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陽だまりのコンシェルジュ  作者: ワタリ
贖罪のチーズケーキ
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 七月上旬の昼休み。教室でお弁当を食べていた僕は、予想もしていなかった提案をされて狼狽していた。それは一般的には珍しくも何ともない話だけれど、僕にとっては滅多にないことだったのだ。

 これまで僕は自宅に友人を入れたことはない。それは誘う人がいなかったとか、遊びに行きたいと言われたことがなかったのではなく、家庭の事情によるものだった。我が家に誰かを呼んではいけないという決まりはなかった。だから、もしかしたら僕の杞憂だったのかもしれない。ただ僕も光里も申し合わせたように友人を招待しなかったことを考えると、当時はそんな雰囲気が家庭内にあったのだと思う。

 それに中学生になった頃、とある事情により僕が家事をしなければいけなくなった。元々家事には積極的に参加していたので取り分け苦労した記憶はないけれど、自由な時間は確実に少なくなった。まだ小学六年生だった光里の世話もあったので、自然と友人と遊ぶ機会も減っていった。

 なので、こういった提案をされるとしたら、高校で出会った人からだと思っていた。今まで僕と付き合いのある人であれば、誘っても断られるとわかっているからだ。少なくとも僕の家庭事情を多少なりとも知っている、小学校からの友人である大和田八代に言われるとは思ってもみなかった。

「今度の休日にハルの家に行ってもいいか?」

 他愛ない会話のあと、区切りがいいタイミングを見計らって口に運ぼうとしていた箸を思わず止めた。焼き鮭を食べようと口を開けて止まっている姿は、傍から見ればさぞかし間抜けに映っていることだろう。それを気にする余裕が無いくらい、僕にとっては意外な言葉だった。

「やっぱり難しいか?」

 続けて確認してきた八代の声で、ようやく我に返って焼き鮭を口に入れる。ほどよい塩気が出来の良さを窺わせるが、今はそれどころではない。

「いや……」

 あの出来事が起きてから、誰かを家に招くことは可能にはなった。ただその頃にはもう我が家に行きたがる人もいなくなり、そもそも遊びに割ける時間もなくなった。それにしばらくは遊んでいられる心境でもなかった。だけど、今はどうだろうか。

 もう気持ちに区切りはついているし、光里もあの頃と違って気にかけなくてもよくなった。いや、ある意味ではもっと面倒を見なくてはいけなくなったけれど。少なくとも我が家は当時よりも安定している。

「うん、大丈夫。しかし珍しいね、八代が僕の家に来たがるなんて」

 小学生の時から一緒なだけあって、その頃から八代とは何度も遊んだことがある。しかし、思えば今まで家に来ようとしたことはなかった気がする。そんな八代が今になってどうして行きたいと言い出したのだろうか。

「ピンチなんだ」

「え?」

「テスト、赤点取ったら夏休み補習かもしれない」

 二度目の予想外の言葉に、僕は再び固まった。高校生になって勉強についていけなくなることはあるだろう。学力差に関係なく入学できる公立中学とは違って、高校は個人の学力に合わせて進学する。中学までは平均以上の学力だったとしても、進学先の高校で成績が振るわなくてもおかしくはない。けれど、まだ入学して間もない時期だ。授業は中学時代の復習が終わって、ようやく新しい分野に手が出始めたといったところだった。まだついていけないという程の内容でもない。少なくとも受験に合格できる学力があれば問題はないはずだ。実際この間の中間考査の平均点は高かった。期末考査で多少悪い点を取っても補習が必要になるとは考えにくい。

「なんで補習になりそうなの? 入試で合格できたならテストは問題なさそうだけど」

 八代は食べ終わったパンの空包装を両手で押し潰しながら答える。

「俺は推薦入試で合格したから、まともに受験勉強をしてないんだ」

 近くにあるゴミ箱に向かってそれを投げると、思ったより伸びずに手前に落ちた。八代は小さく舌打ちをして席を立ち、落ちた袋をゴミ箱に捨ててからこちらに戻ってくる。

「八代ってそんなに成績良くなかったと思ったけど、よく推薦で受けれたね」

「受験できる最低限の成績はあったぞ。それに面接で熱弁した部活の話が受けたみたいだ。陸上でそこそこ良い結果残せてたからな。『もし合格したら、また陸上部に入って全力で取り組みたいと思います!』って言ったのが効いたんだと思う」

