まき、電話してね
昼間の定食がよくなかった。急に腹の調子がおかしくなり、慌てて公園の公衆トイレに駆け込んだ。
公衆トイレのイメージといえば、汚い、臭い。使いたくはなかったが、仕方ない。
用を足し、腹の調子が落ち着くと周囲を見回す余裕が出てきた。
公衆トイレのイメージは、下品な落書きに、口に出すのも憚られる汚れ。しかし、最近のは違うようだ。
タイル式の床は想像よりもきれいで、クリーム色の壁も目立った汚れはない。
「わたし まき さみしいの Telちょうだい 090-×××…」
真正面に書かれたらくがき。こうゆうのは昔も今も変わらないようだ。思わず苦笑。
もちろんかけたりはしない。しかし、電話したらどうなるんだろうという好奇心が湧く。
時間の確認のため、スマホを取り出す。13時30分。あまりゆっくりし過ぎるのはまずい。
ブーブー…。
スマホが震え、着信画面。
「まき 090-×××…」
鳥肌がたつ。「まき」なんて知らない。それに表示されている番号は、クリーム色の壁の落書きのものと一致している。
ブーブー…。
鳴りやまない、呼び出し。
おれは、震える指で、赤い着信拒否のボタンをタップ、しようとした。
なのに、どうしてか、暑さのせいだと信じたい。もしくは百足屋ゴキブリを、嫌悪しながらも見入ってしまう感覚。
緑色のボタンを押してしまった。
「…。はぁ、はぁ。んふ、はぁ。」
女だ。それも若い。情事の最中に漏れる吐息のようにも聞こえる。こんな状況でなければ反応してしまいそうなほど艶めかしい。
「ね、ン…。んふ、はぁ。そこなの?うぅ、あっ。まってて、ね」
通話が切れる。じっとりとした汗が背中を濡らし、気持ち悪い。一方で自慰のおわりのようなふわっとした感覚もある。
そのとき、スマホに落としていた目線が別のものを捉えた。
個室のトイレのドアと床の隙間。細く白い、しゃくとり虫のような指が5本、覗く。
くねくねとなにかを求めるように悶えて。
「んふ。」
耳元での囁き。若い、女性の、甘い、におい。
ドアを蹴破るように個室を飛び出る。そこには誰も、なにもいない。個室のなかにも。
おしりもふかず、ズボンだけをあげて逃げ出した。その日はとても仕事などする気になれず、早退した。
夜。ズボンを風呂で洗いながら考える。
二度と公衆トイレには近寄らない。
ブーブー…。
居間から微かに聞こえるバイブ音。
そんな、電源は切っているはずなのに…。
無心でズボンを洗う。洗うあらう。
明日、朝一で携帯も解約だ。
んふ。