第15話 再生の街路
◆静けさの中で
飢えの王を退けた翌朝から三日。王都はまだ疲弊していたが、不思議な静けさが続いていた。
昨夜まで響いていた悲鳴も怯えもなく、代わりに聞こえるのは――パンを噛む音。
窯の前で朝の生地を焼きながら、私はふと耳を澄ます。
噛む音は、鐘の音よりも確かだ。
噛んでいる限り、人は生きている。
『レオン、王都の“皮”は落ち着いたよ』
肩の上でミルが囁く。
『影はもう侵入できない。……でも、影を恐れる声は残ってる』
「なら、焼けばいい。声も食えるパンを」
◆壊れた竈と新しい火
王都の南区には、影の舌に呑まれて崩れた竈があった。
黒い煤が壁に残り、床石には焦げた跡が広がっている。
だが、住人の少年が火打石を持って座り込み、諦めずに叩き続けていた。
「火は……もう点かないのか」
私は近づき、壺の中の“澄”の一滴を灰に落とした。
水は静かに滲み、焦げた石を洗うように染み渡る。
次の瞬間――ぱち、と細い火花が生まれた。
「火は、まだ息をしてる」
少年の瞳に灯が宿る。
人は火を忘れない。灰が覚えているからだ。
◆パンの学校
宰相の提案で、広場に臨時の「パン教室」が開かれた。
子どもも老人も兵士も、木の台の前で粉に触れる。
指が白くなるたびに、誰かが笑った。
「粉は裏切らない。捏ねれば応える」
私はそう言い、こね台に両掌を落とす。
ずしん、と生地が返事をした。
マリアは祈りを止め、粉に触れながら涙を零す。
ザイラスは指先を白く染めながら、呪文の発音が柔らかくなった。
アルドは腕力で捏ねすぎて破れた生地を見て、苦笑した。
――“勝ってから食う”のではなく、“食うから勝つ”。
その実感が、王都の隅々まで染み渡りつつあった。
◆帰還の決意
夕暮れ、私は窯に最後の薪を足した。
旅立ちの準備だ。
エイルの村へ戻る。そこから「パンの道」を広げるために。
「レオン、本当に行くの?」
モルが不安そうに聞く。
「ああ。でも道は繋がった。王都にもまた戻る」
モルは唇を噛み、それから大きく頷いた。
「俺、ここで焼くよ。見習いだけど」
私は微笑んで頭を撫でた。
「頼んだぞ、“小さなパン屋”」
◆影の残滓
その夜。
王都の塔の影に、わずかに黒い染みが残っているのを見つけた。
ミルが眉をひそめる。
『まだ“腹の鳴り”が残ってる。王は退いたけど、飢えは消えない』
「だから道を広げる。村から町へ、町から国へ。……食わせ続ける限り、飢えは勝てない」
私はそう言い切り、灰の上に掌を置いた。
灰は熱く応え、次の焼きを待っていた。
次回「第16話 パン行軍の始まり」
エイルの村へ戻るレオン。だが、道中には新たな飢えの影が潜んでいた。パンを担いだ行軍が、ついに動き出す――!