第四章 十七話 都合のいい推論
鈍色の雲に空が覆われた、そんな王国らしい、重苦しい空模様の日のことだ。
人、馬車、たまにオートモービル。
それらが間断なくすれ違う、ゾクリュの目貫通り。
今、俺は、アリスとヘッセニアを連れて、とことこ、ゆったり歩行中。
ゾクリュが大都市化を遂げたのは、ここ半世紀と最近のこと。
だから、ゾクリュの街並みには歴史というものが欠如していて、どこか真新しい雰囲気を湛えている。
今、俺たちが居るところが、特にそうだ。
戦時中は軍施設が立ち並んでいた区画であったのだが、終戦と共に民間に払い下げ、結果新築が軒を連ねる、ゾクリュ屈指のフレッシュな場所となっていた。
今もそこかしこで、がたんがたんと、工事の音と、えっちらおっちら、現場労働者の声が聞こえてくる。
きっと来年の今頃は、今とはまったく違う街並みになっていることだろう。
さて、そんな新陳代謝の活発な一角に足を運んだ俺たち。
そのきっかけは、結構レアなものであった。
日中、日没問わず自室にこもって、なにやら怪しい実験を繰り広げる、稀代の引きこもり、ヘッセニア・アルッフテル。
そんな彼女がある日、おもむろに、外出に付き合ってほしいと告げたのである。
彼女は俺と異なり、監視処分を受けておらず、自由に外出できる身。
さらに、彼女はとても真剣に頼み込んできたのだ。
これはただごとではない。
なにか、俺たちに関係する重要な用事が、彼女にあるということか。
だから、直ちに外出申請を出して、今に至るという次第だ。
「ここだよ」
歩みを止めて、俺は二人、というかヘッセニアに一言。
彼女が望んだ場所に、到着した旨を伝えた。
風に乗って、ふわりと花の香。
その源は俺の眼前にある、かつては身柄情報速報所があった場所。
先日俺とソフィーが銃撃を受けた、一階に花屋がある、あの白いビルであった。
「ふうん。ここねえ」
一言を受けて、ヘッセニアは、ずいと一歩を刻んで俺の前へ。
そしてつうと視線を上げて、屋上をじっと睨む。
二拍、三拍。
少しの間を置いて、灰色髪の彼女は顔を下ろして。
「ちょっとさ。屋上に上がりたいんだけど。いい?」
長い髪をはためかせて、振り返って、そう告げた。
つまり彼女は、先日の銃撃事件の現場を見たいらしい。
「なら、大家さんに了解を取りましょう。お二人はここでお待ちください」
アリスが大家の了承を取るべく、静かに歩み始めた。
だが、その動きを阻む者が居た。
ヘッセニアだ。
なにを思ったのか。
彼女はアリスの手をひしと摑んで離そうとしなかった。
「そんな必要はないんじゃないの? 面倒だし。勝手に上がっちゃおうよ」
「勝手にってなあ……そりゃ犯罪じゃないか」
「いいのよ。こういうのはね。バレなきゃいいのよ、バレなきゃ」
「いやいや。階段はビルの中にあるんだし。勝手に上がったところで、どうやってもバレる。なら、最初に許可を取った方がどう考えてもいい」
「あのねえ、ウィリアム。貴方、なんのために、強化魔法が得意だと思ってるの?」
……つまり、俺がエレベーターになれってことか。
少なくとも、強化魔法が得意なのは、そんな真似をするためではないのだが。
多分、そんな呆れの色濃い心中が、顔に出てしまっていたのだろう。
ヘッセニアもヘッセニアで、俺の顔を見て、やれやれ、といった具合のため息を吐いた。
「……それにね。多分大家は、守備隊の許可を得るために、ここで足止めすると思うんだ。守備隊、下手すれば、私たちを上らせてくれないかも」
「俺は監視されてるんだけど。だったら結局、守備隊にはやったことが筒抜けになるんじゃないのか?」
「でも事後承諾なら、スピード感あるよ? それに絶対に屋上にも上れる。ほら、メリットだらけじゃない?」
わかったら、ほれ、さっさと背負うなりなんなりして、私を屋上にまで連れて行け。
そう言わんばかりに、ずいと両手を広げて無言の要求をするヘッセニア。
独立精鋭遊撃分隊の一員は、問題児だらけで、どいつもこいつもそれはそれは頑固だ。
当然、目の前のヘッセニアもご多分にも漏れない。
