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第四章 十一話 飛び込め! 夜の街!

 夜の帳が落ちて、世界は闇に沈んでしまった。


 通りの敷石も、レンガ積みの商店も、最先端を行く鉄筋コンクリート造りなのっぽの建物も――

 兎角、万物の境界線を、鉄紺色の夕闇に溶かしてしまう夜がやって来た。


 物の境は闇に飽和し、その姿形を捉えることができなくなる。

 前がロクに見えなくなる。

 夜とは本来そういった時間なのだ。


 だかそれは、あくまで、そう。

 本来であれば、の話であるが。


 すっかり装いを夜のものにした、ゾクリュの街の一角。

 身柄情報速報所の跡地にそびえる白いビル。

 ただいま俺はその屋上にて、街を見下ろしていた。


 日も沈んで大分時が経っている。

 本来、全てが闇に溶け込まなければならない時間だ。

 にも関わらず俺の目は、街の全景、とは言わないものの、しっかりと街の姿を捉えていた。


 どうして街が宵闇に溶けきらなかったのか。

 それはひとえに、文明の利器ってやつのおかげであった。


 通りに等間隔で埋設されているガス灯。

 それらが放つオレンジ色の柔らかい光が、敷石詰まった道を照らし、軒を連ねる建物を照らしていた。

 だからこうして俺は視界を奪われずに済んでいるのだ。


 寝静まった街は静かだ。

 パブの類は夜店通りに集中しており、この目貫通りには一軒も存在しない。

 水を打ったような静寂が夜に訪れるのは、そういった要因があってのことだ。


 現に眼下に走る通りを眺めても、誰一人として出歩いていないし、馬車もない。

 人が押し合い()し合う昼間の姿からは、とても想像できない今である。


 そんな早寝が信条の通りに、一陣の風が吹く。

 季節は初夏とはいえ、夜闇によって冷やされ、肌寒さを感じる風であった。


「……冷えるな」


 風に対する率直な感想は俺のものではない。

 転落防止の鉄柵にもたれかかって、手中の双眼鏡をもてあそぶ彼女のものだ。


「ああ」


 その感想に俺は短く追従。

 音にして、たった二音の短すぎる返事。


 当然のことながら、それ以降会話が繋がるはずもなく、沈黙が訪れる。


 意思の疎通が、苦手な人間のような様を晒してしまったわけだが、言い訳をさせてもらおう。


 今こうして白いビルの屋上に陣取る俺と彼女。

 彼女との関係は深いものではなく、そこまで会話を交わした間柄ではなかったからだ。


 俺も彼女も、距離感を掴み損ねてしまい、話の接ぎ穂を失ってしまっている。

 今の沈黙は言うなれば、そんなもの。


 そんな疎遠な関係とも言えなくもない彼女は、ゾクリュ守備隊の副官、ソフィー・ドイル。


 生体兵器事件以来、あまり会うことがなかった彼女と、俺はこうして肩を並べて、ビルの前の通りを眺めていた。


 夜間に男女が二人きりて佇むこと。

 それはロマンスを感じさせるシチュエーション。


 だけどその二人の関係が、ほとんど疎遠なものであれば、ロマンスはたちまちかき消えてしまうだろう。

 それはそう、今の俺たちのように。 


「しかし大佐も……どうして、こんなことを思いついてしまわれたのだ」


 任務中の私語は慎むべき、と信じて疑わない生真面目な彼女であれど、流石にただいまのような沈黙は、気まずいものであるらしい。


 ソフィーが愚痴めいた口調で、そう呟いた。


 どうして私が、俺と共にことに当たらねばならないのか。

 そのことに不満を感じているようである。


