第6話『潮風ラメント』
日影が雪道を歩いている頃、轟雷と月向はとある漁村へと向かっていた。
樂緣の城を出たのが昼頃だっただろうか、それから随分と歩いている。
「まさか夜になるとは思わなかったな。移動手段が欲しい物だ」
あいも変わらず交通費は出ない。最寄りの駅すら無いような場所へ行くとはいえ、なら直接転送くらいしてくれないものかと思う。両者ともにそのような力がない為に徒歩なのだ。
とはいえ月向に関していえば無尽蔵の体力を持つ故に何ら苦でもない。ただ体力不足の目立つ轟雷に合わせるために月向もゆっくり歩を進めていた。
「転移を持つ鬼は希少だからな……せめて西葛西の鉄道マニアか押野の航空機持ちの鬼でも雇えれば良いものを」
月向が想い馳せたのは過去に会ったことのある鬼達だった。瞬間移動や転送等の能力は非常に稀であるが、乗り物を所持している鬼自体は少なくない。所謂趣味で走らせる者、外法自体が乗り物な者の2パターン。特に後者は路線自体を自由に敷く事が多く便利の一言であった。
そんな言葉を聞きながら轟雷は関心を寄せていた。
「凄いなぁ。俺、鬼の方で電車とか乗った事ないかも」
轟雷は好んで人間に混じって生活するタイプの鬼だった。故に現世の交通機関は使ったことがある。
「お前人の世界に留まりすぎるのはやめておけよ。鬼だとバレたら酷い殺され方をする」
「それよく聞くけどなんでなの? 鬼が無条件に退治されるのはおかしいと思うけど」
「化け物ってだけで役満だ。それに角は妙薬、心臓は鉱石……鬼によっては血自体が薬になる奴も居る。生かしておく利点もないんだろ」
それはなんとも嫌な理由だな、と轟雷は眉間に皺を寄せた。自分が活動する範囲では実例など聞かない噂話、だがなるほど鬼の体は随分金になる。少々金に困ったら売ってみるのもありかもしれないなぁ、とあまり宜しくない考えに至った。
それを見透した様に月向は轟雷の眉間を指で押した。
「馬鹿なことを考えるんじゃない。俺達は人を害せない、下手に捕まれば搾り取られて終わりだ」
「ごめん。つい……月向さんは詳しいね」
「月向で良い。もしくは様にしろ、お前とは同格じゃないからな」
とんでもないセリフである。それを表情を崩すことなく言ってみせた。右目が閉じられ弧を描いている分笑っているように見えるが、口元を見ればそんなことは無い。心底真面目にそう言っているのだ。轟雷は慄いた。
「うわかなり自惚れ屋だ。遠慮なく月向って呼ばせてもらうわ」
素直に呼び捨てを選んだ。よし、と月向は頷き『あ、これで良いんだ……』と轟雷は不思議な気持ちになった。言ってしまえば目の前の男が不思議生物に見えてくる。
「それで、なんで詳しいかといえば年の功」
「お爺ちゃん……?」
「現存する最古の鬼ではないかと実しやかに囁かれている。お前本当に知らないんだな」
やれやれ、と言った雰囲気で月向は轟雷を見た。考えている風に視線が斜め上に向けられている姿を見て、『コイツはもしかして鬼に成り立てなのかもしれない』と思った。尤も月向の発言に誇張が含まれているのもあったが。
対する轟雷は、結局思い当たる節がなく月向に視線を戻す。
「なんでそんな人がこんな所にいるのか謎に思ってるくらいだ。最古、サイコ……」
「轟雷お前……意外と辛辣な奴だな。気の良さそうな顔して」
「うーん、まぁほら俺も育ちは良くないから」
――今こいつ『俺も』って言ったな。ツッコミを入れたくなったが自分はそんなキャラじゃないのでやめた。
「此処が、漁村か……確かに人の気配はないな」
雑談しながら歩いていればついに到着した。
早速辺りを見回すも灯りがない。戸が空いたままな家が散見された。これは確かに廃村といっても間違いではないだろう。
家屋の方に近寄りながら地面を確かめる。
「血の跡はない……。野党に襲われた……とかじゃなさそう。目ぼしいものも無さそうだし」
立て付けの悪い引き戸を開け轟雷は踏み込む。塵は積もっていないがまるで廃屋の様なボロさ。僅かに置かれる食材はしみはじめている。
