第1章 出会いと始まりの落下
第1話:バンジージャンプと魔王
「飛びます!飛びますッ!!」
誰に向かって言ったのか、自分でもわからなかった。ただ、この一言で、なぜか自分の背中を押せるような気がした。
地上七十メートル。鉄骨とケーブルが剥き出しのバンジージャンプ台の端に、俺――桐生大地は立っていた。
足元から吹き上げる風は冷たく、空気の密度が違って感じられる。はるか下に見える川の流れは、絵のように静かで、現実感がない。
俺はただ、飛ぶしかなかった。
就職活動は全滅。志望していた映像制作会社には書類で門前払いされ、唯一面接に進めた会社は、社員の目が死んでいた。しかもそこで出会ったのが、後に俺の記憶に焼きつく“あの社長”だった。
「やる気? そんなもん、数字に出せよ」
面接官席で吐かれたその一言に、心がすり減ったのを覚えている。
結局、仮採用されたその会社にしがみついた俺は、昼夜逆転のシフトと、無意味なパワハラ会議に耐え、気づけば半年。
彼女には「夢がない」と言われて振られ、親には「家にいないで働け」と怒鳴られた。
誰のために生きているのか、もうわからなかった。
だから俺は、この身ひとつで“飛ぶ”ことにしたのだ。
スタッフが後ろでカウントを始めた。
「3、2、1――バンジー!!」
身体が宙に浮いた。
落ちていく。
浮遊感。耳に入るのは、自分の心臓の音だけ。
その瞬間だった。
――空が、裂けた。
バチィィン!!
黒い雷が、天から俺の身体に直撃した。
「なっ、うわっ――!?」
痛みはなかった。むしろ、全身の感覚が一瞬で麻痺し、意識が“引き剥がされる”ような感覚だった。
目を開けると、そこは真っ白な空間。
いや、“空”ではなかった。
時間が止まり、重力も消え、上下左右の概念すらない。自分が浮いているのか、沈んでいるのかもわからない。
そんな空間の中に、突然――現れた。
黒マントをまとい、角の生えた男。
金の刺繍が施されたその衣服は、現代のどこにも存在しない異質さを放っていた。
「おお、ようやく来たか。我が運命のバディよ!」
「は? 誰だよあんた……っつか、ここどこ!?」
「我が名は魔王リヴェルト。長き封印より蘇った者だ。そして貴様は、我が選ばれし“堕落の伴侶”――」
「ちょっと待て、話が飛びすぎだ!!」
「では、落ちながら説明しよう!」
そう言うなり、リヴェルトは俺の手を掴み、そのまま空間の下――いや、“下っぽい”方向へ飛び込んだ。
風が吹いた。
音が戻った。
視界に色が流れ込む。
そして――俺たちは、再び落下していた。
「うわあああああああああ!!」
「ふははは、これぞデスダイブ! 高所恐怖症には堪えるぞぉぉぉ!!」
「お前が怖がってどうするんだよ!!!」
こうして、俺と魔王の、わけのわからない“落下の旅”が始まった。
第2話:空中都市アルセロスにて
数分後――あるいは数時間後かもしれない。
俺たちは空中に浮かぶ巨大な都市に“着地”した。
石畳の地面。白く輝く塔。空を自在に飛ぶ乗り物。そして、浮遊する島々が鎖のように連なって、空中に都市を築いていた。
その壮麗さに、しばし言葉を失った。
「ここが第一階層、アルセロスか……」
リヴェルトがつぶやいた。
「第一?」
「うむ。この世界は“階層構造”になっておる。空から地へと下ることで、核心へと近づける。だが、この都市に住む者たちは、そのことを知らぬ」
階層構造。地へ向かう。まるで、地獄に落ちていくような話だ。
俺たちは、都市の中心にそびえる塔――“浮遊神殿”へと向かう。
その道中、出会ったのが、巫女のような格好をした女性、フィリアだった。
「あなたたちは、風に導かれてきた人……この都市が危機にあることをご存知ですか?」
彼女はそう言って、浮遊神殿で何かが起きていると語った。
神殿では“下層への落下”を禁じる宗教――浮遊神教が力を強めており、落下という自然の摂理を“罪”と見なしているという。
空に浮かぶ都市で、地に足をつけることが禁忌とされる。
その異様さが、俺の中に疑問を残した。
なぜ“下へ行く”ことが、ここまで忌み嫌われているのか。
その答えを求めて、俺たちは再び“神殿”の中へと踏み込むことになる――。
第3話:浮遊神殿と禁じられた落下
浮遊神殿は、都市の中央にそびえる巨大な構造物だった。高く聳え立つその塔は、白銀の光を放ちながら空を貫き、周囲の雲さえも避けて流れていた。
俺たちはその入口に立った。
