は主にヘブライ語で、新約聖書は主にギリシャ語で書かれました。執筆期間は約1500年に及ぶとされています」
ヴォルテール:「1500年。ずいぶん長い執筆期間ですね。一人の著者が書いた本ではないということは、最初から明らかです」
ルター:「当然だ。聖書は一人の人間が書いたものではない。神が、時代を超えて様々な人間を器として用い、ご自身の言葉を記させたのだ」
ヴォルテール:「『器として用いた』とおっしゃる。しかし、その器たちは誰なのですか? モーセ五書は本当にモーセが書いたのですか?」
あすか:「良い問いかけですね。ヨセフスさん、1世紀のユダヤ人として、聖書の著者についてどのようにお考えでしたか?」
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ヨセフス:「(少し考えてから)私たちユダヤ人にとって、聖書——私たちの時代には『律法と預言者と諸書』と呼んでいましたが——は祖先から受け継いだ神聖な文書でした」
(背景に旧約聖書の構成図が表示される)
ヨセフス:「律法、すなわちトーラーの五書は、モーセが神から直接受けた言葉を記したものとされています。出エジプトの荒野で、シナイ山で、モーセは神と語り合った。その記録がトーラーです」
ヴォルテール:「『とされています』とおっしゃいましたね。あなた自身は、それを信じていたのですか?」
ヨセフス:「信じていました。いや、信じるという言葉は適切ではないかもしれません。それは私たちにとって、空気のように当たり前の前提でした。モーセがトーラーを書いた。ダビデが詩篇を書いた。ソロモンが箴言を書いた。そう教えられ、そう信じて育ちました」
ダーウィン:「(穏やかに)しかし、現代の文献学では、モーセ五書は複数の資料から編纂されたという説が有力だと聞いています。いわゆる『文書仮説』ですね」
ヴォルテール:「その通りです、ダーウィン博士。私の時代から既に、聖書の矛盾点は指摘されていました。創世記だけを見ても、天地創造の物語が二つある。ノアの箱舟に乗せた動物の数も、章によって異なる。一人の著者が書いたにしては、あまりにも不整合が多いのです」
ルター:「(声を強めて)表面的な矛盾を指摘して、何になる? 聖書は法律文書ではない。細部の不整合があったとしても、全体として伝えようとしているメッセージの真実性は揺るがない」
ヴォルテール:「では、その『メッセージの真実性』は何によって担保されるのですか?」
ルター:「神の霊感だ」
(ルターが立ち上がり、聖書を手に取る)
ルター:「テモテへの手紙にはこう書かれている。『聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』と。聖書の著者たちは、自分の考えを書いたのではない。聖霊に導かれて、神の言葉を記したのだ」
ヴォルテール:「しかし、その『聖書はすべて神の霊感を受けて書かれた』という言葉自体が、聖書の中に書かれているわけですよね? それは循環論法ではありませんか? 聖書が正しい根拠は聖書に書いてあるから、というのは」
ルター:「(少し苛立ちを見せて)あなたは信仰というものを理解していない」
ヴォルテール:「いいえ、理解しようとしているのです。だからこそ問うているのです」
あすか:「(穏やかに仲裁して)お二人の議論は非常に重要な論点を含んでいます。聖書の権威の根拠は何か、という問いですね。ダーウィン博士、科学者の立場からはいかがでしょうか」
ダーウィン:「(慎重に言葉を選びながら)私は神学者ではありませんので、霊感について論じる資格はありません。ただ、科学者として言えることがあるとすれば……」
(少し間を置いて)
ダーウィン:「どのような文書であれ、それが書かれた時代と状況の影響を受けるものです。聖書の著者たちが、たとえ神聖な体験をしたとしても、それを言葉にする際には、彼らの時代の知識、言語、世界観を使わざるを得なかったはずです」
ヨセフス:「それは認めざるを得ません。モーセが書いたとされる創世記の創造物語は、私たちの祖先が理解できる言葉で書かれています。古代メソポタミアの創造神話との類似点も指摘されています」
ルター:「類似しているからといって、借用したとは限らない。むしろ、各民族に伝わる創造の記憶が、聖書においてもっとも正確に記録されたと考えるべきではないか」
ヴォルテール:「『もっとも正確に』とおっしゃる根拠は?」
ルター:「神がイスラエルの民を選び、ご自身の言葉を託されたからだ」
ヴォルテール:「つまり、イスラエルの民が選ばれた根拠は聖書に書いてあり、聖書が正しい根拠はイスラエルの民が選ばれたからだ、と。やはり循環していますね」