「空き巣かお前は」
「証拠は見にくいところに残ってるものですよ」
そんな台詞を吐きながら堂々と棚やら釜戸やらを開けていく轟雷。どう見ても犯罪の匂いがする。勿論そんな前科はないが常識人風な男の突拍子もない行動は衝撃があるのだ。これが月向なら誰も驚かないだろう。
早々に家屋に人は居ないと断定した月向は海の方へと目を向ける。
「……まぁ海の方だろうな、海難事故が増えたって神使も言ってたし」
「それってこの村の人が消えてから、だっけ。日影さんが言う様に磯撫でとか?」
轟雷もその言葉に捜索を止めて海を見る。
城を出る前、日影は『磯撫ででも出たのかな、鯨の肉は美味しいよね』等と言った。それがなんとなく頭に残っていたのだ。竜田揚げが食べたいなと。だがそれは発言者の相方でもある月向によって否定される。
「妖怪がそんな簡単にいるわけないだろ、此処は現代日本だぞ」
「鬼がそれを言う?」
鬼があるなら妖怪だって存在するだろう。そう考えると轟雷を月向は嗤う。
「とっくの昔に妖怪は現象に変わったんだ」
「でも天狗見たことあるよ」
「夢でも見てたんじゃないか?」
どうしても信じない月向に轟雷はモヤモヤしながらも諦めた。こればかりは実際に見る他証明は難しい。
『……ぃ…………』
そんなやりとりをしていた時、何か声のようなものが聞こえた。轟雷が辺りを見回すも何も姿はない。
「……何が聞こえた?」
「何かは聞こえた……いい、海の方へ行く。轟は浜で待機してくれ」
僅かに恐怖する轟雷を待機させ、月向は海面の方へと足を進める。服が濡れるのも気にせず、腰下あたりまで来た所で一度立ち止まった。そして月向は意識を研ぎ澄ました。波の音、体に当たり跳ねる音、
『兄上……』
明確に聞こえた言葉と共に海面から腕が伸びる。月向の腰を、腕をと絡みつき海面の下に引き摺り込もうと力が働く。
月向は慌てることもなく自らの腕を振り上げた。まるで木の葉のように伸びた腕達が跳ぶ。
「斬った感覚はないな。質量がない」
両腕から突き出した刃で這っていた腕を斬り、その切先を見る。刃は塩水に濡れているだけだった。だが感覚は無くとも追撃がないため斬れてはいるのだろう。海面にまだ何か蠢いているのは見える。
「轟!! 海面に向かって波状いけるか!」
「いけるけど! 生態系は大丈夫なのそれ! やるけど!」
距離もあるため叫んで指示を飛ばす。陸に上がることもないうちに月向は轟雷に雷を落とせと言ったのだ。轟雷も心配するのはこれから巻き添えになる月向の事ではない。
轟雷が金剛杵を前に突き出し両手を添える。カッ、と一瞬雲の間が光り、次の瞬間轟音と共に轟雷目掛けて落ちそれを自身を中心にして波紋状に分散させた。激しい音を立て弾けたソレに見事な物だと月向は関心する。
「あ、魚が浮いてきた」
次第にプカプカと浮き上がって来た腹を見せた魚達を指でつっつく。凡そ轟雷が危惧した通り魚は気絶した。何処となく楽しそうに見える月向を見て轟雷は
「……月向ってゴムで出来てる?」
と感想を零した。結構強めに当てたつもりだった為に此処まで無反応だと複雑なものがある。
「海面は落ち着いたか。本体は水の中、だろうな」
一度陸へと引き上げる。髪が吸った海水を軽く絞り、浅瀬の近くで待機する。轟雷も少し近くへと寄った。
『兄上……』
まただ。囁き声なのにはっきりと聞こえる声、けれどその内容に関しては的を得ない。
「誰に向かって話しかけてるのかはわからないが俺はお前の兄じゃない」
少し声を張りながら言葉を返す。後にも先にも弟がいたことなんて無い。やはり何も姿はないがどこから聞こえているのだろうか。そう月向が目を凝らしていると、轟雷がふらりと歩き出した。
「轟? おい、」
「弟が、呼んでる……行かないと……」
虚な目を海面を向ける轟雷の腕を掴んで止める。
「この程度の誘いに乗るな。これはお前の弟じゃない」
「何も知らないくせに……」
