第四章 十三話 分隊案件
結論から述べるのであれば、朝食を摂りながらの相談は実現できなかった。
急に話しづらくなってしまって、先延ばしにしたわけではない。
ただただ単純に、話を持ちかける前に、割り込みで、片を付けなければならないことが生じただけだ。
その喫緊の事態とは、端的に言えばご機嫌取りだ。
そう、アリスのご機嫌取り。
屋敷に帰るや、アリスさんはとても不機嫌。
どうやら、俺が朝帰りしたことに相当ご立腹なご様子であった。
その上、彼女と仲の悪いソフィーと一緒に居たことも、また癪の種であるらしい。
彼女の怒りの熱量たるや、今まで見たことがないほど。
だから、必死に媚びへつらって、おもねって。
そうしている間に、あっという間に朝食は終わってしまった、という次第だ。
しかしその甲斐あって、今やアリスはいつも通り。
むろん、彼女の落ち着きを取り戻すためには、それなりの交換条件というか、譲歩というか。
ともかく、埋め合わせを必要としたのではあるが。
ちなみに、俺がアリスに必死に頭を下げているその間、クロードとヘッセニアは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを張り付かせて、俺を観察していやがった。
奴らへの復讐心はひとまず飲み込んで、さて本題へ。
まずはアンジェリカが食器を洗い場に下げるのを待つ。
最近の彼女は本当にアリスの助手、といった感が強くなってきた。
要領のいい手つきで、アンジェリカは食器をまとめて、侍らしたワゴンに乗せて。
そして手慣れた足取りで退室。
かくしてテーブルの上は敷かれた純白のクロスと、アリスが淹れてくれた、食後のお茶のみとなる。
オーク材の長テーブルを囲んでいる、三人の視線が俺に集まる。
それらに答えるためにも、俺は一度咳払いをして。
「相談したいことってのは、他でもない。さっき……つまり深夜に起きたことについてだ」
こんな風に、話を切り出すことにした。
「ああ。たしか大佐の依頼だっけか? 種族主義団体の会合の監視。こいつをしてたんだよな?」
「ソフィーと一緒にね」
生真面目な確認を行ったクロードの発言直後に、極めて不真面目なヘッセニアの茶々。
アリスのご機嫌を損ねかねない一言に、一睨みして、ヘッセニアを窘める。
ちょっと真面目に聞いて欲しい、と無言で頼み込む。
そんな俺の乞いをきちんと読み取ってくれたのか、否か。
その判別がいまいちつきにくい、ちゃらんぽらんな素振りで、彼女は軽く手を返して答えた。
取りあえず、了承した、と見なして話を進めてしまおう。
「そ、クロードの言う通りだ。それで、その際ちょっと面倒なことが起きてね。それが原因で朝っぱらのあの騒ぎってわけ。相談したいのはそのことさ」
「へえ。朝からあんなガサ入れなんて、よくやるな、とは思っていたが。事件を受けて、か。で、ウィリアム。今度はどんな厄介事に巻き込まれたんだ?」
「撃たれた」
「は?」
「撃たれたんだよ。俺とソフィーが。その集まっている種族主義者に」
誰もが流石に、銃撃を受けたとは思っていなかったのか。
クロード、アリス、そしてヘッセニアはほとんど同時にあんぐり、唖然。
言葉を失った。
「お、お怪我は!? 大丈夫だったのですか!?」
「うん、それはこの通り全然平気。撃たれたけど、当たらなかったからね」
いち早く、言葉を出す余裕を取り戻したのはアリスであった。
もっとも、その声色にはまだ、落ち着きが足りていなかったけれど。
そんな彼女の緊張をほぐすために、俺は努めて軽い口調で応答。
健在ぶりを示すために、ぷらぷらと両手をわざとらしく振る。
それらの努力が、一応実を結んだと信じたい。
綺麗な金の髪をまとめ上げる彼女は、ほうと一息。
呼気に伴って、肩の力も抜けていった。
「でも、まあ。撃たれたことは、そんな重要なことじゃないんだ。撃たれた、当たらなかった、おしまい。相談するようなアクシデントでは、断じてない」
「重要なことか否かでは異論はあるがな。だが、しかし、たしかに相談する話ではないわな。弾が当たらなかった、で終わっちまう話だからな。お前の言う通り」
