第一話
こちらは長岡更紗様主宰「ドアマット大好き企画」参加作品です。
ハッピーエンドです。
企画の性質上、陰湿な嫌がらせや過激で不愉快な言葉が多数登場します。
苦手な方はご注意くださいませ。
「気持ち悪い」
「ブサイクな女」
男爵令嬢のソフィーネは、常日頃から蔑まれていた。
それもそのはず。
彼女の外見はお世辞にも良いとはいえず、髪はボサボサ、肌はカサカサ、爪はボロボロ、着ている衣服にいたっては汗と埃で汚れている。
そのため、ソフィーネは多くの令嬢から「ブスキモ令嬢」と呼ばれていた。
しかしそれには理由がある。
彼女の両親は数年前に他界しており、唯一の親族である男爵家のシューベル・スターレンに養女として迎え入れられてからというもの、奴隷のようにこき使われていたからである。
シューベルも、その妻のアリッサも、その娘のサリーも、ソフィーネを徹底的にいじめ抜いた。
もともとソフィーネの両親と仲の悪かったシューベル男爵は、彼女を養女にするのにも抵抗があったが、他に身寄りのないソフィーネはこのままだと娼婦に身を落とすしかなく、ひいてはスターレン家の恥になると考え渋々養女にしたのだ。
そのため、スターレン家でのソフィーネの扱いはひどかった。
炊事洗濯はもちろん、屋敷の掃除、庭の手入れ、ドレスの着付け、すべてを彼女にやらせた。
屋敷にはメイドもいたが、ソフィーネの立ち位置は彼女たちよりも低く、与えられた部屋は屋根裏の狭い一室のみ。
天井は低く、風も吹きこむ劣悪な環境である。
しかし養女として迎え入れられたからには、ソフィーネはシューベル男爵の言いなりになるしかなかった。
「こんな場所でもベッドがあるだけまだマシだと思え」
叩くと埃が舞うベッドを指さして彼は言った。
ソフィーネはコホコホと咳き込みながら「ありがとうございます、旦那様」と礼を述べた。
そんな彼女が初めてスターレン家の一員として社交界に顔を出したのは、彼女が養女になって2年目の冬である。
亡き母の形見のドレスを身に纏い、義理の妹サリーに連れられてパーティー会場の扉をくぐった。
はじめはニコやかな笑みを浮かべていた出席者たちも、ソフィーネの姿を見るなりギョッとした。
「なあに、あれ」
「浮浪者でも迷い込んできたのかしら?」
「汚らしい顔ね」
ドレスは綺麗だ。
しかしそれを着ているソフィーネの顔が汚すぎる。
出席しているほとんどの令嬢が扇子で口元を隠しながらヒソヒソと言い合っていた。
そしてつけられたあだ名が「ブスキモ令嬢」だった。
当然、そんな彼女をダンスに誘う者などいるはずもなくソフィーネは常に壁の花と化していた。
「あれじゃあ“壁の花”じゃなく“壁のブタ”ね」
そう揶揄されることも少なくなかった。
我慢ならないのはサリーだ。
こんな風に言われているのが、義理とはいえ自分の姉なのだ。
「この一族の面汚しが!」
そう言って裏ではソフィーネの頬を何度も引っ叩いた。
「あんたの顔がみすぼらしいから、私まで恥をかくじゃない!」
「ご、ごめんなさい、サリー」
ソフィーネは頬をぶたれながら何度も謝った。
「ほら謝りなさい! もっともっと謝りなさい! こんな顔で生まれてきてごめんなさいって!」
「こ、こんな顔で生まれてきてごめんなさい……」
「せっかくお父様が拾ってやったのに、こんな役立たずとはね!」
せめて同等の貴族と縁談を結べれば。
そういう思いもシューベル男爵には微かにあったが、それも望み薄だった。
これだけ見向きもされない女など、誰が欲しがるものか。
「あんたから声かけなさいよ」
「え?」
「誰も声をかけてくれないなら自分からダンスに誘うしかないじゃない」
女性の方からダンスに誘う。
貴族社会ではないこともないが、それはかなり身分の高い者か仲の良い者同士の場合だけであり、一般的にはマナー違反とされている。
その為、ソフィーネは抵抗した。
「で、出来ません、そんなこと……」
「やるのよ。でなければ一生うちの門はくぐらせないわ」
従わないわけにはいかなかった。
彼女は渋々、一人の若い貴族に声をかけた。
「あ、あの……い、一曲……踊っていただけませんか?」
若い貴族は一瞬ギョッとしたものの、ソフィーネの誘いに「あ、ああ、いいよ」と言って手を取った。
しかしダンスは散々だった。
普段からダンスなどたしなんでいないソフィーネはもちろん、若い貴族もダンスに不慣れで互いにギクシャクしていた。
当然、巻き起こる嘲笑。
若い貴族は腹を立て、「やってられるか!」とソフィーネを突き放して去って行った。
サリーは一気に不機嫌になり、以降彼女からダンスに誘わせようとはしなくなった。
※
それからというものソフィーネは社交界パーティーには強制的に参加させられるものの、ダンスに誘われることはなく、常に浮いた状態だった。
綺麗に着飾った令嬢たちに比べて一層見劣りするソフィーネ。
サリーも仲の良い令嬢たちと談笑しながら、彼女を馬鹿にしていた。
「いつ見てもみすぼらしいですわね。髪なんかボサボサで」
「手なんてご覧になりまして? カサカサでひび割れてましたわよ?」
「ほんと、ブサイクで気持ち悪いわね。サリーさん、あなた一緒に暮らしていて平気なんですの?」
「平気なわけないじゃない。屋敷のことなど何一つやらない役立たずですもの」
