守りたい宇佐美さん
「風、出てきたね…」
「ほんとね、夜にはもっと強くなるらしいよ」
家のリビング、朝起きたての私はスマホで台風の情報を見ながら、家の外を気にしていた。
「みんな、大丈夫かな…」
「みんなって、学校のお友だち?」
「ううん、ちがくて、ウサギたち」
「あ、ウサギ…」
お母さんがあったかいコーヒーを淹れてくれる。今日は平日で、本当なら学校がある日なんだけれど、台風が接近しているからということで朝からお休みだった。今日の夜には過ぎ去ってしまうようで、明日には学校に行けそうだった。けれど、私の頭の中は心配でいっぱいだった。生物部に所属している私。部員はほかに一つ上の学年の部長と、後輩が2人だけの小さな部活。けれど学校の飼育小屋で、ウサギを3匹飼っていた。農業高校でもない、普通の高校で動物を飼っているのは珍しいみたいで、お昼休みには女子生徒がよくウサギを見に来てくれていた。小屋には基本的にカギがかかっていて、中に入れるのは飼育委員だけだ。たまに同じクラスの子に頼まれて中に入れてあげることもあったけれど、いつでも自由に入れるのはしっかりお世話している私たちの特権だと思っている。
台風が近づいているけれど、そのウサギたちは小屋の中に入れたまま。顧問の先生は大丈夫だと思うよって言っていたけれど、やっぱりそのままなのは心配だ。せめてケージに入れて、学校の中、昇降口あたりに一晩だけでも置いておきたい。私はひとつ決心をして、自室に向かう。制服に着替えるためだ。
「月?どうしたの?」
月っていうのは、私の名前。お母さんが心配そうな顔で聞く。
「やっぱり気になって…。ちょっと学校、行ってくる!」
「学校!?台風、来てるわよ!」
「うん、でも…、ウサギたちが心配だから!」
「そうねえ…、あ、部長さんにも聞いてみたら?」
「あ、そっか!」
私はとりあえず自分の部屋で着替えながら、部長にラインを送ってみる。どうやらスマホを見ていたみたいで、既読はすぐについた。部長も気になっていて、学校に来てくれるらしい。幸い、まだそれほど雨風は強くなく、自転車に乗って向かえそうだった。予報では、スピードはまだゆっくりなので、今から行ってウサギを避難させて、家に帰ってくるのはギリギリ間に合いそうだ。
「いってきますっ」
「気を付けて!危なそうだったら、学校にいるのよ!」
「はーい!」
私は夏の制服に身を包み、通学用のスニーカーを履いた。靴下は、どうせ濡れてしまうから、最初から履かないことにする。本当なら雨用のレインブーツとかがあればいいんだけれど、残念ながら持っていなかった。まあ、濡れても後で拭けばいいかな!傘さし運転はNGなので、レインコートをかぶって自転車をこぎ出した。まだ弱いとは言っても、普段の雨風よりは強い。レインコートに隠れていない足元はすぐにびしょびしょ。靴の中にまで雨が吹き込んで、すごく気持ち悪い。
家から学校までは自転車で5分ほど。学校について自転車を置き、飼育小屋のほうへ。部長は普段徒歩通学だからまだ来ていないかな。雨でぬかるむ土の上を、パシャパシャとスニーカーの足を進める。大きい水たまりがあるところも、もう足元はぐっしょり濡れてしまっているのでそのまま突っ切った。靴の中に水が流れ込む感覚があって、足全体がびしょ濡れだ。
「みんな、大丈夫?あ、よかった…」
小屋のカギを開けて中に入る。風のせいか、えさの葉っぱが散らばって、地面は濡れてしまっているものの、ウサギたちは小屋の中にあるハウスの中でじっとしているようだった。触ってみると、体は濡れていないみたい。
「宇佐美ちゃん、もう来てたんだね」
「あ、部長…」
ハウスの中のウサギの様子を一匹ずつ確かめていると、ポンチョ型のレインコートを被った部長がやってきた。足元は黒い長靴。すごい、完全防備だ。
「どう?うさちゃんたちの様子は」
「はい、家の中にいたみたいで、暖かいです」
「よかった。先生には話をつけてあるから、今日はそのお家ごと、この中に入れて、部室にもっていこう」
そういって部長が取り出したのは犬猫用のキャリーバッグ。ウサギ3匹だから、このサイズなら入るかな。ちょっと狭いかもしれないけれど、一晩だけ、我慢してほしい。
「わかりました!」
気温が低くて、雨も強いので、いつもほどの元気はなく、すぐに3匹を移すことができた。いつもならぴょんぴょん動きまわって捕まえるのも一苦労なのだ。
「よし、3匹ちゃんといるね。じゃあ部室に行こうか」
「はい!」
小屋にカギをかけて、キャリーケースを持った部長の後をついていく。相変わらず雨は止まず、地面もドロドロ。
「部長、長靴なんて持ってるんですね」
「あ、これ?お父さんのなんだけど、雨がすごいから履いていきなさいって。けれどブカブカなんだー」
確かに、バシャバシャと水たまりに突っ込んでいく足元は、がっぽがっぽと歩きにくそう。