唇を山形に曲げ、釈然としない心持ちを表明しつつも、クロードは肯んじる。
他の二人も、表に出す顔色の濃淡の差はあれど、まさに大同小異の反応を示す。
「じゃ、なんなの? 相談したいことってのは? クロードならともかく、私やアリスまで巻き込んでさ」
撃たれたことは大した問題ではない。
しかし、話したい事柄は昨夜の事件に関連している。
なら、軍人であるクロードか、あるいはフィリップス大佐に話せばいいだけの話だ。
今は退役し、一般人であるヘッセニアやアリスに相談する案件ではないはず。
後頭に手を組んで、だらしなく背もたれによりかかるヘッセニアが言いたいことは、このようなものになるだろう。
たしかに、今までの話の流れを汲むならば、まったくその通り。
女性陣二人に話すことではない。
だが、そう判断できるのは、ここまでだ。
次に、俺が口にする言葉を聞けば。
ヘッセニアもアリスも、どうして俺が相談を持ちかけたのか、その真意を嫌でも知るはず。
「重要なのは、だ。その俺とソフィー目掛けたヤツが、魔発式のリボルバーを有効射程外からぶっ放したってことさ。弾は当たりはしなかったけどね。でも、きちんと届いてた。あと少しで当たるところだった」
「……はっ?」
それは声と言うより、音であった。
肺の空気が不随意に口から漏れてしまった、そんな風情に満ちた音。
その音は、誰が発したのか。
短すぎて、それはわからなかった。
クロードかもしれないし、アリスかもしれないし、ヘッセニアかもしれない。
だが、誰のものかはわからないが、それでも断言できることが二つだけある。
その音は驚きによって、生じたものであろうということと。
音の源泉の候補者の三人は、それぞれ二度目の絶句中ということであった。
「見間違いでは……ないのか?」
今度の復帰一番手はクロードだ。
是非とも俺の誤認であってくれ。
彼の一言は、そんな思いに満ち満ちていた。
けれども、俺はそんな彼の願いを、かぶりを振って否定する。
「認識阻害の外套を着ていて、ご尊顔は拝めなかったけれどね。でも、外套の袖から出てきた、銃はしっかりと見れたさ。引き金のない、魔発式だったのは断言できる」
「……そう、か」
間違いない。
俺がそう言い切ったのち、クロードはがっくり肩を落とす。
両の手をこめかみのあたりにもってきて、頭を抱える。
テーブルに膝をつけながら。
失望色濃い面持ちだ。
いや、それはなにもクロードに限った話ではない。
アリスは両の手を口に当てて、ぽかんと開いてしまった口を隠して、どうにか動揺を抑えようとしているし、ヘッセニアは両目を瞑って、憮然とした仕草で顔を天井へと向けている。
そして、多分、きっと、俺も。
彼らと似たり寄ったりの、苦々しさに満ちた顔付きをしていることだろう。
発砲者は魔発式のリボルバーを使っていた。
先ほど、俺が言ったことを、極めてシンプルにするならこれである。
雷管によって装薬を着火させる管打式と、射手の魔力を用いて着火させる魔発式。
今の扱われている銃の方式は、大きくこの二つに分けることができる。
その双璧の片割れを使っていた、と俺は言っただけなのだ。
とんちんかんなことを言ったわけでもなく、むしろ常識の範囲内の言動。
にも関わらず、場の空気がこうまで重苦しくなった理由はなにか。
その答えは単純だ。
俺も、クロードも、アリスも、ヘッセニアも。
心当たりがあるのだ。
あの外套の正体が誰なのかを。
魔発式を愛用して。
かつ、最大射程内であれば自在に弾を当てられる、超人的な技量。
あの外套の奴は、この二つの特徴を持ち合わせていた。
そして、その二つの特徴を持ち合わせる人間を、俺たちは都合が悪いことに知ってしまっていた。
だからこその沈黙であった。
「……レミィ。か?」
「……俺にはそうとしか思えないんだよ。残念ながら」
俯いたクロードの、沈痛な言葉。
俺は彼と同じくらい沈鬱な動きで、彼の言に頷いた。
"赤"の"読み手"の"レミィ"。
それが俺たちが、外套の正体として連想した人物であり。
同時にあの戦争中、同じ部隊で戦ってきた戦友の名でもあった。
そう、言うなればこの事件は。
分隊案件、と呼べる代物であるかもしれなかった。