(ルターが顔を紅潮させる)
ルター:「あなたは詭弁を弄している!」
ヴォルテール:「詭弁ではありません。論理的に考えているだけです」
あすか:「少し整理させてください。ルター博士は、聖書の権威は神の霊感に基づくとお考えです。一方、ヴォルテールさんは、その根拠自体を問うています。ヨセフスさん、1世紀のユダヤ教では、聖書の権威はどのように理解されていたのでしょうか」
ヨセフス:「(落ち着いた声で)私たちにとって、トーラーの権威は疑いようのないものでした。しかし、それは論理的な証明によるものではなく、民族の記憶と伝統によるものでした」
(少し遠い目をして)
ヨセフス:「私たちの祖先は、エジプトで奴隷だった。そこからモーセに率いられて脱出した。荒野で40年を過ごし、約束の地に入った。この物語は、祭りのたびに語られ、世代から世代へと受け継がれてきました。トーラーは、その記憶の核心にあるものです」
ダーウィン:「民族のアイデンティティと深く結びついている、ということですね」
ヨセフス:「その通りです。聖書の権威を問うことは、民族の存在意義を問うことでもありました。だからこそ、簡単に疑うことができなかったのです」
ヴォルテール:「正直なお答えですね、ヨセフス。あなたは信仰と歴史の両方を見ることができる人だ」
ルター:「しかし、民族の伝統だけでは、聖書の真実性を説明できない。他の民族にも伝統はある。なぜ聖書だけが真実なのか——それは、聖書が神の言葉だからだ」
ヴォルテール:「他の宗教の信者も、同じことを言いますよ。コーランは神の言葉だ、とムスリムは言う。ヴェーダは神聖だ、とヒンドゥー教徒は言う。皆が自分の聖典だけが真実だと主張する。それをどう判断するのですか?」
ルター:「それは——」
(ルターが言葉に詰まる)
ダーウィン:「(助け船を出すように)ルター博士、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
ルター:「……何かね」
ダーウィン:「あなたが聖書を信じる理由は、論理的な証明ではないのではありませんか? もっと深い、個人的な体験に基づいているのではないでしょうか」
(ルターが少し驚いた表情を見せる)
ルター:「……あなたは、なかなか鋭いところを突く」
(少し間を置いて、声のトーンを落として)
ルター:「私がなぜ聖書を信じるか。それは、聖書が私を救ったからだ」
あすか:「救った、とおっしゃいますと?」
ルター:「若い頃の私は、神の裁きに怯えていた。どれだけ善行を積んでも、どれだけ苦行をしても、自分が救われる確信が持てなかった。地獄の恐怖に苛まれ、夜も眠れなかった」
(聖書を見つめながら)
ルター:「しかし、ローマ人への手紙を読んでいるとき、啓示を受けた。『義人は信仰によって生きる』——この言葉が、稲妻のように私を打った。救いは行いによるのではない。ただ信仰によって、神の恵みによって与えられる。その瞬間、私は解放されたのだ」
ヴォルテール:「(真剣な表情で)……それは、確かに強烈な体験だったのでしょう」
ルター:「だから私は聖書を信じる。論理ではない。聖書の言葉が、私の魂に直接語りかけてきたからだ。これを『聖霊の内的証言』と呼ぶ」
ダーウィン:「宗教体験の力強さは、私も理解できます。ただ……」
ルター:「ただ?」
ダーウィン:「その体験が、聖書の歴史的・科学的な正確さを保証するかどうかは、別の問題ではないでしょうか」
ルター:「……続けてくれ」
ダーウィン:「聖書があなたの魂を救ったことは事実かもしれません。しかし、それは聖書に書かれているすべてのことが、文字通り歴史的に起こったことを意味するのでしょうか。創世記の6日間の創造が、実際に6日で行われたことを意味するのでしょうか」
ルター:「(考え込んで)……それは、難しい問いだ」
あすか:「この問いは、後のラウンドでさらに深く掘り下げましょう。今は、聖書がどのように伝えられてきたかという点に移りたいと思います」
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あすか:「聖書の原本は、残念ながら現存していません。私たちが持っているのは、後世に書き写された写本です。この写本の伝承について議論したいと思います」
(背景に死海写本の画像が表示される)
あすか:「1947年、死海のほとりで重大な発見がありました。クムラン洞窟から、紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけての聖書写本が見つかったのです。これは『死海写本』と呼ばれています」
