素直になりたい砂尾さん その2
「おあよー…」
2時間目が終わったころ、聞き覚えのある、私が待ちわびた声が聞こえてきました。
「あ、ゆーちゃん!どうしたの?」
クラスの中でも存在感のある湯川さん。入って来た途端、彼女の周りに人だかりができるほどです。わいわいする中から聞こえてきた湯川さんの話をまとめると、登校時にけがをしたおばあちゃんを助けていたらしく、病院に連れていく間にどんどん時間が経ってしまったようでした。それを聞いて、湯川さんってとても優しい人なんだなと、思ったものです。今日の服装は昨日と同じでネクタイやシャツなどは問題ありません。けれど足元はやっぱり靴下を履いていないようでした。代わりに、昨日までのローファーではなく、スニーカーを履いてきていました。スポーツ用品を扱う有名ブランドの、紺色に白い靴ひもの、底がペタッとしたタイプのスニーカーです。校則に靴の種類に関する項目は特にないので(かかとを踏んではいけない、くらいかな)、スニーカーでもローファーでも大丈夫なのです。靴に関しては特に決まりはないので、極端な話をすると、サンダルで来ても校則違反にはなりません。恐らく今までそのような生徒がいなかったためそんな校則ができなかったのだと思います。私も、今までそんな生徒を見たことはないのですが…。ひょっとしたら、もっと暑くなってくると、湯川さんはサンダルで来たりするのかな…?
おばあちゃんを頑張って病院まで連れて行ったせいか、登校してきた湯川さんはいきなり疲れている様子でした。席に横向きに座ると、教科書類をカバンから出すよりも先に、スニーカーの靴ひもを緩くして、両足ともスポスポとスニーカーを脱いでしまいました。ローファーとは違って足首から上しか見えていなかったので、ひょっとしたら短い靴下を履いているのでしょうか…?と思っていましたが、現れたのは赤くほてった素足でした。湯川さん、素足でスニーカーもいけるんですね…!
「あ、ゆーちゃんまた靴脱いでるー」
湯川さんの隣の席の子が、彼女の足を見て言いました。こんな風に何気なく足について言えるのって、いいですよね。とてもうらやましいです…。って、何を考えているんでしょう、私!
「やー、暑い中かなり歩いちゃって、汗いっぱいかいちゃってさー」
そう言いながら、足をバタバタ、足の指をくねくねさせて足にかいた汗を飛ばしているような動きをする湯川さん。やがて次の授業の先生が入ってこられたので、湯川さんは通路側に置いていたスニーカーを手で持って机の下に移動させました。そして裸足のまま授業がはじまります。
「きりーつ、れい」
「お願いしまーす」
昨日はこの挨拶のときは靴を履いていた(といいますか、とりあえず足を靴の上に置いていた)湯川さんも、このときばかりは裸足のまま、床にペタッと足を付けて礼をしていました。授業が始まると、いつもと同じように、足を直接床につけたり、棒の上に置いたり、再びスニーカーに足が戻ることはありませんでした。
その日最後の授業は芸術でした。音楽・美術・書道から選択制で、私は音楽選択でした。意外なことに、湯川さんも一緒です。
「いいんちょー、一緒に行こうよ!」
先日の校則の議論を経て会話を交わすことが多くなった私と湯川さん。私はこのような性格なので、仲のいい友人といえる存在は残念ながら少ないのですが、こうして親しくしてくれる湯川さんはありがたい存在です。けれど…。
「はい、いいですよ。…でも湯川さん、靴はかかとまでちゃんと履いてください」
「わー、やっぱり見つかっちゃったかー、もう、いいんちょー、よく見てるよねー」
口をとがらせてぶーぶ―文句を言う湯川さんでしたが、とても素直に、手を使ってかかとまでしっかりと素足を靴の中に入れてくれました。そしてどやっとした顔で、
「これでいい?」
「はい、大丈夫です」
そんな湯川さんを見て、思わず笑みがこぼれてしまいます。かわいいな、湯川さん。
音楽室は防音のためかカーペットが敷かれており、土足厳禁です。生徒たちはそれぞれ入り口で靴を脱いで靴箱に入れて、靴下のまま入ります。けれど靴下のない湯川さんは、裸足になって入りました。思い切り靴が脱げて、嬉しそうな様子です。