こうなったら、頑としてこちらの要求を聞き入れないことを、俺は経験でもって知っていた。
やれやれ。仕方がない。
二、三回頭をかいて、ため息をつく。
これはもう、折れるしかないようだ。
「……わかったよ。でも、ここじゃ目貫通りに面してて、人目につく。裏に回ろう」
「はいよ」
ちらとアリスを見る。
こうなっちゃったけど、いいね? と目で問いかける。
答えは――彼女は静かに頷いた。
アリスの了解を得て、俺たちはこそこそとした足取りへ、ビルの裏手へ。
そして、強化魔法による強引なクライミングを二回繰り返す。
一回目はヘッセニアを、二回目はアリスを連れて行くために。
かくして、俺たちは見晴らしのとても良い、ビルの屋上に立つに至る。
「それでウィリアム。あの夜、弾が当たった柵はどれ?」
全員が屋上に上がり終えるや否や、ヘッセニアが問う。
右に、左に。被弾場所を探すために、頭を振りながら。
「あそこだよ。目貫通りの反対側。俺の指先あたり」
「そ、ありがと」
教授と同時に彼女は、すたすたと早足で歩みを進めて、鉄柵の下へ。
きっと早速弾痕を発見したのだろう。
ヘッセニアは食い入るように、じっと弾痕があると思われる場所を眺めた。
一体、弾痕を探してなにをするつもりか。
そんな訝しみを抱いた頃合いであった。
ヘッセニアはおもむろに普段着代わりの白衣から、ウエスを一枚取り出して、鉄柵に押し当てて。
次いで、ウエス越しに柵を、何度も何度も撫でた。
一見すると、意図が読み取れない奇行。
が、彼女が定着魔法の達人なのだ。
だとすると、ウエスは彼女謹製の魔道具(あるいはただのウエスを、たった今、魔道具に拵えたか)で、あの仕草が作動のトリガーなのだろう。
奇行まがいは時間にすれば、ほんの数秒間のこと。
そんな僅かな時間でも、成果を得るには十分であったらしい。
失望とは一切無縁の顔色を見せつつ、彼女は、慎重な手つきで被せたウエスを剥がして。
柵へ向かったときと同様、早足で俺とアリスの下へと帰ってきた。
「アリス。アイツの。レミィの魔力の波長。覚えてる? ちなみに私は覚えてない」
「ええ。覚えてますけど……」
「そ、ならよかった。じゃ、こいつから魔力を読み取ってみて」
短い問答の後、ヘッセニアはアリスにウエスを押しつける。
しかし、戦友の魔族がどんな意図で、その布きれを渡したのか。
アリスはそれを読み取れなかったのか。
困惑気味な視線は、ウエスとヘッセニアの顔を行ったり来たり。
その視線の動きで、自らの説明不足に気がついたか。
ごめん、という一言を先行させたのちに、補足情報を口にする。
「今ね。そのウエスに弾丸の細やかな欠片を吸着させたの。魔法式の銃なら残留魔力があるはず。そいつを読み取れば、本当にその外套の撃ち手がレミィかどうか。それがわかるってわけ」
なるほど。
つまりはヘッセニアも信じられなかったわけだ。
俺を撃ったのがレミィであることを。
その白黒をつけるために、ここにやってきた、というわけか。
そして、その白黒を付けたいのは、なにもヘッセニアだけではない。
俺も、アリスも、そしてきっとクロードも知りたいはずだ。
だから、ヘッセニアの意図を読み取ったアリスは、迷いのない手つきでウエスを受け取って。
目を瞑って。
意識を集中させて。
「はじめます」
彼女はウエスに染みついた魔力の感知を開始した。
魔法使いが言うには魔力の波長ってやつは、個性があるらしい。
しかも指紋と同じく、一つとして同じ個性は存在しないそうだ。
この特性によって、魔法使いは魔力による個人特定が可能なのだという。
その特定作業が今、目の前で行われている。
俺からすれば、はじめて目にする作業。
だから、要する時間がどれくらいなのか。
その見当はまるっきりつかなかった。
でも、きちんとした魔法使いからしたら、魔力の同定は難しいことではないらしい。
瞬きを四回、五回する合間に、仕事を終えたようだ。
アリスがゆっくりと目を開ける。
綺麗な形の眉根を寄せて、そして下唇を噛みながら。
とても悔しそうな表情だ。
つまり結果は――今更、言葉にする必要はあるまい。