「ほんとだ、けっこう大きいですね」
「うん、だから隙間から雨が入っちゃってさー。長靴の中、びしょびしょだよ」
「あはは、私も、スニーカーだからもう全部びっしょりです」
「乾かしてもなかなか乾かないだろうね、それ」
部長はてっきり昇降口から中に入るのかと思ったけれど、来客用の玄関から、扉を開けて中へ入った。当たり前だけれど、人の気配はなくて、電気もついておらずひっそりしていた。6月なのに、ひんやりしている。
「ふう、やっと雨から逃れたね」
「はい、もうびしょびしょですね」
私はとりあえずレインコートを脱ぐ。ボタンをしっかり留めていたおかげで、制服は無事だった。ただ足元は…。ぐしょぐしょのスニーカーを脱ぐと、これまたびしょびしょの素足が現れる。カバンからタオルを取り出して拭いていくと、タオルもすぐに水を吸ってしまった。上履きはないので、裸足になって廊下へ上がる。部長のほうを見ると、半そでの制服にスカートを履いて、長靴を脱いだ足元は素足だった。長靴を逆さにして、入った水を外に出している。
「あれ、部長も靴下、履いてないんですか?」
「うん、最初はどうせ濡れるし、サンダルで行こうかなって思ったんだけど、お母さんが長靴にしなさいって。だからそのまま裸足で履いてきちゃった」
てへへ、と恥ずかしそうに笑う部長。相変わらずかわいいな。部長もタオルで頭や足を拭いて、裸足のまま廊下を歩きだした。靴とレインコートは、玄関の端っこに置いておく。
「じゃあいこっか」
「あ、はい!」
来客用スリッパはあるけれど、部長がそれを履こうともいわないので、私も裸足のまま、まだじんわりと濡れたままの足をペタペタと歩き出した。昇降口まで行くと靴箱に上履きはあるけれど、わざわざ取りに行くのは面倒だし、濡れた足で履きたくはなかった。
生物部の部室は、生物室のとなり、生物準備室になっている。階段を3階まで上がって、廊下を進むと、生物準備室が見えてくる。不思議なことに明かりがついていた。もしかして…?
「あれ、先生、来てるんですか?」
「うん、あたしが連絡してみたら、ちょうど当番でいるらしいよ。台風の日なのにすごいよねー」
だから鍵が開いていたのかな。部長がノックをして扉を開ける。
「失礼しまーす、あ、先生こんにちは」
明るい部屋の中には、生物部の顧問の先生が準備室のお魚さんたちに餌をあげて待っていた。実験をするでもないのに、なぜか今日も白衣を着ている。
「お疲れ様。言ってくれれば、僕のほうでやったのに、わざわざごめんね」
「いえ、あたしたちの仕事なので!」
裸足のままペタペタと準備室に入って、ケースを置いた。先生もいるし、今日のところは大丈夫だろう。
「じゃあ先生、うさちゃんたちをよろしくお願いします!」
「お願いします!」
「おっけい!ごめんね、送っていけたらよかったんだけど」
「いえ、がんばって帰ります!」
「気を付けて!」
もう一度ウサギたちに別れを告げて、私と部長は生物準備室を後にした。窓の外はまだまだ雨が降っている。校庭の木もゆらゆら。またこの中を帰るのか…と思うと気が重いけれど、仕方ない!
「わーやっぱりまだ濡れてるな」
裸足のまま長靴に足を入れた部長がつぶやいた。私の靴も、もちろん、びしょびしょのままだ。
「私もです。うー、履きたくないなー」
「宇佐美ちゃんは自転車だからいいよねー。あたしは歩きだからなー」
「徒歩って大変ですよね…」
「でもまあ近いし、走って帰ることにするよ!宇佐美ちゃんも気を付けて!」
「あ、はい、ありがとうございました!」
部長はひゃあああと声をあげながら、雨の中を走っていった。一人残された私は、裸足のまま石のタイルの玄関に降りて外の様子をうかがう。来た時と同じくらいの風雨。けれど、ちょっと収まってる…?今のうちに帰ろう。レインコートを被って、靴に目を向ける。びしょびしょで冷たくなったスニーカー。そして、足元の裸足…。
「…裸足で帰っちゃおっかな」
そう小さく独り言を言って、私は靴を手に持つと、裸足の足を外に踏み出す。ぬかるんだ土がぬるぬると足の指の間にまとわりつき、水たまりがそれを洗い流す。ダイレクトにそれらの感覚が足に伝わって、むしろこっちのほうが気持ちいい…?自転車置き場までそんな地面を進むと、あとは乗って帰るだけ!靴を前かごに入れて、裸足のままペダルに足をのせる。初めての感覚。そのまま自転車をこぎだすと、足の裏にペダルが食い込んで、その刺激がまたちょうどよかった。
「すごかったのねー。雨。すぐにお風呂、入ってきたら?」
「うん、そうするー」
無事に家につき、温かいシャワーを浴びる。足を洗っていると、あの感覚を思い出す。ぬかるんだ土、足全体が入るような深い水たまり、硬いペダル。またやりたいな。なんて。
つづく




