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「書き変えるか何だか知らないけど、このまま通すわけにはいかないわ! 箱峰さんがくれたこの力……。いいわ。本気を見せてあげる……ッ!」
米古月が隠し持っていたハンコらしきものを取り出し、胸にグッと押し当てる。すると、それを中心に赤い蜘蛛の巣状の文心が彼女の全身を覆った。悶え苦しむその様子に、身の毛がよだつ感じがした。一体何をしたんだ!?
「がああああああ……ッ!?」
「おい、あんた、何を……!?」
彼女の身体がボコボコと内側から何かが這い出る様に膨らみ、そして、彼女の身体が破裂した。血風吹と共に現れたのは、人間の姿形など微塵も感じられない、異形そのものだった。そしてこの感じ、以前にも感じたことがある。これではまるで────
「準子の父親と同じやつじゃねーか……」
「……そうか。おそらく彼は、彼等からそのハンコを受け取り、使ったと言う訳か。なるほど、これで軍との接点は彼等、そして箱峰の仕業か……」
肩を押さえた黒鉛字がゆっくりと側にやって来た。かなり負傷はしているが、無事の様だ。それよりも────
「なあ……あれ、前の時よりもオーラがヤバいんだけど、あたしだけ?」
「いえ、前回戦った彼はアルティクロスを持っていなかったはずです。つまり、どう考えても以前の様に簡単に倒せるとは、思っていません……」
「ここにお前の仲間はいねえのか? ほら、こういう展開って、映画だと助っ人が来る流れじゃん?」
「無茶言わないで下さい。軍を抜けた僕に助人は望めないですよ。……隙を作りますから、その間に出来るだけ離れて下さい。死なない程度に僕も逃げますから」
「バカ! 一人でどうにかなる相手じゃないって、今自分で言ったところだろ! ここは二人でどうにかするしか……ッ!」
「ですが、このままでは────」
「人の気も知らないで! 勝手に言うな! あたしが相棒と決めたのに、またあたしを一人にするんじゃねーよ…………ッ!!」
「要さん……ッ!」
あ……ッ! 勢いとは言え、言ってしまった。超恥ずかしい……。あーもう! こいつといると頭がフワフワするし、調子が狂う。何だ、この変な感じ。やはり男を拒絶する何かが、あたしの身体が反応しているからか……? ええい! 消え去れ煩悩!
「い、今のはなしだ! 忘れろ!」
「はは。相変わらず理不尽ですね……さあ、来ますよ!」
先ほどの戦いで消耗したのか、文心を多くは溜められないが、今溜められる限界まで、右腕にグッと力を込める。…………が、
「な……ッ!?」
「後ろか……ッ!」
一瞬にしてあたしたちの背後に回った怪物が文心を限界まで溜める前に、襲い掛かって来た。これは避けきれない! 終わった……────
ゴッ。
『ッ!?』
一瞬、何が起きたのか状況が理解出来なかった。避けきれない攻撃を食らう寸前、あたしたちの前に透明な壁の様なものが出現した様に見えた。否、まさにそれは《壁》だった。
「────……間一髪だったね」
どこからか綺麗な女の子の声が聞こえた。少しして、それが怪物の後ろにいた少女によるものだということに気が付く。────誰だ……?
「要さん!」
「……ッ!」
黒鉛字があたしを呼ぶ声で我に返った。そして隠れた物陰から怪物の後ろにいたあの少女をもう一度見た。どこかで見たことがあるような……?
「黒鉛字、あれ……」
「ええ。どうやら彼女が僕達を守ってくれたのでしょう。何者かは分かりませんが……」
怪物がズドン、ズドンと少女に向かって攻撃を繰り返すが、例の壁が彼女の身を守っている。アルティクロス使いであることは分かるが、何なのかまでは分からない。居ても立ってもいられず、あたしは少女に質問した。
「ありがとう! あんたの名は?」
すると、気が付いたのか、ゆっくりとこちらへやって来る。無論、その間も怪物が攻撃を仕掛けるも、全て防がれている。なんてすごい力だ。
「私は『怪盗アルテ』。……君たちは君達のやるべきことを」
「怪盗アルテ……どこかで聞いた様な……」
「敵かどうかなんて今はどうでもいい。ありがとう。助かった」
「行って。未来のために」
頭を悩ませる黒鉛字を無理やり引っ張り、この事件の真犯人──箱峰という男が待つ、最上階を目指した。
◇◇◇
「────ここです! この部屋におそらく彼が……」
バン! と大きな音を立ててドアを開け、部屋に入ると、そこに一人の男がいた。歳は私達と変わらなさそう。つまり彼が……
「……あんたが『箱峰』か……?」
街が一望出来きるほど大きなガラス壁から、空を見上げる様に顔を向けたその男が、ゆっくりとあたしたちに顔を向ける。表情は何故か笑顔だった。まるであたしたちがここに来ることを分かっていたような、そんな印象だった。
「……紅要。そして黒鉛字尖斗。ようこそ、ここへ」
「ようこそだと? てめえ、ふざけてんのか!」
「ふ……はははははは!」
「……ッ? 何がおかしい!?」
「……そうか、君が青野準子の────」
準子? 何のことだ? いや、今はそれよりこいつから聞きたいことがある。
「……あんたは何者だ。なぜあんなものをあいつらに──準子の父親に渡した……ッ!」
「あんなもの? ……ああ。ハンコのことか。ということは彼等が使ったのを見たということか」
「あれは何だ! 誰があんなものを────」
「私が作ったに決まっているじゃないか?」
『なっ……ッ!?』
思わずあたしと黒鉛字が絶句した。悪びれる様子もなく、ただ純粋におもちゃをねだる子供に買い与えた様に言うその様は、あたしの眼から見ても異質だった。まるで人間を玩具として見ている様にも感じた。
「君たちがここへ来たということは、彼等はやられたのか。ふむ、残念だ。……せっかく力を与えたのに、失敗とは。滑稽だな」
「滑稽……だと……?」
「だってそうじゃないか! 私がせっかく見つけた実験体だというのに、こうもやられてはまたアルティクロスを取り込まなくてはならなくなってしまった。力の源はその辺に落ちているとはいえ、数に限りがある。……あ、そういえば君達から奪えば十分……いや、お釣りがきそうだ」
「何の話だ……? 数が減る?」
「箱峰、貴様の血からの正体は《道具箱》……だな?」
……《道具箱》? 箱にものを入れる────まさか……ッ!?
「ご名答! 私のアルティクロスは《道具箱》。他者のアルティクロスを奪い、己に取り込む。そしてそれを他者に与える。実に明快な力だろ?」
その瞬間、あたしは想像したくないそれを脳裏に過ってしまった。こいつは他者のアルティクロスを奪う。つまり、その誰かは────
「……お前……人を殺したのか……?」
あたしの問いに箱峰がゆっくりと答えた。あたしの目に映ったこの男の姿は、まさに悪魔にしか見えず、ゾゾゾと背筋に悪寒が走った。おそらく作りものじゃない、本物の笑顔でそう言った。
「────……私に使われて、光栄だろ?」