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『確認は終わったので検証を始めますが、三つの前提を元に考えたいです』
「前提?」
思わず聞き返す。前提といえばつまり条件を付けるという事で、物を探すのに必要な事ではないように思えるけれど。どこにあるかわからない以上、思いつくままに探した方がいいような気がする。
『今からやろうとしてるのは、予想から結論を導きだそうという推論です。悪い言い方をするなら妄想です。あらゆる可能性を検証していたら時間が足らないです』
理解が及ばす首をひねる。臼井さんに目をやると、特に発言の真意を気にしてもなさそうにブラウスの襟元を直していた。変に追及するより先に話を聞いた方がよさそうだ。
『まず一つ目、“体操服は一年生の教室が並ぶこの階にあった”
二つ目、“兄さんと先輩は嘘はついていないものとする”
三つ目、“現実的に考えにくい可能性については排除する”です』
光里が提示した三つの前提、聞いてみれば当たり前のことを言っているようにも思えるけれど一応確認しておく。
「体操服はこの階にあったっていうのは? 更衣室から教室での間でしか移動してないのだから、そのどちらかにあったと言うのが自然な気がするけど」
『そうですね。ただ先輩の話で最後に体操服が確認できたのは更衣室で着替えていた所まででした。その後鞄の中に入っていたのかは確認できてないので、どこにあったのかは不明です。でもさすがに他の階にあったとは考えにくいので、こういう言い方にしました。あまり場所を限定して視野を狭めたくはないですが、広く可能性を考えすぎても切りがないので』
視野を狭めたくはないと聞いて言葉に詰まる。実際僕は盗難されたのではないかという疑問が頭の中にこびりついて狭くなっているからだ。さすがに別のクラスに体操服が置いてあるような事は無いだろうけれど、他の可能性が思いつかなくなりかねないのである程度広い範囲で考えたのだろう。
「二つ目はわかるけど、三つ目はどういう意味?」
襟元を直し終わって臼井さんが言った。
『物理的に可能というだけなら幾らでも考えられるからです。実は鞄から体操服袋がはみ出てて、廊下ですれ違った生徒の手に引っかかって持って行かれたなんて事も絶対無いとは言い切れないです。なので根拠が無く偶然性が高すぎるものは考えないようにしようって事です』
聞いてみれば特に難しい内容でもなさそうだ。偶然で無くなった可能性までは考えないようにする、つまりある程度無くなった経緯に理由があるものとするという事だ。しかし、前提を作ったところで新しい切り口でもできるだろうかと思案する。思い悩んでいると、あらかじめ筋道を立てていたのか光里が滞りなく話を進めた。
『先輩は先週病気で学校はお休みしてたんですよね?』
「うん、そうだよ。この季節にインフルエンザになっちゃって、先週は全部お休みしたの」
インフルエンザといえば冬から春にかけて流行っているイメージだ。五月も終わりに近い時期にインフルエンザにかかるとは運が無い。軽い風邪なら多少無理してでも中間考査を受けに来たかもしれないが、インフルエンザとなれば学校に来るわけにもいかないので全て休んだのにも納得だ。
『今日の放課後に追試があるというのはいつ聞いたんですか?』
「先週の金曜日だよ。もう快復したから来週から学校に行けますって担任の酒々井先生に連絡したの。それなら数学の先生が補填で追試の機会を設けてくれてるから放課後に受けに行きなさいって言われて」
実は僕も追試が今日あるのは少し疑問に思っていた。中間考査を病欠する生徒がいるとあらかじめわかっていなければ、追試の問題を用意しておくことはできないからだ。しかし、インフルエンザで受けれないとわかっていたなら、先生方の対応が早いのも当然の事だろう。
『追試が今日の放課後にあるのを知っている人は他にいたんですか?』
「うーん、どうかな。今朝このクラスの友達には何人かに話したかな。部活の先生にも言ってあるから、もしかしたら部活の人たちも知ってるかも?」
『兄さんは知ってました?』
「いや、僕は知らなかった」
僕に聞くという事は、追試があるという事をクラスメイトの前で告知されていたかと聞きたいのだろう。臼井さんが病欠しているのは知っていたが、どうやって欠席したテストを補填するのかの話は全く聞いた覚えがない。人によっては補填方法にケチをつけるかもしれないので配慮して本人にのみ伝えているのかもしれない。
「それって何か関係あるの?」
体操服と関係なさそうな質問に臼井さんは疑問の表情を浮かべて聞いた。
『その前にもうひとつだけ。先輩の席がどこにあるのか教えてください。兄さんは自分の席に座って、先輩をカメラで映してください』
言われて僕たちはそれぞれの席に向かった。僕は廊下側から三列目の一番後ろの席にある。臼井さんはそのひとつ左側の四列目で一番前の席だ。三列目と四列目は丁度教壇の前になるので、臼井さんは先生から最も近い席になる。席の場所にこだわりがある訳ではないけれど、落ち着かなそうなので席替えの時はあそこにはなりたくない。
