繭の午後
子どものうちは馬鹿の一つ覚えみたいに、死にたいなんてよく言っていた。まだ自分の人生を自分で制御できる感触があって、最後まで見通すことが可能なのだと無邪気に信じていたからこそ、できた空想だ。現実は外側からやってくる要素が案外多い。実際に行動を起こさないかぎり、若いうちに死ぬのは難しいのだ、だから私はもうすぐ二十歳になってしまう。嘆かわしいことだ。と、昔の自分が生きていたら思ったかもしれない、しかし心は変化するどころか死ぬこともあり、私は幼い頃の私を想像の中で生かすのも難しくなってきた。寂しくもないことが寂しいような気がするけれどよく分からない、日に日に鈍感になっていく。というか、鈍くあらないと気がかりなことが多すぎて社会ではとても生きていけない。あれ、じゃあ私は生きていたいのかしら。それとも、生きることを選択し続けているのではなく、死ぬことを選択していない非積極性が己を生かしている?と首を傾げる。…まあ、飯を食わなければ私は死ぬし、今日はとりあえず飯を食う予定だ。
「遠くに行きたいな。」
姉の目はよく焦点が合っていない、昼間からカーテンを閉め切って暗い自室の壁にもたれかかっている。意味のない言葉を繰り返し発して、たまに大声を上げる。かと思ったら、黙ってずっと時計なぞを見つめている、下手したら何時間も。あまり動かない瞳から怒りは感じられない、悲しみもない。そういう時は会話による意思の疎通が困難で、遠くってどこ?と尋ねても、遠く。としか返ってこない。たまに未知の生物みたいに思えるけど、姉からしたら私の方がヘンテコな生き物に見えているに違いない。そう思うと、心が穏やかになって、この世は早く死んだ方が楽なんだ!などといった突発的で若く根の深い思考はたちまちに忘れ去ってしまう。同じ部屋にいる私を世界の外に置いてしまったような、精神上のみ奔放な姉を眺めて、今日の夜ご飯のことなんかを考える。とても落ち着く。たとえ丁寧な豆腐とワカメの味噌汁を作っても、姉は食べないどころかリビングにも来ないので、録画した番組でも見ながら一人で大人しく食事をしようと思う。一人で黙って事に当たると色々のことが気に障っていけないから、場はやかましくするに限る。たとえテレビの音だけが空虚に脳を滑っていっても、姉は隣の部屋で黒く固まっているのだと思えば、少しは安らかになるであろう。




