廃人契約書
「おい、お前今廃人になるっていったのか?」
昼間のオフィス街に一際大きな声が響く。
「しー、静かにしろって。あんまり楽しい話でもないんだからさ。」
「いやいや、そんなこと許すわけないだろ。お前を自殺させるわけにはいかない。」
「違う違う、死ぬわけじゃないよ、廃人になるのさ。」
話題と逆行してヘラヘラした同僚の男の態度が気に入らず言葉に角をたたせる。
「冗談でもそんなこという奴とは友人だと思いたくないな。」
「勿論廃人に本気でなりたいわけじゃないよ。僕が気になっているのはその方法だよ。なんでもサインすればすぐにでも廃人になってしまうらしい。」
「安楽死みたいなことか?それって犯罪だろ普通に。」
先ほどの怒りの気持ちが収まったわけではないがほんの少し興味が勝ったので同僚に質問する。
「何やら廃人契約書と呼ばれる契約書があるんだとさ。それにサインすると廃人になって二度とは戻れない、という話だ。」
「なんだ、都市伝説か。そんな話に感情を持って行かれた俺は恥ずかしいよ。」
「そんなことはないさ、僕も大して信じてはいない。そんなふざけた事をやってる連中を一緒に馬鹿にしないかって誘ってるのさ。」
同僚はネクタイをきつく締めて舌を出している、どうやら廃人のジェスチャーをしているようだ。
「そんなものビジネスとはいえないだろ、廃人になってしまったら金なんて何のメリットもない。誰も寄りつくはずもない。」
「君生命保険って概念を知らないわけじゃないだろ。」
「それと同じだと?」
「自分で命をなげうって金がもらえるんだから生命保険よりもよほど優しい話だと僕は思うけどね。」
嘘っぱちなんだから、お遊びの延長線なんだろうな
と耳を髪をかけながら同僚は付け加える。
男は苦笑いしながら答える。
「言いたいことは分かった、その代わり今日の飲みはお前の奢りだ。」
「やはり君は最高の友達だよ。今日の肴は頭のおかしいキャンペーンをしている奴らを笑いに行くで決定!!」
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次はー、生須ー池須ー
目的の駅である。
都心からおおよそ3時間、そろそろ尻が痛くなってきた頃合いだったので助かる。
ふと終身ケア施設と書かれた広告が目に入る。
憂鬱な気持ちに拍車がかかる。
降りてからは12月とは思えないほど元気な短パン少年とその一行とすれ違いながら歩いて行く。
そこから、およそ10分であいつの家に着いた、厳密に言えばあいつの実家である。
白髪の目立つ同僚の母が俺を迎えてくれた。
「また来てくれたんですね、あの子もきっと喜びます。」
菓子折りを渡しながら答える。
「いえ、お気遣いは不要です。ただ顔を見にきただけなので。」
通い始めて5年目になるがこいつは一向に変わらない。
手足は弛緩し、口からは泡をふき、目の焦点はあっていない。しかし心臓は脈を打っている。
あの時私が一言やめておけと言えていればこんな事にはなっていなかったと後悔の念は募るばかりである。
あの日俺は結局ついては行かなかった、祖父が危篤になったと報せを母から受けたからである。
同僚の言った言葉など頭の片隅に追いやって
祖父の遺骨を拾った後に上司から連絡が入り事の顛末を知った。
同僚の手を握る、今年も何の反応もなかった。
それを確認したら俺は早々に帰り支度を始める。
これ以上いれば気がおかしくなりそうだからだ。
帰り際で少しだけ同僚の母と話をした。
「御手洗さん、こんな事になったあの子をいまだに気にかけていただいてありがとうございます。」
「いえ、彼は私の大事な友人でしたので。」
気まずそうに同僚の母は切り出す。
「でももう次からは来ていただかなくてもいいですよ。あの子には施設に入ってもらおうと思っていますの。」
「施設、ですか?」
「ええ、最近近くにあの子みたいな人たちをつきっきりで看病してくれる施設が出来たんですよ。」
「電車の広告でも見ました、しかしああいったつきっきりのケア施設は金額が凄まじいと聞きますが...」
この家を見た限りでは明らかに出せる金額とは思えなかったのでつい口を出してしまった。
母は髪を耳にかけながら答える。
「ありがとうございます、お気遣いだけいただきますね。下世話な話ではあるんですけれどあの子しっかりお金は貯めていたみたいでね、なので私たちは少し出すだけで大丈夫なんですよ。」
後味が悪いようで幸いです