見ると、臼井さんが席に辿り着いてこちらに小さく手を振っていた。光里に言われたとおりに臼井さんをカメラに映す。中央の後ろの席というのもあって、カメラは教室のほぼ全てを見渡すように捉えていた。
「これでいいの?」
『はい。もう大丈夫です。先輩もありがとうございます』
光里の声に反応して臼井さんが戻ってくる。こちらに来るまで少し待ってから聞く。
「これで何がわかるの?」
臼井さんは帰ってくるなり僕の向かいの席に座った。
『実はこの話を聞いた時から疑問には思っていました。でも今のではっきりしました』
一呼吸の間があった。今のやり取りで一体何がわかるのか、全く予測がつかない。そうして光里から出てきた言葉は意外なものだった。
『体操服は盗まれてはいないと思います』
言ってから光里は、絶対にとまでは言えませんけどと追加した。僕と臼井さんの間で一瞬の沈黙が生まれる。それもそのはずで、どんなに頭で盗まれたと決まった訳ではないと言い聞かせてはいても、その可能性が一番高いと思っていたからだ。まず始めに盗難の可能性が否定されるとは思ってもみなかった。
「ほ、本当に!?」
僕より先に臼井さんが声を上げる。当事者である臼井さんは特に盗難である可能性に不安を感じていただろう。身を乗り出して僕の携帯に近づいたものだから、自然と距離が近くなる。落ち着かせるように手で抑えるジェスチャーをすると、臼井さんははっと気づいてゴメンと謝りながら体勢を戻した。
「光里、説明してくれる?」
『盗まれたと考えた場合、そのタイミングが放課後というのは違和感があります。教室の状況を合わせて考えるとほぼありえないです。盗めたとして相当な無理筋を通さないといけないです』
「タイミング? 盗むのに人が少なくなる放課後を狙うのは別におかしな事ではないような気がするけど」
むしろ最高のタイミングであるとすら思える。先生は職員室に行き、教室に戻ってくる可能性は低い。生徒も下校したり部活に向かうなりして教室から人の気配は薄くなっていく。違和感を覚えるような話では無い気がする。
『狙いがお金とか高価な物……言わば金目の物ならわかります。でも体操服だと放課後ではおかしいです』
「何か違いがあるの?」
僕と同じ疑問を抱いた臼井さんが聞いた。盗む物によって、タイミングが変わる事があるのだろうか。
『もし放課後にお金を盗むとしたら、二人ならどうします?』
言われて考える。誰かの物を盗もうと考えたことが無い為、すぐには思い浮かばなかった。もし僕ならどうするだろうか。大前提として人目につかないようにしたい。わざわざ放課後を選んでいるのは、この前提があるからだ。そしてより盗みやすい状況にある鞄を狙うと思う。ひとつひとつ教室の中を確認し、誰もいない教室を見つけて、無防備に置いてある鞄があれば物色して財布が無いか漁るだろう。
そんなところだろうかと考えを纏めていると、僕と全くの同意見を臼井さんが口にした。
「私なら誰もいない教室に鞄が置かれてないか無いか探しまわると思う」
「僕も同じことを考えてた」
むしろこれ以外の選択肢があるだろうか。他の可能性を考えてみるけれど中々思いつかない。光里には他の可能性が見えているのだろうか。
『そうですね、私でもそうします。でも、体操服の場合はそうもいかなくなります』
言われて今度は体操服を盗むところを想像してみる。しかし、盗む物がお金か体操服になるかで変わるように思えない。違いがあるとすれば体操服の方がサイズが大きく目立ちやすいとか、授業か部活がなければ持ってきていない可能性があるくらいか。けれど、そもそも人目を避けるために放課後を選んでいるからサイズは関係ない。そして体操服が入っていないなら他の人の鞄を漁るだけだ。何も変わらない……いや本当にそうだろうか?
「お金は誰から盗んでもいい。誰から盗んでも、お金はお金だからね。でも体操服を盗むとしたらそうじゃないのか。目的が違うんだ。単純に体操服が欲しいからと盗むはずがない。“その人”の体操服だから盗むんだ」
思いついたまま口にする。多分光里が言いたかったのはこういう事だろう。この学校に通っている以上、体操服なんて誰もが持っている。それでもあえて盗むのだとしたら、それは体操服が欲しいからではない。犯人には他に明確な目的があるはずだ。あらゆる目的が考えられるが、一纏めにして言ってしまえば嫌がらせだ。
『そうです。もし体操服が盗まれたのだとしたら、犯人は“先輩の”体操服だから盗んだはずです。盗める条件の合う鞄だけを狙うというのはできないです。そして今回は――』
その続きは、隣で聞いていた臼井さんが引き継いだ。
「そっか、教室には人がいた。とてもじゃないけど盗めるような状況じゃないのね」
『そういう事です』
言われれば確かにそうだ。僕がもし犯人で臼井さんの体操服を狙っていたのだとしたら、今日の放課後は条件に合わないので諦めるだろう。しばらくはお喋りをしているクラスメイトがいたし、いなくなった後も僕がいた。しかし、思い返してみると絶対に盗むのが無理とも言えないのではないかと気づいた。
「確かに教室には長い間、僕がいた。でも僕は教室に誰もいなくなった事に気づかない位には調査票に集中してたんだ。犯人がこっそり盗みに来ていても気づかなかったかもしれない」
