放っておけない法子ちゃん
「どうか、したの…?」
月曜日の朝、登校して靴箱について、上履きに履き替えたとき、靴箱の陰に一人の女の子がしゃがんでいるのに気が付いた。黄色い帽子に、ランドセルの黄色いカバー。まだぶかぶかの夏制服(私の通う小学校は制服がある)。かわいいかわいい1年生だろう。しゃがんで、ぎゅぎゅっと自分の膝を抱いている。具合でも悪いのかな。他にも生徒はいるけれど、みんな見えていないのか、気づいてもどうすればいいのかわからないのか、スルーして校舎の中へ入っていってしまう。けれどそんな子を放っておけない私は、その子の近くにしゃがむと、勇気を出して声をかけてみた。
ぐす、すすん。
どうやらその子は静かに泣いているようで、私が声をかけてもなかなか顔を上げてはくれなかった。
「どこか痛い?大丈夫?」
なおも顔を近づけて聞いてみると、ようやくその子は少しだけ顔を見せてくれた。涙を目にいっぱい浮かべて、なおもポロポロとあふれてきている。
「どうしたの?いえる?」
1人、またひとりと生徒たちが校舎の中へ入っていく。朝の会が始まってしまうまでまだ時間はある。ゆっくり事情を聞いていこう。
「…うわぐつ、忘れちゃって…」
「うわぐつ?」
すんすん、と鼻をならしながら、ぽつぽつと話し始めてくれる。
「どうすればいいか、わからなくて。ぐす」
「そっかそっか忘れちゃったんだね。たしか、職員室に行けば貸してくれるんじゃないかな?」
自身は忘れたことがないからよくわからないけれど、確か新学期始まったときに配られたプリントにかいてあったような気がする。上履きを忘れた場合は、職員室の先生に言えば貸し出し用をもらえるらしい。クラスと名前を書けばいいんじゃなかったかな。
「しょくいんしつ?」
「うん。先生たちがいるところ。わかる?」
「うん、がっこうたんけんのときに、いった…」
「なるほど!じゃあそこまで一緒に行こうか?」
「いいの?」
赤くなった目でじっと見つめてくれる女の子。上履きを貸し出してくれるシステムはありがたいけれど、1年生の女の子一人で職員室の先生にそのことを伝えるのはまだ難しいだろうな。
「いいよ。立てる?」
「うん。あの、ありがとう…」
小さな体をぺこりとまげてお礼を言ってくれる女の子。かわいいな。ドキドキしてしまう。
「じゃあ、一緒にいこうか。あ、そうだ、じゃあ…」
その子は履いてきた靴は脱いでいたようで、ピンク色の靴下だけで立っていた。お姉さんの私だけ上履きを履いているのはなんだか申し訳なくって、職員室までその子に貸してあげることにした。
「はい、これ履いてていいよ」
「え、いいの…?」
小さく内またにした足の前に、私の上履きを置いてあげる。少しぶかぶかかもしれないけれど、靴下のまま歩かせるのはかわいそうだ。代わりに私が靴下だけになってしまうけれど…。
「うん、履いてていいよ。ケガしちゃうかもしれないし!」
「でも、おねえさんが…」
「私は大丈夫!さ、履いてはいて」
「う、うん…」
私もそんなに足は大きくないので、その子が履いても意外とそんなにぶかぶかにはならなかった。
「さ、職員室、いこう」
「うん」
私とその子は手をつないで、女の子は上履き、私は白いショートソックスのままで、廊下を歩いていった。職員室は校舎の2階、近い階段を上ってすぐのところにある。みんなが上履きを履いているなかで一人だけ履いていないのはかなり恥ずかしいけれど、この子にそんな思いをさせたくなくてここは我慢だ…!
「ほら、あそこだよ、職員室…えー…」
職員室の前まで来て、そこにかかっているプレートを見て私はががーんとなってしまった。
「これ、なんて書いてあるの?」
「うん、かいぎちゅう、だって…」
「かいぎ?」
「うん…」
なんと職員室では絶賛職員会議を実施中らしく、生徒は入れないようになっていた。他にも用がありそうな生徒が、そのプレートを見て引き返していく。どうしよう、これでは上履きを借りられない…!
「え、じゃあ、うわぐつは…」
また女の子が泣きそうな顔になる。もうすぐ朝の会が始まるし、会議は終わるはず。少しだけ待ってみよう。
「き、きっと終わるからさ、ちょっとだけ、待っておこう?」
「うん…」
そうして職員室の前で二人並んで待つこと数分。朝の会5分前の予鈴が鳴っても、まだ会議は終わりそうにはなかった。そろそろ私も教室に行って準備しないと、バタバタしてしまう。ええい、こうなったら…!
「ねね、みどりこちゃん」
待っている間に効いた女の子の名前。名札は教室に置いて帰ることになっているのでそれまでわからなかったけれど、その子はみどりこちゃんというらしい。名前に似合う、かわいい女の子だ。
「なあに?」
私はまたしゃがんで、自分でたった今決めたことを話す。
「会議、長くなりそうだから、今日は一日、私の上履き履いてていいよ?」
「え、でも、おねえさんが…」
「大丈夫!私は後で借りに来るから!みどりこちゃんはそれを履いててよ」
「いいの…?」
うれしいけど、申し訳ない、そんな複雑そうな表情で見つめてくる。そんな子を靴下のまま歩かせるわけにはいかない。かといってこのままここで待っていたら、みどりこちゃんも教室に入るのが遅くなってしまう。いろいろ大変だろう。この選択が一番いいんじゃないかな。
「おねえさん、ありがとう!」
「うん!また放課後、靴箱のところで待ってるよ!」
確か月曜日はみんな一斉に帰ることができる日。うまくいけば、みどりこちゃんと会えるだろう。
「わかった!ありがとう!」
みどりこちゃんは大きく手を振ると、ぶかぶかの上履きをパタパタさせながらまた階段を上っていった。私は反対に、階段をペタペタと下りていく。6年生の教室は、校舎の1階なのだ。
「…みどりこちゃん、無事に行けたかな…」
まだ少し心配だったけれど、きっと大丈夫だろうと信じて、私は自分のクラスに靴下だけの足を踏み入れた。
つづく