 中学時代、僕と八代は別のクラスだったので話す機会は多くなかった。陸上部だったと何となくは覚えていたけれど、活躍していたとは知らなかった。

 その話を聞いて納得しかけてから、ふと疑問に思う。

「あれ、八代って今は部活に入ってなかったよね?」

 高校生になってからは同じクラスになったのもあって、一番話す機会の多い友人だ。確か八代はどの部活にも入ってはいなかったはずだけれど。

「あぁ、高校生になったら部活には入らないって決めてたからな」

「……それって詐欺じゃないの?」

 すると八代は意外そうに何度か瞬きをすると、わざとらしく肩をすくめた。

「スポーツ推薦で受験した訳じゃない。陸上部に入るなら合格にしますって言われたならともかく、俺が勝手にまた入るって言っただけだからな。約束まではしていない」

 それを聞いて思わず溜息がでた。陸上部の顧問はきっと期待して待っていただろうに。気の毒だと思うけれど、そういったことをする生徒は毎年少なからずいるんだろうなと思う。

「まぁそういうことで、ちょっと背伸びしてこの高校に入れたわけだ。真面目に勉強してなかったから、正直すでについていけてない。今度の休みに勉強教えてくれ」

 そこで少し不思議に思った。もっと自分の学力に見合った学校を受験してれば勉強に苦労しなくて済むはずなのに。わざわざこの高校を選んだ理由はあるのだろうか。

「なんでそこまでしてこの学校に入りたかったの?」

「家から近かったからに決まってるだろ」

 村上南高校は僕の家から最も近い高校だ。僕と地元が同じ八代も当然そうだ。あの付近は駅が近くて交通の便がいいとはいえ、電車に乗らずに通学できるのならそうしたいのはわかる。

「それにハルだってそうだろ? お前だったらもう少し上の高校にいけたと思うけどな」

「……まぁ、そうだね」

 この高校の偏差値は低くはないが決して高くはない。僕は勉強ができるといえるほど得意ではないけれど、狙えばもう少し上の高校にいけたとは思う。でも、そうしなかった。家のことがあるので、なるべく近い学校に行きたかったからだ。利便性が良いといった理由で選んだのは僕も同じだ。ただ八代は背伸びをして、僕は余裕のある高校を選んだ。スタートの時点で学力差があるのも当然かもしれない。

「わかったよ。じゃあ今度の休日は僕の家で勉強会にしよう」

「おう、助かる! ……っとちょっと飲み物買ってくるわ」

 パンを食べ終わって口の中が渇いているのだろう。飲み物を求めて八代は教室から出ていった。

 それを見送ってから食べかけのお弁当に手をつける。塩気のする焼き鮭のあとは、きんぴらごぼうの甘辛さとシャキシャキとした食感を楽しむ。和風で地味なお弁当になってしまったけれど、僕はこういう素朴な味は嫌いではない。ただ、光里は嫌いではないけれど、好物でもないので物足りなさを感じているかもしれない。いつもは気に入った料理があると僕にメッセージを飛ばしてくるので、今日のお弁当に満足はしていないようだ。

 基本的に食の内容は光里の舌に合うように作っている。けれど偏食な光里に合わせてばかりだと栄養バランスが酷いことになる。たまには体を考えた献立にしないと、成長期である僕たちの発育に悪いだろう。光里を見ていると手遅れな気がしないでもないけれど。

 そんなことを考えながらお弁当を食べ終えた時だった。教室の前方に顔を向けると、グループを作って昼食を取っていた女子たちが解散しているのが見えた。別のクラスに戻っていったり、自分の席に鞄を置いて教室から出ていったりと散り散りになっていく。そのあとに、一人の女生徒がぽつんと残されていた。

 ちょうど一か月くらい前のことだった。放課後にとある女生徒の体操服が行方不明になる出来事があった。それを僕と光里と、体操服の持ち主である彼女の三人で一緒に探したのだ。それから連絡先を交換したり、挨拶を交わすようになったり、機会があれば会話する関係になった。

