第四章 八話 これは戦間期なのか?
共和国画家の油絵に、極東帝国の磁器に、皇国の漆器、あるいはエルフの手工芸品。
基本的にあまり飾り気のないこの屋敷であるが、客を迎え入れるということもあって、応接間は例外的に装飾品にあふれている。
だから応接間は、この屋敷でもっとも華やかな場所の一つであった。
そんな彩り豊かな部屋のにおいに、殿下は文句なしにぴたりと符号していた。
煌びやかな勲章を胸にぶら下げた、顔を合わせれば、自然と背筋が伸びてしまう、そんな気品を生まれながら持っているからだ。
容姿と雰囲気だけ見れば、まさにこの部屋の主と言っても、過言ではあるまい。
だがしかし、世の中そんなに上手くはいかないもの。
かような素質を持っているのに、肝心要の当の本人が、躊躇いなくそいつをドブに捨ててしまっていた。
殿下は大きく胸を張って、大口開けてげらげらげら。
流刑の人間に武器を渡すという、とんでもない大暴挙をしておきながら。
なにが楽しいやら。
それはそれは気品の欠片もなく大笑い。
相変わらずのぶっ飛び具合に、目眩を通り越して頭痛すら覚えた。
より深く、深ーく項垂れる。
「しかもただの拳銃ではないぞ! ほれ! よく見ろ! シリンダーにニップルがないだろう!? なんと後装式だ! 専用弾丸は必要とするが、これで再装填の時間を大幅に短縮出来るぞ!」
「いやいやいや、殿下!? なにゆえそこまで誇らしげなんですか!? わたしは罪人なんですよ!? しかも流刑! そんなヤツに武器渡しちゃあ、いくら王族でも謀反の疑いをかけられてしまいますよ!?」
「ナイスジョークよな! ウィリアム! ここには私の忠臣中の忠臣しか居らん! お前かアリスがこのことを話さねば、誰にもバレはせん!」
「バ……バレなきゃいいって……!」
今の言葉は、人生の中で三本指に入るくらいの、真面目な諫言だと自分では思っていた。
こんなもん俺が受け取ったら殿下の立場だって危うい。
だから受け取らない。
ほんの、本当にほんの僅かに迂遠な表現で、そう伝えたつもりであった。
が、殿下は端から受け取りの拒否を想定してなかったためだろうか。
俺の必死の諫言をジョーク扱いにしてしまった。
いや、それだけならまだいい。
言わなきゃバレないという、子供の悪戯染みた言い分の方がはるかに問題だ。
つまり殿下は、俺に武器を渡すことのマズさについては、きちんと認識しているということになる。
知っててこいつを渡そうとしていると言うことになる。
いわゆる確信犯だ。
なるほど、諫言が通じないわけだ。
だがここで諦めてはならない。
これでも殿下に恩がある身なのだ。
なんとかして殿下の破滅を回避すべく、ここは断り続けねば。
「受け取れるわけないでしょう!? お返ししますよ! こんな危ないもの!」
「なにぃ!? 貴様、王族からの贈り物を拒むのか!? こンの不敬者め! 時代が時代だったら、今のでも不敬で打ち首じゃぞ! 時代に助けられたな!」
今度は直に受け取らないと直訴するも、どうやらそれは逆効果。
不敬を理由に逆上するその姿は、さながら物語の暴君の如し。
逆鱗を触れた感が否めないが、さりとてこちらも意思は不退転。
殿下のためにも、なにがなんでも受け取ってはならぬと、徹底抗戦。
「殿下! 頼みますからこの銃をお引き取りを! マズいですって! いくらなんでも!」
殿下の言うところの、忠臣中の忠臣である近衛兵たちからの視線が痛い。
我らが敬愛する、王女殿下の贈り物を拒むとは身の程知らずめ。
彼女たちの視線はそう語っていた。
ひとまずその刺さるような複数の眼差しを丁重に無視。
もう一押しの説得を試みようとした、そのときだ。
殿下の面持ちがにわかに変わったのは。
先ほどまでの癇癪面はどこへやら。
極めて真剣な顔付きになった。
あまりの豹変っぷりに、思わず息を呑む。
そんな呆気に取られている俺を尻目に、殿下は一度姿勢を正して後に、ふうと息を吐いて。
「……受け取ってくれ。頼む」
「なっ」
その言葉を紡ぐや、上半身をゆらり。
頭はぺこり。
髪はさらり。
殿下は叩頭した。
王族が頭を下げている。
その事実にこの部屋に居る誰しもが、言葉を失った。
アリスは両手を口に当て、近衛兵たちは例外なく目を丸くする。
当然俺も度肝を抜かれて、あんぐり間抜け面。
けれども、その光景があまりにも異常すぎたせいだろう。
俺はすぐに常を取り戻すことができた。
「で、殿下っ! まずはお顔をお上げ下さい! なにもそこまでのことでは!?」
「今のお前に銃を渡すこと。その危うさも、それがお前が必死に止めるに値することであるのも、十分に承知しておる。だが、それらを曲げてでも受け取って欲しいのだ。頼む」
