十ページ目 伝説とオルタ杯
保健室の一角で、ベッドに足を延ばして座っているあたしは、目の前のパイプ椅子に座った男子生徒、黒鉛字尖斗話に耳を傾けていた。数分前まで居た先輩は「部室でパピヨンとゲームしてくるー」といって、保健室を出ていった。ちなみに先生は無理やり連れて行かれた。仲が良い事で。
「……じゃあ、話しますね。僕の事」
「お、おう……」
いつになく真剣な黒鉛字の美貌に一瞬、心を奪われかけた。あたしが唾をゴクリと飲み込むと、ゆっくりと黒鉛字が話し始めた。
「──……僕には昔から関わった人達の自我を徐々に失わせ、暴走させる呪いみたいなものが小さい頃からありました。そのせいで関わって来た多くの友人や家族を不幸にさせて来ました。今はアルティクロスとこのグローブのおかげで、その呪いを押さえられていますが……」
なるほど……。『加具鎚』なのはそういう理由だったのか。あのグローブも、アルティクロスが取り込んだその呪いってやつを表に出さないためってことか。
「……って、今、グローブしていないのに何で先生や先輩、他の生徒が暴走しないんだ? アルティクロスにそんな都合良い力なんてないはず……あ、それで軍に繋がるのか……ッ!」
「察しが良いですね。そう。僕が学園に初めて入学した際にもらった《H―B》には、呪いを押さえる力なんてありませんでした。だからあの事件で彼女のアルティクロスは暴走した」
「でもあたしには効かなかった……どうして……?」
「その点については僕もわかりません。いや、正確には教えてもらえなかった」
「教える? ……誰に?」
「僕が軍に呼ばれたのは他でもない。その方が僕を呼び寄せたからです。その方はこの世界で初めて【アルティクロス】を作り、手にした人物────」
「それってまさか『一書文也』……ッ!?」
世界中のみんなが知っている。その人は何より、この学園の初代学園長にして、最強のアルティクロス使い。
「え……でも、もう亡くなったんじゃ……」
「もちろん本人はすでにこの世を去りました。ですがその息子さん、『文雄』さんが、遺言書の内容から僕を。正確には以前お話した、核となる十数人のアルティクロス使いが軍に呼ばれたのです」
例の融合実験の被験者ってことか。伝説のアルティクロス使いに息子がいるなんて聞いたことがなかった。
「軍に呼ばれた僕はそこで初めてこの呪われた力をコントロールすべく、トレーニングに追われる日々を過ごして来ました。そして少し前の五月、ここへ再入学したと言う訳です」
事件が起きたのが四月だから、約一カ月。この一カ月の間に黒鉛字は過酷なトレーニングをしてきたってことか……。それにしても、
「……お前の容姿、変わり過ぎてないか? 事件の時のお前はもっとこう……眼鏡かけた優等生みたいな恰好だったろ?」
「うっ……。よく覚えていましたね……。ええ、まあ。一カ月もすれば人は変わるってことですよ。あはは……」
黒鉛字の顔に汗がスーっと流れたのが見えた。気にしていたのか。
「それで? お前だけじゃないんだろ? この学園に入ったやつ」
「ここに来たのは僕を含めて二人。姉妹校に三人と、残りの五人はアメリカや中国、ロシアの研究機関などに行ったそうです。ちなみにここに居るもう一人のその人は、休学を選ばれたそうで、二年生の教室のどこかにいるそうです」
「いるそう……って、会ったことないのか?」
「軍の入隊式でチラッとなら見ましたが、男性だったことと、僕よりも年齢が上だったこと以外は分かりません」
「アルティクロスが何かはわからない、か……」
あたしは手にしていた缶コーヒーの残りをグッと飲み干し、黒鉛字の顔を横目見た。
たった三日間、こいつと行動を共にしてきただけだが、何だかもっと長い間ずっと一緒にいた気がした。あたしに付きまとっていた理由や事件の事、仮入部員ゲームでのこと。こいつはあたしや準子を危険な目に合わせてしまった罪を消すためにこの学園に再び戻って来た。その得体の知れない呪われた力をコントロールして。そしてもう一度、あたしに会いに行くために。あたしがその呪いに掛からなかった理由はよくわからないが、きっと偶然なんかじゃないのかもしれない。あたし自身、準子がいなくなって空っぽになった心の穴を、きっと誰かに埋めて欲しかったのだろう。先輩や先生ではない、誰かに。
────それが黒鉛字だったんだ。
「────それで……その……さっきの付き合えって……どういう……///」
少し視線を逸らして、あたしは黒鉛字に質問した。黒鉛字が「ええと、ですね……」と言葉を濁しながらも答える。
しびれを切らしたあたしが黒鉛字を言及する。すると黒鉛字がいきなりあたしの右手を、自分の右手と交互に組む様に掴む。いわゆる恋人繋ぎの形で。
「い、いきなり何を…………ッ///」
ガバッ
「そのままじっとして下さい」
「ふええッ!?」
……ち、近い。え? なに? これ? 何でこいつ、あたしに覆いかぶさっているの? 襲われるの、あたし? というかあの話の流れで、何でこうなるんだよ……ッ///
「~~~~ッ///」
思わず目をギュッと瞑り、その瞬間を待────ん? 何もしてこない? それはそれでおかしいんじゃあ…………。
「…………えーっと……何してるの……?」
ゆっくり眼を開けると、繋いだ右手から文心が紅く光るのが見えた。黒鉛字の文心も黒く光っている。これは一体……?
