第17話 村からの旅立ち
◆村の歓迎
エイルの村に足を踏み入れた瞬間、胸の奥が熱くなった。
かつて追放されたときに肩を落とし、絶望のなかで初めてパンを焼いたあの村。
その広場に、今は大勢の人々が集まり、笑顔で迎えてくれている。
「レオンが帰ってきた!」
「勇者じゃなくてもいい! 俺たちのパン屋だ!」
差し出された手を、私は一つひとつ握り返した。
――勇者ではない。ただのパン屋。
けれど、その言葉がこれほど温かく響くとは思わなかった。
◆地下からのざわめき
村の窯の灰を撫でたとき、ふと奇妙な震えを感じた。
息をしているはずの灰が、わずかに濁っている。
『レオン。……下から音がする』
ミルが囁いた。羽根が震え、風が地面を探る。
耳を澄ますと、地の奥から“腹の鳴り”のようなざわめきが届いてきた。
王都で退けたはずの飢えが、村の地下に残っている――?
「土の精霊が眠らされているのかもしれない」
私はそう呟き、窯の脇の古い地下道の扉を開けた。
◆地下の影
湿った空気。
地下通路の奥に、黒い染みのようなものが広がっていた。
それは人の形を模して揺らめき、複数の口が同時に動く。
『喉……喉をよこせ……』
村の地下に巣食った飢えの従者たち。
彼らは王の破片のような存在だった。
「逃げろ!」
私は叫び、粉袋を開けた。
“座”を撒き、影の口をその場に縫い付ける。
ミルの風が“喉”を押し込み、アルドの剣が閃く。
マリアの祈りが光を差し、ザイラスの火が影を焼いた。
しかし影は一度焼けても再び形を取り戻す。
まるで地下そのものが腹を鳴らしているようだった。
◆記憶種の継ぎ足し
「ここでは焼くしかない!」
私は窯に残っていた種を取り出した。
王都で使った“記憶種”――人々の温かさを覚えた生地。
粉と水を加え、両手で捏ねる。
地下の湿気が逆に発酵を速め、生地はぶくぶくと膨らんでいく。
「――これは“継ぎ種のパン”。過去をつなぎ、未来を膨らませる!」
焼き上がったパンを裂き、影に投げた。
影は口を開いて飲み込む――だが、その瞬間、苦悶の声をあげて崩れ落ちた。
『満ちた……? いや、“思い出”を食べさせられて苦しんでるんだ』
ミルがささやく。
影は再生することなく、粉塵となって崩れていった。
◆旅立ちの決意
地下のざわめきが静まり、土の精霊の声が再び響いた。
《ありがとう。……これで土は眠らずに済む》
窯が深く息をし、灰の熱が戻る。
村は守られた。
だが、これで終わりではない。
私は村人たちの前に立ち、告げた。
「パンの道は、ここから始まる。村から町へ、町から国へ。
俺は焼きながら歩く。――だから、共に来てくれ」
モルが荷車の棒を握り、力強く頷く。
アルドも、マリアも、ザイラスも、迷いなく前を向いた。
パン行軍は本当の意味で、ここから始まる。
次回「第18話 パンの道、広がる」
エイル村から旅立ったパン行軍。最初の目的地は交易都市バルト。しかしそこには、飢えとは違う“人の欲望”が待ち受けていた――。