ヨセフス:「(驚いて身を乗り出し)私の時代の写本が、2000年後に発見されたのですか?」
あすか:「はい。ヨセフスさんが生きていた時代に書かれた写本が、乾燥した洞窟の中で保存されていたのです」
ヨセフス:「それは……なんという奇跡だ。クムランといえば、エッセネ派の共同体があった場所ではないか」
ダーウィン:「エッセネ派?」
ヨセフス:「ユダヤ教の一派です。禁欲的な生活を送り、聖書の写本を熱心に作成していました。私は若い頃、彼らのもとで学んだことがあります」
ヴォルテール:「その写本は、現在の聖書とどの程度一致しているのですか? 2000年の間に、改変されていないのでしょうか」
あすか:「良い質問です。死海写本のイザヤ書は、それまで最古とされていたマソラ本文——10世紀頃の写本——と比較されました。結果は驚くべきものでした。1000年以上の時を隔てているにもかかわらず、両者はほぼ一致していたのです」
ルター:「(勝ち誇ったように)それ見なさい! 聖書は正確に伝えられてきたのだ。神が、ご自身の言葉を守られたのだ」
ヴォルテール:「『ほぼ一致』とおっしゃいましたね。完全に一致ではない」
あすか:「細かな相違はあります。綴りの違い、語順の違い、一部の追加や省略など。しかし、内容の本質を変えるような大きな相違は見つかっていません」
ダーウィン:「それは興味深い。1000年もの間、手書きで写し続けられたにもかかわらず、ほぼ正確に伝えられたというのは、驚くべきことです」
ヨセフス:「聖書の写本作成は、非常に厳格な規則のもとで行われていました。一文字でも間違えれば、その写本は破棄された。写字生は、文字数を数え、行数を数え、あらゆる方法で正確性を確認しました」
ヴォルテール:「なるほど、人間の努力の賜物というわけですね。神の奇跡ではなく」
ルター:「神は人間を通して働かれる。写字生たちの努力も、神の摂理の一部だ」
ヴォルテール:「では、新約聖書についてはどうでしょうか。旧約聖書ほど厳格な伝承システムがあったとは思えませんが」
あすか:「新約聖書の写本状況は、実は非常に豊富です。現存する写本は約5,800以上。これは古代文献としては圧倒的な数です。比較のために言えば、ホメロスの『イリアス』の写本は約1,900、プラトンの著作は約300程度です」
ダーウィン:「数が多いということは、比較検証がしやすいということですね」
あすか:「その通りです。ただし、写本間には約40万箇所の異同があるとも言われています」
ルター:「40万箇所?」
ヴォルテール:「(皮肉げに)ほう、40万箇所も。それでも正確に伝えられたとおっしゃるのですか?」
あすか:「補足させてください。40万箇所というのは、すべての写本間の差異を累積した数字です。その大部分は、綴りの違いや語順の違いなど、意味に影響しない軽微なものです。また、明らかな書き間違いも多く含まれています」
ダーウィン:「つまり、実質的に重要な相違はどの程度なのでしょうか」
あすか:「聖書学者によれば、教義に関わるような重大な相違は、全体の1%未満とされています」
ルター:「1%未満。それならば、聖書のメッセージの核心は保たれているではないか」
ヴォルテール:「しかし、その1%未満の中に、重要な問題が含まれているかもしれませんよ」
(立ち上がり、歩きながら)
ヴォルテール:「例えば、ヨハネの福音書第8章——姦淫の女の話——あれは最古の写本には含まれていないそうですね。後から追加されたのです」
ルター:「それは——」
ヴォルテール:「マルコの福音書の最後の12節も同様です。復活後のイエスの出現を描いた重要な箇所が、後世の追加だという。これは『軽微な相違』でしょうか?」
(沈黙が流れる)
ヨセフス:「……それは、確かに難しい問題です」
ダーウィン:「私のような部外者から見ると、そのような追加や改変があったということ自体が、聖書が人間の手によって編纂されてきた証拠のように思えます」
ルター:「(苦渋の表情で)写本の伝承に問題がなかったとは言わない。人間が関わる以上、誤りは避けられない。しかし——」
(声を強めて)
ルター:「だからこそ、私は原語に立ち返ることの重要性を説いたのだ! ラテン語のウルガタ訳だけでなく、ヘブライ語とギリシャ語の原典を研究し、より正確な翻訳を作る。それが私の仕事だった」
ヴォルテール:「それは評価に値します、ルター博士。あなたの聖書翻訳は、確かに偉大な業績です」
ルター:「(少し驚いて)あなたの口から褒め言葉を聞くとは」
ヴォルテール:「私は公正でありたいと思っています。あなたが聖書を民衆の言葉に翻訳したことは、啓蒙の精神にも通じます。人々が自分で読み、自分で考える機会を与えたのですから」