「…………よし! 検体抽出完了! もう楽にしてもらっていいですよ」
「…………え?」
あたしがあっけに取られている最中、黒鉛字はいそいそと何やら実験道具的な物を散りだして、先ほどあたしから採取した文心を試験管みたいな長い容器に入れていた。よく見ると、右腕にリストバンドの様なものが取り付けられている。あれで吸ったのか。……って、そうじゃなくて!
「お前、何をしたの……?」
「要さんの文心を検査するために少しいただきました。暴れなくて助かりました!」
「だからそうじゃなくて、つ、『付き合って』って意味のこと!」
「ああー! 言いそびれてしまって申し訳ありません。検査のために『付き合ってほしい』とお願いしたんです」
「検査…………だと……ッ!?」
検査をしたいがために付き合ってくれ、なんて言ったのか、こいつ! 体育館へ行くときもそうだったが、やはりこいつ────乙女心を知らねえバカ野郎だったんだ!
「……なぁ黒鉛字」
「なにか……?」
「あたしの事、前に好きって言ったよな? あれはどういう意味だ……?」
「やだなー。わかるじゃないですかー? 僕は要さんのアルティクロスが大好きってことですよー」
「~~~~ッ!! ……やっぱりかあああああああ……ッ!」
「ええー!? 何で殴って来るんですか! 痛い! 制服伸ばさないでください!」
「わかるまでしばいてやる……ッ! というか、何でこんなにも鈍感なんだよ! 少しは察しろよ! この大馬鹿がああああ……ッ!」
◇◇◇
そして迎えた土曜日。ついに【オルタ杯】が開催した。オルタ杯とは、年に一度、この時期にする体育祭のことだ。
「うちでもよく話題になりますよ。たしか、アルティクロスを使って勝負するんですよね?」
あたしの後ろに並んだ、体操服に着替えた黒鉛字がこそこそと話しかけてくる。今は学園長のやたら長い眠くなる話を聞かされているが、まぁ寝てしまうよりかはましだろう。
「使える競技と使えない競技があるから気をつけろよ。先輩の話だと、乱用したら即刻退学処分らしい」
「覚えておきます。あ、そういえば、この行事にはイスはもらえないんですか?」
「イスは探すものだろ? けど、イスに関係はする良いものが優勝賞品だ」
「後ろのお二人! あまり話しすぎると────」
ポンッ! ポンッ!