「では今日は合唱の練習をしましょう。湯川さん、今日の伴奏を頼んでもいいかしら?」
「はーい、やりますっ」
なんと湯川さん、ピアノが弾けるのです。以前話していたことには、小さい頃からピアノ教室に通っているらしく、素人の私が聞いた限りではかなりうまいです。賞もいくつもとっているというので、素晴らしいと思います。
「では、はじめから。みんな準備はいいですか?ワン、ツー、…」
先生の指揮とともに、湯川さんのピアノ伴奏が始まります。流れるような音。響く音。ついつい、教室前方でピアノを弾く湯川さんが目に入ってしまいます。足元は裸足のまま、ピアノのペダルを踏んでいます。それを見てさらにドキドキ…。何度か通しで練習をした後は、プロの演奏のビデオを見て終了。その日の授業はこれで終わりです。また靴を履いて教室に戻ります。湯川さんは私を意識してか、しっかりとかかとまでスニーカーを履いているのでした。
翌日の土曜日は学校がお休みです。私は土日も練習があるような運動部には入っていないので、模試や特訓授業がない限り、週末はゆっくり休むことができます。土曜日の午前中、私は地域の図書館に行って勉強しようと考えていました。学校の期末テストまであと2週間ほどです。教科数も範囲もかなり大変なので、範囲が出た瞬間に勉強を始めないと間に合いません。学校の図書館も開いてはいますが、秘密の作戦があったので、あえて地域の図書館へ行くことにしました。図書館へは、家から最寄りのバス停まで歩いて5分、そこからバスに揺られてさらに10分ほどです。学校の方が近いのですが、こちらを選んだ理由は、今日の私の服装にありました。今日も日差しが暑くなると天気予報で言っていたので、私は夏用に買った白い半そでワンピースに、カーディガンを持っていくことにしました。外を歩くには半そででいいのですが、図書館内は空調が効いているかもしれないので、上に羽織るものを持っていきます。ワンピースのスカートは地面から20㎝くらいの長めの丈になっています。ちなみに私は制服のスカートも、校則では膝にかかるくらいに指定されているのですが、私はひざが完全に隠れてしまうくらいの長めの丈にしていました。あまり脚を出すのは苦手だったのです。普段なら、私服の時も外出時はストッキングや靴下を履いている私。小さい頃から、出かけるときは必ず靴下を履いていました。特に両親にそれを強制されていたわけではないのですが、家の外に出るときは、靴下を履いて靴を履く、というのが習慣化していて、今更になって靴下を履かずに外に出る、という考えが自分の中にはありませんでした。
そして今日、私は自分の中の常識を破ることを考えていました。勉強道具を入れたバッグを持って、自分の部屋を出ます。足元は、靴下やストッキングなどを履かずに、素足のままです。記憶にある中では、初めてでした。小学校、中学校と一日たりとも靴下を履かずに登校したことはありません。休みの日も、朝起きて服を着替えて、靴下を履くまでがセットでした。そんな私が今日、初めて、靴下を履かずに外出します。これもやっぱり、湯川さんの存在が大きかったです。靴下を履かず、素足に靴を履いて登校してくる湯川さん。授業中は完全に靴を脱いで、気持ちよさそうに足を動かしている湯川さん。私も、やってみたい。素足のまま、外出してみたい。彼女のそんな様子を日々見ているうちに、いつしかそんな気持ちが芽生えていました。
かといって、いきなり学校に靴下を履かない、素足履き登校をするのはかなり気が引けます。それもそのはずで、風紀委員長の私は服装の乱れを取り締まる側です。そんな私が制服に、靴下を履かずに登校するとみんなどんな反応をするでしょう。先生はどうでしょう。風紀委員長なのにその格好は何だって、怒られたりしないでしょうか。風紀委員長解任などとなったら大変です。いろいろ、いろいろ考えてしまい、学校に行く前に練習として、土日の外出を素足でやってみようという結論に至りました。今日これから向かう図書館は、学校とは反対側なので、今までクラスメイトや顔見知りの子とあったことはあまりありませんでした。ペタペタと普段感じない感触を足の裏に感じつつ階段を下りて、玄関へ向かいます。