「わかりました! お受け取りしますので! だから殿下! まずはお顔を!」
机の上を滑らせる音ををたてながら、木箱を手元に引き寄せる。
頭を下げて、こちらを見ることのできない殿下にも、受け取ったことを知らせるために。
わざと音をたてた。
殿下はその音をきちんと聞き取ってくれたようだ。
ゆったりと頭を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
その目付きには先ほどまでの、破天荒王女の異名に相応しい気性の激しさは、一切感じなかった。
むしろどこか物憂げ。
とても深刻ななにかを抱え持っている。
容易にそのことを察することができた。
そしてそのことは、アリスも感じ取ったらしい。
控え目な声で、ぽつり殿下に問いかける。
「……なにか、厄介事でもあったのですか?」
「うむ」
殿下は重々しく肯んじる。
手近な近衛兵をちらと見やり、なにかを促した。
それからほとんど間を置かず、近衛兵が俺も下へと歩み寄り、一枚の用紙を手渡す。
手元にやってきた紙は、どうやらなにかの報告書のようだ。
棒グラフを用いているあたり、とある総数をまとめたものか。
誰かに促されるわけでもなく、まずは報告書のタイトルを眺めて、読んで。
「っ」
結果、瞠目。
またしても息を呑む。
タイトル、そしてグラフが示す意味。
それらは人の言葉を奪うだけの威力を誇っていた。
「これは……」
「ああ、見ての通りだ」
戦争終結後の、月別で並べた生き残りの邪神の発見数。
近衛兵から渡された用紙が語る意味とはそれであった。
グラフは月を追う毎に、徐々に徐々にとその高さを増していた。
いわゆる右肩上がりってやつだ。
戦勝によって邪神の活動を、無視できるまでに抑制できたというのに、ここにきて僅かではあるが、邪神が勢いを取り戻しつつある。
そんな重大な事実から、いくらか気を紛らわせるためか。
殿下は懐より美しい琥珀色に染まったメシャムパイプを取りだし、赤燐マッチで火を落とした。
「こうなってしまっている理由は不明だ。しかも、さらに厄介なことがある」
「これ以上に厄介なことがある、と?」
「ああ、そうだ。ウィリアム、邪神は基本群れて現れるものではあるが……戦後も活動を続ける、特異個体は別。それが定説であったな?」
「ええ。その特異性こそが、活動停止に至らなかった最大の原因ではないか。学者たちがそう睨んでおります」
「そう、そのセオリーがな。ここに来て崩れつつあるのだ。つまり――」
「――特異個体が群れを形成する……そんな報告が出つつある、と?」
「その通りだ」
濃密な紫煙を伴いながら殿下は頷く。
煙を吐き出す動きは流麗とは言えず、どこか荒々しい。
どうしようもない苛立ちを、喫煙によって抑えようとしている。
そのように見えた。
だが、殿下が苛立ちを覚えても然りの事実である。
増加の傾向にある邪神たちは、今の平和な世界を揺るがすほどの勢力になってはいない。
とはいえ、である。
ゆっくりと。
着実に。
「……殿下」
「なんだ?」
「……戦間期、なのでしょうか? 今の浮世は」
世界は再び物騒な方向に進みつつある。
そうとしか思えない情報でもある。
だから、不安を覚えて当然だ。
「最近においては、否定することが出来なくなってきた。邪神を抜きにしても、どうにも世の中はきな臭いからな。それはお前も身をもって知るところだろう?」
そしてなにも脅威は邪神のみに限った話ではない。
統合主義。
種族主義。
二つの相反する思想。
それらが産んだ先日の暴挙。
あれは人類同士での争いの兆しでもあった。
仮に邪神の増加に歯止めがかかったとしても、だ。
邪神戦争よりもさらに暗い争いが起こりかねない。
そんな可能性を今の世界は孕んでいる。
ここにきて、ようやく殿下が俺に拳銃を渡した意図が見えてきた。
それはつまり。
「ウィリアムさんが再び武器を持って、前線で戦うかもしれない。そのときに即応するために……ということのですね? 殿下」
「その通りだ、アリス」
メアリー殿下は、人差し指と中指でアリスを指した。
クロードのよくやる正解のジェスチャー。
分隊中でも伝染したそれは、どうやら殿下にも及んでいたようだ。
「気をつけろよウィリアム。穏やかな日々が続くとは限らなくなってきたんだ。だから、だ。私がお前を解き放つ、そのときまで――」
殿下は一度そこでパイプを咥えて、紫煙を燻らせて。
たっぷり時間をかけて吐き出すことで間を作って。
「その身が健在であってくれ。自分の身は自分で守ってくれ。そのための贈り物でもあるのだ」
殿下は懇願する声色で俺に語りかけた。
その願いは俺の身を真に案じたものであって。
だからこそ、俺は拳銃を突き放すタイミングを完全に失ってしまった。