どんなに静かに行動してもある程度の音は出るだろう。けれど、当時の僕が絶対に気づけたかどうかは自信が無い。
『犯人からしてみれば兄さんが自分の席に座っている時点で諦めると思います。先輩の席をもう一度見て下さい』
言われて臼井さんの席を見た。顔を上げただけで臼井さんの席が目に入る。というより、教室全体が見渡せる。僕の席からはほとんど死角が無い。つまり常に監視できる状態にある。
『いつ顔を上げるかもわからないのにわざわざ鞄の中を漁ろうと思います?』
「……無理だね」
僕が集中しているかどうかなんて関係ない。犯人からしてみれば、そもそも集中しているかなんてわからないのだ。僕が犯人に気づいていなかったとしても、何となく集中が削がれて顔を上げる事だってあるだろう。実際に僕はそうして一区切りした。光里が先程、僕たちの席の位置関係を確認したのはこういう事だったのか。
『誰のでもいいお金とは違い、個人の物を盗むのに人がいる可能性がある放課後というのは狙いにくいです。なら、どのタイミングがベストなのか。私なら移動教室で誰もいなくなる瞬間を狙います』
移動教室でなら授業の時間帯になってしまえば教室に誰もいなくなる。授業は学期が変わらない限り規則的に行われる。F組の時間割を調べれば誰だって狙う事はできるだろう。
『それでも犯人が今日盗もうと決めたなら、少なくとも先輩がいなくなるタイミングがわかってないとできないです。今日はテスト返却が主で、最後の授業は体育でした。移動教室は無いとわかってて、それでも狙えるタイミングがあるとすれば追試でいなくなる放課後です。だけど、先輩が追試を受けると知っている人は少ないはずです。確実に知っているのは同じクラスの友達の数人という話でした。そして移動教室のタイミングを知っているはずのクラスメイトが今日の放課後に盗むとは考えにくいです』
他にベストのタイミングがあるのにわざわざ今日盗むことにする。臼井さんが放課後に追試でいなくなった事を知る人は少ない。加えて放課後の状況まで考えると……確かに盗まれたとは考えられない。
『教室から誰もいなくなった十分間も偶然できた時間です。それも放課後になってから、しばらく時間が経ってからです。確証もないのに虎視眈々とチャンスを待ち続けるような人もいないでしょう。泥棒しようと様子を見に行ったら偶々その時間だったというのも考えにくいです。前提その三により排除です』
全ての説明が終わったのか、捲し立てるように喋っていた光里の声が一度止まった。一呼吸置いて、最後に結論を出す。
『つまり盗まれた可能性は限りなく低い、という事です』
時が止まったように、教室に静寂が訪れた。最も懸念していた盗難という可能性が否定され、臼井さんはどう思っているのかと顔を見たら、きょとんとした表情を浮かべていた。しばらく眺めていると、そんな表情のまま小さくぱちぱちと拍手を始めた。
「光里ちゃん、すごい。すごいね!」
臼井さんは拍手したまま感嘆の声を上げる。特段大きな声を上げたり強く拍手をしてはいないけれど、それでも静まり返った教室には反響していた。臼井さんの気持ちはわかる。僕も過去に幾度か光里に知恵を貸してもらった事がある。その経験があったからこそ、今回も助力を頼んだのだ。何が起こったのかわからない時や、考えが行き詰った時にそれをずばずばと解決していく姿をみるのは一種の感動のようなものを覚える。
『そんなにすごくもないです。教室に人がいたから盗まれた訳じゃないかもしれないって兄さんも言ってました。二人とも、そういう考えが頭にあったはずです。それを具体的にお話ししただけです』
臼井さんからの賞賛を受けても、光里は特に様子が変わっている気配は無かった。これはあくまで仮定や予想の積み重ねだ。本人も妄想という表現を使っていた。根拠のない推論には信頼を置くことはできないのだと光里は知っているのだ。だから慎重に、驕ることなく事を進めてくれている。今回の件は身内以外が関わっているというのも大きいのだろう。
「でも、どうしても盗まれたんじゃないかって疑いは晴れなかったよ。納得できる理由が無かったら多分ずっとそうだったと思う」
『まぁ実際に無くなってますからね。仕方ないかと』
しかし、晴れやかな気分になっているけれど解決した訳ではない。依然として体操服は無くなったままだ。
「そうなると……体操服はどこにいったんだろう」
臼井さんが拍手を止めて呟いた。僕が盗まれたと疑惑の念を抱き続けたのは結局消えた理由がわからないからだ。他に理由が思い浮かべばここまで不安になることもなかったと思う。盗まれたという具体性のある理由が一番納得できてしまっていたのだ。
『それなんですが。先輩に聞きたい事があります。先輩は何故盗まれたと思ったんですか?』
「何でって……どこにもなかったからだよ?」
当然の事を質問され、臼井さんは小首を傾げた。光里は僕達より先を考えているからか、質問が突飛なものに感じる時がある。傍から聞いている僕でも何で今更そんな事を聞くのかと疑問に思う。
