第16話 パン行軍の始まり
◆出立
王都を発って三日目の朝。
私たちは荷車を並べ、パンと粉と薪を積み込んでいた。
「パン行軍」――王都からエイル村へ、そしてその先の町へ。
王国中に“焼きの道”を敷く第一歩だ。
荷車の先頭にはモル。まだ背丈も小さな少年だが、目だけはまっすぐ前を向いている。
後ろには兵士数名と、パンの見習いたち。マリアもアルドもザイラスも同行することになった。
「勇者パーティーが護衛、か。なんだか贅沢だな」
私が笑うと、アルドがむっとした顔で返す。
「護衛じゃない。……パンを食う権利を得るための、労働だ」
その言葉に周りが笑い、空気が和んだ。
◆風の道
ミルが頭上を舞い、風の糸を張る。
道の先に見えない線が引かれ、荷車の車輪が軽くなる。
土の膚を借りて舗装し、水の澄を混ぜて埃を沈め、進軍は順調に進んだ。
だが、夜の野営の時。
焚き火の向こうから、不穏な音が聞こえた。
“ぐうぅ……ぐぅううう……”
それは獣の唸りにも似ていたが、違った。
飢えた腹の鳴る音が、闇の底から這い寄ってきていた。
◆影の従者
翌朝。
林の中で、黒い影が二つ、三つと揺れ動いた。
口だけの使徒――王都で相対したものと同じ“従者”たちだ。
だが今回は、形が違った。
ひとつは腕のような影を持ち、地面のパン屑を掻き集めては喉に押し込む。
ひとつは長い舌を幾筋も伸ばし、荷車の木板を舐めては腐らせる。
「来やがったな……!」
アルドが剣を抜き、マリアが祈りを紡ぐ。
だが私は前に出て、袋からラスク粉をひと掴み放った。
「“座”!」
粉が舞い、影の従者はその場に崩れ落ちた。
喉を開き、息を吐き、動きを止める。
ミルが風で“喉”を押し込み、ザイラスが炎で残滓を焼いた。
「……王は退いたはずなのに」
マリアが震える声を出す。
『飢えはどこにでも湧く。王は姿を消しただけ。“腹の鳴り”は消せない』
ミルの声が冷ややかに響いた。
◆パンの行軍
進軍の列は少し乱れたが、私は大きな丸パンを裂いて兵たちに配った。
「食え。噛め。腹が鳴るより先に、噛む音を響かせろ」
兵士たちは頷き、噛む音を重ねた。
その音が林を満たし、影のざわめきを追い払っていく。
行軍は再び整い、荷車は村への道を進んだ。
やがて、丘の向こうに見慣れた畑の緑が広がる。
エイルの村――追放されたあの日、絶望の中で最初にパンを焼いた場所だ。
◆帰還
村人たちが駆け寄り、歓声が上がる。
「レオンが帰ってきた!」
「聖なるパン職人だ!」
私は首を振った。
「ただのパン屋だ。けど……この村から道を広げる」
窯の灰を撫でると、確かに息をしていた。
村の窯もまた、夜を覚えている。
王都と村、ふたつの窯が繋がれば――「パンの道」は本当に始まる。
私は笑って言った。
「さあ、“パン行軍”を本格的に始めよう」
次回「第17話 村からの旅立ち」
エイル村を拠点に始まるパン行軍。だが村の地下には、新たな“飢えの影”が眠っていた――。