 しかしながら、その不満はごもっとも。


 彼女と建物の屋上で、気まずい一夜を過ごすこととなったその原因。

 大佐が昼間の無国籍亭で俺に依頼した事柄は、あまりにエキセントリックなものであったのだから。


「まあ、確かにぶっ飛んではいるよね。刑を受けてる人間にさ。まさか、種族主義の団体さんの見張り。こいつを依頼するなんてさ」


 肩をすくめて、軽薄な仕草を作りながらそう言ってみる。

 ソフィーの愚痴に追従してみる。


 冷静に考えてみなくても、流罪を受けている身に治安維持の依頼をするということ。

 こいつはとんでもない判断である。

 真面目な人間ほど、抱く不満は強いものとなろう。


「依頼そのものも、尋常ならざるものであるがな。私からするとだ。そんな依頼をほとんど二つ返事で承諾した、貴殿もまた、普通ではないように感じるのだがな」


「そう? 一応ご近所に住んでるんだからさ。困っている隣人を助けるってのは、自分で言うのもアレだけど、至極道徳的な行動じゃない?」


「私としてはな。今の貴殿の身分を考えて、是非とも辞退してほしかったところだよ。おかげで、見張りをする貴殿の見張りとして、私が駆り出される羽目になってしまったではないか」


「そいつは申し訳ない。でも、意外だね。言っちゃあ悪いけど君、お仕事人間のように見えたからさ。ぽっと出てきた任務に、喜々としてあたると思っていたのだけれども」


「人をワーカーホリックのように言いおって……ここ最近、家に戻っても、仕事をしているような環境なんだよ。心安まる時間が、寝入っているときしかない時分で、徹夜確定の任務を押しつけられたのであればだ。愚痴の一つや二つ言いたくなるのも、当然だろう」


「ああ、そっか。今、君の家でエリーを預かっているんだっけか」


 その通り、と、憮然とした様子でソフィーは肯んじた。


 もし、先日のハドリー・ロングフェローが種族主義者の口封じであったのならば、である。

 その現場を目撃してしまったエリーにも、刺客の魔手が及ぶ可能性がある。


 そのような事情にて、彼女は守備隊に保護される次第となったのだ。

 エリーがソフィーの家で寝泊まりをしているのは、保護の一環であった。


 ソフィーの出勤と共に隊舎に赴き、退勤と共に彼女の家に戻る――

 最近のエリーはそんな生活を送っている。


 確かにそれは、ソフィーからすれば、家に帰っても仕事をしているようなものだろう。


 さらに、そればかりでなく――


「しかし、なんだ。あの娘の食欲は。おかげで毎日生協に通って、食料品を買い足す日々だ。彼女の食料費が経費で落ちないと言われたら、真面目に実家に援助を頼み込もうと思ったくらいだ」


「そりゃ災難で」


 居候の身にも関わらず、エリーはその健啖ぶりを遺憾なく発揮しているらしい。

 きっとエンゲル係数の上昇速度は凄まじいものなのだろう。

 領地ありの貴族家出身であるソフィーに、破産の恐怖を抱かせるほどなのだ。

 それはそれは、おぞましい数値を叩き出しているに違いない。


「その上、好奇心が旺盛でな。目を離すと、勝手に外に出ようとして、始末に負えん。この間など、赤線地帯の店に潜り込んでな。いやいや。連れ戻しに、入らざるを得なくなってしまったよ。おかげで摘発と早とちりされて、大騒ぎになってしまった」


「まあ、自由恋愛が黙認されているところに、守備隊員が押し入れば、そりゃ摘発と勘違いされるわな」


「そういった意味では、徹夜は厳しいが、今夜は安心できる夜かもしれん。ここに張り込んでいればいいだけだし、件の彼女の面倒も、ヘッセニア・アルッフテルが見てくれてることだしな」


