第3話『この上司にして』
「樂緣様、起きてください。いい加減一人で起きる事を覚えてください」
どんよりと曇った昼の頃、神使はいつものように樂緣の布団を剥がした。
「まだ暗いから……まだ夜じゃない?」
「こんなに明るい夜がそうそうありますか? ついに視覚情報まで可笑しくなったんですね救えませんよ。夜でもなんでもいいから仕事してください、アレから何もしてないじゃないですか」
一気に捲し立て樂緣を足で転がす。うねうねしながら地を張っている上司らしき生物に侮蔑の視線を送った。因みにアレとは先日の白と黒の変な生き物達を雇った日の事である。
あれから三日、樂緣は何もしていなかった。というのも樂緣が到骨退治を行うのは投書が来るからだ。一部地域にある樂緣の祠に祈りが来ればそれを対処する、と言う方針をとっている。つまり祈られなければ仕事はしない、祈られてもしたくはない。
兎にも角にも昨今は神に頼る人も減ってきているのだ、けしてご利益がないからではない。
「投書来てないでしょ? じゃあ今日も平和な1日、なんで神がわざわざ人間を目にかけなきゃいけないの。アピールしなきゃ」
何様目線かわからない随分な発言を残した樂緣に神使は死んだ目をして一言。
「死んでください樂緣様」
「そんな事だとこの世から到骨が駆除されることはないんですよ樂緣様」
「そもそも到骨って奴らを何で倒さないといけないの? 別に人が死ぬのなんて自然の摂理だし、対処できない弱さが悪いんじゃない?」
ど畜生の発言である。人間を見守る事を使命とされた筈の神が言う台詞としては些か無責任。それを当然の疑問のように言ってみせた。
「馬鹿ですね樂緣様。人間は自分達を脅かす生物は何であろうと認めたくないんです。それが人であろうが化け物であろうが関係なく。だから到骨の存在は許されないんですよ。自然の摂理ですね」
「そっかー、じゃあ仕方ないか。人間、わがままだからな」
樂緣はその回答に納得した。人間、面倒くさいなと言う感想も一緒に。上司が上司なら部下も部下、どこまでも上から目線な発言が飛び交う。
「でもどうするの神使? 仕事がないなら何もできないよ」
「しないだけですよね樂緣様は。安心してください、こうなる事を見越して調査員を派遣しておきました」
「調査員?」
神使はモニターを下ろし電源を入れた。その画面には日本の図が表示されている。いつのまにか持っていたリモコンを操作すると、その図を中心にいくつかの小窓が出てきた。
一部を拡大し、神使は説明を始めた
「これは各地で起こってる怪異現象をまとめ始めたものです。まだ城中心にですが幾つかあるのがわかりますか? 小さい殺人事件などは省いています、末端の雑魚を狩っていても仕方がないので」
集団失踪、年金詐欺、大規模火災に怪死事件……それだけでもあげるとまぁまぁの数がある。人智を超えた事件というものが基本的に到骨が関わっていると疑わしき案件。単品で死体が見つかったくらいでは人の仕業かもわからないのである。
そう、超常的な力で到骨を探す。それができたなら話が早かったのだがこの上司、とことん何も出来なかった。
「やっぱり都心は無法地帯だなぁ。失踪事件だけで何件あるんだよ」
明らかに集中しているそれに樂緣は目を座らせた。
「まぁ人が多いところはそれだけ犯行が行いやすいですからね。ただどうも掴めないらしく全容が不明です。定期的に起こっている、と言う点では放置さえしなければどうにかなりそうですね」
命を何だと思っているのかは定かではないが、めっちゃたくさん死ななきゃ安いのである。事件が起こってから対応している時点で被害をゼロに! とかそういう偉そうなことを言う気はない。
基本的に追う側と言うのは不利だ。その不利をどこまで挽回するかが彼らの腕の見せ所なのだが、生憎人間を下に見ているような上司に、仕事だから処理しているだけの部下。期待はできない。
「じゃあこの場所にバイトを向かわせればいいじゃないの。流石の私でも分身はできないからさー、一番怪しいところ以外は任せないと」
「あんなにバイトを酷評していたのに結局それですか樂緣様。少しは努力をなさってください何にもしないんだから」
