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十年前、五月

「なあなあ、コウと隆二はどう思う?」


 突然話を振られて、俺は「うん?」と首だけ回してそちらを向いた。

 俺たちに声をかけてきたのは、クラスの中心的存在である工藤(くどう)(たすく)だ。

 男子連中は工藤の机の周りに集まって、先ほどから女子の話題で盛り上がっている。やや卑猥な話も漏れ聞こえてきたが、俺は聞こえないふりをしていた。興味がないわけではないが、同類だと思われるのはごめんだ。女子は意外と男子の話を聞いているものである。


「なんの話?」


 俺の代わりに、隆二が尋ねた。工藤はにやにや笑いを浮かべながら、「うちのクラスの女子で、誰が一番かわいいかって話」と言った。


「あー、結構レベル高いよなあ。オレ、(はやし)さんかな!」


 隆二は屈託なく答えた。野球部のエースピッチャーである隆二はこんがりと日に焼けており、白い歯がニコッと浮かび上がる。

 林夏菜(かな)は吹奏楽部でフルートを吹いている、わりとおとなしめの女子だ。そういえば、お嬢様っぽいところがいい、と前に言っていた気がする。


「へーっ、なるほどね。コウは? 特にいない、はナシな。逃げんなよー、全員言ってるんだからな」


 先回りして退路を塞がれた。俺は顎に手を当てて、ちょっと考えてみる。

 先ほどから漏れ聞こえていた会話からして、一番人気は女バレの酒井(さかい)美由紀(みゆき)らしい。たしかに彼女は元気で明るくてかわいい。パーソナルスペースが狭くてボディタッチが激しいから、俺はちょっと苦手にしていたけれど。

 俺は教室の最前列に座っている後ろ姿に、ちらりと視線を向けた。小さな背中を丸めて、黙々と編み物をしている。彼女は相変わらず、クラスの空気に全然溶け込めていない。賑やかな昼休みの教室の中で、彼女の存在だけが異質だ。


「じゃあ、片桐さんで」


 俺の言葉に、みんなは神妙な顔をして一瞬黙り込んだ。俺がにやっと笑ってみせると、「なんだよ、それー」とギャハハと笑い声をたてる。どうやら冗談だと捉えたらしい。まるきり嘘というわけでもないのだが、俺にとっては冗談だと思ってくれていた方が好都合だ。


「おまえ、趣味マニアックだなー!」

「ああいうのがいいの? 全然わからんわー」


 揃いも揃ってかなり失礼な言い草だ。片桐さんは壊滅的に愛想がないだけで、そこまで酷くないと思う。俺だって別に本気で片桐さんを狙っているわけじゃないから、何を言われてもいいんだけど。


「そう? 結構かわいいじゃん」


 俺が言うと、工藤は片桐さんの方を顎でしゃくってみせた。

「じゃあコウ、ちょっと片桐に話しかけてこいよ」


 まるで度胸試しでもさせるかのような口調に、俺はちょっとムッとした。

 別に片桐さんに話しかけるのが嫌なわけではないが、彼女をまるで珍獣のように扱われるのは不愉快である。とはいえ、ここで工藤に歯向かうと、今後の俺のクラス内での立ち位置が危うくなる。


「いいよ」


 そう言って、俺は自席から立ち上がった。クラスメイトの視線を背中にひしひしと浴びながら、前方にいる片桐さんの元へと向かう。


「かーたぎーりさん」


 あーそびーましょ。

 そんなノリで背後から声をかけると、片桐さんは編み物の手を止めた。こちらを向いたのは一瞬だけで、呆れたような溜息をつくと、再び視線を落としてしまう。


「……罰ゲーム?」


 彼女は下を向いたまま、喧騒に掻き消されてしまいそうなほど小さな声で言った。その横顔からは何も感情も読み取れなかったけれど、傷つけてしまったのかもしれない。胸の奥が罪悪感でズキリと痛む。


「違う。俺が片桐さんと喋りたいだけ」


 できるだけ大きな声で、きっぱりとそう答えた。教室の後ろで俺たちのやりとりを見物している奴らにも、ちゃんと聞こえるように。

 片桐さんはこちらを一瞥もせず、せっせと編み針を動かしている。彼女はいつも無愛想だけど、教室にいるときはいつもに増して表情が固い。


「もしかして、俺らの話聞こえてた?」


 俺が尋ねると、片桐さんはボソボソと答える。


「……女子の中で誰の胸が大きいとか、誰の脚がきれいだとか、そんな話はちょっと聞こえてた」


 ……どうやら、あまり聞かれたくないところばかり聞かれていたらしい。

 俺はそういう話題には一応加わっていなかったということを、ちゃんとわかっておいてほしい。言い訳がいくつか頭に浮かんだけれど、結局俺の口から出たのは全然別のセリフだった。


「俺、片桐さんのことかわいいと思う、って話してたよ」


 片桐さんは弾かれたように顔を上げると、大きな目を零れ落ちそうなぐらいに見開いた。ああ、やっとこっちを向いてくれた。

 黒いビー玉みたいな瞳には俺の姿が映りこんでいる。残念ながら、彼女の目に映る俺の表情には今ひとつ真剣味が足りなかった。そういえば母さんからも、「アンタはいっつもヘラヘラして」とよく言われる。


「嘘」

「いや、マジで」

「……佐伯くんって、変わった趣味だね」

「ありがとう」

「褒めてないけど……」


 片桐さんは呆れ気味に呟いた。

 個人的には、平凡でつまらない男だと思われるよりも、変わり者だと思われた方がよほどいい。そういう風に考える男子中学生は、結構多いんじゃないだろうか。


「わかった。佐伯くんって、パクチーとか好きなタイプでしょ」


 そう言って片桐さんは、口元を僅かに綻ばせた。つり上がった目尻が、ほんの少しだけ和らいで、柔らかい印象になる。

 ……あ、笑った。そう思った瞬間に、俺は男子連中の視線から彼女を隠すように移動した。


「どうしたの?」


 妙な動きをした俺に、片桐さんは訝しげに瞬きをした。その表情からはさっきまでの笑みは消えていて、俺はなんだかほっとする。


「いや、なんでもない」


 ……さっきみたいな笑顔を周りに振り撒いたなら、きっと彼女にも友人の一人くらいすぐにできるのだろう。

 わかっているのに、俺は彼女の笑顔を他の誰にも見せたくないと思っている。そんな身勝手な感情を抱く理由は、今の俺にはよくわからなかった。

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