その声は先程までの明るさなど潜めた様に低い、怨嗟を感じる様な物だった。仕方ない、と月向は轟雷へ後ろ蹴りを入れる。良い感じに鳩尾に入り、轟雷は鈍い呻き声を上げ倒れた。ふぅ、と一息吐き確認のためにそばに屈んだ。
『あぁ、可哀想に……』
また声が聞こえ、視線を海に向ける。途端に波が競り上がり、2人を引き摺り込むかのように体を飲み込む。その衝撃にはさしもの月向も目を瞑り耐えるしかない。浜に刃を突き刺して引きずられないように。波が引きすぐに目を開けたがその時には轟雷の身体はなかった。ただ海の中で立つその少年に轟雷は抱えられていた。
少年はさめざめと泣き、けれど口元は僅かに笑みを浮かべる。瞑った目を縦に裂くように青く光る石、頭にある鹿のような角。なるほどこれが此処の到骨か、と月向は刃を構え直す。
『ようやく見つけた、兄上』
少し嬉しそうに、この場合は轟雷の事を兄上と呼ぶ到骨。だがまず他人だろう。到骨は紺色らしき色、轟雷はとうもろこしのような黄色。
もっとも、それはわかりやすく違うと指摘する理由であり月向は轟雷の鬼としての弟を知っている。だからやはり否定するしかない。
「どう見ても人違いだ、求める割に何も覚えていないのかお前は」
『覚えているから求める……可哀想な兄上、きっと苦しかったでしょう……人に死を求められるのは』
頭に響くような囁き声。嫌な響きだ、兄上兄上とうるさくてその癖何も覚えていない様に聞こえる。到骨になる際に記憶が飛んだのか、それとも幻覚が見えているのか。
「可哀想に、あまり交流のない兄弟だったんだな。惨めな奴」
『誰になんと言われても……兄上さえ、助けられたなら……』
言葉は大して通じない、本当に兄のことしか無いのだろう。そう思った月向は口を閉じた。とりあえず始末してしまおう、到骨の組織情報でも手に入れたかったが癪に触る。
目の前の到骨目掛け地面を蹴り斬りかかる。抱えられている轟雷が邪魔なため狙えるのは口から上だと判断し、頭から斜めに切り落とした。と同時に轟雷を手から奪い左手で抱える。涙を流す目元まではっきりと切り落とした。
「野蛮……兄様……俺は……次こそ、貴方を助けて……」
それでも声は昂らず、思い馳せるように言葉を吐いた。ふらりと切られた頭を掴んで、波を呼び海に沈む。完全に海に住まう怪異のような物だ、気取った退場が鼻につく。
「これは失敗だ。核は砕けていないし、話も聞き出せなかったな。情けないことだ」
腕の中に抱えた轟雷を一度浜へ下ろし、軽く顔を叩く。アレがいなくなった以上、変に操られてもいないだろう。叩いた跡少しして、轟雷は目を開けた。軽く咳き込み、涙の浮いた目で月向の方を見る。
「、終わっちゃった……? 意識が、朦朧としてたでしょ……」
海水でも入ったのか掠れた声が出る。腕で額を抑え、深く息を吐いた。
「まるで使えないヒロインみたいに精神干渉されてたなお前。気分は?」
「鳩尾あたりが、痛いけど……後は特に。誰かに兄さんって呼ばれて……たすけて、って」
聞こえ方には差異があるのか、それもそうか相手に馴染みのある呼び方に変換しなくてはそもそも心に入り込めはしない。月向が思い出すのは兄様、と呼んでいたあの声だ。直接本人から聞こえた声はまだ若く少年の様な声だった。時期から見て到骨に成り立て、だと言うのにこの力……逃した事は今後障害になるだろうと月向は確信した。と共に早々に操られていた轟雷にも一言言いたい。
「あの程度の干渉くらいは耐えてくれ轟。簡単に取り殺されるぞお前」
「ごめん、……月向には聞こえなかった?」
「助けて、とは聞こえなかった。可哀想、くらいか。耳についたのは。惨めに這いつくばる奴に嘲りで言うのは良いが同情でのそれは不快だったな」
「後者の方がマシだと思うけど……うーん、お兄さんどうしたんだろう」
ははは……と軽く笑って返し、そのあとは敵のことを考えてしまう。轟雷も弟のいる身であり、兄弟と離れるのは寂しいだろうなぁと思ってしまうのだ。それに対して少し呆れ気味に月向は返す。
「いちいち人間の死に方なんて考えても仕方ないが。こんな漁村だ、それこそ海難事故かもしれないしあの言い振りだと私刑にでもされたか?」
