隠したいひめかちゃん その1
『放課後、第2校舎の1階で待っています。この前のテストのことで話したいことがあります。』
そんな手紙が私の靴箱に入っていたのは、前期の期末テストが終わった翌日、金曜日の朝だった。その手紙を読んだ瞬間、私はついあたりを見回してしまった。冷汗が額を伝い、体温が幾分か下がった気がした。テストのことで話…。まさか、あれが、ばれた…!?
その日は一日勉強が手につかず、長い長い授業が終わり、放課後、私は友人の一緒に帰ろうという誘いを丁重に断って、ひとり第2校舎へ向かった。みんなの教室があるのが第1校舎、第2校舎は特別教室が入っており、授業のない放課後はほとんど人気はなかった。上階では化学部や物理部がたまに活動していたりする。上履きの足をパタパタと鳴らしてその1階へ着く。どこで誰が待っているのかとあたりを見渡すと、背後からトントンと肩をつつかれる。びっくりして振り向くと、そこには私のクラスの委員長が立っていた。
「ごめんね、びっくりさせちゃって。手紙、読んでくれたんだ」
「…う、うん」
委員長はにこやかな表情だけれど、私はそんな気持ちにはなれなかった。
「ラブレターかと思った?…なわけないか。うち、女子校だしね」
「…テストのことって…?」
私はすぐにでも委員長の要件を聞きたくて、そう聞いてしまう。すると委員長は表情を変えて、
「うん、ちょっとそこの教室、入ろっか」
そう言われて入ったのは、使われていないだろう、普通の教室。倉庫のような扱いなのか、使わない机といすが大量に置かれてある。場所によっては、その陰に隠れてしまって、廊下から私たちは見えなくなる。カーテンも閉まっているため、外からも見えない。放課後は人気もなくなる。秘密の話をするにはぴったりの場所だった。
「これ、見つけちゃったんだ。佐々木さんの、だよね」
委員長が手に持っていたのは、私のペンケース。2つもっているうちの、1つだった。やばい方の、ペンケース。
「テストが終わった日、掃除してたらこれが教室の後ろに落ちててね。誰のだろうって思って、中を見ちゃったんだ。そしたらね、」
そう言って、委員長はそのペンケースから、一番見つかってはいけないものを取り出した。
「これ、どういうこと…?」
委員長が持っていたのは、小さな紙にびっしりと単語が書かれたものだった。とても、
「暗記するための紙だよ」
とは言えないもの。明らかな、”カンニングペーパー”だった。テスト当日、私はこれを服の袖に隠してテストに臨んだ。そのせいか、紙にはしわが付いている。
「そ、それは…」
予想してはいたものの、いざそれを目の前に出されると何と言い訳しようかわからなくなってしまった。後々考えれば、言い訳なんていくらでも言えたはずなのに、その時の私は黙ることしかできなかった。
「佐々木さんが、こんなことするなんてね…。これ、ばれたら最悪、退学だよ?」
私たちが通うのは地元でも有名な私立の進学校。合格実績もよく、先生たちも教育にはかなり力を入れていた。同時に、教師である両親も私には期待していて、最近下がり気味だった成績を見て、両親はピリピリしていた。今回のテストでまた結果が下がってしまったら、好きなことを何もできなくなってしまう。
「…もう、先生には報告したの?」
かろうじて出た言葉はそれだった。委員長は紙を元の通り小さくたたんでペンケースにしまうと、それを手に持ちながら、
「ううん。まだ、言ってない。ただ、佐々木さんに確認したくって」
「そう、なんだ」
私が、少しだけほっとしてそうつぶやくと、しばらくの間が空いて、委員長がまた口を開いた。
「ねえ、取引しない?」
「…取引?」
日が傾いたのか、雲に遮られたのか、部屋が一気に暗くなった。外から気づかれないよう電気は点けていないので、委員長の表情が読み取りにくくなった。
「佐々木さんの、このこと、わたしの中の秘密にしといてあげる。その代わり、佐々木さんにはわたしのお願いを聞いてほしいの」
淡々と話す委員長。お願い…?ドキドキしながら、私は聞き返す。
「…どんなこと?お願いって」
委員長の方から言ったのに、またしばらくの間が空いて、ややためらいがちに、委員長は言葉をつないだ。
「来週から1か月間、佐々木さんには上履きを履かずに過ごしてほしいの」
「……え?」
委員長の言ったことを理解するのに、しばらく時間がかかった。上履きを履かずに過ごす…?なんで…?