「ヘッセニアがエリーと一緒に悪ノリしないか。俺はそれが心配だけどね」


「まさか。アルッフテルはもう二十三なのだろう? 流石にその歳で、子供みたいな悪ふざけはしないだろうさ」


 ああ、そうか。

 ソフィーはヘッセニアの気性も、まるっきり子供なことを知らないんだな。

 退屈だと奴は、花火の代用として室内で爆薬で遊ぶことを知らないんだな。

 そういえば、守備隊に捕まってたときのヘッセニアは宿命云々で、えらく真面目だった。


 つまりは、彼女はヘッセニアにだまされてしまっているわけだ。

 だから、こんな呑気なことを言っていられるのか。


「……なんだその目は」


「いやあ、別に。知らないって、幸せなことなんだなあ、って」


「なんだそれは」


 意図せず生暖かい目で、ソフィーを眺めていたらしい。

 彼女は心底迷惑そうに荒い鼻息をついた。


 帰ったら家が黒焦げになって、吹っ飛んでるかもしれない、とは伝えない方がいいだろう。

 伝えたら、家の心配をしてしまい、目の前の仕事に集中できなくなってしまうだろうから。


 さて、同情の視線を寄越すのは、若い少尉殿のお気に召さないようだし。

 自身の視力を強化して。

 視線は再び、眼下の街並みへ。


 より正確に言えば、この白いビルの対面、三つばかりの小道を挟んだ先にある、こじんまりとした商店が焦点。

 つまりはあそこが種族主義者の集会所。

 今宵の観察対象というわけだ。


「どうやら、悪巧みは終わりのようだね」


 そしてなんとも都合がいいことに。

 視線を戻してから間を置いて、石階段の上にある商店の扉。

 そこが開け放たれる。


 どうやら会合は終わったらしい。


 ぞろりぞろり。

 次から次へと外へ這い出る種族主義者たち。


 その姿格好は、いかにも秘密結社めいて、奇妙な制服では……なかった。

 皆、各々の生活から抜け出しただけ、という風な、ごくごく普通の格好であった。


 さて、今宵、額を合わせて悪巧みをしていた種族主義者の総員は。


 九人。

 十人?


 いや、やはり九人か?

 いやいや、再度訂正、十人。

 いやいやいや。


「うん……うん?」


 どういうわけだろうか。

 勘定が上手くいかなかった。

 どうしても、一人分浮いたり増えたりしてしまう。


 存在感の増減著しい一人が居るらしい。

 どうにもその一人を俺は、()()()()()()()()()()()ようだ。


 待てよ?


「……上手に認識できない、だって?」


 一つの可能性に思い至る。

 だから、とにかく必死に気合いを入れて。

 瞬き一つもせずに、一人、二人、三人。

 じっくり見て加算して――


 そして見つけた。

 通りと扉を繋ぐ階段、その上の方に。

 件の消えたり、現れたりをする十人目を。

 季節外れの外套に身を包む十人目を。

 辛うじて、確かめることができた。


「……少尉殿。一つ質問があるのですが」


「なんだ、元・軍曹。急に改まって」


「こんな夜に、それも初夏にフード付きの外套を着込む理由とは、なんでしょうかね?」


「外套? いや、そんな奴どこにも見当たらないが。何処だ?」


「良ーく注目してほしい。玄関前の階段の上から……二段目か。小さな影、見えない? 必死に注目しないと目に留まらないと思う。目立つ格好なのに」


「……まさか」


 季節柄、外套というかなり目立つ格好にも関わらず見落としてしまう。

 普通に考えれば、まずあり得ないシチュエーション。


 しかし、ソフィーはそれがあり得てしまう状況に、心当たりがあるのか。


 急いで双眼鏡に目を当てて、じっくりと連中を観察。

 一拍、二拍。

 いや、それ以上の時間を掛けて連中を観察して。


 三回、四回と細かく頷いて。

 ゆっくりと双眼鏡を外した。


「私にも見えたぞ。なるほど。確かに、気をつけて見ないと見落としてしまうな。あの格好だというのに。つまり、あれが――」


 目立つ格好なのに、必死に探さないと見落としてしまう。

 さらに言えば、いくらフードの中の顔を見ようとしても、覚えられない。


 それは間違いなく――


「ああ。認識阻害の魔道――ぐ?」


 認識阻害の魔道具。


 それも格好の特徴からいって、エリーが見たものと、きっと同じもの。

 勿論それを身につける人間も。


 当たりを引いた!