「あいてっ」
「うっ」
「退屈なのは分かるがおしゃべりし過ぎだぞー」
板書せんせーが、丸めたプログラム冊子をあたしと黒鉛字の頭を軽く叩いた。ちっ。バレたか。
「やっぱり……」
あたしの前に並んだ、姫肖が肩をすくめた。近づいていること教えろよ……。
「ほら、もう少しだからしっかり前向いて聞いておけ~」
「へーい」
「気を付けます」
あたしと黒鉛字はバツが悪そうに前を向きなおす。そして数分後、学園長の挨拶が終了した。
────『続いての競技は、男女ペアによる二人三脚です。出場する生徒は直ちに、入場門へ向かって下さい。繰り返します。────』
「お、あたしらか。行くぞ、黒鉛字」
「今行きます!」
開会式が終わり、すでにいくつかの競技が行われた。あたしと黒鉛字、姫肖がいる一年二組、二年三組、三年三組は赤団。先輩がいる二年二組。あと一年一組、三年二組は白団。例のクール女子生徒がいる一年三組と二年一組。三年一組は黒団となっている。
先輩と同じじゃなかったのは残念だったが、部活対抗リレーでは同じチームで戦えるので、その時は今よりも本気を出そう。
そんなことを思いつつ、黒鉛字と入場門へ向かうと、顔なじみの生徒がチラホラいた。と言っても、数日前の仮入部員ゲームでみただけの生徒達だったが、中にはあたしらに敵対心バリバリの奴がいた。裁断だった。
「あっ! お前ら! あの時はよくもやってくれたな! あの時の恨み、ここで晴らさせてもらう!」
「あーはいはい。勝手にどうぞ。あたしは本気ださねぇから」
「え!? 勝たなくていいんですか? ポイント負けているのに」
黒鉛字が門の近くに設置された各団のポイント票を指さす。そりゃまぁ、負けているけどさぁ……。
あたしが若干萎えているのには訳がある。それは────先輩が圧倒的すぎる件だ。【オルタ杯】には初参加なのだが、まさか先輩がほぼすべての競技で一位を掻っ攫うなんて、誰が良そう出来ただろう。
現在、五つの競技が終わり、それぞれのポイントは、赤団が九十ポイント。白団が百二十ポイント。黒団が九十ポイントと、ダントツで白団が勝っている。犬歯を剥き出しにして睨んでいる裁断は黒団。つまり、あたしら赤団と争うのはあまり意味がない。ただの二位争いということだ。
「先輩、流石ですね。うちの関係者がスカウトしそう」
「前に推薦状もらったらしい。アメリカから」
「え!? 来たのに断ったんですか? 何で──」
「それが物凄く簡単な理由」
「何ですか?」
「……先輩はなぁ────成績がヤバい」
「あー………………なるほど」
そう。前年のオルタ杯で先輩はスカウトされたという話を黒鉛字が来る前に少し、聞いたのだが、先輩はイスを取る才能は天才なのだが、授業にはほとんど出ておらず、成績はワーストで争っているらしい。その理由から、スカウトマンに呆れられたらしい。まぁ、そこが先輩の長所であり、短所だし、あたしはそんな先輩が大好きだ。
「どうせなら勝ちましょうよ。上を倒してこそ、真の勝利じゃないですか」
「そうだな……よし! 乗った!」
黒鉛字の言うことも最もだ。イスを取り合うこの学園のルールがあるのなら、いずれトップと争うことになる。御前試合には持ってこいだ。
グルルルルと唸っている裁断にあたしはニヤリと口角を上げて一言、
「また返り討ちにしてやるよ! 精々頑張れ……ッ!」
「グググ……ッ!」
「────続いては男女ペアによる、二人三脚走です!」
アナウンスが流れ、あたしたちは入場門をくぐった。
◇◇◇
────その後、午前の部は先輩を追いかける様に点数を伸ばし、点差を残二十ポイントまで縮めた。今はお昼の休憩時間で、生徒や教師は昼食を取っている。あたしと黒鉛字、先輩は部室に来て、お昼を食べているところだ。観戦に来た他の親御さん達を見ていると、少しだけ微笑ましく感じてしまうので、こうして部室で食っている。あたしの両親は、あたしが五才の頃、事故に遭って他界した。その後すぐにおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られ、過ごして来た。そして十七歳になったあたしは、二人の元を離れて一人で暮らしている。おじいちゃん、おばあちゃんは今も元気にしているけど、ここからけっこう遠い所に住んでいるため、見に来ることはなかった。終わったら電話しようかな?
「要さん?」
「……ッ! 何でもない! 何の話だっけ?」
「先輩が強すぎる話ですよ。ようやく二十点差まで追い上げましたが、それでもまだ二十点差あるってことです」
「はっはっはー! どうだー! 私、強かろう!」
腰に両手を当てている先輩の鼻がニョキニョキと天狗の様に伸びている(気がする)のを見ていると、運動会でかけっこを優勝した小さい子の様に見えて来たあたしは、思わず口に入れていた白濁した乳酸菌たっぷりの炭酸ジュースを吹き出しそうになった。
「ごっ! ……えほっ! えほっ! ……っぶねぇ……」
「な、なんで笑うのさー! 紅ちゃん!」
「いや、だって。先輩、可愛過ぎでしょ。てぇてぇ……///」
「ッ! い、いきなりそういうのは反則だと私は思うよ……ッ!?」
「センパイ、テェテェ。アタシ、ナデル、グヘへ」
「や! 撫でるの禁止!」、
「僕も参加し──」
「オマエハ、ダメダ。センパイハ、アタシノ、モノ!」
「そんな~」
グダグダな話をしていると、部室のドアが開き、篠崎先生が入って来た。その手には缶ビールらしきものが握られていた。
「……まだ終わってないですよ? いいんですか、飲んで」
「バレなきゃどうとでもなるわ!」
……今先生から『キリッ』って効果音が鳴った……気がする。ぶっちゃけ、顔に出たらら終わりでは?