『先輩は鞄の中に体操服が無いと気づいた時点で、置き忘れた可能性を考えて更衣室を確認しに行きました。そこで見つからなかったから盗まれたと考えたのだと思います。でも体育の授業が終わってから一時間近くは経っていたはずです。放課後に女子更衣室を利用する人がいて、その人が見つけてどこかに届けてくれた可能性だって考えられたはずです。むしろそう考える方が普通な気もしますけど、さっき聞いた話だと最初から盗まれたと思っていたような印象を受けます。何か理由があるんですか?』
落とし物が届けられていたような様子はなかったよと光里に言おうとしたけれど、臼井さんが体操服の紛失に気づいた時点ではその情報は伝えていなかったと気づいて口を紡ぐ。
臼井さんは先生に盗難された可能性を悟られたくなくて職員室に確認しに行くのを躊躇した。それは状況的に盗まれた可能性以外が考えられなかったからだ。しかし、思えば紛失に気づいたのは授業が終わってから時間が経ってからの事だ。盗まれたと思うより、誰かが拾ってくれたのだと考えた方が自然な気がする。そうであれば、あそこまで戸惑う事はなかっただろう。確かに臼井さんが真っ先に盗難の可能性を考えたのは不自然のようにも思える。
「放課後に更衣室を利用する人はいない……というとちょっと大袈裟かもしれないけど、少なくとも私は見たことが無いの。放課後に着替える必要がある人って運動部の人たちだと思うけど、部室があるからわざわざ更衣室で着替える人はいないと思う。あの更衣室は何と言うか……使い勝手が悪くて」
臼井さんは言いながら口元に手を当てて考え込んでいる。無意識に考えていた事を具体的に説明するのは存外難しい。自然と盗難の可能性に絞ったのにはやはり理由があるようだ。
「女子更衣室ってね、鍵が付いて無いの。女子の皆が使うものだから、着替えてるからって鍵を閉められちゃうと使えない人が出てくるから当たり前だと思うんだけど。体育の授業で着替える時は、皆バラバラのタイミングで入ってくるから扉の開閉が激しいの。そうすると廊下から中が見えるでしょ? だから落ち着いて着替えられなくて……更衣室を使ってても、皆も気を遣ってるの」
女子更衣室は往来の激しい階段脇にある。確かにそんな環境で二クラス分の女子生徒が扉の開閉をしていたら落ち着いてはいられないだろう。扉を開ける瞬間にふと目線を向ける男子生徒もいるかもしれない。
「だから運動部の人は大抵部室で着替えてる。もし使う人がいても少数だと思う。私が使ってたロッカーは最奥の下段だったから、更衣室が使われてても見つけられる可能性は低いと思うな」
『人気が少ない更衣室を利用するのに、わざわざ最奥のロッカーを使う人もそういないでしょう。確かに誰かが見つけてくれたとは考えにくいですね』
臼井さんはうんと頷いた。これで光里に説明している時には自然と省かれていた状況が把握できた。僕は臼井さんの話を聞いていて何も違和感を抱かなかった。言われてみれば確かにおかしいと思える。そんな些細な部分だからこそ、気づいて指摘できる光里はすごいと思う。
『つまり体操服が教室か更衣室どちらにあったにしろ、普通なら無くなる環境ではなかったという事ですね』
「そういう事だね。……でもますますわからなくなってきたね。どこにいったというか、何故無くなったのかすらわからなくなった」
盗まれた訳ではなさそうで、かといって他に無くなる理由が見当たる訳でもない。思い当たった可能性を消せただけで、話は振出しに戻っただけのような気がする。何か別の可能性でも思い浮かべば検討もできるけれど、僕は当然思いつかなかった。臼井さんに目をやると同じ考えだったようで、僕たちは合わせたように携帯に目を向けた。
『ここで考えられるのはここらが限界です』
僕たちの気配を察したように光里は答えた。元々ほとんど手掛かりの無い話だったので、解決まで持っていけるとまでは思ってはいなかった。少しでも助けになればと思っていたけれど仕方ない。そう思っていたところ、光里が続けて言った。
『なので、ちょっと聞き込みでもしましょう。兄さんお願いします』
「聞き込み? どうすればいいの?」
予想外な頼み事がきて、思わず聞き返す。
『まだ教室に残っている生徒の方に、黄色い袋を見なかったかと聞いてまわってください。中身は言わなくていいです。あくまで自分の落とし物を探している感じでお願いします』
そうやって聞いてまわれば、いざという時に臼井さんが噂されるリスクも少なくなる。僕としては全く問題は無いが、誰かが持っていった可能性は先程のやり取りで否定されたはずだ。
「何かわかったの?」
『いえ、特には。妄想の範疇であればいくつかありますけど、もう少し情報が無い事には絞り切れないです。何かの間違いで他の方が持ってるか、行方を知っているなんて事もあるかもしれないですし、他に何か情報があるかもしれないので』
確かに先程までのやり取りは、考えるにあたって偶然性が高すぎるものは考えないようにしていた。実際は何か偶然に偶然が重なって誰かの手元に渡っているのかもしれない。念の為に確認するべきだ。
「この時間だから多分そんなに人は残っていないと思うけど……佐倉君は知らない人に聞いてまわって大丈夫なの?」
臼井さんが申し訳なさそうに聞いてくる。特別難しい事をする訳でもないのに、そんなに神妙な面持ちにならなくてもいいのに。
「別に問題ないよ。ちょっと聞くだけの事だしね」
『先輩、兄さんの名前って知ってますか?』