 その女生徒、臼井ユカリさんがこちらを見ていた。左右を見渡して教室の様子を確認すると、僕の方へと寄ってくる。なにか用事でもあるのだろうか。

 臼井さんは僕の隣までやってくると、少しだけ申し訳なさそうな顔をして話しかけてくる。

「あのね、佐倉君。盗み聞きしてた訳じゃないんだけどね。ちょっと聞こえちゃっただけなんだけど」

 あからさまに口をまごつかせている。盗み聞きというと、僕と八代の会話が耳に入ってきたということだろう。あの会話で興味を引きそうなワードといえば勉強会あたりか。

「今度のお休みに佐倉君の家に大和田君が行くって話なんだけど……」

 やはりそうか。臼井さんの学力は知らないけれど、頭の良さそうなイメージがある。彼女は以前、授業でわからないことがあれば、その日の内に自宅で復習すると言っていた。もしそうなら勉強会に興味を持ったのは何故だろうか。そこまで勉強熱心であるなら、わざわざ八代のテスト対策に乗っかる必要はないはずだ。

「臼井さんも来たいの?」

 それでも参加したいのであれば拒む理由はない。言いにくそうにしている臼井さんに助け舟を出してみる。

「え? ち、違うの! そうじゃなくてね……」

 慌てた様子で否定された。勉強会が目的でないのであれば、何に興味を持ったというのだろう。

「その、光里ちゃんは大丈夫なのかなって思って」

「光里? あぁ、そういう……」

 一瞬何故そこで光里が出てくるのかと疑問に思った。けれど、考えを巡らせれば言いたいことはわかった。臼井さんは光里が不登校の引き籠りだと知っている。その文字面だけ見れば、他者との関りを拒んでいるような印象を受けてしまう。つまり、他人を家に上げることで光里が嫌がるのではないかと懸念しているのだ。

 しかし、本人は自身を『陰キャ』とネットスラングを用いて表現しているけれど、光里はそこまで人見知りではない。実際、臼井さんとは電話越しとはいえ初対面で話せていたし、引き籠る前には友人もいた。そして引き籠るに至った経緯は知らないけれど、その前後で光里の性格に変化はなかった。僕にも嫌な出来事や事件があって不登校になった訳ではないと説明している。詳しく聞いても『学校に行く必要が無くなった』としか答えてくれないけれど。

「誰か家に来るくらいならきっと大丈夫だよ。本人が言うほどコミュニケーションが苦手な訳じゃないし。そもそも勉強してて会うことはないんじゃないかな」

 それを聞くと、臼井さんは明るい表情に変わって嬉しそうな笑顔を浮かべた。それにちょっとした違和感を覚える。光里の心配していたのなら、安堵するならともかく喜ぶというのは何だかおかしい気がする。

「大丈夫、なんだ。……じゃあね、実は佐倉君にお願いがあってね」

 やはりというか、臼井さんには別の意図があったようだ。

「光里ちゃんにお礼がしたいの」

「お礼? というと、この間の?」

 臼井さんと光里は体操服の一件でしか繋がりがない。僕とは連絡先を交換したけれど、光里の連絡先は教えていない。僕を通さない限り光里とは連絡は取れないので、必然とそういうことになる。

「うん、この間のことで……直接お礼がしたいの」

「直接?」

 そこでようやく違和感の答えがわかった。きっと臼井さんは光里と会ってみたいのだ。今までは光里が人と関わるのが嫌かもしれないと配慮していたけれど、八代との会話を聞いて問題なさそうだとわかった。だから体操服の件から一か月近くも経った今になって、お礼がしたいと言い出したのだろう。光里への心配もあっただろうけれど、それ以上に対面できる可能性ができたことに喜んでいたからこその反応だったのだ。

 けれど、だからといって光里が会ってくれるとは限らない。

「うーん……僕の家に来るのは問題ないけど、光里が会ってくれるとは思えないな」

「どうして?」

「『私は兄さんの頼みを聞いただけです。先輩の為にやった訳じゃないです』って言うよ、きっと」

 光里は臼井さんに恩に着せることはない。光里はあれだけの能力があるのに、それを周りに披露するようなことはしない。僕の知る限り、過去に一度だけ周りの人たちを驚かせるような見解を述べたことがあった。そして、その能力に感心した人たちが光里を褒めた時、何故か光里は気に食わない様子を見せていた。あれはただの謙遜とは違う、苛立ちを含んだものだった。

 臼井さんは単純に好奇心から光里に会いたいのだろう。だからきっと、お礼をするというのは建前だ。光里ならそれが建前だと簡単に見抜く。そして、自分の能力に興味を持ったからこそ、会いたがっていると理解するはずだ。それは光里にとって好ましいことではないのかもしれない。

