素直になりたい砂尾さん その1
「湯川さん、また制服が乱れてます!ちゃんとしてください!」
「あー、ごめんごめん!今朝ちょっと急いでて!」
「昨日も同じこと言ってましたよ?!」
朝の教室、ホームルーム前、登校してくるクラスメイトたちの服装チェックをするのが、風紀委員である私の仕事です。風紀委員長を務めている手前、自分のクラスの生徒たちの着崩しには特に厳しくなってしまいます。毎日毎日、ガミガミ言っているおかげで、大半の生徒たちはきちんと制服を着こなすようになってきましたが、ただ1人、この湯川さんだけは一向に着崩しがなおりません。今日は特にひどくて、着用義務のあるネクタイをしていませんし、シャツの裾が半分ほど出ていますし、しかも靴下を履いていないのも今週はずっと続いていました。心なしか、ショートの髪色もほかの人よりは明るい気がします。私が注意をしていると、ネクタイは持ってきていたようで、カバンの中から取り出して慣れた手つきで結んでいきます。シャツの裾も入れさせます。けれど、靴下は持ってきていないようでした。
「靴下はさー、別によくない?今日あついしさー」
「だ、だめです!決まりです!」
「ふうん、でもさー」
一瞬ニヤリとして、片方のローファーを脱いで足をくねくねさせながら、湯川さんは生徒手帳を取り出して私の目の前で見せつけてきました。
「ここ見てよ!服装規定のとこ!」
「はい、見なくても覚えていますよ。靴下について。女子生徒の場合は、靴下は白か紺または黒色とする。装飾はワンポイントまでで華美でないものとする。ですよね」
「さすがフーキ委員長!でもさでもさー、これ、『靴下を着用すること』とは書いてないでしょー?」
「え…、え?」
風紀委員である以上、校則についてはあらかた頭に入っています。違反の多い事項についてはそらんじて言うこともできます。けれど、まったく別方向の主張を前にして、私は固まってしまいました。
「ほらほら、ここ読んでみてよー、靴下の色とか、ワンポイントとか、『履くべき靴下の種類』は書いてあるけど、これ、『靴下を履かなきゃいけない』ってことにはならないんじゃない?」
「う…」
普段様々な校則違反の生徒の言い訳を次々と論破してきた私ですが、この主張については「正しいのではないか」と思わざるを得ませんでした。確かに、言われてみればその通りなのですが…。
「どうどう?フーキ委員長?」
なおもそのページを見せながらぐいぐいとせまってくる湯川さん。ついにその押しに、私は負けてしまいました。
「た、確かに、そうとらえられても仕方ありません…」
「やったっ!」
しょんぼりする私を見て、湯川さんはガッツポーズをとりました。周りでその様子を見ていたクラスメイト達も驚いた声を上げます。
「え、委員長が負けた!」
「初めて見た!」
「しょんぼりしてる…!」
「湯川ちゃんすごっ」
「靴下履かなくてもいいんだ!」
「いやでも靴下履かないのはちょっと…」
などなど、ざわざわし出す教室内。私はとぼとぼと自分の席について、生徒手帳をもう一度確認します。
『靴下は白か紺または黒色とする。装飾はワンポイントまでで華美でないものとする』
何度読んでもその文言は同じです。ほかのページを見ても、靴下の着用に関する校則はありません。どうにかして湯川さんの靴下無しのあの格好を止められぬものか考えてしまいます。しかし同時に、靴下を履かないのはこの規定上違反ではないのでそのままでいいのではないか…?とも思ったりします。私の席の斜め前に座る湯川さん。クラスメイトのだれもが靴下を履いている中、一人素足だとやはり目立ちます。