光里がまた唐突に意図の掴めない質問をした。臼井さんは少し考えたようにしてから答えた。
「……ごめんなさい。女子の名前も全員は覚えてないくらいで。下の名前まではちょっと」
何か接する機会でもあれば違ったのだろうけれど、割と色んな人に話しかける僕も臼井さんと話すのは今日が初めてだ。名前を覚えるような出来事でもなければフルネームを知っている事はないだろう。僕も臼井さんが中間考査を丸々休んでいなければ下の名前までは覚えていなかったと思う。
『陽キャの“陽”に図太いの“太”で“はるた”と読みます。名前の通りの人なので知らない人に話しかけるくらい何の問題もないです』
「もう少しマシな紹介の仕方なかったの?」
とはいえ後半の部分は否定しづらい。事実、全く知らなかった訳ではないとはいえ、普段は関りがない臼井さんに話しかけたのは僕だからだ。
「陽太……良い名前だね。光里ちゃんも明るくて可愛い名前だよね」
『兄さんは名前の通りの性格に育ちましたが、私はダメです。両親には申し訳ないですけど引きこもりの陰キャに育ちました』
「光里、臼井さんが反応に困るよ」
家族の僕ならともかく、今日知ったばかりの臼井さんは引きこもりの部分はデリケートで触れにくい部分だろう。あえて言う事で大した問題ではないと伝えたいのかもしれないけれど、光里は多分そこまで考えてはないと思う。
『とにかく行きましょう。遅くなると誰もいなくなるかもしれません』
言われて僕たちは席を立った。手に持っていた携帯をポケットに入れようとして、光里とビデオ通話しているのだったと思い出す。どうしようかと戸惑っていると、
『カメラが出るようにして胸ポケットに入れてください。私はミュートにして音が出ないようにしておきます』
と光里から提案があった。
言われた通りに胸ポケットに入れる。念の為にアウトカメラを使用し、画面は内側にしてレンズがポケットから顔を出すようにしておいた。学ランの胸ポケットに携帯を入れているのは珍しいかもしれないけれど、そこまで違和感もないだろう。
教室から廊下に出ると、多少柔らかになった日差しが窓から入って辺りを照らしていた。これから夏になり更に日は延びていくだろう。夏は嫌いではないけれど、夏の日差しに照らされながら徒歩で帰宅するのは一苦労しそうだ。
さて、どこから聞き込みに行こうか。手前から順にでもいいけれど、何かあった時に光里に話を聞く事もあるかもしれない。最終的にF組に戻ってくるだろうし、道中で戻る案件になったら再び最奥の教室に向かって行くのは億劫だ。そう考えてA組から順に、戻ってくるように聞き込みに行った方がいいだろう。とはいえ、この時間に人はさほど残っていないだろうし、そんなに何度も話を聞く機会はないだろうけれど。
そう思って歩き出すと、臼井さんは僕の一歩後ろから付いてきた。僕が主軸になって動くので従って動くという事だろう。二人分の足音が、静かになった廊下に響いていた。家事があるので僕は授業が終わってからすぐに帰宅するようにしている。なので、この時間帯の校内に残った事がなかった。いつもはごった返している廊下が静かなのは新鮮だ。普段は見れない景色に感心していると、袖が弱々しく引っ張られた。僕の後ろには臼井さんしかいないので、引っ張っているのは勿論臼井さんだろう。普通に話しかければいいのにと思いつつ振り向いたら、臼井さんは口元に手を添えていた。耳を貸してほしいというジェスチャーだ。周囲に人はいないので、聞かれて困る話でも小声ならば問題は無さそうに思える。ちょっと疑問に思いつつも、僕は素直に耳を臼井さんに近づけた。
「全然関係ない事なんだけど、ちょっと聞いてもいい?」
臼井さんは耳元で囁くようにして言った。ここまで声を小さくしているという事は、聞かれたくない相手というのは多分光里の事だろう。そう察して、なるべく体を前に向けながらゆっくり歩いて頷くことで了承の返事をした。
「光里ちゃんって、何で佐倉君にも敬語なの?」
何を聞かれるのかと身構えていたら、特に大した事ではなかった。光里が冗談交じりとはいえ何度か引きこもりと言っていたので、その辺りでも聞かれるのかと思っていた。しかし、僕が自然に受け入れている光里の口調も他人からは不自然に見えるらしい。確かに実の兄を相手に敬語で話しているというのは変に見えても仕方ない。
何て答えようか。昔は……と言えるほど昔でもないけれど、ちょっと前まで光里の口調は普通だった。ある出来事を切っ掛けに今の口調に変えたのだ。そして、その理由ははっきり言って大したものではない。どちらかというと笑い話の類だ。臼井さんはどうも何か深い理由があるのかもしれないと考えているようだ。もし聞いて傷つくような事情があれば光里に悪いからこその内緒話なのだろう。一から説明するか端的に言うか考えて、説明するほど時間がある訳でもないので、
「簡単に言えば、背伸び」
とだけ答えた。
言っている意味を考えるように腕を組んだ臼井さんを横目に見ていると、不意に胸ポケットから光里の声が聞こえてきた。
『何か言いました?』
「ううん、何も。全然気にしなくていいから、大丈夫」
