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短編集・散文集

あまざけ

作者: Berthe

 川崎くんに、お呼ばれした。一緒に食事をしたり散歩をしたりは幾度かあったけれど、家を訪ねるのは初めてのことである。そこで、あまざけをいただいた。


 先ごろ、ふらりと沖縄へ出かけたらしく、そのときに訪れた酒造で黒麹について説明をうけて、興味をもったのだという。


(かず)()さんはたしかお酒はあまりたしなまないけれど、甘いものならばお嫌いではないということでしたので」


 彼はいつもの丁寧な言葉づかいでそう言うと、手提げ袋から720ミリリットルの瓶をとりだした。テーブルにそっと載ったそれは、濃い橙に染まっている。


「え、嬉しいです。いただいていいんですか? ありがとうございます」


 そう答えながら、はてな? とちょっぴり首をかしげて、こころは妙にふわふわしつつ、顔を近寄せた。わたしへのお土産?


 ラベルをみれば、青切りシークヮーサーとしるされていて、服をきたままの黄緑のみかんと、皮をむいたあとの黄色い果実が身をよせあっている。優しく澄んだ絵柄でとなりあっている。


 わたしはますます首をかしげながら、頬をぷくりとやっていただろう。川崎くんはそれに気づいたのかどうなのか、


「あの」とつぶやいたのにこちらが仰向くと、口尻にえくぼのできる顔でほんのりはにかんでいる。


「お嫌いでしたか?」


 わたしはせわしなく首を横に振る。


「甘い果物はみんな大好きです。けれどシークヮーサーというのはてっきり、黄色の果汁をもつものと思っていたものですから。記憶ちがいでしょうか」


 あぁ、とでも飛び出しそうな口のかたちを披露したあとに、川崎くんはすぐさま言葉を継いで、


「手に持ってみてください。手にして、瓶を少しまわしてラベルのない側面を見てください」


 言われたとおりにしてみると、途端に納得がいった。石黄のような色味が重なるように沈殿している。橙の下に二層かくれていて、上半分は色味がまちまちの断層めいて、下半分は石黄をまっとうしていた。穏やかな三層になっているのだ。


 傾けてみると、上半分がゆらゆらうずまく。ふんわりと雲のようにただよう。もとに戻して待っていると、じきに静まった。ふたたび所を得たように静まった。


「振ってみるといいんですよ。飲むときにはよく振ってください」


 川崎くんはにこやかにそう言ったなり、さあ、とでも言いたげに右手を差しだした。急かすような、促すような仕草である。


 ふいに、胸のあたりがざわざわさわぎだす。ずきずきふるえる。お酒だってずいぶん飲んでいないのに、胸が焦がれる。


「振っても、もとにもどるでしょうか」


「それは、今のような沈殿した状態にもどるということですか?」


「そう」


「ええ、それはもどるでしょう。けれどすっかり元通りというわけにはいきませんが」


「すっかり元通りというわけにはいかない」


 思わず復唱してしまう。ひと呼吸あったのち、川崎くんはこちらをなだめるような優しく柔らかい口調で、


「ええ。それが相場というものなのです」そうきっぱり言い切った。


 人生というものを、三回くらいやり直してきた顔つきである。同い年の若いままの顔が急にやつれて、しわは少しもないけれど、いかにも堂に入っている。そのままわたしよりも早く大人びていってほしい。


「相場、ですか」


「相場、ですね。それに、この瓶ばかりでなく、どの瓶を振っても結局はおなじことです。言うなれば、似た者同士なんですね。つまり仲がよろしいのです」


 そこまで言い終えて、彼は小さく息をついた。視線がずれる。


 そこでわたしは初めて、まじまじと見つめていたのを知った。ふいに、照れくさくなる。またしても、胸がこがれだす。けれど先ほどとは違う、焦がれかたをしていた。決して嫌ではない焦がれかた。


「というわけで一緒にお飲みしませんか。ぜひご相伴させてください。和葉さんに差し上げるつもりのものをこちらから頂戴したいというのは、とても変なお誘いだとはわかっているのですが」


 誘いが耳にあまやかに届く。もう回復していた。というより、すっかり上機嫌になっていた。わたしは首を小さく振ったのち、こくりとうなずいて、


「はい……せっかくお家にお邪魔したのですから。わたしのほうこそご相伴にあずかりたいです。でもその前に、夕食を整えなければ。ちょっと冷蔵庫をのぞいてもいいですか」


 そう尋ねながら、わたしはくすくす笑ってしまう。つかつかすいすい、踏み込んでゆく自分に微笑んでしまう。


「えっと、ちょっと汚いかもしれないけれど」


 微笑をふくんで答えながら、案内するべく立ちあがり、背をむけて歩みだした彼の洗いざらしのシャツが、ほのかなしわをきらめかせて波打っている。


 そっと付き従いながら手を伸ばす。波打つひかりを、指でなぞりたい。


 ふいに、彼がふりむいてほほえむ。至極おだやかな微笑み。その目が、差しのべたままのわたしの人差し指をみとめた。それとも、見とがめた? 今はこう言うしかない。


「ほら。冷蔵庫に行きましょう」わたしは指をさしなおして、きゅっと微笑んだ。

読んでいただきありがとうございました。

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