 僕の返事を聞いて、臼井さんはわかりやすく肩を落としていた。

 臼井さんは周りの目を気にする人だ。こうして二人で会話をしているだけでも男女の仲を勘繰る人はいる。そうした噂をされるのが嫌なのか、話していても自然なタイミングでしか僕と会話することはない。そんな臼井さんが思わず僕の元へやって来るほど光里に会ってみたいのだろう。それほど気持ちが強いのならば、光里に聞いてみるくらいはしてあげたい。それに引き籠ってから初めて光里に友人ができる機会でもある。

「……お菓子」

「え?」

「光里は甘いものに目が無いんだ。お礼を名目にお菓子で釣れば会ってくれるかもしれない」

 それを聞くと、臼井さんの目が輝いた。僕の机の上に手をついて身を乗り出す。

「私ね、お父さんの仕事の関係でお中元をたくさん貰うの! 毎年食べきれなくて困ってるくらいで、有名なお店のもあるんだよ!」

 興奮気味な臼井さんを手で促して落ち着かせる。臼井さんは自分の立ち振る舞いに気づいて、顔を紅潮させて身を引いた。どうも気持ちが入った時は周りが見えなくなるらしい。臼井さんの声に何人かはこちらの様子を見ていたようだけれど、すぐに視線は戻っていった。この程度ならば臼井さんが気にするほどでもないだろう。

「じゃあ、ちょっと聞いてみるね」

 そう言って僕はポケットから携帯を取り出した。メッセージアプリを起動させて、連絡先から光里を選択する。

『臼井さんが、この間の体操服の件でお礼がしたいって言ってて』

 文章が長くならないよう、一度ここで区切ってメッセージを送る。続きの文を打ち込んでいると、

『私は兄さんの頼みを聞いただけです。お礼をするなら兄さんに』

 と瞬時に返信がきた。相変わらず返事が早い。僕としては助かることだけれど。

 大方予想していた通りの内容だった。続けて猫が前足を体の前で交差させているスタンプが送られてきた。猫の上にはポップ体のフォントで『NO!』という文字が書かれている。

『有名なお店のお菓子を持って来てくれるそうだけど』

『いつ頃来れますか?』

 更に早く返事がくる。僕の文字入力が遅いから尚更そう感じるにしても、光里の返信の速さは尋常ではないように思える。それとも慣れてる人は皆こうなのだろうか。

 それはさておき、どうやら光里は前向きに考えてくれそうだ。

「光里がいつ頃来れるかって言ってるよ」

 事の顛末を祈るように見守っていた臼井さんは、その一言で嬉しそうに顔を綻ばせた。その様子を見て思わず僕も笑みが零れる。

「夏休みに入る頃には大体揃ってると思う」

 それを聞いて僕は再び携帯の画面へと視線を戻す。

『夏休みに入る頃には用意できるって』

『わかりました。楽しみです』

 それから続々とスタンプが送られてくる。僕はそれを画面を開いたままにして流しておいた。

「楽しみにしてるって」

「私も楽しみ! 光里ちゃんとお話ししてみたかったの。光里ちゃんが甘いもの好きでよかった」

 ありがとうと感謝を述べて、臼井さんは自分の席へと戻っていった。

 その背中を見つめていると、八代が飲み物を買って戻ってきていたらしく、気づいたら僕の近くでジュースを飲みながら立っていた。

「ハルって臼井さんと仲良かったっけ?」

 八代は僕と同じように臼井さんの背中を見つめて言った。

「ちょっと前に知り合ったんだ」

 一応詳細は伏せておくことにした。別に隠すようなことでもないけれど、臼井さんが気にするかもしれない。それに話さなくてはいけないようなことでもないだろう。

「ふーん……まぁハルは誰と話しててもおかしくないけど、臼井さんが男子と話してるのは意外だな」

「そうなの?」

「男子と話してるのは見たことないな。妙に警戒心が強いっていうか……まぁ俺の勝手なイメージだよ」

 思い返せば、僕が話しかけた時も落ち着かない様子だったような気がする。ただあれは、体操服が盗まれたと思っていたのと、急に話しかけられたからというのもあるだろう。警戒心が強いからとは一概には言えない。

 クラスメイトだからって誰もが男女仲良く会話するわけでもない。単に異性と打ち解けるには時間がかかる性格なのだろう。

 それからすぐに午後の授業を知らせる予鈴が鳴って、八代もそれを聞いて自分の席へと戻っていった。

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