「あら、出かけるの?」
「あ、はい、ちょっと、図書館に…」
隠れて出ていこうとしていたわけではないのですが、たまたま玄関にやってきた母親に見られてしまいました。靴を履こうと、玄関の段差に座って足元を隠します。私の足の裏は直接玄関の土足エリアに着いていますが、母親に素足なのを見られるのはまずいかもしれないと思いました。理由を聞かれたときに、その説明も難しいのです。
「暑いから、しっかり水を飲むのよ」
「あ、はい!」
お母さんはそう言って洗濯機のある方へ行ってしまいました。ふうーっと安堵のため息をつく私。いよいよ、冒険の始まりです、改めて、私は靴を選びます。考えていたのは、普段から休日に履いていたスニーカー。歩きやすいように軽量で、通気性の良いタイプです。他にあるのは、通学用のローファーと、寒くなってきたときに履くブーツなど。靴下を履かずに外出することはないので、サンダルやパンプスといったものはありません。さて、ということは…。私はなかでも夏用で、いちばん通気性の良いスニーカーを素足で履いていくことにしました。緊張の瞬間です。靴下も何も履いていない、素足。それを恐る恐る、スニーカーに通します。しっかりとかかとまで手を使って足を入れ込みます。感じるのは、中敷きのごわごわと、足先のざらざらです。そしていくら通気性がいいとは言っても、やはり足全体が覆われているわけですから、もわっとした感じが足全体を包みます。これがいわゆる、「蒸れ」というものでしょうか。靴下を履いていても「蒸れ」はあったはずですが、素足で靴を履くことで「蒸れ」感をいつもよりすごくよく感じます。これは、なかなか慣れない感覚です。けれど嫌な気はしません…!
何度かその場で足ふみをして、感覚を何となくつかむと、そのまま家を出て、バス停を目指します。休日の午前中、住宅街を歩く人はまばらです。誰も私の足元を見ているわけではないのですが、どこかみられているような感じがして気持ちが落ち着きません。靴下がないことがこんなに心を乱すなんて。靴下の存在の大きさを改めて感じました。そしてバス停に着いたとき、靴の中で私の素足はかなり汗をかいているようでした。靴下を履いているとその汗を吸い取ってくれるのですが、それがない今日、汗は直接靴に吸い取られ、靴の中の「蒸れ」はかなりすごいことになっていました。他に待っている人がいるので、湯川さんのように靴を脱いで足を動かす、という行動をとるような勇気はありませんでした。そしてこの靴の蒸れを感じることで、湯川さんの気持ちがわかるような気がしました。靴を脱ぐことで、この「蒸れ」から解放されて、それはとても気持ちの良い瞬間なのでしょう。私にはまだその勇気がありませんが…。
やがてバスがやってきて、私は前の人に続いて乗り込みました。休日の午前中ですが車内はほとんど満席でした。私は仕方なくバスの前方に立って乗ることにします。目の前の座席に座っているのはおばあさん。下を向いて本を読んでいるようでした。私は無意識のうちに足を内またにしていました。靴下を履いていないことに気づかれたくない、その気持ちからだったと思います。本を読むおばあさんの視線が私の足元に向いているような気がして、私はハラハラしているのでした。バスの中は冷房が効いていましたが、足元の「蒸れ」は相変わらず続いていました。また湯川さんのことを思い出して、このバスの車内で靴を脱いだら、きっと風にあたって気持ちいいだろうなと思っていました。