朝のホームルーム、素足のままローファーを履いていた湯川さんは(私の学校は一足制のため上履きはありません)、もぞもぞとそれを脱いで裸足になってしまいます。これもここ最近は毎日のことで、湯川さんは朝一でローファーを脱ぐと、席を立つとき以外はほとんど脱いで過ごしているのでした。席に座っているときはローファーを完全に脱いでしまい、脱いだローファーの上に足をべこんと置いたり、足を直接ペタッと床につけたり、机の棒においたりして過ごしています。たまに、教室後方の棚へ物を取りに行くときも、裸足のまま教室内を歩くことがあります。移動教室の時はさすがにローファーを履きますが、かかとを踏んでいることがあるのでその時は注意していました。服装規定に、『靴を履くときはそのかかとをふまないようにすること』という決まりがあるからです。一日のほとんどをローファーを脱いで過ごしているため、放課後の時間が迫ってくると、椅子の下で組んで見えている湯川さんの足の裏は、うっすらと灰色に汚れているのがわかりました。掃除をするとはいってもやはりみんな土足で歩く校内なので、砂やほこりがたまってしまうのでしょう。湯川さんはそんな足の裏の汚れを特に気にする様子もなく、夕方のホームルームが終わるとまたローファーを履いて帰っていくのでした。
かれこれ直近3日間、ずっと靴下を履かずに登校してきた湯川さん。席の関係もあって彼女の足元がよく見えるせいか、私は気が付けば、湯川さんの足を見ているのでした。だらしなくローファーを脱いで、裸足の足をさらす湯川さん。そのしぐさについつい目が向いてしまうのです。特に、『授業中に靴を脱いではいけない』や『授業中に裸足になってはいけない』といった校則はもちろんありません(そもそもそんなことをする生徒がいないからなのでしょうけれど…)。そのため湯川さんのそんな足元について注意をすることはできません。それによって私はイライラするというよりも、むしろドキドキするのを感じていました。
授業に集中して板書をノートに書き、ひと段落したところで湯川さんの足に目を向けると、椅子の下で組んだ足の裏が見えています。そんな彼女の姿を見て、なぜかドキドキしてくるのです。また、ローファーを脱いでる。裸足の足を私に見せつけてくれている(本人にそんな気はないはずですが)。少しするとまた足は机の前の方に伸ばされて、足の指がもにもにと動いています。すらっとした、程よく日焼けをした湯川さんの素足。足先まで丁寧にケアされているのか、爪はきれいに切りそろえられています。キズもありません。結局その日も、湯川さんはほとんど一日中ローファーを脱いで過ごし、帰るときだけはしっかりとかかとまで素足を入れて、クラスメイトにバイバイを言って帰っていくのでした。風紀委員の私は、その日のチェック結果を集計する会に出席するため一緒に帰ることはできません。もしできたら一緒に昇降口まで行きたかったな…なんて考えてしまいます。いけません。相手は服装の乱れの常習犯です。また明日もしっかり注意しなくてはいけません。
そして翌日。例によって一番に教室に来た私は、やってくる生徒たちの服装チェックをしていきます。連日のチェックのおかげで、かなり乱れがなくなりました。注意するポイントと言っても、シャツの裾がちょっと出ていたり、ネクタイがちょっとだらしなくなっていたりと、ちょっとしたことだけです。
「おあよー」
「あ、湯川さん、おはようございます」
そして間もなくホームルームが始まるというとき、湯川さんが登校してきました。よくよく見ると、昨日に比べて服装が整っています。ネクタイもきちんとつけているし、シャツもきちんと入っています。スカート丈も問題なし。けれどやはり、足元に靴下はありませんでした。
「あ、ゆーちゃんおはよ!今日も裸足なんだね!」
「おはよー。だって暑いんだもん!それにー」
友達に話しかけながら、私の方をぱっと向く湯川さん。
「靴下履かないのは、違反じゃないもんね?」
「はい、そうですね…」
「やった!ほら、フーキ委員長公認だもん!しばらくはこの方が涼しいよ!」
「よかったね、ゆーちゃん」