「……そうか。お疲れ様」
「……いえ」
俺はねぎらいの言葉を、アリスにかける。
アリスも短く俺の言葉に応える。
俺もアリスも声色はとても沈痛で。
事件の話をしたとき同様、この場は重苦しい空気に支配――
「むー」
――されることはなかった。
白黒つけようと、この場に俺らを連れ出した張本人。
ヘッセニアがなにやら間の抜けた声で唸りはじめたからだ。
彼女は腕を組み、唇は山形に曲げ、眉間に皺を寄せて、そして頭はうつむき加減。
いかにも深く考え込んでいる、という体だ。
時を重ねる毎に、うなり声は強く、眉間の皺は強調され、うつむく角度はより深くなって。
そして深く考えることをやめたのか。
もう考えるのはやめた! と言わんばかりに、がばりと曇天の空を仰いで。
「やっぱ納得いかん!」
シャウトする。
その声色に深刻さはない。
今まで彼女はなにを考えていたのか。
問わざるを得ない。
「ヘッセニア?」
「いやね。どーも腑に落ちないのよ。本当にウィリアムを撃ったのがさ。レミィだとは思えなかったんだ」
「それは俺も同じさ。でも――」
「ああ違う、違う。レミィが撃ったとは信じたくはない、ってのじゃなくてさ。私が言いたいのは、レミィが撃ったにしてはおかしいよね、って話」
「どういうことだ?」
「だってさ。当たってないじゃん。的に」
ヘッセニアは俺を顎でしゃくった。
ほら、貴方健在じゃない、という意図を含ませて。
「さっさと気付いた、ウィリアムを狙えなかったのはまだいい。でも、ソフィーは問題。ウィリアムに警告されるまで、狙われていることに気がつかなかった。これってアイツがソフィーを撃ち抜くには、十分な隙じゃない?」
「む」
「それだけじゃない。柵に当たったことはさ。仮にソフィーが伏せなくとも、柵に当たって弾かれてたってことじゃん。どっちにせよ外してた。銃の最大射程が、そのまま有効射程になるような、そんな射撃の化け物だよ? いくらなんでも、詰めが甘すぎると思わない?」
「だから、撃ったのはレミィだとは思えなかった、と」
「そういうこと。でも……アリス。破片に残留してた魔力は、絶対にレミィのものなんだよね?」
「ええ。それは間違いなく」
「射撃手がレミィで確定してしまったのならば。余計なことを考えなきゃいけない。アイツが外してしまった理由を考えなければならない。で、浮かんできた可能性は二つ。シンプルなのが二つ」
ヘッセニアは子供のように細く、小さな指を二本立てた。
そして一拍の間をおいて。
自らの考察を披瀝。
「この一年、なまりになまって、腕前が極端に落ちたか。それか――」
「……わざと当てなかった?」
「そ。そのどちらか」
ヘッセニアは人差し指と中指でぴっと俺を指さす。
分隊特有の正解のジェスチャー。
なるほど。
俺は最大射程内で弾を届かせ、かつ魔法式の銃を使っていた、という点で、下手人をレミィだと判断していた。
しかし、冷静に考えてみると、あの距離でレミィが外してしまった、というのはたしかに不自然である。
弾が届く範囲ならば、任意でワンホールショットが可能。
そんな尋常ならざるガンマンが、レミィであるはずだ。
にもかかわらず、あの日に限っては回避行動を取らなくとも、柵に当たってしまって的から外す、なんて醜態をさらしてしまっていた。
それも一発ではなく、三発も。
言われてみれば、あまりにらしくはない。
たかだか一年でそこまで腕が落ちているとは考えにくい。
で、あるならば。
レミィと敵対したくはない。
そんな意思が作用していることは重々承知だけど。
なにか理由があって、俺とソフィーに弾を当てなかった。
そう思えてならなかった。
「特に後者は、とても都合のいい解釈。バイアスかかってるから、あんまり採用したくない仮説なんだけどね」
童顔とは裏腹に、根っこが冷静な研究者気質のヘッセニアが暗に俺に告げる。
期待はしないほうがいい、と。
しかし、それでも後者の可能性を否定しようとしないあたり。
やはり彼女も後者にすがりたいのだろう。
そんな思いが、ひしひしと伝わってきた。