「え、…上履き…どうして?」
私が混乱している中、委員長はおもむろに自分の上履きを脱ぐと、それを手に持って、靴下のまま歩き出した。校則で決まっている、校章が入った白いハイソックス。値段は高いのに耐久性は低く、けっこうな頻度で穴が開いてしまう。白だから、汚れも目立ちやすくって、手入れに気を遣う靴下。
「わたしね、女の子がこうやって、靴を履かなきゃいけないところを、靴下や裸足のままで歩いているところがすごく好きなの。とくにかわいい子が靴下のまま過ごしていると、それを見ているだけでドキドキするの」
唐突な委員長の暴露話を、私はいたって冷静に聞いていた。混乱しすぎて、逆に冷静になってしまっていたのかもしれない。あの委員長が、こんな嗜好を持っているなんて…。
「だからね、月曜日になると、誰かが上履きを忘れてこないかなって、少しだけ期待しながら登校するんだけど、そんな子はなかなかいなくって。しっかりした子ばかリみたいだね、うちのクラスは」
しっかりしてる、わけじゃなくって、ただ持って帰ってないだけなんじゃ…。と思う。私も、上履きを持って帰るのは2月に1回くらい。クラスメイトの中には、学期の最後にしか持って帰らないっていう人もいる。
「…だから、私にそれをしてほしいってこと?」
委員長の目的はわかった。自分の好みの格好を、私にさせたいのだ。
「ええ。話が早くて助かるわ」
委員長は脱いで手に持っていた上履きを教室の入り口に向けてポイと投げてしまった。パカン、パカン、と乾いた音が教室に響く。いつものまじめな委員長からは全く想像もできない行動に少し驚く。そして私のすぐ前までペタペタと靴下のまま歩くと、
「もし断ったら、わたしはあなたの秘密を先生に通告する。このペンケースを持ってね。委員長の報告だから、きっと先生は信じてくれるでしょう。…ただ、わたしのこのお願いを聞いてくれたら、このペンケースはあなたに返して、あなたの秘密は一生わたしのなかでとどめておく。どう?なかなかいい取引じゃない?」
私は返答にすっかり迷ってしまった。委員長の取引に応じると、カンニングのことは外にはばれないけれど、私は1か月間上履きを履かずに靴下のままで過ごさなければならない。しかしそれを断ると、靴下生活をする必要はないけれど、カンニングの件があちこちにばれてしまう。先生に報告されるということは、両親にも話はいく。クラスメイトにも広まっていくだろう。そうなってしまったら、絶対居心地は悪くなる…。究極の2択だけれど、こたえはほぼ一つに決まっているようだった。でなければ、委員長はあんなカミングアウトをしてこないだろう。委員長はきっと私がこうするしかないと確信しているし、私ももうこうするしかあとは残っていなかった。どうしてすぐに捨てとかなかったんだろう。管理には細心の注意を払っていたのに、なんで落ちてしまっていたのだろう。後悔はたくさんあるけれど、今更遅い。この場での私の返事はひとつしかなかった。
「…わかった。委員長の取引、のむよ」
「よかった。きっとそう言ってくれると思ってた」
委員長は満足した顔でうなずくと、私に向かって袋を差し出した。キルトでできた、巾着袋だった。手づくり、かな?
「じゃあ、あなたの上履き、ここにいれて?」
「え…、いま…?」
私はてっきり、来週の月曜日から自分で上履きを履かないようにするものだと思っていた。まさか、委員長に上履きを預けなきゃいけないなんて。
「ええ、隠れてこそこそ履かれたりしたらいやだしね。1か月間、わたしが預かっておくわ」
「そ、そんな…」
「嫌ならいいのよ、まだ職員室には電気が点いているみたいだし…」
委員長はそう言って、相変わらず靴下のまま、ペタペタと窓に近寄ってカーテンを少しだけ開けた。ちょうど真上が職員室のようで、光が2つの校舎の間に漏れている。
「わ、わかった、わかったよ、入れるよ…」
委員長は本気のようで、ためらっているとすぐに通告されてしまいそう。ペンケースはまだ委員長の手の中にある。私は観念して、履いていた上履きを右足、左足、と脱ぐと、委員長の持つ巾着袋に入れた。いろいろな感情が混ざり合って、体全体に汗をかいていた。靴下越しに、教室の床の冷たさ、フローリングの固さを感じる。靴下のまま、学校の中を歩いたことはあるけれど、それはやむを得ずで、ほんの少しの時間。一日中、1か月間、靴下のままで過ごさなければならないなんて。今から考えるだけで頭が痛くなる。
「はい、ありがとう。佐々木さん、家にはあと何足、上履き持ってるの?」
「えっと、あと、2足かな…、たぶん」
落ち着かない頭で返答してしまって、ついつい本当のことを言ってしまった。訂正する間もなく、委員長の反応は早くって、
「わかったわ、じゃあ残りの上履きは来週の月曜日にもってくること。いい?」
「は、はい…」
「よし、じゃあ話は終わり。また、来週ね」
きっちり話を切るようにそう言うと、委員長は私の肩にポン、と手を置いて、右手に巾着袋、左手に落ちていた自分の上履きを持って、靴下のまま教室を出ていってしまった。靴下のまま歩くと鳴る、タン、タン、という軽い足音が遠ざかっていく。そして私は一人、靴下姿のままで残されたのだった。
つづく