公認しているわけではないのですが…。季節はもうすぐ夏という6月。確かに暑さが増してきます。今のところ素足で登校しているのは湯川さんだけですが、彼女の影響でこれからそう言った生徒が増えてくるかもしれません。校則違反ではないとは言っても、制服に、素足というのは、見た目がどうなのでしょう。先生からするとだらしなく見えてしまうのではないでしょうか。けれどこれまで、湯川さんが靴下について注意を受けている様子は見たことがありません。移動教室の際に何人かの先生とすれ違っていましたが、元気に挨拶をする湯川さんに、その足元について注意をする先生はいませんでした。もしかして先生や生徒たちは、足元までそんなに見ていないということなのでしょうか…?もし、私が、素足でローファーを履いて登校してきたら、みんなはどんな反応をするのでしょうか…?案外受け入れられたり…?いけません。風紀委員長の私がそんなことをするはずがありませんし、そもそも素足で靴を履くなんて違和感しか感じないと思います。湯川さんは、暑いから靴下を履かないといつも言っていますが、私は靴下を履いていても特に暑く感じることはありません。そう強く思っているのですが、いざ授業が始まって、湯川さんがいつものようにローファーを脱いでしまうのを見ると、やはりドキドキしてしまうのです。先生のお話を聞いて、ノートを取らなければならないのに、湯川さんの裸足になった足の方をちら、ちらと見てしまいます。
午後になって、お昼休憩から帰ってきた湯川さんは、自分の席の横でローファーを脱ぐと椅子の上に体育座りをしました。スカートは手でしっかりと押えているのでその中が見える心配はありません。そしてそのまま近くの友だちと話をし始めました。パタパタと椅子の上で足を動かして笑う湯川さん。自分が話をするときは、もにもにと足の指が動いています。やがて、授業開始5分前のチャイムが鳴りました。
「あ、教科書と資料集、後ろだった」
「あ、ウチもー」
どうやら授業道具を教室後方の棚に置いていたらしい湯川さん。例によってローファーを履きなおすことなく、裸足のままみんなが土足で歩く教室をペタペタと歩いて棚の方へ向かっていきました。そしてまた戻ってくると、今度は椅子の上に正座をしました。スカートの裾はおしりと足の間で挟んでいるため、足の裏は丸見えになっています。暑さからか赤くなった足の裏。今裸足のまま歩いたせいでしょうか、うっすらと灰色がその上にのっています。…いけませんいけません。さっきから、湯川さんの足の観察ばかりしています。ヘンな気分です。靴下を履いていないなんてだらしないって思っていたのに、湯川さんの裸足を見ているととてもドキドキしてきます。裸足で歩くその瞬間は、そのドキドキが最高潮に達していました。私はいったい、どうしてしまったのでしょう…?
翌日は、週末の金曜日でした。いつものように早い時間に登校して教室で待っているのですが、なかなか湯川さんは登校してきません。今日も素足のままローファーを履いてくるのでしょうか、それともさすがに靴下を履いてしまうのでしょうか。前者だったらいいなという気持ちが自分の中にあることを自覚して、私は自分で自分が不思議に思えてしまいます。今日も素足で来てくれたらいいなと、わくわく、ドキドキして待っているのです。そのせいか、他のクラスメイトのチェックもいつもより緩くなってしまっていたのか、
「今日の委員長、なんかヘンだよ?」
と声をかけられるくらいです。いけません。しっかりしないと!
しかし、ホームルームが始まっても、湯川さんは現れませんでした。出席をとる担任の先生も何も聞いていないようで、心配そうにしています。そのまま1時間目の授業が始まってしまいます。空席のままの湯川さんの席をみて、私はいつものドキドキがないことに気づきます。むしろどこかがっかりしていました。私は確信しました。私は、湯川さんの、あの格好に、ドキドキしていたのです。制服にネクタイまでしっかりしているのに、足元は素足にローファー。しかも授業中はほとんどローファーを脱いで、裸足のまま過ごしています。足元だけはだらしないというギャップに、私はドキドキしていたのです。そしてそんな湯川さんをずっと見ていたいと思っていたのでした。風紀の乱れを取り締まるはずの私が、湯川さんにドキドキさせられていたなんて。とてもほかの人には言えません。
つづく