恐らく僕の声しか聞こえていなかったはずだったのに、光里はミュートを解除してきた。何の話をしているかはさすがにわかっていないと思うけれど、自分の話題だと察しがついたのだろう。それだけ言うと、携帯からノイズが聞こえなくなった。またミュートモードにしたようだ。それにしても相変わらず恐ろしいほどの察しの良さだ。
そんなやり取りをしている間にA組の前に来ていた。中に誰かいないかと確認してみると男子生徒が二人、一つの席を挟むようにして座って談笑していた。人は少ないだろうと予想はしていたけれど、もし他に何グループか残っていたら聞きにくかったかもしれない。とはいえ、どのくらい人が残っていようと、どういう風に聞くのか段取りは決めていた。僕は開いていた扉から顔を覗かせ、二人に聞こえるようにノックをした。
するとノックに気づいた二人が談笑を止めてこちらを同時に見た。僕の顔を見るや怪訝な表情を浮かべている。知らない人物がこんな時間に急に現れたら訝しむのも当然だろう。
「すいませーん。ちょっと聞きたいんですけど、黄色い袋を見ませんでしたか? ナイロン製の……この位の大きさの物なんですけど。無くしちゃったみたいで探してるんです」
体操服を畳んだサイズを想像して手で大きさを表してみる。失敗した、臼井さんにどの位のサイズか聞いておくべきだった。体操服を入れる袋なのだから大きすぎるってことはないだろうけれど。
僕の言葉を聞いて二人は再び顔を合わせた。ぼそぼそとここには聞こえない程度の声量で何かを話し合っている。すると片方の男子生徒が、
「いや、俺達は見てないな」
と答えてくれた。
「そっか、どうもありがとう!」
相手にはっきりと聞こえるように大きめの声でお礼を言って廊下に戻る。そこには教室の中からは見えないように立っている臼井さんがいた。彼らの目に留まると、僕が代理で尋ねたのだと思うかもしれないからだろう。手で次の教室に行こうとジェスチャーを送る。
B組の前に来たところで、先程の失敗を思い出して臼井さんに聞いた。
「ごめん、適当に言っちゃったけど、袋のサイズってあれ位で合ってた?」
「うん、大丈夫だよ」
それは良かったと思いながらB組の教室を見る。B組の教室の扉は閉まっていたけれど、扉には窓のように四角いガラスが嵌められているので、そこから中の様子を窺えた。そこから見える範囲には教室に人はいなさそうだ。一応確認してみようとドアノブに手をかけて開けようとすると、扉には鍵がかかっていた。
「鍵がかかってるみたいだね」
何度か引き戸となっている扉を開けようとしてみたけれど、ガタガタと音を立てて扉が揺れるだけだった。
「本当だ。教室って戸締りされるんだね。放課後は部活に行ってるから知らなかったな」
臼井さんが、僕と同じように扉のガラス部分から室内の様子を確認して言った。同じく僕も知らなかった。登校する時や帰宅する時、教室はいつも開放されている。けれど、鍵がかかっているという事は、誰かが戸締りでもしているのだろう。
それから僕たちはC組、D組と続けて確認しに行った。C組はB組と同じように無人で、こちらの扉にも鍵がかかっていた。D組には男女の四人グループが残っていて、A組の人たちと同じように聞いてみたが知らないようだった。ちょっと派手目な人たちで言葉遣いが多少荒かったからか、聞き終わった後に罪悪感を抱いた様子の臼井さんが謝ってきた。彼らは別に僕を馬鹿にしたりだとか、威圧してきた訳ではない。多分そういう口調が彼らにとって自然なのだ。確かに初対面の人間にはマナーが悪いようだけれど、僕たちは同じ高校に通う同学年の生徒だ。言葉遣いが荒いとも言えるが、言い換えればフランクな感じだったとも言える。とにかく僕は気になるような態度でもなかったし、そもそも彼らは協力してくれているので気に病むような事でもないよと臼井さんを諭しておいた。
そんなやり取りをしながら、僕たちはもう一つの教室の前を通り過ぎた。教室でいう中心の位置まで歩いたところで、胸元から光里の声が聞こえてきた。
『ちょっと待って下さい。ここは見なくてもいいんですか?』
その声を聞いて僕たちは足を止めた。そうか、僕たちは知っているので自然と通り過ぎたけれど光里は知らないのか。
「この教室は使われていないんだよ。この学校、元々は七クラスあったのかもね」
胸ポケットから携帯を取り出して、教室のプレートを映すように持っていく。プレートは学年も組も書いておらず空白になっている。光里にもわかるように扉のガラス部分から中の様子を映し出した。
『今は倉庫として使われてるんですね』
光里が瞬時にそういう感想を抱いたように、この教室の中は色んな物が乱雑に置かれていた。
今では予備として使われている、恐らくは元々このクラスで使用されていた机と椅子。それらは椅子を引っくり返し、机の上に乗せた状態で教室の端に押しやられている。他にも何かの授業で使用されていたような教材や、看板のような物やコードといった物まで様々な物がここから見えた。
これだけの物が置かれているのだから当然だけれど、ここは鍵がかかっている。これは入学当初に何人か扉を開けようとした人を見た事があるので知っていた。さすがにここからは体操服の手がかりは見つからないだろう。臼井さんも光里も特に異論は無いようなので、そのまま先へと進む。
