表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/20

第13話 飢えの王、降臨

◆闇の舌


 夜半。

 王都の空を裂いて、黒い口が広がった。

 それは空というよりも“胃袋の奥”だった。

 牙のように鋭い影が塔に突き立ち、城壁を舐める舌が家々の屋根を剥ぎ取っていく。


「来たか……」

 私は窯の前に立ち、深く息を吸った。

 灰はまだ赤点を宿している。

 火は怯えず、ただ燃えていた。


『レオン。あれが、飢えの王』

 ミルが羽音を震わせる。

『昨夜までの使徒や前菜は、ぜんぶ“食欲”の一部。いま目の前にあるのは――飢えそのもの』


「焼こう。最後のパンを」


◆人々の動揺


 広場では、兵士も民も黒い舌の迫力に息を呑んでいた。

 勇者アルドが剣を掲げて叫ぶ。

「怯むな! レオンが焼いている! 俺たちが盾になる!」


 マリアは祈りを捧げ、光の膜を張る。

 ザイラスが呪文を重ね、火の矢を撃ち込む。

 だが黒い舌は、祈りも炎も飲み込み、なお肥え太って迫ってくる。


「やめろ! 食われるぞ!」

「どうせ逃げられない……」

 民の中から弱音が漏れ、列が乱れる。


「座れ!」

 私は“名持ちのラスク粉”を撒き、広場に“座”を刻んだ。

 人々はその場に腰を下ろす。

 座れば、腹は“受け入れる”準備を思い出す。

 震える声が静まり、目線が上がった。


「……レオンのパンを、待とう」

 誰かが呟き、それが広場全体の呼吸になった。


◆最後の生地


 窯の前に戻り、私は粉を捏ね始めた。

 混ぜるのは――


古い“記憶種”


土の精霊が与えてくれた「膚」


風の精霊ミルの羽の欠片


村と王都で配った、食べかけの欠片をすり潰した粉


 それらをまとめ、生地をひとつに折り返す。

 指先から心臓へ、心臓から窯へ。

 全身がひとつのこね台になっていく。


『名前をつけて』

 ミルがささやく。

『名を持つパンは、食べられない』


「名は――“世界のパン”。俺たち全員の焼きだ」


◆飢えの王、顕現


 黒い口がついに王都の中心に降り立った。

 塔の影が歪み、人の姿に似た巨体が形を取る。

 頭から胸まで裂け目が走り、そこから覗くのは終わりなき胃袋。

 飢えの王は、声にならない咆哮をあげた。


『よこせ。すべてを。思い出も、祈りも、剣も、命も』


 アルドが剣を振るう。

 マリアが祈る。

 ザイラスが炎を叩きつける。

 だがすべて、王の喉奥に飲み込まれ、力を失った。


「レオン!」

 アルドが叫ぶ。

「おまえのパンしか残ってない!」


◆焼き上がり


 窯の中で、“世界のパン”が膨らんでいた。

 皮は厚く、内側は柔らかい。

 裂け目の光を浴びても、揺るがない。


 私は扉を開き、両手でそれを抱えた。

 香りが広場に広がり、人々の胸を震わせる。


「これが俺たちの――最後の焼きだ!」


 兵士も民も、かつての勇者たちも、声を合わせて叫んだ。

「食べろ! 思い出せ! 生きろ!」


 飢えの王が舌を伸ばし、“世界のパン”を飲み込もうとする。

 だが、その瞬間――


 パンの香りが、王の胃袋に充満した。

 “満腹”という感覚。

 飢えが恐れる唯一の敵。


『――やめろ……やめろォ……!』


 王の叫びは虚空に響き、黒い口はひび割れ、裂け目そのものが崩れていった。


◆静寂


 闇が消えた。

 王都の空に、星が戻った。

 広場に座っていた人々が立ち上がり、互いに手を取り合う。


「終わったのか……?」

「生き残った……」


 アルドが剣を納め、膝をついた。

 マリアが涙を拭い、ザイラスが杖を支えながら笑う。


 私は窯の前で、“世界のパン”の残りを静かに抱いた。

 それは焼き切ったはずなのに、まだ温かかった。


『レオン』

 ミルが囁く。

『あなたの焼きで、飢えは退いた。でも……世界のどこかではまた腹が鳴る。だから――』


「だから、焼き続ける」

 私は笑った。

「俺は勇者じゃない。ただのパン屋だ。けど、このパンで――人を守る」


次回「第14話 余韻の朝」

飢えの王を退けた翌朝。王都に訪れる静けさと、人々が噛みしめる“生きている証”。そしてレオンが選ぶ道とは――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