図書館前のバス停まで、結局誰も下りることなく、バスは到着しました。私と数人の乗客を降ろして、またバスは走り去っていきました。ようやく図書館に到着です。中に入ると小さな子供たちやお年寄りたちが思い思いの本を読んでいます。私はそんな人たちの間を抜けて階段を2階へ上がり、廊下を進んだその奥にある部屋へ向かいました。そこは「自習室」。なかなか奥まったところにあって、近くには本棚もないので、知っている人しか知らない、半ば穴場スポットになっているのでした。まあ、図書館のホームページを見たらけっこう目立つところに書いてあるんですけれど…。わざわざここまで勉強には来ないということですかね…?廊下からドアを開けて自習室に入ります。そこにはひとつひとつ仕切られたブースが全部で30席並んでいます。見たところ、私のほかに人はいないようでした。貸し切りのようです、わーい。私はこれから自分のすることを考えて、奥の壁際の席に座ることにしました。入り口からは見えづらい位置です。クッションのついたイスに座り、私はまず持ってきていた勉強道具を机の前に並べます。さてどれから始めようかと考えながら、私は足元に意識を向けます。冷房の効いた自習室。さっきまで体にかいていた汗は、そのおかげで引いていきました。けれど、靴の中はというと、まだまだ「蒸れ」の状態です。靴の中で足の指をもにもにと動かすと、ヌルヌルとした汗の感触がありました。これを解消するには、もうあれしかありません。
私は周りをきょろきょろ、他の机の下をじっと見て、人がいないことを確認します。そして体をかがめると、ドキドキする気持ちを呼吸を整えて押さえながら、まずは右足のスニーカーを、手を使ってすぽっと脱がせました。素足のかかとを靴から外に出します。途端に素足を冷房の空気がなでて、おまけに靴の中にも冷たい空気が流れ込んできて、とてつもない気持ちよさを感じました。思わず声が出てしまいそうで、あわてて口を押えます。そして一度おちついて、今度は左足。同じように、かかとを靴の外に出します。そして体を元に戻しました。足元は、両足とも靴の中に足先だけを突っ込んでそろえている状態です。これだけでもかなりの気持ちよさですが、まだムレムレの靴の中に、汗をかいた足先が残っています。私は勇気を出して、両足とも同時につま先も靴の中から外へ出してしまいました。家ではない、公共の場で、完全に靴を脱いでしまったのです。なにもかも初めてで、ドキドキは最高潮に達していました。脱いだ足は、一旦靴の上に置きます。素足の裏に、スニーカーの紐やメッシュ部分の感じを受けながら、私は勉強を始めることにしました。確かに今日の大きな目的はこれでしたが、全く勉強をしないわけにはいきません。数学の問題集をノートを開いて、応用問題を解いていきます。その間、あまり意識はしていませんでしたが、気づくと私は足の指を動かしているのでした。いつのまにか指の間にかいていた汗も、いまは引いてしまっています。そして靴の上に置いていた素足を、机の前に伸ばしたり、また椅子の下に組んで置いたりするようになりました。土足エリアですが、床はカーペットになっていて、素足を直接つけてもそれほど抵抗感はありません。硬い学校の床とは違って優しい足触りです。靴を脱いで素足になる瞬間のドキドキも今は収まって、むしろ靴をきちんと履いている時よりも、集中力は高かったのではないかと思えました。
ふう、と一つ息をつく私。ちょうど難問を一つ解き終わったところです。スマホの時計を見ると、ここにきてすでに1時間が経っているのでした。自分でも恐ろしい集中力です。もう1時間経ってたんだ…。と同時に、足元にも意識が向かいます。あれ、靴、どこだろう…。素足を動かして、机の下に脱いだはずの靴を探します。前に動かして、後ろに動かして、横…。何度か靴に触れるのですがなかなか足で捕まえられず、私はとうとう体をかがめて直接見て靴を探します。足を動かしたりしているうちに移動させてしまったのでしょう、両足の靴は始め脱いだ位置とは全く違うところに飛んでいっていました。右足はイスの下へ、左足は机の前方へ…。かなり素足を動かしていたみたいで、改めて恥ずかしくなってきます。周りに人がいなくてよかった…。周りを見渡すと、いつのまにか3人の人の姿がありました。けれど幸いみんな離れたところにいて、私の足の様子を見た人はいないと思います。無事に見つかった靴をいったん履きなおすと、私はトイレへ立ちました。用を済ませるとまた元の席に戻って、後半戦の開始です。お昼過ぎには家に帰るつもりで、あと2時間ほど勉強したら図書館を後にすることにします。席に座って、また足元に意識を向けました。
つづく