階段の前を通った先に開き戸になっている扉が目に入った。聞き込みという目的で教室から出てきたけれど、ここは見ておいた方がいい気がして足を止めた。
その扉の上にもプレートが付けられていて、そこには手書きで“女子更衣室”と書かれている。結局ここには体操服は無かったという話だったけれど、最後に所在を確認できた場所でもある。
「光里、ここが更衣室だけど見ておいた方がいいかな?」
『そうですね、見ておきたいです。イメージしやすくなるので』
そういう事なので僕はそのまま扉の前で待機する。空き教室のやり取りのまま手に持っていた携帯に目を向けていると、
「中に入らないの?」
と隣にいた臼井さんに言われてしまった。ここ、女子更衣室なんだけれど。
「僕が入ったらマズくない?」
「あ、そっか。中には誰もいないだろうから大丈夫だとは思うけど、一応ね」
そう言って臼井さんは躊躇なく扉を開けた。僕も中に人がいるとは思ってはいないけれど、万が一という事もある。もし人がいたら、傍から見れば着替えの瞬間を撮影でもしようと目論んでいる姿に見えなくもない。焦りを感じて携帯を急いで下ろすが、どうやら無人だったようだ。安堵に胸を撫で下ろしていると、僕の挙動に心中を察して、
『よかったですね兄さん。裸の妹に女子の着替えを配信する変態さんにならなくて済んで』
と光里がからかってきた。
「あ、ごめんね。でも大丈夫だよ。放課後は本当に誰も使わないから。それにこの時間だもの」
僕らのやり取りにクスっと笑って、臼井さんは更衣室の中に入っていった。僕もそれに続いて中に入る。
「頭ではわかっているんだけど、ついね。……ところで光里」
『なんです?』
「早く服を着なさい。風邪ひくよ」
『あい』
まだ服を着ていなかったのかと呆れながら頭を振る。確かにずっと会話をしながらだったので着るタイミングがなかったのかもしれないけれど。
気を取り直して女子更衣室の中を見渡した。中は奥行きはあるが幅は教室の半分ほどの広さで、両脇の壁には上下二段に分かれているロッカーが設置されていた。奥には引違いの腰高窓があって、薄い黄色のカーテンが開けられている状態だった。
臼井さんが部屋の一番奥まで行くと、向かって右手側のロッカーの下段を指さした。
「私が使ってたのはここだよ」
両脇に並ぶロッカーに視線を巡らせながらそこへ行く。ロッカーとはいうが扉は付いておらず、どちらかといえば棚と言った方が正しいかもしれない。中に何か無いかと目を配っていたけれど、特に目を引くような物はなかった。私物の類といったものは何もなく、ただ空虚となったロッカーが規則正しく並ぶだけだ。臼井さんが指さした場所にも当然のように何もない。
『兄さん、そこから出入り口を映してください』
ロッカーの中に何もないのを確認すると、光里がそう言った。言われた通りに携帯を扉の方に向ける。振り返ってみると、扉の隣には蛍光灯のスイッチが付いていた。けれど新しく気づいた事といえばそれくらいだった。この部屋は必要最低限の物だけが存在して、無機質な印象を受ける。何か目立つものがあればすぐに気づくだろう。
『思ったより距離がありますね。確かに一人で利用したとして、わざわざここのロッカーは使わないですね』
そういえば、最奥のロッカーは使う人はいないだろうと光里が言っていた。部屋が狭ければ使用する可能性もあっただろうけれど、これなら多分ない。奥行きだけなら教室と同じ長さがあるからだ。
『兄さん、窓を調べて下さい』
「窓? うん、いいけど」
言われてカメラを窓に向ける。どこの家庭にもある一般的な腰高窓だ。左右二枚のガラス戸をスライドして開閉するタイプで、窓を閉めると中心に回転させて締めるタイプの鍵がくるようになっている。今は窓はも鍵も閉まっている状態だ。
『ありがとうございます。もう大丈夫です』
てっきり窓から見える景色まで映してほしいと言われるのかと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。という事は光里は窓そのものを気にしていたみたいだが、何か意図があるのだろうか。慎重な光里の事だから調べられるものなら調べておこうと思っただけかもしれないけれど。一応覗いてみると、窓からの景色は教室から見た時と同じようなものだった。この教室棟と向き合うように建っている特別棟と、その間を繋ぐ渡り廊下の屋根、それに校門が見えるだけだ。
「他に何か見たいものでもある?」
『いえ無いです。戻りましょう』
その声を聞いて臼井さんが先に部屋から出ようとした。扉の前で一瞬立ち止ったので僕も足を止める。臼井さんは止まったまま、ステンレス製のドアノブを見つめていた。
「どうかしたの?」
「あ、ごめんね止まっちゃって。何で鍵が付いてないのかなって疑問に思って」
あれ、と小首を傾げる。先程臼井さんは鍵をかけられると使えない人がでてくるからと自ら説明していたような気がする。そんな僕の様子を見て、臼井さんは続けて言った。
「外からだけ施錠できるタイプの鍵が付いててもおかしくないと思うの。一応生徒の私物を置くところでしょ、更衣室って」
『生徒会活動記録でも漁ればわかるかもしれませんね』
間髪入れずに光里が言った。更衣室に鍵が付いているのかと生徒会の活動と何か関係しているのだろうか。今日一番の突飛な発言に、またも僕と臼井さんは顔を合わせる。
