第18話 パンの道、広がる
◆最初の目的地
エイルの村を発って五日目。
荷車を連ねた「パン行軍」は、北西に伸びる交易路を進んでいた。
目指すは交易都市バルト。王国随一の商業拠点であり、各地から人と物が集まる巨大な市場の街だ。
ミルが肩の上で羽根を震わせる。
『空気がざわついてる。飢えじゃない……欲望の匂いだ』
「交易都市だからな。腹を空かせてなくても、欲に飢えた奴は多い」
アルドが剣を肩に担ぎながら、周囲を警戒している。
マリアは祈りを胸に抱き、ザイラスは目を細めて呟いた。
「パンは飢えを癒やす。だが、“欲望”は……どうだろうな」
◆バルトの街並み
夕刻、行軍はバルトの城門にたどり着いた。
石造りの城壁は高く、門前には数え切れぬほどの商人と旅人の列ができている。
門を通るたび、税を納めねばならない。
「パン行軍か……」
徴収役の役人が怪訝そうな目を向ける。
「通行料は高いぞ。これだけの荷車なら――」
「食わせるためのパンだ。商いじゃない」
私がそう答えると、役人は冷笑した。
「慈善か。だが、この街では慈善は“商売敵”だ。市場を荒らす気か?」
背後で人々のざわめきが起こる。
――パンを配る者が街に入れば、既存の商売が脅かされる。
◆市場の罠
ようやく街に入ったが、案の定、市場の商人たちの視線は冷たかった。
行軍の荷車に近づく者は少なく、噂だけが広がっていく。
「ただでパンを配るらしい」
「そんなことされたら商売が成り立たない」
「王都で名を上げたからって、ここでは通用しない」
その夜、行軍の宿営地に火を放たれかけた。
アルドが剣を抜いて追い払ったが、敵意は明らかだった。
「……飢えじゃない。欲の影だな」
私は呟き、窯の灰を撫でた。
火はまだ息をしている。ならば、焼けばいい。
◆“分ける”焼き
翌朝。私は窯に火を入れ、特別なパンを焼いた。
ひとつの生地を細く裂き、編み込むようにして焼き上げる。
焼き上がったそれは、表面が黄金に輝き、どこを裂いても均等に分けられる――「分け合いパン」。
「これは売るためじゃない。分けるためにある」
私は市場の中央に立ち、パンを裂いて子どもに手渡した。
子どもが笑い、さらに裂いて隣に渡す。
次々に人から人へと裂かれていき、気づけば広場全体に香りが満ちた。
「……買わなくても、欲しいものは手に入るのか」
商人の一人がぽつりと呟く。
だが別の商人が声を上げた。
「いや、違う! これを“どう広めるか”で、俺たちの商売にもなる!」
市場はざわめき、敵意は少しずつ驚きに変わっていった。
◆欲望の影
その時だった。
市場の真ん中で、黒い影が立ち上がった。
飢えではなく、“欲”そのものが形を取ったかのように。
無数の手が伸び、パンを掴んでは握り潰す。
『分け合う匂いが、奴を刺激したんだ!』
ミルが叫ぶ。
「なら――“分ける名”を刻む!」
私はラスク粉を撒き、“割”と“縁”の名を吹き込んだ。
影がパンを掴んでも、裂けて隣に渡ってしまう。
掴もうとするほど、他者へ流れていく。
欲望の影は、やがて自分の手から何も残らないことに気づき、呻き声をあげて崩れ落ちた。
◆広がる道
市場は沈黙した。
だが次の瞬間、大きな拍手が沸き起こる。
「パンを裂け!」「分けろ!」という声が飛び交い、人々が笑いながら互いに手を伸ばした。
私は深く息をつき、荷車に目をやった。
エイル村から始まった「パン行軍」の道は、確かにここでも広がった。
「……次は北の鉱山町グレインだな」
アルドが呟く。
「飢えも、欲も、まだまだ尽きそうにない」
私は頷いた。
「焼けばいい。火は覚えている。――俺たちが歩く限り、道は続く」
次回「第19話 鉱山町の闇」
交易都市バルトを後にし、次なる目的地は北の鉱山町グレイン。だが、そこでは“飢え”でも“欲”でもない、新たな影が待ち受けていた――。