そんな物騒な……轟雷がその意見に微妙な反応をしていると飽きたかのように月向は立ち上がった。立ち上がり月向は轟雷に手を差し伸べる。それを掴み立ち上がり、若干ふらふらする体を支えた。歩けるか、と月向が聞けば頷き謝りながらも歩き出した。早く帰ってこの獲れた烏賊でも炙るとするか、そんな事を考えていた時だ。隣の轟雷から、あっ、と声が上がった。
「誰かいる」
「遭難者か?」
轟雷が目線を送る方に浜辺に打ち上げられたように突っ伏した人影が見えた。轟雷が駆け寄り、その後を月向は着いていく。
白無垢の様な着物が纏わりついただけの少し髪の長い人。女の人かな、と恐る恐る肩に手を当て体を揺すった。ふと、月向はその姿に見覚えがある気がして身体を仰向けに転がす。あぁ! と目を瞑った轟雷を横目にその顔をじっくりと見る。
「コイツ、到骨だ。それに男」
「へ? あ……本当だ、髪が長いからてっきり」
言いながら、よく考えたら隣の月向の方が長いしその考え方は間違ってるなと思い直した。反応するべきは其処だけじゃない
「これは生捕のチャンスだな。縛って持って帰るとするか」
「え、大丈夫なのかそれ。途中で目が覚めて寝首を掻かれるより説得した方が」
「なら此処で縛って起こすか?」
何処からか縄を取り出した月向に何故持って居るのだろうと不思議そうな目を向ける。漁村だしくすねたのだろう、手癖の悪い鬼なのだきっと。
「ん……ん? なんだ、お前達……」
問答していたら目を覚ましてしまった。
「ほら轟ー、起きちゃったじゃん」
「じゃん?」
「あれ、俺なんで此処にいんだ……」
月向の変な語尾に反応していれば、その男は上体を起こし辺りを見回し始めた。
「記憶はある? 気分は平気?」
轟雷が目線を合わせて問いかける。男はぼんやりと自分の手元を見つめ、ぽつぽつと話し出した。
「記憶は……あまりない。でも名前はわかる、壬泅。多分、俺は海に沈んだんだ」
それはつまり、と轟雷は月向に目線で聞く。
「名前がわかるなら良い、お前は自分が人でないこともわかるだろ。どうする、此処で殺してやってもいいし……」
「月向!!」
すらすら話始め殺すなどと宣う月向にそれは流石にやりすぎだ、と轟雷が声を上げる。
「遮るな。人らしく働くかのどちらかだ。人手不足だからな」
轟雷の声を一蹴し、まさかの勧誘に打って出た。事実現在従業員3名、こうして任務が被れば誰かは1人になる。1人でも問題がない気もするが万が一の時逃げて情報を持ち帰る者が必要なのだ。月向の脅しとも取れないような微妙な選択肢は壬泅と名乗った男を少々悩ませた。なんてことない、逃げて仕舞えばいいのにそれをしないのは最悪どうにでもなるからだ。
「……意味もなく死ぬのは嫌だな。お前達が良いなら俺は働くよ、この身体……記憶は無くてもよくわかってる」
胸から腹へ縦に走る核石に手を添え、壬泅はずる、と刀を抜き出した。切先の折れた刀、それに次第に水が集まっていく。
「壬泅、多分水の化身。力は勿論水を操る事……ほら、これが俺の武器だ」
水が集まり刀を芯に錨の形を作った。渦を巻き、節々が白く鋭く波立ち触れれば切れてしまいそうな激しさを見せる。それを見せながらニッと笑う。細められた目の中の横棒な瞳孔がやけに目を引いた。
「記憶は曖昧だが、少しは使えるだろ。よくわかんねぇけど何もすることは無いしお前らに着いていくよ」
「賢い選択だな。轟、文句はないか?」
「え? 全然良いと思うけど……殺すよりは平和的で」
「なんか物騒な奴らだな」
立ち上がり、砂を払う。刀も再度しまい、その白無垢を羽織ったまま歩き出した。
その姿を月向は見ながら思う。ただの到骨じゃないのは明らかで、もっと別の何かの匂いがする。多分コイツはいずれ澱むだろうと。だがその時まで使えば良い、引き際も壬泅と言う男はわかっている筈だ。
まるで捨て猫を拾うが如く適当な流れで正社員を増やしたことでこの後樂緣から有難いお説教が聞けるのはまた別の話である。