「随分話が飛んだね」
『わざとです。何となく思いついたことを喋りました』
今回の体操服の件のように、光里に知恵を借りる時はいつも慎重に事を進めてくれる。自分の考えや発言が相手に影響される場合は、迂闊な発言をしないように気を付けてくれている。でも更衣室の鍵の件は間違えても誰にも迷惑はかからない。なので確信はなくても何となくこうだと思い浮かんだ事を口にしたのだろう。それでも光里なりに筋の通る理屈はあるはずで、この部屋を見ただけでそういう発想ができるのは毎度の事ながら感心させられる。
「ね、教えて。何でそう思ったの?」
気づくとドアノブから手を離した臼井さんが携帯に顔を近づけていた。妙に生き生きとした表情に見える。体操服が盗まれた可能性が低いと断言されてから、多少は元気を取り戻してくれたようだ。この件がどうなるかはまだわからないけれど、その様子を見て僕は安堵した。
『男子更衣室がないからです。端っこの教室であるF組からA組まで歩いて、教室ではない部屋はこの女子更衣室だけでした。となれば、この学校が創立された時は恐らく更衣室自体が存在しなかったのだと思います』
「男子は教室で着替えればいいから用意されていなかったんじゃないの?」
男子はともかく女子の着替えには気を遣うだろう。女子更衣室だけ用意されてても、それほどおかしいとは思わないけれど。
『生徒……というか子供の着替えに関して意識が向けられたのは、意外と最近の事なんです。ほんの少し前まで着替えは男女とも同じ教室でするのが普通でした。校舎の設計時点で更衣室を配置するような配慮のできた学校であれば、差別の無いように男子更衣室も用意するかと思います』
確かに更衣室が女子用しかない設備というのは、見た事が無い気がする。普通はそれぞれ設置されているものだろう。
『途中にあった空き教室は、かつては普通に教室として使われていたのでしょう。という事は、この学校は少子化が問題になる前に創立されたのだと考えられます。そのくらいの時代は、まだ子供の性について軽く考えられていました』
光里の淀みのない説明に、臼井さんは頷きながら興味深く聞いている。
『あの空き教室は倉庫代わりに利用されているにしては、倉庫として使われすぎている気がします。まるで倉庫の中身をそのまま持ってきたようです』
ここまで言われれば僕たちだって何が言いたかったのかはわかる。話の続きを臼井さんが拾った。
「つまり、この女子更衣室は元々は倉庫だったってことね」
『実際に何の部屋だったのかまではわかりません。私の通っていた小学校では校舎にあった小さな倉庫には鍵はついていませんでしたし、その可能性もあると思いました』
光里はこの学校に来た事はない。携帯のカメラ越しに廊下を往復するだけで、こうも考え付くものだろうか。そう考えていたところで、まだ完全には説明されていないと気づく。
「それで何で生徒会活動の話になるの?」
『そこは妄想です。子供への性意識が高い教師が率先して動いてくれたのかもしれませんが、多分違います。であれば更衣室が欲しいと動くのは生徒でしょう。かつて着替えの場所を欲しがった女生徒の要望を、生徒会が実現させたのではないかと思います』
生徒が抱く不満は生徒が一番理解している事だろう。なので、生徒が動いたと言うのは納得できるけれど、
「なんで教師は動かないって思うの?」
『荷物がいっぱいあったからです。あれだけの荷物を移動させるのは大変です』
急にふわっとした理由になって、僕はガクッと力が抜けた。臼井さんは、確かに大変だけどねと言って苦笑している。
『半分冗談です。倉庫を別の部屋に変えるのには校長あたりの許可が必要なはずです。教師の意見だけで勝手にはできないでしょう。個人の生徒が直接訴えかけた可能性もありますが、ここから先は考えようもないです。だから妄想です』
話し終わると、またも臼井さんは小さく拍手をした。
「やっぱりすごいね光里ちゃん! 探偵さんみたい!」
興奮気味に言う臼井さんに対しても、光里は相変わらず冷静な口調で話す。
『理屈なんてどんなものにでもくっつけられるものです。そんな諺もあるくらいです。あんまり適当な発言を鵜呑みにしてると危ないですよ。いつか悪い人に騙されそうです』
冗談交じりに、けれど窘めるように光里は言った。
「大丈夫だよ、光里ちゃんみたいにすごい人そうそういないもの」
「実際、僕もそう思うよ。本当よく気づくよね。すごいと思うよ光里は」
理屈が通る事を言えるのがすごいのではない。誰も気にしていないような情報を掬い取り、それらを組み合わせて結論を導き出せるからすごいのだ。それは誰にでもできる事ではない才能だと思う。
『……兄さんの方がよっぽど化け物じみてると思いますけどね』
独り言のように小さい声で、光里はそう言った。その真意について問いかけようとしたところで、
『余談がすぎましたね。教室に戻りましょう』
と話を切り上げられてしまった。
女子更衣室から出た僕たちは続いてE組を見てみたけれど、中には誰もいなくて教室の鍵も閉められていた。そのままの流れでF組へと戻った僕たちは、聞き込みに行く前と同じように僕の席を中心に座った。