神殿の門は開かれており、中には礼拝堂のような空間が広がっていた。内部はひんやりと冷たく、石の壁には数多の浮遊図が刻まれている。その中心には巨大な浮遊石が宙に浮き、僧衣を纏った人々が黙々と祈りを捧げていた。
「ようこそ、導かれし者たちよ」
現れたのは、老いた司祭だった。背筋を伸ばし、長い髭を揺らしながら、俺たちを見下ろしてくる。
「汝らは“地”を求めに来たのか?」
「いや、ただ……知りたいだけだ。なぜ、落ちてはいけないのか」
俺の問いに、司祭はわずかに目を細めた。
「地とは“堕落”の象徴。空は神の意志。我らは上に在ることで、穢れから逃れたのだ」
理屈は通っているようで、どこか狂気を孕んでいた。俺は一歩前に出た。
「でも、落ちるって、そんなに悪いことか? 俺は……この旅で、確かに“何か”を見つけてる気がする」
「それこそが堕落の第一歩。我らの信仰を否定するならば、止めねばならぬ」
その言葉とともに、司祭が手を掲げる。
神殿の壁が割れ、背後から複数の神官たちが姿を現した。彼らの手には杖、空中を滑るように接近してくる。
「リヴェルト、やるぞ!」
「待ってました!」
魔王の指先から黒き炎が生まれ、空中で旋回した神官の一人に直撃。空気が裂ける音が響く。
俺も拾った剣を握りしめて前に出る。剣なんてまともに扱ったことはない。それでも、なぜか身体が覚えていた。あるいは、落下の中で染みついた“本能”か。
戦いのさなか、フィリアが駆けつけてきた。
「この神殿には、“地へ落ちる道”が封じられている扉があるの!」
「じゃあ、突破するしかないってことか……!」
激しい戦闘の末、俺たちは神殿の奥へと突き進む。
そして、巨大な扉の前に辿り着いた。
フィリアが祈りの言葉を捧げると、封印がゆっくりと解かれ、扉がきしむ音を立てて開いていく。
その先には、底の見えない深淵が広がっていた。
俺たちは、もう迷わなかった。
「行こう、リヴェルト」
「うむ。我らの旅は、まだ始まったばかりだ」
そして、俺たちは再び――落ちた。
第4話:崩壊と再落下
俺とリヴェルトの身体は、深淵へと吸い込まれていった。
風がない。重力だけが、はっきりと存在していた。静寂と圧迫。時間が止まったような感覚と共に、浮遊神殿が遠ざかっていく。
見上げれば、扉の奥でフィリアが立っていた。白い装束が風にたなびき、その手を強く握っている。
「あなたたちが、道を切り開いた。私たちは、もう“落ちる”ことを恐れない!」
その声が届いたかどうかは、わからない。だが彼女の笑顔が、確かにそう語っていた。
そして次の瞬間――
ゴオォォォン、と音を立てて、神殿の柱が崩れた。
浮遊神殿の上層部が大きく傾き、石造りの塔がゆっくりと裂け始めたのが見えた。神殿を支えていた重力制御の核が失われたのだ。
アルセロスが、崩れ始めている。
「まさか、ここまでとはな……」
リヴェルトが小さくつぶやいた。
都市のあちこちで建物が歪み、空を泳いでいた浮遊島が落下していく。都市を支えていた“浮遊石”たちが、次々と輝きを失っていた。
その光景を、俺は息を飲んで見つめていた。
――これは、俺たちが選んだ結果だ。
けれど。
けれども、それでも――
「落ちて良かったって、いつか思えるようにしたい」
誰に言うでもなく、俺はつぶやいた。
足元に、渦巻くような気流が発生する。下へ、もっと下へ。視界が歪み、風が身体を叩きつけるように吹き荒れた。
リヴェルトが、俺の肩に手を置いた。
「さて、大地。次はどこに着地すると思う?」
「どこでもいい。俺は……まだ、落ちていたい」
「よろしい。ならば共に、さらなる堕落の深淵へ!」
俺と魔王は、重力に身を任せて再び飛び込んだ。
その先に何があるのかは、まだ知らない。
だがきっと――そこにも、“俺自身”が待っている気がした。
ふたりは笑いながら、次なる階層――“風の渓谷”へと、落ちていった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
バンジージャンプから始まる異世界転移、そのまま空中都市へ“デスダイブ”するという、テンポ重視の1章でした。
魔王がちょっとポンコツだけど頼れる存在、主人公が徐々に成長していくタイプというバディ構成で、次章からは少しずつ「世界の謎」や「主人公の正体」も描いていきます。
次回:
第2章 風の渓谷と羽根の民
投稿は毎週日曜日更新予定です。次回もよろしくお願いします!