そう言いながらも神使は手元から携帯電話を取り出した。
「それでまた雇われたんですね。轟雷です、よろしくお願いします」
ふわりと髪を揺らしながら轟雷は頭を下げた。連絡されてから三十分程で到着した彼は、自分以外にバイトが見られない事を不思議に思った。確かに前回は実質一人での任務だったが心情的には二人だった筈。辺りに目を向けながら前回の人は呼ばれてないのだろうかと考えていた。
その疑問には触れず神使は『規約』と書かれた2枚綴りの紙を手渡した。
「説明するのは面倒くさいのでそれ自分で見てください。部屋は突き当たりから手前に三つ目の部屋です。城内の見取り図は書いてありますから後はよろしくお願いしまーす」
投げやり気に奥の扉に指を刺し、轟雷の目線が戻ると共に会議室へと入っていった。
完全に放置された轟雷はとりあえずその部屋に向かうことにした。
実は今回の招集、ほぼ正規雇用である。
寝床完備、三食は無し、風呂は大浴場と部屋の備え付け。
見栄張りの樂緣らしくそこそこ住み良い部屋を与え、代わりに住み込みで任務に当たってもらおうというのだ。勿論給金は出る、月給固定で。
バイトの頃とどちらが割がいいのか、といえば当然バイトの頃だが雇い手が正規しか認めないのであれば仕方のない事。金の分は働くつもりの轟雷にはさして関係ない事であった。
よく磨かれた大理石の壁と床、前回は会議室に直行であった為によく見なかった光景に驚いた。土足でいいのだろうかと不安になる。
そこを乗り越え、指定された部屋の扉を開ければ中は八畳の部屋を二つ繋げたような横長な構造をしていた。
畳ではなくフローリングで、最低限のベッドと箪笥、机がある。手元の規約を読んでみれば持ち込み自由らしく、ベッドより布団が良ければ一言言ってね、とのことだった。
「今借りてる家より広いかもしれない……」
これは家に残してきた弟も誘った方がいい。そう轟雷は思い、部屋を後にした。
「うーん、こうして人件費だけが嵩むのはどうしたものか……経費で落ちるの神使ちゃん」
会議室で唸るのは樂緣だ。手元には軽く計算したメモ書きがある。
「経費なんてものがあるとお思いですか樂緣様。今までのバイト代も全部樂緣様の口座から出してますよ」
「え? 何勝手に金使ってるの? 幾ら金を必要としない神とは言え勝手に使われるの困るんだけど。というか何で引き出せるの……?」
神使は知らぬ存ぜぬを通し樂緣から目を逸らした。自分のものを勝手に使われるのは嫌なもので流石に樂緣は問いただした。ただ一つ言えるのは樂緣の口座に金を入れているのもまた神使であると言う事だ。
ようは通帳管理をしていない樂緣が悪い。
「さて、そろそろもう一組の方々も到着しますよ」
「ねぇ無視した? 無視しないで?」
その言葉通り扉がノックされる。
部屋に入ってきたのは先日の白いのと黒いのだった。まぁそうでしょうね、と樂緣が若干残念な気持ちになる。もう少し可愛げのあるまともな男の子がいいと我儘な感想を覚えていた。
「おい、本当にここであっているのか?」
「会議室っぽいの此処だけだし……」
黒く癖のある髪を揺らす月向と何処となく眠そうな日影、二人は会議室前集合で轟雷と同じく呼び出されていた。勿論同じ件で。
早速神使は規約の紙を手渡し、二人の手を引き会議室から出す。
「突き当たり最奥の部屋です」
月向が目を向けると向き合う形で二部屋見えた。よかった、ケチ臭く二人一部屋にされなくて……と日影は安堵した。常日頃惚けた事を言う男だが自分の不利益にはやはり反応するものである。
「説明とか全部書いてあるので何も聞かないでください」
そして神使はやはり投げた。ふわりと浮き会議室は戻っていく様子を見送り二人は顔を合わせる。
「こんな上司のもとで働くとかやなんだけど」
「まぁ、ビジネスだからな。程よい距離感でやるしかないだろ」
先行きが不安になる投げっぷりに不安すら覚えたが、まぁいいやと楽観的に切り替えた。この二人、そもそも樂緣に従う気があまりない。仕事はするがそれ以上は自由にさせてもらう、と言う契約の元入社しているのだ。樂緣には内緒だ。
こうしてこの日樂緣の城に三人の社員が増え、正式に動き出すこととなったのである。だがそれは明日以降のことだ。