「ということで遠慮なく────カシュッ!」
缶ビールを勢いよく開け、グビッと一口飲む。……しかし、ハッとした顔で缶から口を外した。おつまみでも忘れたのか?
「……な、なぜ、酔えない……? それに味も何か変……?」
首を傾げる先生の背後に、黒鉛字が何かを手にしている。あれは……さっき黒鉛字が買っていた二本目の炭酸ジュースだ。
「先生、お仕事中はそれで我慢してください」
黒鉛字が手にしているジュースを、グラウンド側の窓を開けて、その中身をジョボジョボジョボと捨て始めた。あのジュース、あんな色だったか?
「黒鉛字君ッ! それ、まさか……ッ!」
「ん……? …………あっ! えっ? でも何で!?」
「流石黒君……おそるべし……」
捨てきったジュースの中身、それは今しがた先生が飲もうとしていたビールだった。一体どうやったのだろう……全く気にならんが。
あたしが『我関せず』とした顔で残っていた白濁炭酸ジュースを飲み切り、午後のアルティクロスありの競技に向けて、先に外で例の均等にする文心のトレーニングをしようかなと思っていた、ちょうどその時だった。
『きゃああああああああ……ッ!!』
『……ッ!』
突如、グラウンドに響いた叫び声に、部屋にいた全員がその声がした方向へ顔を向けた。
「なんだあれ……ッ!?」
グラウンドのちょうど真ん中に、二メートルくらいの何かが見える。目を凝らすと、それはただの生き物じゃないことがわかる。
「そんな……ッ!? なぜここにあれが……ッ!?」
黒鉛字がすごく慌てた様子を見せる。ということは、あれも何かの実験兵器……いや、実験生物か……。
「みんなは他の生徒たちを助けに行って! あれは私たちが何とかします。急いで!」
篠崎先生に促され、グラウンドに出る。そして近くにいた生徒ではない方々を校舎へ避難させる。
「早くこっちに!」
「急いでください!」
他の生徒も同じ様に校舎へ避難を呼びかけている。ひとまず、一般の方々は保護されたか。問題は──
『うおおおお……ッ!』
『はああああ……ッ!』
篠崎先生含め、教師陣二十人弱が、あの生物と戦っている。遠くから見た感じ、文心はあまり効いていない様子。やはりアルティクロスそのものを使わなければ倒せそうにない様子だった。
「くそっ……ッ! 何だよ、あれ! 黒鉛字、お前知ってるんだろ?」
「ええ、良く知っています。あれの名前は《鵺》。人間ではなく、他の動物に与え、増やしていった融合体の一つです。古代の文献に出て来た想像上の生き物をアルティクロスで作ろうとした実験の一つです」
「一つ? オリジナルがいるってことか?」
「……オリジナルは僕も見たことがありません。そもそもいるのかも……。ですが、本物と贋作の区別は容易で、額にひし形の紋様があるのが贋作。ないのが本物だそうです」
「なるほど。たしかにあいつには紋様があるな」
「問題はそれよりも、なぜこんな頻繁にうちの者が現れているのかです。今から連絡とってきますので、こちらに接近した場合は教えて下さい!」
「おう!」
黒鉛字が校舎の陰に入るのを確認する。今の所、すぐに襲ってくることはなさそうだ。
「篠崎先生……」
教師たちがいる所に今すぐ飛び出したいのをグッと堪え、無事に倒してくれることを祈った。
◇◇◇
「────……こちら《H―B》! 応答せよ!」
「────……こちら《#》。どうなさいましたか?」
「例の《鵺》がここで暴れている! 少し前の人体融合体もいたな? なぜこんなに情報が流出している!? 秘匿実験だったはずだ!」
黒鉛字の言葉に、電話越しに居る《#》の声ではない男の声が、黒鉛字に告げる。
「────あれらは君を殺すために送り込まれた者達だ。ここに君の名前はもうない。我々は『』様と共にある。《H―B》。君はもう──軍の人間じゃない……」