 そんな言葉をソフィーにかけようとしたけれど、声が口の中に留まって、出すことができなかった。

 

 視線の先で見た光景が、絶句するものであったために。


 件の外套の者の腕がゆらりと動いた。

 袖がするりと滑って、隠れていた手が、そして手首が露わになって。

 同じくその者が握っている、モノが露わになる。


 ガス灯の光を照り返す、黒鉄色の物体。

 それは見慣れた物体。


 ユナイテッド・アームズ、パーカッションリボルバー。


 カスタムはされている(引き金のない魔法式)けれども。

 彼の者が持つ物は、間違いなくそれであった。


 距離は離れているけれど。

 彼の者は銃口を、間違いなく俺たちに向けていた。


「ソフィー! 伏せろ!」


「は?」


 伏せつつ出した俺の声に対し、ソフィーのものは間の抜けたやつ。

 俺の指示は、彼女の予想外のものだったのだろう。


 しかし、彼女も流石軍人か。

 俺の声にほとんど反射的に反応。

 飛び込むようにうつ伏せる。


 直後に音が鳴る。

 炸薬爆ぜる音がする。

 ぱんと乾いた音の後。

 がん、と柵当たる衝突音。


 それが意味することとはつまり。


「は、発砲音!? 着弾音!? 何処だ! 何処から撃たれた!?」


「奴だ! 奴! あの外套を着た奴! あいつが俺たちを狙ってきた! リボルバーで!」


「な、なんだと!? 馬鹿な! あの建物からここまで、どれだけ離れていると思っている!? 有効射程から外れているはずではないか!」


「そう言うが! ほら!」


 追加で三回の破裂音。

 次いで三回の衝突音。


 三発新たに撃って、三発きちんとビルに当てたということ。

 それはつまり、先の着弾がまぐれでないことを示すエビデンス。


 軍人であったからわかる。

 それがいかに人間離れした業であるかを。

 有効射程の外の標的を狙って当てること。

 それがどれほど不可能に近いことかを。


「くっ」


 一度うめくや、ソフィーはホルスターから、完全ノーマルのパーカッションリボルバーを抜く。


 応戦するつもりだろう。


 だが断言してもいいが、彼女に勝ち目はない。


 ソフィーが、どの程度の銃の腕を持っているのかは、わからない。

 だが、有効射程の外から狙撃可能な、神がかりな技術を持っているとは到底思えない。


 ただただ、的になって撃たれて終わりだろう。


 そしてそれは、俺が彼女の代わりに銃を握っても同じこと。

 有効射程外からの発砲で、敵に当てる自信はない。

 強化魔法を用いて間合いを詰めようにも、その最中で撃たれて終わるだろう。


 戦って状況を打開することは、もはや不可能。

 と、なれば今、俺たちが出来ることといえば。


「逃げるぞ! ソフィー!」


「そうしたいが! だが屋上から降りている間に、追いつかれる! 階段で鉢合わせになりかねんぞ!」


「ああ、その通り! だから、飛び降りるんだよ! ここから!」


「と、飛び降りると言ってもな! この高さでは――」


「いいから! ほら行くよ!」


「えっ? ちょっと!?」


 逃走するに、他はない。


 だから俺は彼女を抱えて、脚に強化魔法を施して。


 そして一身に駆ける。

 くるりと身を翻して。

 今もなお銃撃を受ける面の反対側に。


 ダッシュ。

 ダッシュ。

 ダッシュ。


 見る見る柵が近付き、夜の街が迫ってきて。

 一歩踏み切って、柵の上に飛び乗って。

 より一層脚力を魔力で強化して。


「しっかり、掴まってて!」


「ちょっとお!? 待って!」


「待たない!」


 この期に及んで、躊躇いを口にするソフィーを無視して。


 俺は文字通り。

 夜の街へと飛び込んでいった。

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