ルター:「……それは、そうだ」
あすか:「翻訳という行為自体にも、解釈が入りますよね。原語の意味をどう訳すかで、メッセージが変わることもあります」
ヨセフス:「それは私も経験しました。『ユダヤ古代誌』をギリシャ語で書いたとき、ヘブライ語の聖書をどう訳すかで、何度も悩みました。言葉には、その言語でしか表現できないニュアンスがあります」
ダーウィン:「興味深いですね。つまり、私たちが読んでいる聖書は、原典そのものではなく、何重にも翻訳と解釈を経たものだということですか」
ヨセフス:「そうなります。ヘブライ語からギリシャ語へ、ギリシャ語からラテン語へ、ラテン語から各国語へ。それぞれの段階で、翻訳者の理解が反映されています」
ヴォルテール:「だからこそ、原語を知らない人々は、翻訳者の解釈を『神の言葉』として受け取ることになる。これは大きな問題ではありませんか」
ルター:「だからこそ、聖霊の導きが必要なのだ。聖書を読むとき、人間の知恵だけでは理解できない。聖霊が心を開き、真の意味を悟らせてくださる」
ヴォルテール:「しかし、聖霊の導きを受けたと主張する人々が、互いに矛盾する解釈を唱えてきたではありませんか。カトリックとプロテスタント、ルター派とカルヴァン派、それぞれが聖霊の導きを主張しながら、激しく対立してきた」
ルター:「(顔を曇らせて)……それは、認めざるを得ない」
ダーウィン:「解釈が分かれるということは、テキスト自体に曖昧さがあるということでしょうか。それとも、読む人間の側の問題でしょうか」
ヨセフス:「両方だと思います。聖書には、異なる解釈を許す豊かさがある。同時に、読む者の背景や関心によって、見えるものが変わる」
(穏やかに)
ヨセフス:「私たちユダヤ人は、聖書を一つの解釈に固定することを避けてきました。タルムードには、一つの聖句に対して複数のラビの解釈が並記されています。それは弱さではなく、豊かさだと考えていました」
ルター:「しかし、救いに関わる核心的な教えについては、明確でなければならない」
ヨセフス:「それは、そうかもしれません」
あすか:「このラウンドの議論をまとめさせてください」
(クロノスを操作し、要点を表示する)
あすか:「聖書の成り立ちについて、いくつかの重要な論点が浮かび上がりました」
(一つずつ指し示しながら)
あすか:「第一に、聖書の著者について。ルター博士は神の霊感による執筆を主張されました。ヴォルテールさんは、人間の著作であることを強調されました。ヨセフスさんは、民族の伝統と記憶の重要性を指摘されました。ダーウィン博士は、著者の時代と状況が内容に影響することを示唆されました」
(続けて)
あすか:「第二に、写本の伝承について。死海写本の発見により、旧約聖書が驚くほど正確に伝えられてきたことが確認されました。一方で、新約聖書には追加や改変の痕跡があることも明らかになりました。これをどう評価するかは、立場によって異なります」
ルター:「核心は保たれている」
ヴォルテール:「人間の手が加わった証拠だ」
あすか:「第三に、翻訳と解釈の問題。原語から様々な言語への翻訳の過程で、解釈が加わることは避けられません。聖書の意味を正確に理解するためには、どのようなアプローチが必要なのか——これは今日も続く重要な問いです」
ダーウィン:「非常に複雑な問題だということが、よく分かりました」
ヴォルテール:「複雑だからこそ、単純な答えを求めてはいけないのです。『神の言葉だから正しい』という単純な信仰も、『人間が書いたから嘘だ』という単純な否定も、どちらも知的に誠実ではない」
ルター:「私の信仰を『単純』と言われるのは心外だが……」
(少し微笑んで)
ルター:「あなたの言わんとすることは、分からないでもない。聖書は、安易に扱ってよい書物ではない。真剣に向き合い、格闘すべき書物だ」
ヴォルテール:「それについては同意します」
ヨセフス:「聖書は、何千年もの間、人々を引きつけてきました。それは、単なる歴史書や神話集以上の何かがあるからではないでしょうか」
ダーウィン:「その『何か』が何なのか。それが今夜の対話の核心かもしれませんね」
あすか:「素晴らしいまとめをありがとうございます」
(4人の対談者を見渡して)
あすか:「聖書がどのように生まれ、伝えられてきたか——この問いだけでも、これほど深い議論になります。次のラウンドでは、さらに具体的な問いに踏み込みましょう。聖書に書かれている出来事は、本当に起こったのか。歴史的な証拠は何を語るのか——」
(クロノスを掲げる)
あすか:「第1ラウンド、これにて終了です。皆様、ありがとうございました」
(照明が少し落ち、休憩を示す演出が入る)




