十五ページ目 兄妹
「ただいま~っと」
「おう! お帰り!」
リビングの壁からひょっこりと顔だけを出したうちの兄貴──紅創介が、手を振りながら言う。
「兄貴! もう来ていたのか」
「ピザ頼んだから、それまで風呂入ると良いぞ」
「わかったー!」
スクールバッグを部屋のテキトーな場所に置き、脱衣所に向かう。お風呂は兄貴が洗ってくれたようだ。ガサツなあたしと違ってピカピカに光った浴槽に、ほどよい温かさのお湯が張っている。
シュルシュルと汗ばんだ制服を脱ぎ、洗濯籠にポスっと入れると、手桶でお湯をすくい、肩からジャーっと掛けて汗を流す。
温度を確かめる様に、足先からゆっくりと入る。
「ふぅ~~っ……」
湯船に浸かると、自然と全身の緊張が解れた感覚と共に、力が抜けていくのを感じる。今日はとても疲れた。……前半だけだったとはいえ、オルタ杯に黒鉛字と共に向かった軍の施設。黒鉛字が以前所属していたらしい部の先輩たち。そして謎の男、箱峰────
「まだまだわかんねえことだらけだな……」
「黒鉛字とあたしの関係性はわかった。……けどまさか、あたしの身近な人が、敵と繋がっていいたなんて思わなかった。おそらく、黒鉛字の元部員とも、戦う事になるだろう。彼女……怪盗アルテと名乗った少女が助けてくれなければ負けていた。
「アルティクロスの強化、か…………」
ブクブクと息を吹きながら、お湯の中に頭を沈める。考え事をするには風呂が良いとテレビやスマホの動画でインチキ臭い専門家がブツブツと言っているが、あれは嘘だと、今思う。
『考え事をするのに良い』のではなく、きっと、考え事を頭の中で整理することや、その考え事自体を一旦忘れさせる──つまりリフレッシュすることに、お風呂という場所が最適なだけだ。
「もうすぐ夏合宿か……絶対に強くなってやる!」
バシャッ! と勢いよく湯船から出ると、グッと拳を握り、「よし!」と気合を入れ直した。
「……おーい、ピザ来たぞー」
「わかったー」
ピザに釣られてお風呂場から出ると、美味しそうな匂いが漂ってきた。早く着替えて食べよう!
────少しして、お腹も満たされた頃、ふと、冷蔵庫から自分で買って来たらしいチューハイの缶を片手に、兄貴があたしに話しかけてくる。
「……学校はどう?」
「ん~~……ぼちぼちかな?」
(さすがにアルティクロスがらみの、特に黒鉛字とのことは話せない……)
「……友達は相変わらずか?」
「え! あーうん」
「そっか。……あんまり気にするな。また見つかるさ。カナに合った友達が」
「……うん」
兄貴はアルティクロスを持ってはいないが、どんなものかを知っている。何より、昔遊びに来た準子からも、『優しいお兄さん』と、太鼓判を押されたほど、自慢の兄だ。
だからこそ、準子が亡くなったあの日、あたしと同じくらい悲しい顔で泣いてくれた兄は、今の学校生活を心配してくれている。本当に優しい兄貴だ。
「そっちはどう? 仕事大変?」
「俺か? う~ん、強いて言えば、妹に会えないのが残念ってとこだな」
「もう! それ仕事関係ないじゃん! ……兄貴らしいけど」
「そりゃそうだろ~。毎日カナエナジー補充したいくらいだ。残業がなかなか終わらない時に電話やバイン(SNS)じゃ足りないんだよ~」
「なんだよ、カナエナジーって。あたしはエナジードリンクか!」
「ははは! そりゃいいな! 勤務中、ずっと飲んでいたい!」
「あーはいはい。あたしは生きる栄養剤ですよ~。ほら、そろそろ寝な。明日もあるんだろ」
「うぃ~~」
酔って少し顔が赤くなった兄貴はノロノロと歩いて、あたしのベッドに転がるように倒れると、クーカーと小さないびきをかいて、夢の中へと旅立っていった。
「……いつもありがと」
幸せそうに寝ている兄貴の身体に優しく蒲団を掛けると、あたしは押し入れに入った毛布を引っ張り出し、ソファーで寝始めた。
────翌日、目が覚めると、兄貴の姿はなく、かわりにバインのメッセージ欄に『ありがとう、カナ』と、書かれていた。
「ん……っと、さて、起きるか」
ビヨ~ンと背伸びしつつ、トースターに棚から出した食パンを入れ、焼きあがるまでの間に、インスタントコーヒーを作る。
鼻歌交じりにコーヒーの粉を入れていたその時、テーブルに伏せて置いていたスマホが鳴り出した。
「……誰だよ。こんな朝っぱらから。せっかくの休みだっていうのに……先輩? ────もしもし、先輩?」
『────大変だよ! 紅ちゃん! 大ニュース!』
「どうしたんですか~?」
まだ頭が覚め切っていなかったのか、先輩の言った言葉で、ようやく目が覚める感覚がはっきりと全身に伝わった。
『──────イスが盗まれた……ッ!!』