家事全般を押し付けているにも関わらず、サリーは息を吐くようにウソをつく。
「お父様が拾ってくれたから路頭に迷わずに済んでるのに、その優しさにつけあがって屋敷ではやりたい放題。この前なんてお母様の紅を勝手に使って遊びに行ったのよ」
「まあ。なんて図々しい女なんでしょう」
「サリーさん、困ったことがあったら何でも言ってくださいましね。わたくしたち、あなたの味方ですから」
「みんな、ありがとう」
実際、母の紅を使って遊びに行ったのはサリーのほうだったのだが、それがバレるやソフィーネのせいにして難を逃れた経緯がある。
それをうまく話題に利用したのだった。
「それにしても、どうして毎回パーティーに参加してくるのかしら。誰からも誘われないのに」
「もしかして、パーティーが終わったあと裏でいろんな男と遊んでるんじゃないの?」
「ああ、そうかもしれませんわね。自分からダンスに誘う尻軽女ですもの」
ほほほ、と笑い合う令嬢たち。
その言葉にサリーは面白いことを思い付いたとばかりにニヤっと笑った。
その日のパーティーが終わると、ソフィーネはいつものようにサリーに連れられて御者が待つ馬車のところへと向かっていた。
館の裏手、草むらの多い場所に差し掛かった時、ソフィーネは何者かに口と手をふさがれて壁に追いやられた。
そこにいたのは、数人の男たちだった。
「な、なにをなさるの!?」
男たちの顔は見たことがあった。
今夜のパーティーに出席していた若い貴族たちだ。
中には先日、彼女が無理やりダンスに誘った男もいる。
彼らの背後からサリーが「ふふふ」と笑いながら顔を出した。
「お姉さま、いつも殿方からダンスに誘われないでしょう? さすがに可哀そうだと思って私のほうから彼らにお願いしましたの。お姉さまとダンスを踊ってくださいませんかってね」
「ど、どういうこと?」
「まあダンスと言っても腰を振るダンスのほうですけれどね。でもまったく踊れないお姉さまにはちょうどいいと思いません?」
「サリー、あなた……!」
言いかけようとした口をグッと押さえつけられる。
ソフィーネの細い腕では男の腕力には到底かなわなかった。
「サリー、本当にいいのか?」
若い男の一人が声をかける。
「もちろんよ。あなたたちの性欲処理女として好きにしてちょうだい。その代わり……」
「ああ。お前んとこの事業に出資しろって話だろ? おやじたちに言っとくよ」
「でもこんな女に欲情できるかなぁ」
「顔を隠しときゃいいだろ。これでも一応女なんだ」
下卑た笑いがソフィーネの耳をつんざく。
(い、いや……!)
男たちはソフィーネの着ているドレスをビリビリと破くと、いやらしい手つきでむき出しになった肩を掴んだ。
ふと彼らの気が緩んだ瞬間。
ソフィーネは渾身の力で男の股間を蹴り上げた。
「げふうっ!」
股をおさえてうめく男。
その隙にソフィーネは男たちの手から逃れると、一気に街の方へと駆け抜けていった。
「何してるの、追って!」
背後からサリーの声が聞こえてくる。
ソフィーネは無我夢中で夜の街を駆けて行った。
※
どれくらい走っただろう。
ボロボロになった母の形見のドレスで、むき出しになった胸を隠しながら走り続けていると、大きな橋に差し掛かった。
この街で一番広くて大きいサウス川である。
ソフィーネはようやく足を止めると、橋の欄干に手をついて息を整えた。
背後を振り返る。
追っ手の気配はなかった。
どうやらこの夜の暗闇で逃げおおせたようだ。
彼らが明かりをもっていなかったことも幸いした。
(よかった……)
ソフィーネは「ふう」と大きく息をついた。
当面の危機は去った。
しかし。
彼女はもう帰ることが出来なかった。
強姦されそうになったとはいえ、貴族に危害を加えてしまったのだ。
帰ったら何をされるかわからない。
そもそも、帰ったところで良い事など一つもない。
いつものようにひどい扱いを受けるだけだ。
帰れないのではなく、帰りたくなかった。
ふと、ソフィーネは欄干から下を覗き込んだ。
サウス川は流れが速く、深さもそれなりにある大きな川である。
橋から川面までもかなり高い。
ここから飛び降りれば確実に死んでしまうだろう。
(……それも、ありか)
生きていても良い事は何ひとつない。
この先もツライだけならここで死んだほうがマシだ。
ここに至って初めてソフィーネは死を決意した。
この世に未練はない。
死んでしまおう。
ソフィーネは欄干に足を乗せると、身を乗り出した。
川が夜空の星々を反射させてキラキラと輝いている。
さきほどまで自分がいたパーティー会場とは打って変わって綺麗な景色だった。
(せめて苦しまずに死ねます様に……)
ソフィーネがそう願いながら橋から飛び降りようとした瞬間。
何者かにガッと身体をつかまれた。
「あっ!」
声をあげる間もなく、ソフィーネの身体は橋の上に叩きつけられた。
気づけば、一人の男にソフィーネの身体は押さえつけられている。
彼は大声で何かを喚いていた。
しかし今にも死のうとしていたソフィーネの耳には何も届かなかった。
「バカな考えはよせ!」だとか「死ぬんじゃない!」だとか、他にも何か叫んでいるようにも聞こえる。
ソフィーネは自分を押さえつけている男に、涙を流しながら懇願した。
「お願い……死なせて……」
たった一言。
それだけ言うと、彼女は意識を失った。